愛犬が亡くなり、4か月以上経ちました。 今でも、家に帰ってくると愛犬の事ばかり考え、小さな小さな 骨壺を見詰め抱えて、泣きじゃくっています。 亡くなる前日まで、じっと私を見詰めて何か言いたげでした。 いつ無くなってもおかしくないと言われ、一週間位頑張って 病院通いをしました。 迎えにいったその帰路で亡くなり、それも心残りです。 私を必要としてくれる人や、子供同然のこの子も亡くなり 私には何もありません。 調子が良い時は、お参りしたり、行ってくるよ!と空のケージに 声を掛けたりしていたのですが、 最近は特に酷く食事は米を炊くだけ・・みたいな食生活です。 早くあの子の所に逝きたいです。 こんな事をいうと怒られそうです。 世の中には大変な思いをしてる方々が 沢山おられるのに・・。 私みたいに孤独な人は沢山いらっしゃるのでしょうか? 愛犬の事を思うと押しつぶされそうで、泣きながら 形見作りをしている自分がいます。 あの子を追って、似た子はいないか?とペットショップを巡る自分がいます。 (あの子の代わりなんていないのに) 馬鹿みたいですね。 愛犬の方がよっぽどお利口さんかもしれません。
私は、私自身が脳死状態になった時、臓器移植希望で、使える臓器は必要な方にお譲りしたいと考えております。しかし、両親が(私の)臓器移植に反対なので、今はまだ免許証の裏などの記入欄は空白にしている状況です。仮に年の順に行けば、ですが、両親が亡くなった後は、私の意思のみで臓器移植可能だと思うので、年齢的な部分をクリアするなら、是非とも私の臓器を使っていただければと思っております。他にも、いろいろ考えております。身内が肝臓を悪くすれば、生体肝移植をしたい。腎臓は2つあるので、差し上げても構わない。骨髄移植のドナーになるのも良い。最近では、今で1年と9か月、髪を切らずにいるので、このまま伸ばし続けてヘアドネーションするのも良いアイデアではないかと思っています。私自身、病気を患っていて、毎日、大量の薬を飲んでいるので、どこまで世の皆様の助けになれるか分かりませんが、病気なら最後の手段は、医学生の解剖学の検体になることぐらいしか思い付かないなぁ…と考えております。一番身近な献血は、今の状態では無理なので、回復次第、貢献出来ればと思っております。病院の輸血部という部署にい、たくさんの血液製剤を扱うクセに、自らが献血が出来ない、というのは非常に情けなさを感じてしまうところです。「生」に執着がなく、「死」をとても身近に感じている、私。将来、「最終的には検体に」という考えは、仏教ではどのように捉えられるのでしょうか?お教えいただきたく存じます。
またまた質問よろしくお願いします。 死について漠然とした不安があります。 最初は小学生のころでした。特に何かあったわけではありません。 ただふっとした時に「死にたくない~」と思い泣いていたのを記憶しています。 ヲタクなので、漫画やらアニメやらドラマやらメディアでは死について想像したり見たりします。 ですが、身近な親戚や、友人知人の死に直面したことはありません。 同級生がひとり自殺されたという話は聞いたのですが、同級生との関わりが縁遠くなってしまっているので、実感がありません。 両親の祖父母は健在ですし、自分の家で生活できています。 東北在住なのですが、近くにいる親しい人が震災で被害にあったということもありませんでした。 自身もですが、親戚、家族、友人知人が大病を患い入院しているということもありませんでした。それ自体はとても幸運なことだとは理解しています。 外にいて空の高さや雲の重なりなんかを見て地球や宇宙を感じるとき。 妊婦さんを見かけたりした時。自分が生きてたり生命があるという事を感じます。 今でもふとした時にとてつもなく死に恐怖を感じます。 これからさきどうなるんだろう?まだ20代なのですが、30代に差し掛かるし、求職中で独身です。 死より将来に漠然とした不安を感じているのかもしれません。 これから先も地球や日本は続いていくけど、私は死んだらどうなるんだろう?死んだら終わりだし真っ暗で何も感じられないんだろうと考えると怖くて怖くて堪りません。自分の人生がいつか終わるのが不安で恐怖に感じています。 別の質問で書きましたが、危ない運転をしてしまったことがあります。 それでも生きているけど、いつ死ぬかわからないよね。 と感じたことがあります。そして身近な人の死に耐えられるかわかりません。 自分でも身近な人でも死が怖くて堪りません。 死の恐怖とはどのように向き合っていったらいいのでしょうか? 20代後半でこんなことを考えているのは可笑しいでしょうか?ご教授よろしくお願いします。
