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「身近な人の死」を含む問答(Q&A)一覧

身近な人の死を受け入れられるか不安です

先日、祖母を亡くしました。 私が小さい頃、両親は共働きだったので祖母が私の面倒を見てくれていました。 そんな祖母も90才を越え、元気でしたが少し生活の介助が必要になったので、高齢者向けマンションに入居しました。 祖母が自宅にいたころは時々会いに行っていたのですが、近頃疎遠になってしまい、この前も会いに行くチャンスがあったものの、また会えるから…と先送りしてしまいました。 そんな矢先、母親から連絡があり、おばあちゃんが亡くなったとのこと。 あまりに突然すぎて、理解できませんでした。 祖母は自分の部屋で、一人で誰にも看取られずに亡くなりました。心不全でした。 見つけてくれたマンションの方に聞くと、亡くなる直前まで元気で、お昼過ぎに少ししんどいから横になると言い部屋に帰り、夕食の時間になったので声をかけに行くともうすでに亡くなっていたとのことでした。 一人で亡くなったので、最期は寂しかったかな、何を思いながら亡くなったのかな、あのとき会いに行けばよかった、最後にもう1度ばあちゃんに会いたい…といった思いが頭から離れません。 これから先も大切な人の死が待っています。 死は避けられないとわかっているのですが、誰かの死に直面するのが怖いです。祖母のように別れは突然なこともあり、ちゃんと見送ってあげられるとは限りません。不安で不安で苦しいです。 アドバイスをいただけるとありがたいです。 長文、失礼いたしました。

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哀の感情を取り戻したい

3月末に6ヶ月の息子を亡くしました 乳幼児突然死症候群と言われました 余りにも突然で家族も息子を知っている方々も、大きなショックを受けています 発見したのは私です 救急車を呼んで、心肺蘇生もしました けれど、息を吹き返すことはありませんでした お昼寝中に仰向けだったはずが 発見時はうつ伏せでした 病死と診断された今でも私の不注意で殺してしまったと思っています 息子の死から3日間は辛すぎて、お腹が空くことも眠くなることもありませんでした けれど息子には双子の姉がいます 娘のために、いつまでも悲しんでいられない 娘の時間は止まっていないのだから、前と変わらず笑顔で楽しい時間を過ごさなくてはいけない そう思い、「悲しむのは火葬まで…」と心に言い聞かせていました お葬式が終わった後 何故か全く悲しくなくなりました と言うよりも、まるで息子がいた事が夢だったような不思議な感覚になりました 火葬場に入っていく息子を見ても 骨になった息子を拾う時も 帰ってきて写真を見ても 思い出を語っていても 何も感じなくなっていました 最初はそれで良かったのです 決めた通りに変わらず娘に接する事ができるし、家事も変わらず出来ました けれど暫くして 夫が息子を思い悲しんでいる時 一緒に涙を流すどころか冷めた目をして見ている自分に気が付きました 物凄く、ショックでした 私がお腹の中で育て、陣痛に耐えて産み、世界一幸せに…と願って育てて来た最愛の息子です それなのに失って数日でまるで最初から居なかったかのように生活出来ている自分が恐ろしくなりました 本当は愛していなかったんじゃないか 感情が乏しいんじゃないか、と思えてなりません 幾ら記憶を辿っても 息子の名前を読んでみても 遺品を抱いたり、匂いを嗅いでも やはり悲しくなる事も恋しくなる事もありません どうしたら もう一度息子の死を悲しめるでしょうか 変な質問かもしれませんが、アドバイスを頂きたいです 乱文で失礼致しました

