昨日の朝、16年間共に暮らした愛犬を亡くしました。 外飼い犬でしたが丈夫な子でした。去年の冬から腰が弱くなり、急激に衰えていきました。それでも調子のいい時は散歩に出掛けたり遊ぶ事が多かったです。 彼が亡くなった日の夜中、私は夜中の1時頃に目が覚め、眠れなかった為ずっとゲームをして朝になるのを待っていました。2時になった頃でしょうか、外から大きい声で「ワンワンワン!」と鳴くのが聞こえました。以前夜中に痴呆で鳴く事があったので、すぐにおさまるだろうと、さほど気にもとめずゲームを続けていました。やがて日が昇り、私が朝食を済ませた後に母が起床しました。 9時頃だったと思います。家のインターホンが鳴り、母が何やら慌ただしくしているのが聞こえました。私の名前を呼ばれ、母がいるドアが開いたままの勝手口の先を覗くと、「○○ちゃんが死んじゃった…!」 犬が普段暮らしているスペースは、犬小屋の数m前に段差があり、そこから坂になっているのですが、昨晩その段差に落ちて上に登れなくなってしまったらしいです。ご近所の方が、亡くなっているのを見つけて知らせてくれました。 私が見た時には段差の上に引き上げられ、横たわっていました。タオルが掛けられていましたが目は開き、口から血を流して硬くなっているのが見えました。歳をとって弱っていたからいつ亡くなってもおかしくなかったのに、大丈夫だろうと、夜中に彼が声を上げて助けを呼んでいたのに、無視して、愛犬が死んでしまったことに気づかず何時間も、呑気にゲームしてたんですよ?私。 暗闇の中で不安で怖くて悲しかったかも 寂しかったかもしれない そう思うと、彼に申し訳なく、あの時すぐに様子を見に行かなかった自分が許せません。 遺体を埋葬する際に抱き上げた体は冷たく、硬くなっていました。 昨日からの一連の出来事が、あまりにも衝撃が強く、生きていた頃の人懐こくて優しかった彼の姿がだんだん思い出せなくなりそうで、とても怖いです 夜中に鳴いていた時に、ちゃんと様子を見に行っていれば、助けられたかも知れません。助けられなくても、1人で寂しい思いをさせずに逝かせてやることはできたのかもしれません。 今日も昨日と全く同じ時間に目が覚めました。突然の事で考えがまとまらず、支離滅裂で長文になってしまいましたが、お願いします、助けてください ずっと涙が止まりません
先日、ある外科医が、自分が患者となり、手術を受けた時の恐怖や不安を記した記事を読みました。 私は、自分が勤めている病院で全身麻酔の手術を受けたことがありますが、その外科医のような恐怖や不安は全く湧いてきませんでした。 執刀医を信じていたから、とかではなく、常に、いつ自分が患者側になってもいいよう心掛けていましたし、いつ患者側になるか分からないことを自らに言い聞かせながら働いていましたので、「ついに自分の番が来たか」というぐらいにしか思わなかったのです。 しかし、やはり「手術」や「全身麻酔」に対する恐怖や不安は、現役の外科医ですら感じるぐらいなので、他の患者様たちの中では、相当大きなストレスになっているのではないかと思います。 私は、出来ることなら何でも相談して欲しいと思っています。 どんな些細なことでも構わないので、自分が納得出来るまでとことん質問して、少しでも患者様の心から、恐怖や不安を減らしてもらえればと思うのですが… やはり、躊躇ったり、言い出せずにいるのではないか?と思うのです。 患者様に親身に寄り添うこと、普段から信頼関係を築いておくこと、気軽に話し掛けられる雰囲気でいること、私自身の実体験をお話しすること、など工夫していますが、そうしたところで、まだまだ恐怖や不安は拭いきれないのではないか?