以前から煩悩について教えていただき、ネットで仏教の教えを少しだけかじり取り、何となくこういうことかなと思い、投稿させていただきます。 以前から義父母がデイに行きたくないと言っていました。 私や主人は「なんで行かないのか」と責めていました。 そして、ショートステイ明けは必ずデイを休むといい、義母がデイに電話を入れていました。それに対しても「勝手に電話して」と思っていました。 ふと、そんなに嫌で行きたくないのなら行かなくていいかと思い立ちました。日中は義姉の娘(以下 孫)が家に入り浸り、私が手を出さなくても大丈夫な状態です。 リハビリができないとか、何かあったら孫だけでは対処できない等の不安は多少なりともありますが、完璧な介護はできないし、なるようにしかならないと思いました。 そして、ショートステイ明けのデイがお休みになるようにショートステイの日程を組むことにしました。 そう決めたら、気が楽になりました。 デイに行く行かないの不毛な争いが一つ減りました。 これでしばらくは穏やかに過ごせそうです。 また荒れたらお邪魔させていただきます。 いろいろ教えていただきありがとうございました。
お世話になります。 私は今年で30歳、一つ年下の最愛の彼女がいました。 彼女は長年うつ病を患っており、長く苦しんでいる中でも私に対して優しく思いやりを持って付き合っていただいておりました。 実は亡くなってまだ数日しか経っておらず、心の整理もつけておりません。 元気だった頃から私の幸せを願う発言をしてくれていたので、彼女なりに解放という意味も含んでの自死という選択だったのかもしれません。 周りの方からは彼女も私の幸せを望んでいるはず、だからなるべく元気を出して自分の人生を歩んでほしいと言われておりますが、心の底から愛していた方を急に失った痛みはとても大きいです。 時間薬、という言葉がございますが、自死による離別については、果たしてどのくらいの効果があるのか不明です。 何をしていても上の空でございます。 後追いなどという度胸もなく、ただ日々を鬱々と過ごしていますが、立ち直りのヒントを教えていただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。
最近、祖父母の姿がだんだんと小さくなっているを見てとてつもない虚無感と恐怖に襲われます。 私はまだ身近な人の死というものを体験したことがなく、誰かが死ぬのが怖いです。 死が怖いというよりは、永遠に失ってしまう事。顔や声、温もりをもう感じることが出来ない事が嫌なんだと思います。 私が一日を過ごすと、祖父母と過ごせる時間が短くなっているのがとても悲しいです。あと何年一緒にいられるのだろう。今まで生きてきた時間もあっという間だったのに、確実に今生きてきた人生よりもこれから一緒にいられる時間の方が短い。 もう、時間が止まって欲しいです。私から時間を取らないで欲しい。 私は今を生きて時間が過ぎていく事が怖いです。どうすればいいですか。
最近一人暮らしを始めました。 もともと体が弱いのと色々と考えてしまう性格のせいで、一人暮らしで自分の身に何かあった時に助けてくれる人がいない、その状況にただならぬ恐怖を感じてしまいます。 また、それよりも怖いのが身内の死です。 小学生の頃から身内が死んだときのことを考えると恐怖で涙が止まらなくなり、親の元へ駆け込んで落ち着かせてもらうということを度々してました。 今、親元を離れている状況で、ふと、今身内が危険な目に遭っていたら………と考えてしまうとどんどん悪い方向にしか考えられなくなり、ひどい時だとパニックを起こしてしまいます。 考えなければいい、という話ではありますが、体調を崩しているとき、気持ちがナイーブになっているとき、何か近場で事件が起きてしまった時など、スイッチが入ってしまうと考えるのが止まらなくなってしまいます。 今の精神状態だと、私は、親が亡くなったら確実に後を追ってしまうでしょう。 こんなことを考えてしまう私の心は弱いのでしょうか? 何か割り切って心を落ち着かせる方法などありませんでしょうか? 乱文での質問大変申し訳ありませんが、ご教授いただけたらと思います。 何卒、よろしくお願いいたします。
