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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

母の死を受け入れられません

私の生き甲斐であった母が、先月急に亡くなりました。 今までひと月に一度のペースで大きな病院にもう十数年もかかっておりましたし、普段の通院でも特に問題ないとの事でしたので、いつも自分の事(痛い苦しい辛い)を殆ど口にしない母が珍しく異変をうったえる事もあったのですが、年齢的なものもあるのだろうと思っておりました。後で考えてみると昨年秋頃から『しんどい』という言葉も増えてきていたように思います。でもその時も、主治医に『この数値でしんどいはずはない。大丈夫!気のせいや。』と言われ、その言葉を信じ特に検査をする事もなく日常過ごせておりましたし、4月のお誕生日には家族で旅行も行きました。 GWが明けて念の為にと受診したところ、末期の癌でもう手の施しようがなく余命二ヵ月と告げられました。 その二ヵ月を満たずして母は亡くなりました。あっという間でした。 母の病院関係や健康管理、身体の事に関しては本当に今まで心配で心配で異常なほど気を配ってきたのに…こんなに大切にしていた人の、これほどまでに最愛の人の、見る見る弱っていく姿を、病に侵されて苦しみ息絶えていく姿を、手を打つ術もなくただただ見ている事しか出来なかった日々は、この脳裏から消える事はなく日に日に罪悪感と喪失感に押しつぶされそうになり、このまま後を追えたらと思っています。 普段偉そうに『母さんの健康は私が守る!』と母の思いは二の次で自分の思うように引っ張て来た…結果がこれかと…。どうして母の信号に気付く事が出来なかったのか…。私を信じ、私に遠慮をしてなかなか自分の意見を言う事もなく身を任せてくれていた母に、最期まで事実を伝える事も出来ず頑張らせてしまった…。最低な親不孝者だと思います。昔からあまり贅沢をしてこなかった母を喜ばせたい一心で生てきました。これから親孝行が出来ると思っていました。 家族での旅行や外出をする度に『いつか罰があたる。』と言っていた母の心意も気になります。母の意思と反して私が勝手に母に色々してきた事が、その私の『欲』が『罰』となって、何かを悟っていた母が連れて行かれたのでしょうか…。そのように思えて仕方ありません。 母は今どう思っているのでしょうか…。 これほどまでの地獄はありません。母と同じくして、私自身も死んだも同然です。 『死』とは何でしょうか…。どうかご教示ください。

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父の病

父(66)の肺に影がみつかり、癌の可能性が高いとのことで今日生検をしてきました。 結果待ちなのでまだ癌と決まった訳ではありませんが、正直癌だろなと思ってます。 10年前母を事故で亡くしてから、家族は愚痴っぽくなり喧嘩ばかりで、大切な家族だった筈なのに一緒に居るのが苦痛に感じるほどでした。 大好きな妻を亡くして生きていけないと言ってた父だし、死んだら死んだでこれ以上寂しい思いしなくて済むならそれで良いのかもしれないとか、凄く残酷な事まで考えてしまいます。 とても悲しいです。 祖母は高齢で、寡になった息子(父)が心配で辛そうです。 私の弟がまだ独り身で実家に居るので、今後闘病の父をメインで支えて行く事になると思いますが彼を支える人は居ません。 私は少し離れた所に住んでおり、子供たちもまだ小さいです。 私はどんな風に家族に接すればいいのでしょうか。 実家が病と不幸に呑まれていきそうで怖いです。 無理するなとか、平常心でいろとか、 あーしろこーしろと、つい言ってしまいます。 でも外に居る私がそんな事言うのも違う気がします。 少しでも皆の気持ちが前を向けるように、支えになれるようには、私はどのような心持ちで居れば良いのでしょうか。 よろしくお願い致します。