と思うので… お坊さまがもしご病気になり、手術を受けることになったとしたら、医療従事者側にどのようなことを望みますか? どのように接していけば、少しでも安心感が得られると思われますか? 普段から精神を鍛えていらっしゃるお坊さまでも、やはり人間です、医療に対する不安感や不信感などはあるのでしょうか? 今の医療に対して、医療従事者に対して、どのような思い、希望を抱いていらっしゃるのでしょうか? 今後の参考にさせていただきたく、質問させていただくことに致しました。 もし、何か具体的な不安等がありましたら、お答え出来る範囲内ですが、お答えしたいとも思っています。 宜しくお願い致します。
「Feel rather powerless」 Maybe because I'm sick? I'm so ashamed of myself. I can't do anything. I'm depressed… I have to try harder… Along with everyone… Along with everyone… As it will be fine tomorrow. 「自分の無力さを思い知る」 私が病気だからか? 何もできない自分が情けないです。 落ち込んでいます… もっと頑張らなきゃ… 皆と共に… 皆と共に… 明日は元気になりますように。
親が健康診断で異常が発見されたようです。 再来週に精密検査を受けるようですが、心配でいたたまれません。 そこで、重篤な病気ではないように願掛けをしようと思ってます。 願掛けとして好きなものを結果が出るまで断とうと思います。 苦しい程効果があるとのことで、あれもこれもと頭に浮かび、浮かんだら断たないと願いは叶わないと思い、ついに10個以上となりました。 非常に苦しいです。 今後も増えていきそうです。 断ったほうがと頭に浮かんだものは増やしていった方が良いでしょうか? もうすでに断ったものは、続けた方が良いと思っていますが多すぎでしょうか? ご教示ください。
数日前に祖母が搬送されました。 おととい、もう点滴のみの対応になるので、1週間~10日の余命と言われたそうです。 母からの話で、私はまだ会っておらず、明日、様子を見に行きますが、本当に死んでしまうのだろうかと思う位、頭はしっかりしていて、元気なようです。 心不全と肺が機能しておらず、食べられないから、点滴のみとなり、今は元気なのに、だんだんと衰弱して、精神も朦朧となり、終わりを迎えるしかないなんて。 あと、数年で100歳になる年齢なので、寝たきりにもならず、ボケもせず、私の息子、曾孫とも仲良く過ごし、客観的には、長生きで、楽しい人生で、迷惑もかけず、良かったじゃないとなるかもしれません。 離れて暮らしているので、結婚してからは年に多くて4度くらい、ここ数年は、年に2度帰省するくらいでした。 なので、亡くなり会えなくなっても毎日会っていたわけではないし。 でも、やはり考えたら涙が止まりません。まだ、元気なのに、生きているのに。 来月には居なくなってしまうかもしれない。もう会って話すことができない。 私は、おばあちゃん子でしたし、高校生の息子が小さいときに、おばあちゃんと過ごした日々を思い出しても、また涙が。 仕事でも、いろいろあり、体調もいまいちな時でしたが、更なるショックで、どう考えて、向き合って過ごしていったらいいか。 奇跡がおこらないか、祈ってしまいますが、この状態に対してアドバイスをお願いします。
高校二年生の時に母親がガンで亡くなってしまい 今も何事においても無気力になってしまうのです 僕は母親が大好きで今日一日あったことを母親に言ったり してたんですがそれもなくなり家で僕は会話が減りました。 どうにか前向きになれるような考え方などありませんか?