第一子となる息子を妊娠7ヶ月で出産し亡くしました。 息子は病気でした。手術はできない事や自発呼吸ができない事など色々な話をされました。 息子は数時間の命でした。 今になりあの時の選択は間違いだったのではないかとか、もっと息子にしてあげれる事があったのではないかと悔やんでいます。 主人や両親が寄り添ってくれ、ご飯を食べ眠り笑える生活ができます。 ですが、息子を思うと苦しく未来が見えません。 死んでしまいたい、死んだら息子に会えるのでは?と考えますが自殺すれば息子に会えないと思う考えもあります。 息子が亡くなったから自殺したなんて言われたくもありません。 人生を全うし息子に笑顔で会いたいと思うのに苦しいです。 私が母親じゃなければ息子は元気に生まれていたかもしれません。 もう一度息子を抱きしめたいです。
先日、母が亡くなりました。 原発がわからないまま、末期のガンだったらしく、救急で運ばれて1ヶ月ちょっとのかけ足で天国へ行ってしまいました。 父も弟も現実逃避をしがちでしたので私ができる限り毎日病院へ行きました。 だんだん弱っていく母を見るのが本当に辛かった。 長く居たら疲れるかもしれないと思い早めに帰ったりしたのですが「夜が怖い」との母の言葉が胸に残っています。 自分の事は後回しで全て家族の為に頑張ってきた母でした。 父は多分、今で言うとアスペルガーの気があります。母は散々苦労していましたし、それが原因で喧嘩も良くしていました。今、母が亡くなりダイレクトに感じています。 そんな父なので母が最後まで心配していたのは父の事です。 前からなのですが毎日のように、いきなり1人で舌打ちしたり、ちくしょう!とか独り言を言うのでもう毎日恐怖さえ感じています。 母がどれだけ苦労してきたか...助けてあげられず迷惑ばかりかけて親孝行もしてあげられなかった私が生きていていいのかとさえ思っています。 どうしたらいいのかもわからなくてただ毎日生きているだけです。 母が悲しむような事はしたくないのに身体と心がついてきません。 誰にも相談できずこちらに書き込みをさせていただきました。よろしくお願いします。
この大晦日に父が急死しました。 両親は、認知症がありました。 子どもである私と兄は他県に住んでおり、実家の両親は認知症同士でなんとか生活が成り立っている感じでした。 大晦日の日、私が実家に帰省すると、父はコタツの中で虫の息状態で、母はその隣で、何事もなかったかのようにミカンをむいておりました。慌てて救急車を呼びましたが、父は病院に着くまでに息を引き取りました。 母は、死にかけている父のことをまともに認識できないほど、認知症がひどくなっていたのかとすごくショックを受けました。 葬儀は、家族とごく近い親戚のみでとりおこないました。 母は、父が死んだことをすぐ忘れてしまうので、葬儀の間もずっと父を探しておりました。 父の死があまりに急だったため、認知症の母を一人実家に置いておくことはできないので、母は急きょ、施設に入ることとなりました。 施設入所は、母の本位ではなかったため、母はかなり不安定となり、父の四十九日の法要には、精神状態を考慮し、施設の方の助言で参列させませんでした。 4月に父の納骨をしましたが、それにも母は、参加しておりません。 生前、父は、母がいないと何もできない人で、母に頼り切って生活をしておりましたので、二人はいつも一緒でした。 上にあげたような事情で、母が、父の法要や、お墓参りに行っていないことがすごく気になっております。父はあの世で、母が来るのを待っているのではないか…。 ただ、最近、少しずつ新しい生活に慣れて、落ち着いてきている母の精神状態を乱すのでは…と、あえて父の死にふれておりません。 ちなみに、父は、仕事が船員だったため、仕事に出ると何か月も家を空けていたので、家族、施設の方も母が「お父さんはどこ?」