どこにも母がいないという事実が心を壊死させる
母が亡くなって、早いもので8ヶ月が過ぎ、間も無く1周忌の準備を始める。
気丈にあれと、誰に言われるわけでもなく、いつも以上に行動的な日々を送り、疲れ、途方に暮れ、また気を取り直し、悲しくなり、明るく笑い。
もうあたしの心は、壊れてしまいそうです。作り笑いも、根っからの笑いと思えるものには紗がかかり。朝目覚めて毎日、ああ、母は居ないんだなと確認し。
実在していたことすら危うい自分の意識と、二度と会えない事実から自分の心を守ろうとしてかの回避行動としては、悲しみから意識を反らし、なるべく気にしないように、悲しいことになるべく蓋をして今まで来た。淡々と、仕方ない、思い出さない、写真もあまり見ない。感謝や後悔や、それらもなるべく頭から追い出して。
でも、体調の変化で毎月決まって悲しい波が押し寄せる。私は、自分のために自分を生きれていない。母のために生きてきたのだったろうと思う。今は子供と父のために。家族が居なかったら生きているか?自分が生きたいと思えて毎日を過ごせて居ない。仕事も毎日の日々も義務のようで、心が休まらない。いつも自分の頭の中の自分とモヤモヤ会話して。心が壊死してしまったような感じに至りました。
どうしたら、自分で自分を大切に自分のために生きられるのだろう?この喪失感は、いつか救われることはあるのだろうか?
時々猛烈に苦しくなる。
母が生きて居たことが信じられない。
母が居なくなったことも信じられない。
そして、全ての事実は理解している。
あたしの心は、大丈夫なのかな。
有り難し 33
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