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「身近な人の死」を含む問答(Q&A)一覧

2023/12/16

自殺した子の親が許せません

ネット上で知り合った方(以降、Aさん)が自殺したことを遺族のSNSで知りました。そして、私はその遺族が憎くて仕方ありません。 生前のAさんとはそこまで深い交流があった訳ではありません。たまにお互いが描いた絵に感想を送り合うくらいの関係でした。実際に会ったことはありません。 数ヶ月前、自殺をほのめかす投稿をしたあとに彼女のツイートが途絶えました。 その数日後、Aさんの絵に対する感想にだけ「いいね」をするアカウント(以降B)が現れました。不思議に思ってBの投稿を読むと、娘を自死で亡くしたとありました。 上記の出来事や家族構成と娘の年齢がAさんのと一致していたことから、BはAさんの父親だと確信しました。 Aさんは遺書を残さずに自殺したようで、Bは自死の原因はわからないとしていました。 ですが、私には思い当たる節があります。生前のAさんは親とのことで悩んでいることをSNSで吐露していたのです。 投稿の内容から、Aさんはかなり無理して親の前でいい子を演じていたようです。親に怒られることを極端に怖がっていました。実際、大学で先生が手を挙げただけで幼少期に父親に殴られた記憶がフラッシュバックするから、通えなくなったとも投稿していました。 家族と一緒にいるのがしんどいとよく言っていました。離れたいのに、特待生として合格したら一人暮らしする約束をなかったことにされ、絶望したとも。 希死念慮などの鬱らしい症状を自覚していながらも親にバレて怒られることが怖く病院に行けないとも言っていました。 Bは「親子仲は良かったから原因とは考えにくい」「娘に会いたい」などとほざいています。ふざけるなと思います。 BのせいでAさんは苦しい環境に追いやられていたといっても過言ではありません。 きっとBは常日頃から、Aさんの本音を無意識に握り潰して、理想の娘像をAさんに押し付けていた。そのせいで、Aさんは自己肯定感を失い、自分を大事にできなかったんだと思います。 Bが娘の自死を嘆く投稿を見る度に「お前が殺したくせに」と思ってしまいます。 いっそ全てをBにぶつけたいですが、Aさんを思うとできません。 ですが、AさんはBのせいで自死までしたのに、「娘を大切に思う父親」として生きてるBが本当に許せません。 この気持ちにどう整理をつけたらいいのでしょうか?Bへの怒りをどうすれば手放せるのでしょうか?

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2023/12/01

祖母が延命治療で頑張っているが苦しそう

こんにちは。ご相談させていただきます。 私の祖母はもう高齢になり、病気になってしまってしまいました。今はなんとか病院に入院したり薬を服用してお医者様の力を借りて生きることができています。 祖母本人は治療は積極的ではありませんがなんとか説得して治療を受けています。 時々調子が良くなると歩けて以前のように料理を作ることができますが、どんどん症状は進行していてとても苦しそうです。 もちろんお医者様もなるべく祖母が苦しくないように最大限対策を取って治療してくださいますがそれにも限界があるようです。   そしてこの間お医者様から祖母は今年の冬を超えて生きられるか分からないと言われました。 詳しいことはよくわかりませんが、祖母の病気だとどのように治療しても普通の人よりもとても苦しい亡くなり方になるそうです。 人の寿命や病気は人が操れるものでなく神様や仏様の領域だということは理解しています。 でも祖母を見ているととても苦しそうで亡くなる直前病気のせいで普通の人よりも苦しいのかと思うと死ぬときくらい穏やかにあの世へ旅立って欲しいと思っています。 仏様や神様に祖母自身が頂いた寿命まで治療やできることを全部して亡くなるまで生を全うすれば亡くなるときくらい苦しみを少しでも和らげられるようにお願いしてもよろしいのでしょうか。