と聞かれると「お父さんは、船に乗っているよ…。」といってなだめている状態です。 父が亡くなったと母に話しても、その瞬間は、取り乱して、悲しむと思いますが、次の瞬間には忘れてしまうので、母のためを思うと今のまま、父は仕事に行っていることにしたほうがいいとは思います。 ただ、亡くなった父のことを考えると、最愛の母のことを待っているような気がして不憫です。 父は、あの世から、今の母の置かれている状況を見守っていて、現状を理解してくれいるのでしょうか? このまま、法要、お墓参りをさせなくても良いものかアドバイスたまわりたく思います。
こんにちは。 今日は父方の祖母のことについて聞いていただきたいことがあります。 祖母が亡くなって25年程になります。 祖母は信心深い人で、近所の薬師堂に朝夕おまいりするのが日課でした。 私も小さい頃は一緒におまいりしていたとこもありました。 家のお仏壇にも毎日手をあわせて読経をあげていました。 とても優しくて声を荒げない人でした。 そんな祖母も病気を患い、入院することとなりました。 私は当時社会人二年生で、なかなか会社に馴染めずにいて、お見舞いに行くのは金曜日の帰宅時とか土日の休みの日くらいでした。 祖母が眠ったままになる前、最後にお見舞いにいった帰り、祖母は階段の上から私が帰るのをずっと見送ってくれました。 「もういいから、病室戻って?」 と言ったとは思うのですが、ずっと見ていてくれました。 そしてその後、祖母は眠ったままになりました。 眠ってあまり日にちも過ぎずに他界しました。 それは土曜日の早朝。父は長距離運転手をしていたので遠方。家にいた他の家族はまだ寝ていました。 病院からの電話で、母と二人でかけつけた時には、すでに息を引き取っていました。 何回目かの法事の時、叔母から不思議な話を聞きました。 「私がお見舞いに行ったらね、指を折りながら何かを数えていたのよ。きっとおばあちゃんは、誰も会社や学校を休まなくてもいい日を選んで亡くなったんだよ」 そうなんです、お通夜は土曜日、葬儀は日曜日、四十九日も休日でした。一回忌ももしかしたら、休日だったかもしれません。 この話を聞いた時、うちのおばあちゃんだったら、そのくらいのこと考えていたかもしれないと思いました。 私が帰っていくのをずっと見ていてくれたのも、きっと自分の死期を悟っていたからなのかもしれません。 ただ悔いが残っているのは、亡くなる前日の金曜日、仕事帰りにお見舞いに寄ろうかどうしようか迷って、結局寄らなかったのです。 「明日行けばいい」 そう思って。 それと祖母は誰にも看取られず、一人で旅立ったことをどう思っていたのでしょう。もう少し待っていてくれれば、という思いと反対に、自分の最期の姿を見せたくなかった祖母の優しさだったのかもしれないとも思うのです。 祖母は今、仏様のおそばで穏やかにしているのでしょうか。苦労の多かった人なので、穏やかだといいと思います。 長文失礼しました。
初めて質問させていただきます。よろしくお願いします。 数日前、大切な友達が突然の病で亡くなりました。21歳でした。私は今までに祖父母を亡くしていますが、祖父母が孫より先に天寿を全うすることは自然なことなので受け入れてきました。 しかし今回は、心が追いつきません。途方もない虚しさが静かに染み渡るような、初めて経験する感情に戸惑っています。 家族に慰めてもらったものの、友人と過ごした時間は私個人の中にしかありません。なんで私じゃなくてあの子なんだろう、と思います。ずっとこれからも一緒に同じ太陽の下で生きていきたかったです。 これが彼女の人生だったのでしょうか。私に出来ることは、今日も健康に生きることだけなのでしょうか。彼女とご家族に今私がしてあげられることは、祈ることでしょうか。それ以外に何かありますか。 支離滅裂な質問で本当に申し訳ありません。できればでいいのでお教えください。