タイトル「ひき殺しても尚」の回の時には、なかなか父をうまく説得出来なかったので、次なる手を考えたのですが… 「お盆」というのをきっかけに、その亡くなられた方のお墓参りに行く、というのはどうでしょうか? 勤務中の事故だった為、事故処理や遺族対応などは全て会社の方々が行って下さいました。 遺族感情を考慮してなのか、ちょっとその辺りの理由についてはよく分からないのですが… 父は、一度もご遺族のところには行っておりません。 お線香どころかお墓参りにも一度も行っておりません。 一緒にお墓参りに行く、というのはどうでしょう? 今まで何もしてこなかった加害者が、勝手に(?)お墓参りをするというのは、何か問題があるのでしょうか? 今まで何も出来なかったのですから、せめて今、手を合わせて「安らかに…南無阿弥陀仏」とお祈りさせていただきたい、と思ったのですが… そうしても良いのか、それともあまり勧められないのか、教えて下さい。 ちゃんと父には反省して欲しいのです。
以前、検査が不安と相談したものです。 その後、色々と検査していますが、今のところなにも悪い結果は出ていません。 しかし、念のため、と言われてあと少し検査がつづきます。色々考えては、もうすぐに死んでしまうのでは、などと考えて元気が出ません。今日は検査のみでの来院なのですが、結果を聞きに行かずに済ませたいと思ってしまいます。一体どうしたらいいでしょう。色々と考え方をみても、死ぬことの怖さを乗り越えられません。 孤独も感じています。 父をガンで亡くし、いま義母もガン闘病中であり、弱っていくのを見るのも辛いです。 でも、どこにもこの不安をぶつけるところが無いのです。どうしたらいいか、毎日途方にくれています。お言葉いただけたら嬉しいです。
私の父親は、今71歳。最近、運転免許証の更新に行きました。 ゴールド免許です。 でも、父は64歳の時、仕事中に50代の女性をひき殺した過去があります。 法律上、父のせいではない、その女性が飛び出したのが事故死の原因である、ということに。 しかし、私にはどうしても父の心が分かりません。 父は悪くなかったのかも知れません、でも、1人の尊い命が失われたのは事実なのです。 それでも、今回は70歳を越えていましたので、高齢者の講習を受け、見事合格し、新しい免許証も手に出来ました。 それからです。父がやたらと赤信号で突っ走るようになりました。 私が「赤!赤!危ないでしょ!」と言っても、「ワシは国が認めた優良ドライバーなんや!ゴールドなんや!」と危ない運転を繰り返します。 父は、自分が人間を跳ね、ひき殺したときの「感覚」「感触」を忘れてしまったのでしょうか。恐怖に苛まれることはないのでしょうか。 ゴールド免許証になってから、スゴい自信過剰になっているように感じます。 はねて、ボンネットに乗り上げ、窓ガラスがバリバリに壊れる程のひき方をした、その時の「ドンときた生々しい音」「目の前で人が潰れた光景」…私なら怖くて、二度と運転出来なくなりそうですが…どうも父は違うようです。 いつかまた、人をひき殺すのではないか、という不安が頭をよぎります。 最近の荒々しい運転は、酷い。横暴過ぎます。 確かにゴールドです、運転するな!とは言いません。 でも、人の尊い命が1つ失われた(奪った)事実を認め、決して忘れないでいて欲しい。 お坊さま、どういう言葉をかけたら、父が「安全運転」をするようになると思われますか? 時には過去と向き合う必要があると、私は思うのですが… 何を言っても「ゴールド」を主張する父に、私から、あと何を言ってあげることが出来るのでしょうか?
最愛のひとを殺してしまいました(法には問われない相手です) 私はあの子を愛していたのに、あの子は衰弱して、病死してしまいました。 もっと安らかに過ごせる環境を作れたのに、私の不注意で、とても苦しんでしまいました。 看取ることはできましたが、最期の数日は、ほとんど孤独でした。 誰にも気付かれず、最悪な環境の中で。 それでもあの子は私を慕っていてくれました。 あの子には私しかいなかったから。 あの時ああすればよかったと思うことばかりで、 この罪を償いたい、やり直したいのに、その償いをする相手はもういないのです。 他の子に愛を向けたとしても、生き方を変えたとしても、あの子をちゃんと愛せなかった事実は変わりません。 この罪を償うことはできないのでしょうか? もうあの子に何もしてあげることはできないのでしょうか? 私はこれからどうしたらいいのでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。