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2023/11/23

将来親が死ぬことと自分が孤独になること

中年ですが親の死が怖くてたまりません。 先日祖母を亡くして以来恐怖が強くなり、夜眠れず、朝から突然涙が溢れます。 私はひとりっ子で同居しています。 日頃から絆を感じる友達はおらず、新しい仲間を作りたいと思い行動してもうまくいかず、一人きりです。 親とは他の仲の良い家庭と違って行動は昔から常に別々ですが、今思うと私の人生は親が全てだったと感じます。 本当に何もかもお世話になっていて、たくさん反発しましたが精神的にも常に助けられて来ました。 そのことに気づかないくらい当たり前になっていて、それくらい当たり前のように救われて来ました。 こう書いていてまた涙が溢れます。 若い頃に社会不適応と診断されたことのある自分は職場でも孤立しているため、一般的な大人のようにフルタイムで働くことがとても厳しいです。 でもなんとか自分のものになるようにと、今の職場で新しい勉強に取り組んでいる最中ですが、なぜか身が入らず、メンタル的にも不安定で、将来が怖くて怖くて仕方ありません。 今親は健康で、家事は家族全員で分担し、うまくやっています。 でも当然ですがこの日常はいつか終わります。 だれもが通る道だしそれが世の常だ。って分かっていても、どうしようもなく怖くて、毎日が本当に本当につらいです。 恐怖が心から消える瞬間がほとんどありません。 どうすれば、今目の前なことに集中して、心を穏やかにできるでしょうか。 また、こんな自分が今後孤立して孤独にならない方法はないでしょうか。

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2023/11/10

母の癌と緩和ケア、僕の後悔について

まだ母は亡くなってはいないのですが、カテゴリ的にここが一番近いため、このカテゴリにしました 僕の母は女手一つで僕を育ててくれ、またあまり良くない親戚から幼い僕を守ってくれた人でした。僕が成人し、働くようになってからも、困ったことを相談したり、助けてくれたりと支えてくれていた人でした。 そんな母が9月に直腸癌で余命宣告をされてしまいました。緊急手術をし、人工肛門をつけることになったのですが、そのがん宣告と手術のショックからか、精神症(幻覚や妄想など)を患ってしまって、自分から退院してしまい、がんそのものの治療に行けませんでした。 僕は必死に県外の病院を探し(精神症の母が県内は嫌だというので)、入院させることはできたのですが、そこでもがん治療はできず、母の精神が落ち着いた頃に母の希望で僕の住んでいる県に転院しました。 ところが転院し、ようやく母の望んでいたがんの治療が出来ると思っていたのですが、転院の前後から、転移していた肝臓のがんが急速に広まり、これでは治療が出来ないと言われました。 また、セカンドオピニオンにも行ったのですが、やはりそこでも治療は出来ないと言われ、緩和ケアしかできなくなってしまいました。 もちろん、治療をすれば100%治るわけではないのは知っていますが、母は「死ぬのであれば治療をして死にたい」と言っていたのもあり、母の最期の望みを叶えてやれなくなったのがとても苦しいです。 また、治療についても、精神症で入院していた時に、本人の希望していた転院ではなく、無理にでもその病院で治療をさせていれば結果は変わったのではないかとも思い、後悔しています。 母は職業柄もあり、多くの人に慕われるような「いい人」でした。 なぜ神様や仏様はそんな母が治療をしようとするたびに急に状況が悪くなり、自分の望む治療もできず、死に方も選べないような状態にさせるのでしょうか。 また、僕は先述の後悔をどうすればいいのでしょうか。

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2023/11/09

7歳の子どもに「死」をどう説明するか

いつも問答を拝見させていただいております。私もこれまで娘を亡くしたことに関わる自分自身の心の持ち方について何度もご助言をいただきました。今回は、7歳の子どもに娘の死をどう説明したらよいのかをお示しいただきたいのです。 その子は私の姪の子ども(男児)で、娘は彼が生まれたときからずっと可愛がっており、彼もまた娘をとても慕っていました。彼が4歳の時に娘は亡くなりましたが、感受性の高い彼は娘の死を理解してはいるけれど、なぜいなくなってしまったのかが受け止めきれていないのです。娘の三回忌が過ぎたころ、彼は私にだけ問いかけました 「○○ちゃん(娘の呼び名)は若いのになんでお星さまになっちゃったんだろう?」 「何で死んだの?」ではない表現に彼の寂しさと優しさと娘への思いの深さを感じ、答えが出ませんでした。「○○は優しくてみんなが大好きだったから、お空のみんながこっちに来てよーって言ったのかもねー」と答えましたがとっさに思いついたので納得できるものではなかったでしょう。 大好きな人の死をごまかしではなく、でも 現実を傷つけずに話すことにはどうしたらよいでしょうか。