お線香のことを教えていただいたばかりなのに間を置かないで、それに長文でごめんなさい。急ぎの相談ではありません。お暇な時にできたら助言をいただけると、とても助かります。 私には少し離れた実家に鬱病の妹がいて母と暮らしています。彼女が自分から病院に行くと言うのを待つか、少し強引でも病院に連れて行くか、どうしたらいいか考えています。本人は病院に行きたがっていないようで、母は見守る考えですが、そうして時間が経っています。もしよかったら、お坊様のお考えを教えてください。 まず彼女の性格と今までの経緯を説明させてください。 彼女は責任感が強くて、先が見えないうちに「失敗してもいいからやってみよう」と進めません。文学が好きで芸術的で、こだわり屋です。努力家で挫折を深く悔やみ、他人にとても気を遣います。 2010年頃、進路等の挫折がきっかけかよくわからないけれど、死にたい願望が出て食事をしなくなって病院に行きました。その後回復したように見えて働きに出たのだけど、2014年頃に仕事を辞めて実家に引きこもりました(職場に性質の悪い人達がいて、日頃からいじめられていたみたい)。 2016年にまた通院しましたが治らないまま止めて、今に至ります。食事量は少ないけど食べていて、外出や掃除はほとんどできない感じです。お酒を飲んで母に「私は不幸だ」「私は何をやってもだめだ」「希望が見えない」と言って泣くらしいです。 私は挫折の度に鞍替えして自分の食料を手に入れることしか考えなかったから自責の念や自己嫌悪もなくて、彼女が長く悩んでいる気持ちがわかりません。気持ちがわからない私が考えたことは当てはまらないかもしれないけれど、このままにしておくとよくない気がします。 本人に任せて見守り続けるか家族が病院に連れて行くかお坊様によって異なると思いますが、ご意見を仰ぎたいと思います。それらはすべて貴重です。
前回も怒りの煩悩との付き合い方を教えていただいたのですが、まだまだ修行が足りないようです。もう少し話させてください。 義父母がショートステイから戻りました。 「家がいい」と二人とも言いますが、介護する側としては、行ってもらわないと潰れてしまいます。 ショートへの「行きたくない」から始まり、「デイを休ませてくれない」「呼んでも来てくれない」「(病院など必要な場所でも)連れていかれる」「することがない」「(私たち家族が、もしくは私が)また出かけてる」などキリがありません。 夜中の1時や3時に呼ばれてもすぐには行けませんし、デイを休んではいけないなどと言ってもいません。排泄の失敗で汚れたからデイでお風呂に入ってくれた方がこちらが助かるというだけです。 どちらか一人ならまだいいのかもしれませんが、義父母二人で文句を言いあっていて、その声は二階に聞こえるような音量で聞こえてくるのでたまりません。私が大きい声に階下へ降りると、何でもないと知らんぷりです。 手を抜いていいと方々で言われますし、できないことはできないと割り切るようにして、少しは手の抜き方を覚えましたが、手を抜いて文句を言われるのは私で、小さなことに耐えられなくなってきました。 私が介護から手を引けば、義父母は義姉とその娘(以下孫)にやらせればいいと高をくくっているようです。その二人は精神障害を患っていて、私たち(息子夫婦)からしたら介護や薬などの管理もできておらず、まかせられません。 私は人よりポジティブな考え方ができるから大丈夫と自負していましたが、義父母からの文句、義姉、孫の相手、その4人の調整はさすがに負担が大きいです。違うだの、こう思うだの、私たちの意見を言えば言ったで倍以上になって返ってくるので、必要最低限だけ言い、それ以外は必死にポジティブ変換しています。 なんで、文句ばかりなんでしょうか? それとも私のやり方が悪いのでしょうか? 文句の理由を本人に聞けば「ええよ」の一点張りで、義父母とも本心は聞いたことがありません。きっと義父母の特技は「二枚舌」なのだと最近思います。