速乾性擦式手指消毒剤『ウエルパス』。 多くの病院で使用されている強力な消毒剤「(一般的に言うと)消毒用アルコール」の1つです。 数年前、私は、その『ウエルパス』無意識なのか意識的になのか不明ですが、ゴクンゴクンと飲んでしまいました。睡眠薬を服用して、ちょっと意識が朦朧としている時でした。 あまりの強刺激に、脳がパーンと弾け、また喉が焼けるような感覚で目が覚めました。 たくさんの精神科の薬を服用していましたので、掛かり付けの「薬剤師」に電話し、「どうしたら良いでしょうか」と訊ねると、「息が出来なくなるかも知れないので、まずはご両親を起こして、直ぐに病院に行って下さい」とのこと。 言われた通り、両親を起こし、引き受けてくれる病院を探しましたが…状況が状況だけに「うちでは無理です」と何度も断られました。そのうち、ある1つの病院だけが、「こちらまで来られますか?」と言ってくれました。日本一「断らない救急」でとても有名な病院です。 到着して直ぐに検査等が始まり、検査結果が出るまでの待ち時間に、診察して下さった救急医に呼ばれました。「自殺ですか?誤飲ですか?」と聞かれ…「分かりません」と言うと、「誤飲なら事故なので、体調診て帰ってもらえますが、自殺なら事件なので家には帰れません」と言われましたので…「確かに、睡眠薬を飲む前は、自殺したいと頭が混乱していました。でも、寝よう!と思って睡眠薬を飲んで起きたことなので、誤飲と思いたいです」と答えました。 まぁまぁ、診察開始から時間が経つにつれ、奇跡的に徐々に体調が回復してきましたし、「誤飲」だと答えたこと、あと、掛かり付けの精神科を必ず受診することを条件に、家に帰してもらいました。 普通の、飲むアルコール(お酒)は、アルコール度数が低いですし、高いウオッカ等でも、精々50%ほど。私が飲んだ医療用の消毒用アルコールは、100%ではありませんが、90%越えの「強烈なアルコール」です。 治療のお陰で体調が回復してきて、家に帰る頃には、ただの「酔っぱらい」になっていました。 それ以降、『ウエルパス』の部屋への持ち込みは禁止しています。「誤飲」も「自殺」も防ぐ為にです。 普段は、努めて元気にポジティブに振る舞っていますが、私にも「闇」があります。皆それぞれに「闇」を抱えて生きているのではないでしょうか? お坊さまの心の中にも「闇」はありますか?
私には、成長過程で「反抗期」がなく、所謂「いい子」そのものでした。 それが、今、母親から「今があんたの反抗期ね!」と言われます。 何故なら、今、私は精神的な病気を患っていて、母親の言う通りに出来ないからです。 昔は、母親の「自慢の娘」でした。 でも今は、「あんた誰の子?」「絶対、私の子じゃない」と言われています。 母親には、感謝しています。 でも、何だか心の中がスースーしています。 少しでも早く治りたい!と思い、精神科に掛かるだけでなく、カウンセリングも始めました。 私の病気からして、「治るまで年単位」と言われている通り、今、カウンセリングを開始して2~3年になりますが、まだまだ治るには程遠い状態です。 経済的負担を軽減する為に、障害者手帳も取得して、障害年金も受給することにしました。 何とかしようと、ひたすらもがいています。 出来るだけ前向きに、ポジティブに考えようとしています。 夢(復職や自立等)も諦めていません。 でも、「病気」→「自分の思い通りにならない」→「反抗期」と言われると、さらに憂鬱になり、「鬱病」も悪化しそうです。 それでも、精一杯頑張って生きています。 また明日はカウンセリングの日。 前向きに、前向きに、ポジティブに、ポジティブに… まるで念仏を唱えるように、いつも自分に言い聞かせています。 母親の言う「反抗期」とやらを、私はどう捉えて「頑張りの素」に変えたら良いのでしょうか? 正直、結構キツイ言葉です。 もういい大人ですし、親孝行する側、支える側に立ててないといけないのに、今はそれが出来ません。お恥ずかしい話です。 まずは自立すること!そう言われるのかな…等と考えつつも… 何かアドバイスいただけないでしょうか。 厳しいお言葉でも構いません、お坊さまのお考えをお聞かせ願えればと思います。
