生きている内は苦しみだけなのですか?
心のままに打っているので失礼な文がございましたら申し訳ありません。
つい先程、私は父親を殺してしまうところでした。
と言っても現実には何もしていません。
朝から小さな事で叱られ、カッとしてしまいました。
父親に化粧道具を投げつけ、台所から包丁を取り出し何度も切りつける想像を何度も何度もしました。
でもその台所には父の朝食を作る母がいました。
いつも母を思うと何もできません。
寂しさと惨めな思いしかしない人生を終わらせたいと何度も思いました。
短気で傲慢な父親や職場の同僚を殺したいと何度も思いました。
でも何十年も短気で傲慢な父親や祖父母の介護に耐えて今の幸せな家庭を築いた母を思うと何もできないまま吐き出せないまま立ち尽くしてしまいます。
母を気にすることができる内はまだ余裕があるのかもしれません。
でもきっと母がいなかったら私は自殺しているか父親を殺していたと思います。
このままずっと苦しみや寂しさを味わいながら何の喜びも味わわないまま生きていかなければならないと思うとこの先の人生が苦痛でしかありません。
今は何も喜びと感じられないのです。
常に寂しさや苦しみが先行してしまうのです。
生きている内は修行だけですか?
死んだ先にだけ幸せ、極楽浄土があるのですか?
ほんのすこしのしあわせもないのでしょうか?
ほんのすこしでいいんです。
有り難し 34
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