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2023/10/29

虚無感に苛まれています。

3年前に母が乳がんであることが分かりました。 でも母は告知されたのにも関わらず一人息子の私に何も告げず職場にもずっと隠していました。 看護師という職業柄なのか父が癌で亡くなっていて壮絶な闘病生活をみてるからなのか分かりませんが自分一人で抱え込み誰にも癌のことは言いませんでした。 そして2年前から出血が酷くなり大きな病院での診察をきっかけに僕に乳がんであることを打ち明けてその時点で私は知りました。 僕は必死で母の通院や入院の際の送り迎えや書類関係の手続きを、一人で行ってきました。何とか母に生きてほしいという一心で仕事も出来ず辛かったですが必死で頑張ってきました。 ただ、母からは黙っていたことへの申し訳ない気持ちや送迎や書類関係の手続き等に対して「ありがとう」や「ごめんなさい」、「悪いね」ということを言われたことが無く、「親の介護をするのは当たり前だ」と常々言ってきたので不遜な態度でいつも我儘をずっと言ってきて、何とかそれに答える気持ちで対応していました。 でも母は昨年の2月にお隣に住む方から借金をしていることを知りました。生活費や治療費が足りないと泣きついたそうです。 それをお隣さんから聞いた時、今まで母の為に一生懸命看病してきて自分なりに頑張ってきたのに猛烈に裏切られた気持ちになり、家を飛び出してその当時お付き合いしていた女性宅に転がり込みました。 母と大好きで10年連れ添った愛犬を実家に残して。 その4か月後母は入院先の病院でたった一人で亡くなりました。葬儀もせず無縁仏の状態で役所に遺骨は保管されています。 愛犬もすごく大事にしていたのに、母が最後に入院する際どなたか分かりませんが譲渡したと病院職員から聞いています。 今、スマホのカメラロールを見ると愛犬が出てくるたびに悲しく虚しい気持ちになって胸が張り裂けそうです。 愛犬はどこで何をしているのか。また今生きていれば14歳になるので元気なのだろうか。もしかして亡くなっているのではないだろうか。 母と愛犬を見捨てる形で家を出てきて、もう1年半ほど経ちますがずっと心の片隅にモヤモヤしたものが残っています。 12月からは地元を完全に離れて東京に行きます。地元にいると上記のことを含めて嫌な思い出が蘇るのです。 本当に虚しく寂しい気持ちが心を蝕んでいきます。

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2023/10/15

親が死ぬ時、どう受け入れればいいのか

私25歳、妹23歳、両親64歳です。 社会人で一人暮らしを初めて両親の有難さに気づきました。 長年の不妊治療の後産まれた私は何の取り柄もなく、今までの迷惑と心配をかけてきた申し訳なさもいっぱいで、日々両親の健康と幸せを願うばかりです。 実家に帰るたびに、両親の白髪の多さや縮んだ背丈など、老いに気づく場面が多くなりました。ぱっと思い浮かぶ両親の姿は、背が高くて見た目も声も若い昔の姿です。ランニングが趣味だった父も「すぐ疲れる」と外出が少なくなりました。「私が死んだら食器あげるわ」「次元号変わるときはもう生きてないわ」と笑顔で話す両親の会話でも泣きそうになります。そうやって老いて死に近づいていく状態をみるのが辛いです。 昨年祖母が亡くなりました。身内の死は初めてです。 今でも祖母に会いたいと一人で泣くこともあり、祖母も祖母の家もなくなって悲しく寂しいです。 恥ずかしながら、祖母の死で改めて家族の大切さや感謝を感じました。 祖母が亡くなってこんなに悲しいなら両親が亡くなる時、受け止められる覚悟はできるのか?もし結婚して自分の家庭を持っても両親のいない長い人生を生きないといけないのか?と思ってしまいます。 「誰も死んでほしくない。健康のままずっと生きてほしい」と子供みたいに、大切な人が死ぬという現実から逃げたい気持ちでいっぱいです。 命に終わりがあるのはわかってますが、家族の死にどう向き合って立ち直ればいいかわかりませんし、受け止められる覚悟ができません。 両親が死んだらきっと悲しみで気が狂うだろうから自殺したい。でも大好きな妹のことを思うと自殺もできません。 また、介護施設で認知症の方の対応をしていたのを思い出し、両親が認知症になって私や妹ものことを忘れたら…という怖い気持ちもあります。 どうやって大切な人の死を受け入れて乗り越えたらいいのでしょうか。