先日、最愛の母を癌で亡くしました。 癌だと判明してからたった二ヵ月足らずで逝ってしまいました。 本人には事実を告げられないまま… 本人も治ると…必ず治す!というつもりで頑張っていました。 人は誰しも自分の『死期』は分かりません。 自死の方は別かも知れませんが、皆さん『納得のいく死』 が出来るわけも無いし、そもそも死にゆく事に本人も家族も 『納得』や『覚悟』なんてそう簡単には出来ません。 殆どの人が『無念』な思いで逝くのではないでしょうか? やり残した事、言いそびれた事、気になっている事… 色んな思いを抱え、それらが『後悔』や『恐怖』となって 本当に『辛く』『悲しく』時には『怒り』となって たった一人で心細く無念に旅立っていくのではないでしょうか? そんな『無念』な思いで旅立った魂は、本当に 心安らかに『成仏』が出来るのでしょうか? 残された家族が一番心を痛める事… それは どんなに辛かっただろう どんなに無念だっただろう どんなに怖かっただろう… 話が出来たら、どれだけ辛かったか聞きたい… 今、どう思っているのか聞きたい… でもそれが出来ないから苦しいのです…。 教えてください。 自分が『死んでしまう』とは思ってもいないのに 治そうと、治ると思って頑張っていたのに 何の心構えも準備も出来ていないまま 人生を終わりにしなくてはいけなくなった時 人はどんな事を思うのでしょうか? 四十九日までは、魂はこの世に居ると聞きますが どんな気持ちで、どこでどのように 過ごしているのでしょうか? そんな事ばかり考えて、辛くてたまりません…。
先日、母の三回忌を無事終えました。 母が亡くなってから、こちらのお言葉で色々と励まされました。 私は父も13歳の時に亡くしていますが両親が時々夢にあらわれる事はあっても、あまり顔を見せてくれません。父は交通事故だったので顔の損傷もあり、そのせいかと思っておりました。 母は亡くなった頃は夢でも顔を見せていましたが、先日の夢では食事のシーンでかなり下を向いて食べながら 「あなたほ事はちゃんと考えているから」と言っており、顔は食器に隠れていました。 また、その後の夢は、母と一緒に電車を待っていて、私が席を確保しながら、お母さん、こっちだよ!と呼んでも、スーッと他の車両なのか遠くへ離れてしまいました。目覚めた時は少し寂しいような不思議な感覚でした。 夫は、仏様になる修行中だから現世の時のお顔はなかなか見せないんじゃない?と解釈してましたが。 父と母と、夢の中て少しでも会いたいと毎日思っています。 お顔を見せないのは何か意味があるのでしょうか。
私は死ぬのが怖い、家族の死が怖いと、毎日一日中怯えているのですが、最近、死も老病と同じく人のある状態であるから、特別視しなくてもいい自然なことかなと思うようになりました。人間のある姿という点においては、死も老や病と変わらないと思うのです。ですがそう考えると、毎日のテレビなどのニュースで報道される、事故死、早死になどの死亡のニュースはセンセーショナルで、とても人間の自然な死に方とは考えられないのです。死に方に優劣はないと思いますが、そのような特殊な死に方について、どう考えたらよろしいでしょうか?自分なりに考えた死ぬことは自然という、論理に反しています。どうぞよろしくお願いします。
大病を患っているのに、明るく生きている方がおられます。苦痛があるはずなのに、それを感じさせない方がいます。 私もそのように生きたいと願いますが、とても難しいです。 昨年末ハスノハに出会ってありがたいお言葉をいただき、他の方の回答も読ませていただきました。 そして、今この時を大切に生きる,できないことを嘆くのではなく 出来るものを数える。そんな風に過ごしていこうと決めていた のですが、、 この夏は持病の発作が多く、あっという間に弱くて情けない状態に戻ってしまいました。慌てて怯えてオロオロしています。発作は苦しくて辛いです。明日もまた発作が起こるのではないか、そしてこの次は死んでしまうのではないかと、不安のかたまりなっています。 その不安の裏には、きっと生への執着があるのだと思います。まだやり残したことがたくさんあるし、孫にも会いたい… うまくお伝え出来ませんが、心が乱れて苦しいです。 そのままで良いのだとお坊さま方は言ってくださるかもしれませんが、 あまりに情けなくて、もう少し強くなりたいと願っています。 良い意味で開き直るくらいの、病気に対する心構え・覚悟を持つには どうすればよいでしょうか? どうぞよろしくお願いいたします。
