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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

どこにも母がいないという事実が心を壊死させる

母が亡くなって、早いもので8ヶ月が過ぎ、間も無く1周忌の準備を始める。 気丈にあれと、誰に言われるわけでもなく、いつも以上に行動的な日々を送り、疲れ、途方に暮れ、また気を取り直し、悲しくなり、明るく笑い。 もうあたしの心は、壊れてしまいそうです。作り笑いも、根っからの笑いと思えるものには紗がかかり。朝目覚めて毎日、ああ、母は居ないんだなと確認し。 実在していたことすら危うい自分の意識と、二度と会えない事実から自分の心を守ろうとしてかの回避行動としては、悲しみから意識を反らし、なるべく気にしないように、悲しいことになるべく蓋をして今まで来た。淡々と、仕方ない、思い出さない、写真もあまり見ない。感謝や後悔や、それらもなるべく頭から追い出して。 でも、体調の変化で毎月決まって悲しい波が押し寄せる。私は、自分のために自分を生きれていない。母のために生きてきたのだったろうと思う。今は子供と父のために。家族が居なかったら生きているか?自分が生きたいと思えて毎日を過ごせて居ない。仕事も毎日の日々も義務のようで、心が休まらない。いつも自分の頭の中の自分とモヤモヤ会話して。心が壊死してしまったような感じに至りました。 どうしたら、自分で自分を大切に自分のために生きられるのだろう?この喪失感は、いつか救われることはあるのだろうか? 時々猛烈に苦しくなる。 母が生きて居たことが信じられない。 母が居なくなったことも信じられない。 そして、全ての事実は理解している。 あたしの心は、大丈夫なのかな。

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愛犬の急死

いつも有難うございます。 私の宝、唯一無二の存在である愛犬が、数週間前に亡くなってしまいました。 急性的な病気と言われましたが、もしかしたらずっと我慢していたのかもしれません。 点滴(6日間)に小さな体で頑張って通っていたのですが、 仕事帰りに迎えにいって抱っこしている帰路で、息絶えていました。 春の暖かい季節になるのを待たずに、私を置いて逝ってしまいました。 あまりに急な事で、ショックで仕事まで休んでしまい、 亡骸の横で、二晩撫でながら泣きながら寝て過ごしました。 火葬の時も、大泣きしていつまでも頬ずりしていました。 私が病気の時もいつも、寄り添ってくれ、私が帰るまで おしっこも我慢するような子でした。 12歳だったので、後何年一緒にいられるだろう・・・と思いながら 特にここ2年位は何かあればすぐ病院にも連れていっていました。 冬はいつもケージで犬小屋にあんかをいれて眠る子だったのですが 今年の冬は極寒だったためか、私の部屋に来て布団の上で眠っていました。 朝は凍えるような気温になるので、私も気にして毛布を掛けてあげたりしていました。 今思えば、自分の寿命を悟り、昼は一緒に居られないから、 夜寝る前だけではなく、眠る時も一緒に・・と思っていたのではないかと思うと もっと自分にできる事があったのではないか、と思ってしまいます。 自分がこの子の命を縮めたのでは・・・と思っています。 遺骨は持ち帰り、私の部屋で供養しています。 でも、気配を感じた事もありませんし、夢も見ません。 毎日毎日、写真や動画を見ては泣いてばかりの日々です。 私の生きる糧がいなくなり、最近またあちこち調子が悪くなってます。 私に必要な家族ほど、早く、しかもお世話をさせてくれずに 順に逝ってしまいます。 『次は私かな・・』とも思います。

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病に左右される人生はどうなる?

皆さん大なり小なり悩みを抱えながらまた私も自決が出来ず二進も三進も行かず、前へ進む事が出来ないため投稿させていただきます。私も私で自分の歩む人生はどうしたらいいものか迷走しており、前へ進むための打開策を考えたいと思っております。私は明日死ぬという大きな病でありませんが、かれこれ約18年過食(太りたくないので6年前の27歳で下剤を覚え、海外の輸入サプリメントを高校から常用)、ダイエット(運動ありき)が人生の生きる基盤指針になっているようです。体型に捉われ、生きるすべが痩せることや体型になっています。⇨相談の根幹。かつて心療内科では双極性障害の中の摂食障害の症状であると診断を受けました。このままでは周りに迷惑をかけ続けるので、真剣に向き合って生きていこうと思い、対峙している最中です。薬も頂いておりますがどうも逃げ腰です。海外の輸入サプリメントは飲んでるのに薬の副作用で太るのが怖いからと概念に捉われ、真面目に薬物飲めずにいます。話を戻します。今お世話になっている先生(恩人)との生活は、ここを離れて一人で生活した方がお互いのためではないか(私が生きやすいのではないか)ということです。夜な夜な冷蔵庫を漁って食べたり、お金を盗んでまでコンビニに走ったり、自分の思い通りにならないと怒って実家に帰ったり、断食道場に行ったり、もう死んでやる!と刃物を振り回したりリストカットをしてみたり、仕事(このクリニックで院長補佐、総務。現在も)を放棄していなくなったり、先生と口論になって、私の言いたいことが伝わらない苛立ちと感情が爆発して警察も呼んでしまったりとにかく波乱の四年でした。そんな中、先生は寝る暇を惜しみ、自身が過労で倒れても、ずっとずっと私を治療をしてくれました。しかしそんな先生もそろそろ限界で自力で何とか打破しなくてはいけなくなりました。先生こそ重篤な持病があって私のお守りサポートはもう限界みたいです。私の安定しない体動言動に振り回されると心臓が痛むそうです。過食があって、人格の異常が出て、痩せ願望を手にしたい願望が強すぎて先生の側を離れて自分の思うように生活をしたいとも思います。毎日がこの葛藤です。知恵がついてきた分、昔の自分スタイルに戻ってしまうことも躊躇していますが、双方円満のためには一人生活で自分のしたいようにやるのがいいのか?(薬物療法を真剣に考えて取り入れながら)