有り難し有り難し 17
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母が亡くなり

2か月程前に母を亡くしました。 肺に影がありますと言われたのが4年前になります。 その時のペット検査の結果は肺炎の影でしょうと… その後の定期検査でも変化はなかったのですが、2年過ぎた頃 影が大きくなっていますと言われたのです。 母は肺気腫の持病があり、年齢的にも高齢であること、癌の位置が 悪く手術は難しいと言われました。 それにリンパにも腫れがあり転移しているかもしれないと… それから毎日毎日どうしたらいいのか、どうすることが母にとって 一番良いことなのか、そのことばかり考えました。 主治医や色んな人に相談しました。 色々と考え抜いた末、母には病気のことは何も言わず元気なうちに 普通の生活を出来るだけ楽しませてあげようと決めました。 毎月母が好きな温泉へ旅行に行ったり、花が好きなので季節ごとの 花を見に行ったり、母が行きたいという所へ行ったりして、母の体を 心配しながらも楽しい時間を過ごすことができました。 今年の2月上旬、いつものように旅行に行って、帰ってから3日後に 体調が悪くなり病院へ行き、そのまま入院を勧められ、初めは嫌がって いた母も2週間で退院できるからと、嫌々ながら入院しました。 でも1週間過ぎた頃から日に日に悪くなり、そのまま入院から半月程で 亡くなってしまったのです。 受診だけして帰るつもりだったのに入院することになり、2週間くらいで 退院できると言われたのに、そのまま亡くなってしまうなんて… どうしてこんなことになってしまったのか、何よりも母がどれだけ辛い 思いをしたのかと思うと本当に辛くて… 振り返ってみると後悔することばかりで、病気のことを全て話していたら 違う状況になっていたのではないか、母を早く死なせてしまったのでは ないかと… 母が心配しないようにと、つとめて元気でいるようにしているのですが 写真を見たり元気な頃の母を思い出したりすると、今はもう話すことも 母を楽しませることも喜ばせることも笑わせることもできないんだ… そう思うと本当に淋しく辛くなります。 母の病気が分かってから、母を楽しませること、喜んでもらうことが 生きる目的になっていました。 でも今はその母がいなくなってしまい、生きる目的がなくなって しまいました。 これから先、何のために、どう生きて行ったらいいのか... 何かアドバイスをいただけたら嬉しいです。

有り難し有り難し 32
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この感情をどうすれば…

はじめまして、宜しくお願い致します。 3月14日に急死してしまった 彼についてご相談させて下さい。 彼には前妻さんとの子供達がいますが、息子さんに、家族が増えまだ若い一家に心配もあり、おとうちゃん(婚約者)と私、息子さん一家で 一軒家を借りて共に歩んでいこうと話を進めてまいりました。 当日の朝も一緒に家を見に行って… そんな矢先に突然彼は亡くなって しまいました…。 まだ49日もすんでいませんが、彼が亡くなってしまった現実に受け止められないでいます。 生前は、温厚で器がでかく 離れて暮らしていた子供さん達にも 彼なりに愛情をそそいでいた 矢先の事でした…。 彼は若くして初孫が出来たことに大変喜んでいましたし、息子さんと一緒に生活をする事にも照れながら喜んでいました。 14日の日、おとうちゃんが胃の辺りからみぞおちが痛いと訴えて病院に行きました。 ですが数時間放置された後…急変し そのまま亡くなってしまいました…。 その日、なぜ助けてあげれなかったのか、 もっと真剣に彼の訴えを受け止めて 別の病気ではなかったのか? 疑うこともせず優しくしてあげれなかった 自分に後悔してもしきれない自責の念につぶされています。 私が彼のこれからの未來を奪ったんだと… 1ヶ月後に孫の顔が見れた抱けたはずだった 彼の幸せを… 皆に祝福されながら生まれるはずだった 孫ちゃんが彼の生まれかわりだね…と 言われながらこの世に生まれてしまったこと… 全ての事が私があの時、助けてあげれなかったからだと…彼は苦しんで今も訴えているんじゃないかと…。 悲しくて絶望の中、頭で理解してる つもりなのに現実を受け入れられず、 泣くことも我慢してしまいます…。 心が…気持ちが…わからない。 頭では居ないとわかってのに 待ってしまう…いつかいつもの笑顔で 帰ってきてくれると… 最後の言葉、あの時の苦しんでる光景が 頭から離れず…フラッシュバックしてきます。 彼は今、亡くなった事を理解しているのでしょうか…。 私の性格をわかっている彼が…心配して悲しんでいるかも…。 もしくは苦しかったことを理解して くれなかった私に怒っているのかも…。 まだ彼は私に姿を見せてくれなくそう 思ってしまいます。 まとまりがなく何を相談したいのか… わかりにくい文面で申し訳ありません。