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2023/09/08

愚かさで父の寿命を縮めてしまった

 コロナ前のことで、父は神経難病末期で、何度目かの誤嚥性肺炎で入院しました。療養型病院なので積極的な対応はあまりなく、嚥下困難で食事に時間のかかる父の希望で、食事介助に行っていました。 そして家にいる時と同様に、あるビタミン剤を飲ませていました。 医者にはいい顔はされないと思ったので、独断でこっそりと。 1か月ほどして、主治医から呼ばれ、体の全部が機能しなくなっているので、と暗に覚悟をするよう言われました。ここでようやくビタミン剤を飲ませるのを止めました。 その後しばらくして容態が急変し、このままここで治療するか、急性期病院に転院するか尋ねられた時、一瞬頭をよぎったのが、ビタミン剤のせいかも、急性期病院で詳しく検査して、状態の悪い父に勝手に飲ませていたのがわかったら非難される、ということでした。すぐに母が父の負担を考えて転院を否定したのと、主治医から治療そのものはここでも特に変わらない、と聞いたので、どこかホッとして転院しないことを決め、父はその後亡くなりました。 後に主治医にビタミン剤を飲ませていたことを告げましたが、特に父の病状には関係なかったとの返答でした。 しかし、飲ませたことも愚かでしたが、転院に躊躇したのは、自分の保身とエゴです。あの時、急性期病院で積極的な治療をしていたら、もう一度持ち直したかもしれない、と今更になって毎日悔やんでいます。 父は嚥下困難でも何とか食事を口にしようと懸命で、全部機能していないと言われる体であっても、必死で自力でトイレに行こうとしていました。 そんな父の命の瀬戸際に、母が希望しなかったのをいいことに、己のエゴで父の寿命を縮めてしまいました。  自責の念と後悔で、胸が苦しいです。正直、死んで詫びたい気持ちですが、残される母のことは心配するな、と最後に父に約束したので、今はそれは出来ません。母には経緯をすべて話しました。母は父の状態からあまり積極的な治療を望んでいなかったようです。しかし、父自身は一日でも長く生きたいという強い思いがあった気がします。  この罪の償い方をお教えください。

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2023/08/31

まだ立ち直れてない

先日、母の四十九日を終えました。お経をあげてもらって、お位牌に魂を移してもらいました。 それから母の好きだったお饅頭型のロウソクを供えてみたり、母が好きだった香りのお線香をあげてみたり、色々していますが私の気分はまだまだ落ち着いていません。 お医者様にも「まだリラックスできる状況にないみたいだから無理しないように」と言われてしまいました。確かに眠りが浅い気がします。 でも私は元気に働けていないといけないのです。父は私が働ける状態かどうかくらいにしか興味がありません(多分私がどれ程落ち込んでるかには興味が無い)(後ろから着いてきただけの末娘なのでまあそんなものです)。職場からしてもなるべく出勤してもらわないと困るはずです。私は早く元気にならないといけない……と思いながら、周りに「無理はしないで」と言われ続けています。 体調がどうしても悪い時に休んでしまっているので、それほど無理をしているつもりはないのですが、周りからするとそうではないようです。 些細なことでも「母との思い出が沢山あったな」と涙を浮かべてしまうような状態ですが、みんなのために私は早く元気にならないといけません。 リラックスする良い方法などはあるでしょうか?