こんにちは。 私の家では犬を飼っており、生後1週間からずっと一緒に暮らしてきまして、今年で12歳になります。 しんどいとき、辛いとき、ずっと一緒でした。私が落ち込んでいる時は慰めてくれて、いたずらで怒って、たくさんの思い出をくれました。 そんな愛犬がここ1年病気がちになりました。 腰の病気になり、ケージから出てこなくなりました。 痛むのか、お尻辺りが震えることが増えました。 今年より家をでて独り暮らしをしているのですが、帰ってくるたびに身体はどんどん老化して、寿命が近付いているように感じます。 よく、お空から見守っている、泣きたいだけ泣けばいい、という表現がありますが、私はそういう考え方ができません。 12年間も一緒に育ってきた家族が死んだとき、はたして私は受け入れられるのだろうかと不安で溜まりません。最低ですが、愛犬が死んだ後に子犬を受け入れれば絶望も減るかもしれないと、里親募集のサイトを見てしまうくらい悩んでいます。この子の代わりなんていないのに。 そして、私は現在うつ病で休職中なのですが、更に愛犬が死んでしまった時にそのストレスに耐えきれるのか怖くてたまらないのです。絶望感で自殺してしまうのではないかと思います。 私は一体どうすればいいのでしょうか。
いつもhasunohaで勉強させていただいています。人間、生きていれば、からだの歪みやホルモンバランスの乱れ、思考の歪みが生じると思います。日々、何らかの形で歪みを矯正すればいいのですが、なかなかできないですよね?病気は、自分を成長させるきっかけを与えてくれると思います。 別の方の問答で、「もしも、もしもと考えてしまう」とあって、約一年前ぐらいまでそうだったなと思います。今は、今までの経験があったから、今の自分があるのだと思えるようになりました。胃腸は不健康ですが、心は健康になってきました。 人と話するときは集中して聞く、音楽を聴くときは耳をすませて聞く、食事をするときは匂いや味を味わい尽くす。今起こっていることに対して敬意を払って接すると、やることが多いなと感じます。でも、幸せな気分になります。 私は言われたことはありませんが、家によっては、食事の時は姿勢を正して集中して食べなさいと言われたところもあるようです。今となっては、その通りだなと思います。 変化が激しい世の中だから、自律神経が追い付かないのだと思います。心身を整える知恵が仏教にはあるのかなと思います。 病気を経ることで、新たなステージにいくことができるのだと思います。今、課題があるんだなと受け止め、これを乗り越えるためには、今できることはと考えることができるようになってからよくなりました。 ちなみに、調子が戻ってきてから、認知行動療法やコミュニケーション、運動療法、グループワークなどを取り入れたデイケアに参加し、かなり寛解しました。自立支援医療などの公的補助も受けられます。途中、自分の嫌なことにも真正面から取り組む暴露法をやって悪いところを全部出したら、精神的に不安定になってお世話になっているカウンセラーに相談したり、数日寝込んだりしました。かなり体力がいるので、体力回復してからがオススメです。これを通りすぎると、自分でも堂々巡りや不安をコントロールできるようになります。デイケアに通う前は本をたくさん読みました。 同じ経験をされている方の参考になればと思います。
先日 面識のない方の自殺を目撃したと こちらに相談しました 自殺者を理解しようと思ったり やはり気分が悪くなったり なぜ?私がこのような目にあうのか 周りは身勝手すぎる 穏やかに暮らすことまで奪う権利が その自殺者にあるのか? 私がその自殺者に何をした? お前に私の鬱や希死念慮を再発させる権利がどこにある?ふざけるな 怒りが込み上げ 家で棚を倒し 壁やガラスに家電をぶつけ 泣きながら これではこちらがおかしくなると叫び 回答に 幸せな悩みと返されたが 何が幸せか? 冗談じゃない 母親は何度説得しても医者に行かず ようやく連れて行けば末期癌 少しの介護の末に死亡 殴る蹴るを繰り返した人間の下の世話を 親孝行だと美談にする親戚も家族も 見て見ぬふりをしていたことを忘れたのか 残された時間をただ穏やかにと願うのが こうして他人に害される それも世の常? それは私がこの世にそぐわないということなのだ 仏の教えを学んでいない 学のない自分が 一喜一憂して 馬鹿みたいに 私が飛び降りれば済むことなのです 耐えられなければ 耐えられないものが去ればよい