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PURIFICATION

15年程前に遡ります。私は、ある医療ミスを発見しましたが、圧力に負け、揉み消されるがままに、私も口を閉ざしてしまいました。ご遺族に真実を伝えたい、そう思い、上層部がゴチャゴチャしている間に、集められる限り全ての被害者の医療情報をかき集め、内部告発を覚悟に、準備を着々と進めていきましたが、外部の、信頼できる医療関係者に、事実を公表すべきかどうか相談したところ、「あなたがこの世界に二度と戻れなくなる」→「事実を伏せるべき」との結論を、結果的に飲み込む形になりました。もし、その後ご遺族の方が、「何かおかしい」と真実を求めてきたならば、私は事実を公表しよう…。そう思っていましたが、案の定、告発されるようなことはなく、ごく限られた職員のみが、その医療ミス=死亡事故を「知っている」「黙認している」状態で「なかったこと」になってしまいました。私は、口を閉ざしたと共に、心も閉ざしてしまいました。その事件が、今の私の病気の始まりになります。「浄化されたい」その思いから、毎日、下剤を110~160錠…。当時は、cleanse the intestines → cleanse my soul(腸内を浄化する→私の心・精神を浄化する)しか考えられないような日々。摂食障害、うつ、脅迫性障害など、次々と病気が私を襲いました。今は、完全に下剤も絶ち、精神面も随分落ち着いてきましたが、悶々とした気持ちは消えることはありません。亡くなられた方やそのご遺族に対して、無言を貫いたことを謝りたい…しかし、今更…というのもあります。生と死の狭間に立ち続け、生と死の重さを感じ続けながら、生きていくしかありません。学生の頃から、「死」と直接向き合うような様々な活動を、1人で積極的に行ってきましたが、社会人になり、たった1か月程で、私は地に落ちました。落下してしまいました。今でも学生の頃の「信念」は変わらないのに、死を見逃す…まさに衝突、逆行しています。真の『浄化』とは?今の私に何が出来るでしょうか?ご意見賜りたく存じます。

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ペットの死と主人の対応でつらいです

2匹のみどりがめをを飼って14年。 そのうちの1匹が、5月の初めから餌を食べなくなりました。 今までにも何度か経験があり、また産卵かなと思っていると 下旬に庭先で穴を掘っていたので、産んだのだと思っていました。 でも、産卵後は戻る食欲が今回は戻らず、なんだか元気もありません。 片方の目が腫れてるようでもあり、 いつもとは違う…と心配になった私は、主人に 「動物病院に連れて行こうかな?」と相談したのですが 「カメで病院?家で様子を見たら?」と言われました。 犬や猫ではないし、そう言われたらそうするしかないと思い 数日・・・。口をあけて、肩で息をするようになり、 じっとしたまま、ほとんど動かなくなったので 主人には言わずに、カメを見てくれる病院を探し、 やっと見つけて連れて行きました。 肺炎と結膜炎で、かなり弱っているとのことで 栄養剤や抗生物質をもらい 「14年も飼っているペットがきつそうにしていたら 何とかしてやりたいと思いますよね」と、やさしく言っていただき、 もっと早く連れて行ってあげればよかったと、強く後悔しました。 4~5日したら、薬を飲ませるとき嫌がるようになり、 少し元気が出てきたかなと喜んだのもつかの間、 その後、目をつぶったままになり もう一度病院で見てもらう予定だった日の朝、 眠ったまま 亡くなってしまいました・・・。 それを知った主人は 「また、新しいのを買えば?」と言ったのです。 さみしくないように代わりに…と思ったのかもしれないけど 死んで数時間しかたっていないのに そういうことを言う神経が分からなくて・・・。 名前を呼ぶと 近づいてくるかわいい子でした。 私が動く方向に、水槽の中を移動し、 ちょっととろくて、自分でえさをとれないと 私の方をじーっと見上げて待ってるような子でした。 残っているカメを かわいがってあげないと・・・と思うのですが あの子じゃない・・・と否定してる自分がいます。 「くるしいねえ。もう、がんばらなくていいよ。 今までありがとうね」と言った翌日に死んでしまったことも 私を苦しめています・・・。 長くなってすみません。 関連してる「ペットの死」という回答・・・ いくつも読ませていただきましたが、まだ 涙が止まりません。 喪失感・・どうしたら・・・・