有り難し有り難し 15
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何十年経っても頭から離れません

はじめまして。 今から20年ほど前、主人が自死しました。 結婚生活10年の時でした。 3人の子供に恵まれ、楽では無いけれど平凡に暮らして居ました。 自死1年前、資金も無いまま、周りの反対を押し切り脱サラし自営を始めました。 毎日の生活に加え借金も増え、夫婦間の喧嘩も増え 夫も帰らない日が増えた頃、突然 夫の自死を知らされました。 訳も分からず事実を受け入れられず途方にくれていると、夫の回りから私への誹謗中傷が始まり地獄でした。 私は貧乏でも良い楽しい家庭を築きたかった。 自身の両親が喧嘩も多く厳しい家庭で育ったせいか、早く家を出たかったので、当時付き合っていた主人と流れから結婚して、今思えば お子さま同士が結婚したようなものです。 主人が無くなった後も私の両親は世間体を気にし、心の支えにはなりませんでした。 そこから私の3人の子供だけの生活が始まり、生活の中でも「◯◯さんの旦那さん自殺したんだって」と噂も耳に入るようになり、子供には絶対 隠し遠そうと思っていたので、いつしかひっそり暮らすようになりました。 遺族年金も無く、主人が残してくれた生命保険も、主人の借金や、それに加え両親の借金まで見ることになり、肝心の子供に何もしてあげられないまま、必死に仕事をしました。 最初は心配もしてくれた友達も、月日の流れと共に疎遠になり、気がつけば20年… 子供も何とか成人し、必死に仕事をしてきた私も、いつしか心が空っぽになり、生きる張り合いを無くし、仕事をしていても怪我や病気が増え、 今も病気で、休職中です。 病死で亡くなった人と違い、正直、主人に対して置いていかれた 捨てられたと言う思いしかありません。 何も知らない回りからは、これからは自分の人生をと言われますが、いつまで経っても自死した夫の事が頭から離れません。 再婚の話もありましたが、とても夫が自死したと伝えられず、このまま私は 子供達に隠し通し あの世まで持っていこうと思っています。 長々と書いてしまいましたが、今の私は生きている張り合いも無く心が弱っています。 これから老後も待っています。 数十年の頑張りの糸がプツンと切れてしまいました。 両親も亡くなり、友達とも疎遠になり、独りぼっちの思いが今になって、フツフツ溢れています。 助けてください。 私に今できる事はなんですか? 長文お許しください。

有り難し有り難し 62
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偶然と必然

4年前、私が中学生の時におじいさんが亡くなりました。 亡くなった時はもちろん悲しかったのですが、入院もしていて弱っていることは分かっていたので、私も家族もおじいさんが亡くなることに心の準備は出来ていたと思います。 しかし、お通夜の時にお隣の家の方が亡くなったという話を聞きました。 亡くなったのはその家の一番上の息子さんで、まだ20代で就職したばかりの、私も小さい頃にたくさん遊んでもらった人でした。 お隣のお母さんはすごく悲しんでふさぎこんでしまうほどでした。 私のおばあさんは「おじいちゃんが寂しいから連れてってしまったのかもしれないね」と言っていました。 私は偶然だろうという気持ちがありつつも、近い日にお隣の、しかもとても若い人が亡くなってしまったことに偶然ではない何かがあるように思えて仕方ありません。 おじいさんのお墓参りをする度にお隣のお兄さんのことを思い出してしまい、悲しさや残念な気持ちや申し訳なさなどで少し心が苦しくなります。 もちろん私が責任を感じるようなことはなにもないのですが、お兄さんのお葬式に行った際、たくさんの友人や先生など若者で溢れかえっていたことを思い出すとどうにも言えない気持ちになります。 私はおじいさんと隣のお兄さんの2人の死をどのように受け取ればよいのでしょうか