道具も用意して、場所も決めて、手紙も書いたのにいざとなると死ねませんでした。一歩勇気が出ませんでした。死ねないから生きています。
病院に勤めていても、病気になります。 私には、行き付け(掛かり付け)の病院があります。 立地もいい、院内もキレイ、医療機器は最新、そして何より、スタッフの対応が抜群にいい! 勿論、非常に技術的にも優れています。 一度行ったらヤミツキになり、自分の行き付けの病院にしました。 比較してはならない、そういうお声がお坊さまの方々から聞こえてきそうですが… でも、一番はスタッフの方々との「信頼関係」があることですから… とりあえず、今日はそちらに精密検査に行って来ました。 結果は、悪くはないけど、良くもない。 半年後の年明けに、再検査しましょう!とのこと。 思わず「長っ!」と言ってしまいそうになりました。 半年先にならないと、ちゃんとした治療にならない、ということなので仕方ないのですが、私はいつも「次の瞬間に死んでも後悔しないように生きる」と思っているので、半年先の精密検査なんて… 忘れちゃいそうです。 メモしても、メモも無くしてしまいそう。 カレンダーに書こうにも、まだ来年のカレンダーなんて無いし… 仕方なく、いつ壊れるかも分からない、このヤワなスマホに、メモっておきました。 そういう意味での「えーっ!」な検査結果でした。 医学知識なんて、持っていても無意味に感じることは多々あります。 せっかく身に付けたものを「宝の持ち腐れ」にしたくないので、医療関係で何かお困りのことがありましら、出来る限り、協力させていただきます。 いつもお世話になっているお礼も含め、縁あって繋がった皆様の為に、少しでも力になれればと思います。 突如「半年先の予定」が出来ました。 とりあえず、まだ生きています故… ちなみに、何か病気になられた時、「何故私が…?」と思った時には、こう思うと少し心穏やかになりますよ! 「あなたがその病気になったのは、あなたにはその病気と闘えるだけの勇気と精神力があるからなのですよ!」と。 病気になるのも、一種の「縁」なのです。 私も今、障害者ですが頑張って生きていますよ!
【悲鳴をあげているけれど】様へ 『病院に行っても薬を処方されるだけで終わります。病院の何科に行けばいいのか分からない症状です。毎日息も絶え絶えで食欲も暑さも相まってまるでありません』 とても心配です。 hasunohaは、いつも私自身と向き合う為に、他の方々の質問や答えを読ませていただいております。 医学的なアドバイスをさせて下さい。 体の、また心も含め、どこが悲鳴をあげているか分からない時は、『総合診療科』がある病院に行くと良いですよ! ネットで直ぐに見つけられます! 大学病院とかになると、紹介状が必要になったり、せっかく行っても待ち時間が長く、逆に疲れが増してしまうので、中程度規模の病院がオススメです。 あと、体力がない場合は、熱中症でなくても『ポカリスエット』を飲むと良いですよ! 例えば、摂食障害の外来を受診すると、点滴を受けるか、それともポカリスエットを飲むと先生と約束するかで、帰してもらえます。 一番近くのスーパーかコンビニに行けば、ポカリスエットは誰でも直ぐに買えますので、気軽に試せると思います! もちろん、お坊さまがおっしゃっていたように『スイカ』も良いです! 少しお節介かな?と思いましたが、病気の方がいらっしゃると、つい声をかける癖がありますので…お身体を大切に!
私の父は、5年前に失踪しました。 警察に失踪届、高齢福祉課には、何かあったら知らせてくださいと お願いしておきました。 先日、家に一枚の封書が届きました。 世帯主が変更になったため、お知らせしますと記述がありました。 意味が分からないため、市役所に問い合わせると、 「あ、お父様、亡くなってますよー(軽い口調)」との返事。 誰かが死亡届を出して、きちんとした手続きを踏んだからこそ、 世帯主変更になったと思うのです。 しかし、現実は以下です。 ・もう死後1カ月たっている ・お骨がどこにあるのかわからない やりたいこと ・お骨を手元に欲しい ・しっかりと供養をして、先祖代々の墓に納骨したい このままでは、わたしの心がおかしくなりそうです。 どうしたら、いいでしょう・・・