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検体になる

私は、私自身が脳死状態になった時、臓器移植希望で、使える臓器は必要な方にお譲りしたいと考えております。しかし、両親が(私の)臓器移植に反対なので、今はまだ免許証の裏などの記入欄は空白にしている状況です。仮に年の順に行けば、ですが、両親が亡くなった後は、私の意思のみで臓器移植可能だと思うので、年齢的な部分をクリアするなら、是非とも私の臓器を使っていただければと思っております。他にも、いろいろ考えております。身内が肝臓を悪くすれば、生体肝移植をしたい。腎臓は2つあるので、差し上げても構わない。骨髄移植のドナーになるのも良い。最近では、今で1年と9か月、髪を切らずにいるので、このまま伸ばし続けてヘアドネーションするのも良いアイデアではないかと思っています。私自身、病気を患っていて、毎日、大量の薬を飲んでいるので、どこまで世の皆様の助けになれるか分かりませんが、病気なら最後の手段は、医学生の解剖学の検体になることぐらいしか思い付かないなぁ…と考えております。一番身近な献血は、今の状態では無理なので、回復次第、貢献出来ればと思っております。病院の輸血部という部署にい、たくさんの血液製剤を扱うクセに、自らが献血が出来ない、というのは非常に情けなさを感じてしまうところです。「生」に執着がなく、「死」をとても身近に感じている、私。将来、「最終的には検体に」という考えは、仏教ではどのように捉えられるのでしょうか?お教えいただきたく存じます。

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死について漠然とした不安があります

 またまた質問よろしくお願いします。 死について漠然とした不安があります。 最初は小学生のころでした。特に何かあったわけではありません。 ただふっとした時に「死にたくない~」と思い泣いていたのを記憶しています。 ヲタクなので、漫画やらアニメやらドラマやらメディアでは死について想像したり見たりします。 ですが、身近な親戚や、友人知人の死に直面したことはありません。 同級生がひとり自殺されたという話は聞いたのですが、同級生との関わりが縁遠くなってしまっているので、実感がありません。 両親の祖父母は健在ですし、自分の家で生活できています。 東北在住なのですが、近くにいる親しい人が震災で被害にあったということもありませんでした。 自身もですが、親戚、家族、友人知人が大病を患い入院しているということもありませんでした。それ自体はとても幸運なことだとは理解しています。 外にいて空の高さや雲の重なりなんかを見て地球や宇宙を感じるとき。 妊婦さんを見かけたりした時。自分が生きてたり生命があるという事を感じます。 今でもふとした時にとてつもなく死に恐怖を感じます。 これからさきどうなるんだろう?まだ20代なのですが、30代に差し掛かるし、求職中で独身です。 死より将来に漠然とした不安を感じているのかもしれません。 これから先も地球や日本は続いていくけど、私は死んだらどうなるんだろう?死んだら終わりだし真っ暗で何も感じられないんだろうと考えると怖くて怖くて堪りません。自分の人生がいつか終わるのが不安で恐怖に感じています。 別の質問で書きましたが、危ない運転をしてしまったことがあります。 それでも生きているけど、いつ死ぬかわからないよね。 と感じたことがあります。そして身近な人の死に耐えられるかわかりません。 自分でも身近な人でも死が怖くて堪りません。 死の恐怖とはどのように向き合っていったらいいのでしょうか? 20代後半でこんなことを考えているのは可笑しいでしょうか?ご教授よろしくお願いします。

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これでいいのでしょうか?