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家族の死、自分の死が怖いです。

私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。

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命の限りの受け入れ

両親が80歳になり二人暮らしが不安で実姉が同居してくれました。 実家は東京、私は大阪で離れています。 父はいますが幼いころから母子家庭と同じでした。父が家に帰るのは年に一回。 母子家庭と同じ環境だったせいか末っ子の私と母は一卵性親子のようになっています。 そんな母ももう80歳 3年前に駅の階段から落ちて意識不明の大ケガで運ばれました。幸い数カ所の骨折だけで命に別状はありませんでした。 昨年は家族のいる時に倒れ、救急車で運ばれました。脳梗塞でした。幸い処置が早く後遺症なしで助かりました。 昨日は定期的に通院している内科で心電図を取ったら波形がおかしいということで救急車でカテーテル検査できる病院へ運ばれ、検査の結果、心筋梗塞と判明。奇跡的に無症状のうちに処置も出来てまもなく退院です。 3年のうちに、立て続けにこのような状況になっています。年齢を考えれば仕方ないことなのかもしれませんが私は耐えられそうにありません。 頭では理解しようとしていますが心の支えが何もなくなってしまうようで。何も感じたくないので眠ってしまいたいです。ここ最近、母以外のことも色々ありすぎて相当頑張って踏ん張っているのに、そんな時に母の心筋梗塞。 もう、頑張るのが疲れてしまいました。 母に万が一のことがあった時、私は壊れてしまいそうで不安です。 大切な誰かを失った時の喪失感は多くの人が抱えていると思います。どうやって乗り越えていらっしゃるのでしょうか。

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祖母の死

二ヶ月半前の一月一日に祖母がなくなりました。叔父と同居していたのにいきなり独りで逝ってしまいました。 私は母とは折り合いが悪くまた母も祖母との折り合いが悪く敵の敵は味方ではないですが祖母と私は仲良くやっていました。 小さい時はいつも面倒をみてくれていて怖いし厳しいけど大好きだったんです。事情があり海外に住んでいるのですが一年半ごとくらいに帰国しては近況を知らせたりして孫の中では一番気にかけていたと自負しています。 祖母の知らせを聞いたのは一日の夜でした。 急いで飛行機のチケットをとって帰ったのですが二人の妹は母が航空券を払わなかったのと仕事を休みたくないとの理由で帰りませんでした。一つ下の子は祖母にとても可愛がられ祖母はいつも妹の話をし、私に面倒を見るようにと言っていたのになぜあの子は最後のお別れすらいってあげなかったのだろうと未だに憤っています。 もっと妹にあわせてあげたかった。もっといろんなとこに連れて行ってあげたかった。この夏に帰る予定なのでまた帰国した時にいないことを自覚するのが怖くてたまりません。そうでなくっても祖母の写真を部屋に飾っているのでさえ悲しくて涙が出てきてしまうんです。 75歳。あと10年は大丈夫だろうと思ってましたしあと10年たてば私もまともな大人になりたくさんの恩返しができたと思うと辛くてたまらないのです。 他の家族はなんだかんだ立ち直って楽しくやっているようで私だけ毎日泣いている気がしてでも寂しがりやの祖母だからこそ私独りでも祖母のことを思って泣いてもいいのではないかと混乱しています。 寂しいです。一番大切な家族がいなくなってしまってどう立ち直っていいのかわかりません。

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おじの介護

現在実家には両親がふたりで暮らしており 私はバツイチ独身で隣県にて生活しています。 母親側におじがふたりいてどちらも独り身で それぞれ生活をしていました。が、 ひとりが事故に遭い、姉である母が引き取って 介護をしています。またもうひとりの伯父も あまり体調が芳しくないようでいつ介護が必要になるかもしれません。 母親の性格からして元気である以上は 自分の兄弟の介護もすると思うのですが、母親自身が 疲れてしまうのではと心配でなりません。 いずれは両親とおじ二人の四人を私が見なければいけなくなるのかと思うとそれはそれで将来に不安しかありません。裕福であれば施設で十分なサービスを受けさせてあげることも可能でしょうがそれも難しいです。 私自身、離婚して7年ほど経ち縁があればまた再婚なども考えることになるかと思いますが、世話しなければいけない身内がこれだけいたら誰も一緒にはなってくれませんよね(笑) 最近では残りの人生は介護に費やし自分自身は孤独のうちに死んでいくのかなぁなんて思います。 生まれたときからお世話になっている両親やおじですからもちろん出来ることはしてあげたいし、臨終の際にはそばで立ち会いたいとも思います。 おじのほうでも私に面倒はかけたくないと思っていることでしょうし、ふたりのおじの心中も察することもできます。 このような状況ですが仏教的にどう考えて生きていけばよいのでしょうか。 相談というか、この状況を誰かに聞いてもらいたいだけなのかもしれませんが、考え方の指南を示してもらいたく書き込ませて頂きました。

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