有り難し有り難し 9
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2023/08/29

先月に亡くなった妹に聞きたい

先月、長年透析をしていた妹が亡くなりました。妹は足も悪く車椅子で、目も片方見えず、耳も補聴器なしでは聞こえませんでした。それでも、本人は太陽のように明るく、誰にでも挨拶をする好かれる人でした。父と母、姉の私とヘルパーさんの手を借りながら生活してました。妹と接した人は、みんなが逆に元気になれると言ってくれました。 妹はいい血管が無く、カテーテルで透析をしてましたが、そのカテーテルが自然に抜けてしまい透析ができなくなってしまいました。家族が病院に呼ばれ説明を受けたのですが、受け入れられず何とか妹を助けてほしいとすがったのですが、もう無理だということでした。 朝にヘルパーさんと笑顔で行って来ますと言っていたのに、あまりに突然で。 透析が出来ないということは死を待つという意味です。透析が出来ないと本人にはとてつもない苦痛が待ち構えているのはわかっていたので、私たち家族は少しでも苦しくなく楽に逝けるうに入院を選びました。 妹はまた透析ができると思い希望をもって入院しました。私たち家族も早く手術をして、透析して家に帰ろうと苦しいウソをつきました。 それが1週間ぐらいで妹が血を吐き、体が痛いと苦しみ出しました。先生に何とかこの苦痛をとってほしいと懇願しました。病院も痛み止めや吐き気止めの注射してくれました。何があっても笑顔だった妹からは苦痛の表情しか無くなり、「痛い!苦しい!怖い!」と叫んでいました。本当に本当に妹も家族も辛かったです。 先生が最後に痛みを感じなくなるように睡眠ができる点滴を打ってくれました。「もしかしたらこれで、スッと心臓が止まってしまうかもしれません」と言われたんですが、とにかく痛みと苦しみとってほしいと泣く泣く了承しました。 そしてその次の日の朝に妹は静かに息を引き取りました。 妹に心から会いたいです。 今は苦しくない?幸せに暮らしてるの? 今までの人生は幸せだった? 最後にうまくウソがつけないでこめんねと謝りたい。 時間だけが過ぎていき、妹がひょいと帰って来そうな気さえします。 せめて今は苦しんでいないか知りたいです。

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2023/08/21

友人の死と虫

友人の携帯から友人の妹より、訃報が届きました。 その友人とは高校が同じで1つ上の学年の先輩で、容姿端麗でとても目立っていたので存在のみ知っていました。卒業後に、私の当時仲良くしていた同級生がその友人を慕っており、みんなを含めた場にも来たのが話すきっかけで、すぐに意気投合し仲良くなるのに時間はかからず、私や彼女の状況が変わり環境が変わってもお互いに連絡し合い、時間が空いても定期的に会える私の唯一の心からの友達の1人でした。 先月急に元気か気になり、1年ぶりに連絡をして毎日連絡を取りながら話が進み、彼女の自宅に行くことになりました。 彼女は占いやスピリチュアル的な事が好きで会うと自分の在り方や価値観をお互いに話す事が多かったです。当日会うと友人は前日にお付き合いしてる方とお別れしたらしく、体調もとても優れない様でした。その日は友人の家に泊まり次の日は温泉に行って解散しました。よく久しぶりに会うと、なるべくしたタイミングで引き合ったね。(私の名前)と会うと元気になれる。同志だ。前世は身内だったと思う。と笑いながらよく言ってました。わたしも同じくそう感じました。 その時に、今年の頭に卵巣嚢腫ができ腫瘍をとったら悪性腫瘍で癌だった事。抗がん剤はしない選択をした事を聞きました。根掘り葉掘り聞くことはなく、手術痕が化膿して喘息が出てると言っていたのでそうだと信じていました。また、温泉行こう。体調よくなったら温泉旅行行こう。と 会った日から丁度1ヶ月後に彼女は入院したらしく、私と毎日連絡を取りながらも一切そのことは言わず、亡くなりました。 いまだに信じられません。 今思うと相当体も辛かっただろうにいつものパワフルな彼女でまた会えるだろうと思ってた自分がとても愚かで、なぜこんなに人は簡単にこの世を去ってしまうのか。なぜ彼女が亡くならなければいけないのか。運命が敵に思えてきて、怒りさえ湧いてきます。 葬儀を終えて仕事をしながら彼女の写真を見たら涙が止まらなくなり感情が抑えられなくなりました。そうしたら、1匹の虫が私の目の前を不自然に飛んでるんです。何度も何度も何度も同じ文字を描く様に、目を凝らしてみても何を描いてるかは見えなかったのですが、1分程最後は丸を何度も何度も同じ場所をループして。その後は普通に飛んでいたので思わず彼女の名前を呟きました。彼女が来てくれたのでしょうか

有り難し有り難し 17
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