以前から煩悩について教えていただき、ネットで仏教の教えを少しだけかじり取り、何となくこういうことかなと思い、投稿させていただきます。 以前から義父母がデイに行きたくないと言っていました。 私や主人は「なんで行かないのか」と責めていました。 そして、ショートステイ明けは必ずデイを休むといい、義母がデイに電話を入れていました。それに対しても「勝手に電話して」と思っていました。 ふと、そんなに嫌で行きたくないのなら行かなくていいかと思い立ちました。日中は義姉の娘(以下 孫)が家に入り浸り、私が手を出さなくても大丈夫な状態です。 リハビリができないとか、何かあったら孫だけでは対処できない等の不安は多少なりともありますが、完璧な介護はできないし、なるようにしかならないと思いました。 そして、ショートステイ明けのデイがお休みになるようにショートステイの日程を組むことにしました。 そう決めたら、気が楽になりました。 デイに行く行かないの不毛な争いが一つ減りました。 これでしばらくは穏やかに過ごせそうです。 また荒れたらお邪魔させていただきます。 いろいろ教えていただきありがとうございました。

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親や自分が死ぬのを考えるのが怖くて辛いです

最近一人暮らしを始めました。 もともと体が弱いのと色々と考えてしまう性格のせいで、一人暮らしで自分の身に何かあった時に助けてくれる人がいない、その状況にただならぬ恐怖を感じてしまいます。 また、それよりも怖いのが身内の死です。 小学生の頃から身内が死んだときのことを考えると恐怖で涙が止まらなくなり、親の元へ駆け込んで落ち着かせてもらうということを度々してました。 今、親元を離れている状況で、ふと、今身内が危険な目に遭っていたら………と考えてしまうとどんどん悪い方向にしか考えられなくなり、ひどい時だとパニックを起こしてしまいます。 考えなければいい、という話ではありますが、体調を崩しているとき、気持ちがナイーブになっているとき、何か近場で事件が起きてしまった時など、スイッチが入ってしまうと考えるのが止まらなくなってしまいます。 今の精神状態だと、私は、親が亡くなったら確実に後を追ってしまうでしょう。 こんなことを考えてしまう私の心は弱いのでしょうか? 何か割り切って心を落ち着かせる方法などありませんでしょうか? 乱文での質問大変申し訳ありませんが、ご教授いただけたらと思います。 何卒、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 19
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母が亡くなり...現実感がありません

先日、母が亡くなりました。 原発がわからないまま、末期のガンだったらしく、救急で運ばれて1ヶ月ちょっとのかけ足で天国へ行ってしまいました。 父も弟も現実逃避をしがちでしたので私ができる限り毎日病院へ行きました。 だんだん弱っていく母を見るのが本当に辛かった。 長く居たら疲れるかもしれないと思い早めに帰ったりしたのですが「夜が怖い」との母の言葉が胸に残っています。 自分の事は後回しで全て家族の為に頑張ってきた母でした。 父は多分、今で言うとアスペルガーの気があります。母は散々苦労していましたし、それが原因で喧嘩も良くしていました。今、母が亡くなりダイレクトに感じています。 そんな父なので母が最後まで心配していたのは父の事です。 前からなのですが毎日のように、いきなり1人で舌打ちしたり、ちくしょう!とか独り言を言うのでもう毎日恐怖さえ感じています。 母がどれだけ苦労してきたか...助けてあげられず迷惑ばかりかけて親孝行もしてあげられなかった私が生きていていいのかとさえ思っています。 どうしたらいいのかもわからなくてただ毎日生きているだけです。 母が悲しむような事はしたくないのに身体と心がついてきません。 誰にも相談できずこちらに書き込みをさせていただきました。よろしくお願いします。