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彼女が病死しました

丁度一年ほど前に、最愛の彼女をガンで亡くしました。 その事で落ち込んでしまい、なにも手につかず、ただ死にたいと思う日々が続いています。 精神科などにも行っても、納得の行く前向きな考え方がまったくできません。キリスト教や仏教の教えを聞いてもまったく納得できません。 彼女は僕が知りうる人の中でももっとも出来た人でした。 余命を宣告されても、自分よりも僕や自分の親のことを案じ、手術で子宮卵巣を摘出されて、術後の激しい痛みの中でも、子供を産める女性を羨ましく思う自分を律するほどでした。 なぜ彼女が死ななくてはならなかったのでしょうか、なぜ僕は彼女を失わなくてはならなかったのでしょうか。 「彼女は今天国で幸せにしている」と人は言います。 果たしてそうなのでしょうか? そう信じるほかないのは他でもない僕自身ですが、その保証はどこにあるのでしょうか? 「彼女はあなたに優しくされて幸せだったの」と人は言いますが、はたしてそうでしょうか? 僕のことを愛してくれていたからこそ、僕と家庭を築き子供を育てることこそが本当の幸せだったのではないでしょうか? 僕にはわかりますが、彼女は幸せではなかった。 できることが減っていく毎日の中で、死を感じてゆく日々に絶望し、毎日を当たり前に過ごす他人が恨めしく、またそう思う自分と戦っていました。 人は等しく罪人であると、僕も心からそう思いますが、それでもやはり彼女は若くして死ぬにはあまりにも惜しい人でした。 彼女があのように苦しむ謂れはあまりにもあり得ません。 彼女と僕のこの無念は、あまりにも大きすぎます。 僕はただ、また彼女に会いたいだけです。 どうして会えなのでしょうか、なぜもう一緒にいられないのでしょうか。 相談する身でありながら、何を聞きたいのかもよくわからない状態の自分をお許しください。 ただ、なにか、お言葉を戴ければと思います。

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末期癌の母の付き添いが辛いです。

私は母の死を乗り越えられるのでしょうか? 辛くて逃げ出したいです。 昨年の2月に母の末期癌が分かり、ずっと母の介護をしてきました。 先月、緩和ケアに入院し、今日、先生からは余命は週単位だと言われました。 癌が分かってから、私は仕事を辞めて、心身共に母を中心に生活してきました。 今も、週に何度かは病室に泊まり、ほぼ一日中、病室で過ごしています。 それだけに、母が逝ってしまった後の喪失感を考えると、怖くて怖くて仕方ありません。 周りの人からは、「ずっと付き添っていられるのは幸せなことよ。お母さんとの時間を大切にしてね」と言われますが、どんどん弱っていく母の側にいるだけで、私の心が潰れてしまいそうになって、これでは、母との大切な時間を無駄にしてしまいそうです。 母の側にいるのが辛い理由として、残された時間が少ないことを母本人に隠しているということもあるのです。 なので、母は「頑張って食べないと元気になれないもんね」など、元気になると信じて頑張ろうとしているのです。 その一方で、どんどん弱っていく身体に、何となく気が付いている感じで、たまに悲しそうな目をします。 そんな姿を見るのが辛く、できることなら逃げ出して、知らない間に逝ってくれないかなぁと思ったりしてしまいます。 母にとっては、どうしてあげることが良いのでしょうか? 私は、どうしたら乗り越えられるのでしょうか?

有り難し有り難し 48
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