W介護の悲劇というニュースがありました。明日は我が身と思う今日この頃です。 義父母をほぼ毎朝デイサービス(以下デイ)へ送り(9時)、16時には迎えに行きます。 雨の日は気分が塞ぐし、面倒で、行きたくないのもよくわかります。 デイを休むことも自由なので、そこは構わないのですが、 行きたくない理由に私が納得いきません。 義母は、雨だし義父が車いすだからと言い、義父は、デイに行ってもすることがない、何もしてくれないと言います。 雨の日はデイの送迎があり、車いすでもほぼ濡れることはありません。 行ってもすることがないというのは、義父がほぼ全介助なため、他の人と同じことができない。何もしてくれないは、自分の思い通りに(都合よく)動いてくれる人がいない。(デイでも家の中でも) 言いたいことはわかるのですが、デイのスタッフの人数はギリギリですし、正直、いまのデイはとてもサービスがいいです。 沢山声もかけてくれるし、外出も多いし、スタッフの対応もよく、日々日頃いろいろなリハビリもしてくれます。 私自身、食事関係以外は呼ばれたらすぐ手伝いに行きますし、自分の用事を調整して病院に付き添ったり、リハビリの手伝いなど、力仕事もしているので、何もしてくれないと言われると、私のしていることは何なのかとわからなくなり、辛いです。 義父母にとって至れり尽くせりな介護をしなければ、私が介護をしていると認めてもらえそうにありません。義父母ともに意地の悪いところもあるし、私は嫁で他人なので、諦めの境地ではありますが、「何もしてくれない」の一言が枷になって落ち込んでいます。 言われたことに言い返すのも時には必要だと思いますが、言えば自分(義父母)は悪くないの一点張りなので、話しあう余地もありません。 となると、私が一方的に溜め込むしかなくなり、悪循環です。 旦那様は極端で、嫌なら辞める、いいなら続けると2択です。言い方も義父母に対してキツイところがあるので、あまり相談できてはいません。 言葉の呪縛から逃れる方法というか、かわし方ってあるんでしょうか?
私は浄土真宗です。 死んだら浄土に行くと聞いていましたが、南無阿弥陀と唱えるのは、死後のためではなく、今を生きるためだとも聞きました。 どうしたら念仏することで今を生きるという感覚になるのでしょうか。 死んだ後は浄土にいくのではないならどうなるのでしょうか。 病気でなかなかお寺で聞法できないのでよく分かりません。 浄土には病気が無いとイメージしていたのですが違うのですか? 生きている時「私は私で良かった、あなたはあなたで尊い」と思たらその心こそ浄土と教わったこともありますがうまくつながりません。 10年間以上、生まれつきの要因が大きい病気で体が思うように動かず、学ぶのも働くのも結婚するのも十分にできなくて、その間ずっと「どうしてうまくいかないの」「どうやったらうまくいくの」と考えてきました。 でも、すぐ死ぬ病ではないため、残りの人生おそらく何十年も あると思いますが、ずっと「どうして」と過ごすのかと思うと馬鹿らしくなってきて、段々、「考えて解決しないことなら考えるのをやめよう」「己の身体的限界を受け入れた方が肩の力が抜けてむしろ楽なのでは」という気になりました。 もうこれ以上は個人で考えて結論が出せるものではなく、宗教を学んで信じることで、余計なことに悩まず、残された力を使い、やれることをやるしかないように思い至りました。 それで急に浄土とはどんなものか、死後についてどう考えるべきか、知りたくなってきました。 健康のために具体的に食事睡眠運動に気をつけるのは最善を尽くせているので、その病気になった人にして体調はマシな方ではあります。 ただ、もう気持ちの面で嘆くのは嫌です。 教えて下さい。 よろしくお願いします。
幼少から体が弱く、よく病院に連れていってもらいました。 なので子供の時から体を大切に生活するのを日々心掛けているのですが、大人になった今でも弱くつらいです。 弱いことで家族や職場の人に、迷惑をかけることフォローしてもらうことがあり、申し訳ないです。 摂食障害、半月板の手術、子宮内膜ポリープの手術と向き合い、環境と人に恵まれて今があります。 とても感謝する気持ちと、体が弱く月に何日か風邪や胃腸で寝込む自分がつらい気持ちと両方あります。 手術の時に医師に何度も、私より大変な人はたくさんいてると励まされましたが、痛みを伴うと励ましが辛く感じてしまうこともあります。 体が強いひとがうらやましいです。 私も強くなりたいです。 つらいです。