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認知症の母と、この度急死した父の供養について

この大晦日に父が急死しました。 両親は、認知症がありました。 子どもである私と兄は他県に住んでおり、実家の両親は認知症同士でなんとか生活が成り立っている感じでした。 大晦日の日、私が実家に帰省すると、父はコタツの中で虫の息状態で、母はその隣で、何事もなかったかのようにミカンをむいておりました。慌てて救急車を呼びましたが、父は病院に着くまでに息を引き取りました。 母は、死にかけている父のことをまともに認識できないほど、認知症がひどくなっていたのかとすごくショックを受けました。 葬儀は、家族とごく近い親戚のみでとりおこないました。 母は、父が死んだことをすぐ忘れてしまうので、葬儀の間もずっと父を探しておりました。 父の死があまりに急だったため、認知症の母を一人実家に置いておくことはできないので、母は急きょ、施設に入ることとなりました。 施設入所は、母の本位ではなかったため、母はかなり不安定となり、父の四十九日の法要には、精神状態を考慮し、施設の方の助言で参列させませんでした。 4月に父の納骨をしましたが、それにも母は、参加しておりません。 生前、父は、母がいないと何もできない人で、母に頼り切って生活をしておりましたので、二人はいつも一緒でした。 上にあげたような事情で、母が、父の法要や、お墓参りに行っていないことがすごく気になっております。父はあの世で、母が来るのを待っているのではないか…。 ただ、最近、少しずつ新しい生活に慣れて、落ち着いてきている母の精神状態を乱すのでは…と、あえて父の死にふれておりません。 ちなみに、父は、仕事が船員だったため、仕事に出ると何か月も家を空けていたので、家族、施設の方も母が「お父さんはどこ?」と聞かれると「お父さんは、船に乗っているよ…。」といってなだめている状態です。 父が亡くなったと母に話しても、その瞬間は、取り乱して、悲しむと思いますが、次の瞬間には忘れてしまうので、母のためを思うと今のまま、父は仕事に行っていることにしたほうがいいとは思います。 ただ、亡くなった父のことを考えると、最愛の母のことを待っているような気がして不憫です。 父は、あの世から、今の母の置かれている状況を見守っていて、現状を理解してくれいるのでしょうか? このまま、法要、お墓参りをさせなくても良いものかアドバイスたまわりたく思います。

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祖母が亡くなった日のこと

こんにちは。 今日は父方の祖母のことについて聞いていただきたいことがあります。 祖母が亡くなって25年程になります。 祖母は信心深い人で、近所の薬師堂に朝夕おまいりするのが日課でした。 私も小さい頃は一緒におまいりしていたとこもありました。 家のお仏壇にも毎日手をあわせて読経をあげていました。 とても優しくて声を荒げない人でした。 そんな祖母も病気を患い、入院することとなりました。 私は当時社会人二年生で、なかなか会社に馴染めずにいて、お見舞いに行くのは金曜日の帰宅時とか土日の休みの日くらいでした。 祖母が眠ったままになる前、最後にお見舞いにいった帰り、祖母は階段の上から私が帰るのをずっと見送ってくれました。 「もういいから、病室戻って?」 と言ったとは思うのですが、ずっと見ていてくれました。 そしてその後、祖母は眠ったままになりました。 眠ってあまり日にちも過ぎずに他界しました。 それは土曜日の早朝。父は長距離運転手をしていたので遠方。家にいた他の家族はまだ寝ていました。 病院からの電話で、母と二人でかけつけた時には、すでに息を引き取っていました。 何回目かの法事の時、叔母から不思議な話を聞きました。 「私がお見舞いに行ったらね、指を折りながら何かを数えていたのよ。きっとおばあちゃんは、誰も会社や学校を休まなくてもいい日を選んで亡くなったんだよ」 そうなんです、お通夜は土曜日、葬儀は日曜日、四十九日も休日でした。一回忌ももしかしたら、休日だったかもしれません。 この話を聞いた時、うちのおばあちゃんだったら、そのくらいのこと考えていたかもしれないと思いました。 私が帰っていくのをずっと見ていてくれたのも、きっと自分の死期を悟っていたからなのかもしれません。 ただ悔いが残っているのは、亡くなる前日の金曜日、仕事帰りにお見舞いに寄ろうかどうしようか迷って、結局寄らなかったのです。 「明日行けばいい」 そう思って。 それと祖母は誰にも看取られず、一人で旅立ったことをどう思っていたのでしょう。もう少し待っていてくれれば、という思いと反対に、自分の最期の姿を見せたくなかった祖母の優しさだったのかもしれないとも思うのです。 祖母は今、仏様のおそばで穏やかにしているのでしょうか。苦労の多かった人なので、穏やかだといいと思います。 長文失礼しました。

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鬱病の引きこもりは見守る?病院に引っ張って行く?

お線香のことを教えていただいたばかりなのに間を置かないで、それに長文でごめんなさい。急ぎの相談ではありません。お暇な時にできたら助言をいただけると、とても助かります。 私には少し離れた実家に鬱病の妹がいて母と暮らしています。彼女が自分から病院に行くと言うのを待つか、少し強引でも病院に連れて行くか、どうしたらいいか考えています。本人は病院に行きたがっていないようで、母は見守る考えですが、そうして時間が経っています。もしよかったら、お坊様のお考えを教えてください。 まず彼女の性格と今までの経緯を説明させてください。 彼女は責任感が強くて、先が見えないうちに「失敗してもいいからやってみよう」と進めません。文学が好きで芸術的で、こだわり屋です。努力家で挫折を深く悔やみ、他人にとても気を遣います。 2010年頃、進路等の挫折がきっかけかよくわからないけれど、死にたい願望が出て食事をしなくなって病院に行きました。その後回復したように見えて働きに出たのだけど、2014年頃に仕事を辞めて実家に引きこもりました(職場に性質の悪い人達がいて、日頃からいじめられていたみたい)。 2016年にまた通院しましたが治らないまま止めて、今に至ります。食事量は少ないけど食べていて、外出や掃除はほとんどできない感じです。お酒を飲んで母に「私は不幸だ」「私は何をやってもだめだ」「希望が見えない」と言って泣くらしいです。 私は挫折の度に鞍替えして自分の食料を手に入れることしか考えなかったから自責の念や自己嫌悪もなくて、彼女が長く悩んでいる気持ちがわかりません。気持ちがわからない私が考えたことは当てはまらないかもしれないけれど、このままにしておくとよくない気がします。 本人に任せて見守り続けるか家族が病院に連れて行くかお坊様によって異なると思いますが、ご意見を仰ぎたいと思います。それらはすべて貴重です。

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文句ばかり言われます

前回も怒りの煩悩との付き合い方を教えていただいたのですが、まだまだ修行が足りないようです。もう少し話させてください。 義父母がショートステイから戻りました。 「家がいい」と二人とも言いますが、介護する側としては、行ってもらわないと潰れてしまいます。 ショートへの「行きたくない」から始まり、「デイを休ませてくれない」「呼んでも来てくれない」「(病院など必要な場所でも)連れていかれる」「することがない」「(私たち家族が、もしくは私が)また出かけてる」などキリがありません。 夜中の1時や3時に呼ばれてもすぐには行けませんし、デイを休んではいけないなどと言ってもいません。排泄の失敗で汚れたからデイでお風呂に入ってくれた方がこちらが助かるというだけです。 どちらか一人ならまだいいのかもしれませんが、義父母二人で文句を言いあっていて、その声は二階に聞こえるような音量で聞こえてくるのでたまりません。私が大きい声に階下へ降りると、何でもないと知らんぷりです。 手を抜いていいと方々で言われますし、できないことはできないと割り切るようにして、少しは手の抜き方を覚えましたが、手を抜いて文句を言われるのは私で、小さなことに耐えられなくなってきました。 私が介護から手を引けば、義父母は義姉とその娘(以下孫)にやらせればいいと高をくくっているようです。その二人は精神障害を患っていて、私たち(息子夫婦)からしたら介護や薬などの管理もできておらず、まかせられません。 私は人よりポジティブな考え方ができるから大丈夫と自負していましたが、義父母からの文句、義姉、孫の相手、その4人の調整はさすがに負担が大きいです。違うだの、こう思うだの、私たちの意見を言えば言ったで倍以上になって返ってくるので、必要最低限だけ言い、それ以外は必死にポジティブ変換しています。 なんで、文句ばかりなんでしょうか? それとも私のやり方が悪いのでしょうか? 文句の理由を本人に聞けば「ええよ」の一点張りで、義父母とも本心は聞いたことがありません。きっと義父母の特技は「二枚舌」なのだと最近思います。

有り難し有り難し 8
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