hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「身近な人の死」を含む問答(Q&A)一覧

父親を亡くした夫

つい先日、夫の父親(私からすると義父)が81歳で他界しました。 夫は独身時代から実家を離れており、夫の出身とは全く違う他県の私と結婚して、今も地元からは離れた場所で生活しています。 夫がずっと実家から離れて生活していたせいか、結婚後も普段の生活の中で夫実家の家族のことなど、あまり話題にはのぼりませんでしたし、帰省も年に2〜3回程度だったので、自分の実家や家族にあまり執着がない人なのかなと私自身勝手に思っていました。 けれど、そんなわけないですよね。 義父が他界してから、それまでの夫との生活では見たことのなかったような表情を感じるようになりました。 夫はお葬式の最中はバタバタしていて、悲しみに暮れる余裕もないとも思えましたが、出棺の際には顔を歪めて、今までの結婚生活では見たことのない悲しい表情を見せましたし、葬儀後は疲れもたまっているはずなのに、すぐに仕事に戻ってしまいました。 夫は、休んでいると多分悲しみでいっぱいになってしまう自分になりたくなくて、必死に忙しくしているように私には見えます。 私自身は両親とも健在なので、夫の気持ちを完全に理解するのは難しいと思いますし、理解しようなんておこがましいとも思っています。 けれど、妻として、できるだけ夫に寄り添い、支えたいという気持ちは強く持っています。 私は今後、どのように夫に接して行けばよろしいでしょうか。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2

主人は幸せだったのかばかり考えてしまいます。

はじめまして。 毎日、自分の心をどうすれば良いのか悩んでおります。 ご助言などを頂ければと思い書き込みをさせて頂きます。 1月4日に、突然死という形で主人は眠ったまま旅立ちました。 その日の早朝5時に一度会話をして、その時に主人は体調の不調を言ってはおりました。 しかし、いつもの会話として私は受け止めてしまい何の対処もしませんでした。そしたら、主人がごめんな・・と、言ってきたのでどうしたのかなと思いつつも突き止めもせずそのままにしてしまいました。 それから3時間後に、子供が起きてきて冗談でパパ死んでるみたいと言ったのを聞き、いつも聞こえるはずのイビキが聞こえない事に気が付き主人に語りかけるも、すでに冷たくなっておりました。 あの時、病院に連れていってれば。そんな後悔ばかりです。 助けれたかもしれない主人の命を、私は見殺しにしてしまいました。 一番下の子はまだ小学1年生。もっと子供の成長を見たかったでしょう。 主人はとても無念だったと思います。 私じゃなく、病院に連れて行ってくれる違う人と結婚していれば主人は今も生きていたのかも知れない。 主人は、こんな私と結婚して幸せだと思ってくれたのか。 主人は、私を待ってくれてるのか。それとも私を見放したのか。 色々、考えてしまい夜も眠れない状態です。 こんな私に一言、お願い致します。

有り難し有り難し 43
回答数回答 2

曹洞宗 大親友の死とペンダント

どうかお知恵をください。お願いいたします。 先日、親友が亡くなりました。 あまりにも突然の別れに心の整理がつきません。 親友を思うと、涙が溢れて止まりません 。 苦労も多いのに顔に出さず、我慢強く太陽の様に明るく、心優しい女性でした。 私は彼女の笑顔にたくさん救われました。 大好きな彼女の笑顔は私の人生の宝物です。 お聞きしたい事があります。 これからの大切な日も親友と共にしたく、親友の写真を入れてメッセージを彫ったロケットペンダントを作りたいと思っています。 彼女は寂しがり屋です。 友達と過ごす時間も大切にしてくれる私だけではなく、私達仲間の大切な存在です。 年に数回ある友人達との集まりや、今年ある友人の結婚式など、親友が生きていれば一緒に参加する予定だった行事へ着けて行きたい思っております。 そして、ペンダントはこれからも私達仲間との特別な日に着けたいと思っております。 でも、その事が親友の成仏の妨げにならないかと不安になり質問しました。 親友の葬儀は曹洞宗でした。 曹洞宗について知識がない為、インターネットなどで色々と調べたのですが、仏壇へ写真を飾る事は大丈夫と記載がありましたが、ペンダントについての情報がありませんでした。 とても大切な大好きな親友です。 彼女が安らかである事を一番に考えたいです。 どうかお知恵をください。 お願いします。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

大事な人を二人も失くしました

初めまして。長らく辛い日々が続いています。一年半ほど前に片親を亡くし、その後、彼女(婚約者)に別れを告げられました。 その後、ボロボロの心で何かに惹かれるように巡礼に出かけ霊場各地を巡りました。自分の未熟さに気付くとともに大切な人を失くす前から平凡な事が至極の幸せであると思いながら過ごしてきたにも関わらず、それすらも理解し切れていなかったのではないかと思い知りました。 巡礼の途中、京都で事情を知った尼さんから、「辛いことがあっても試されてると思ってしっかり生きて行けば、必ず仏さんは見てくれている」という言葉が心の支えとなっています。 一時は吹っ切れたと思っていましたが、やはり辛いという気持ちに変わりはありません。親を亡くし、事後処理に追われ半年ほどのちに婚約者は僕の元を去りました。恐らく、色々なことにいっぱいいっぱいになっている僕が頼りなく思えたのでしょう。 周りの友人や、同年代の人が結婚したり街でカップル等を見かけると胸をえぐられるように辛いです。 また、亡くなった母に対しても子供として何も恩返しできず、これからもっとしてあげられるはずだったのにと申し訳なさと、なぜ救ってあげられなかったのかという気持ちでいっぱいです。 正直なところ、なぜ周りの人は物事がトントンすすんでいくのになぜ自分は思わぬところでつまずいてしまうのかと辛くなります。 しかし、最後はどこかで必ず自分にも幸せが訪れると信じで日々過ごしております。こんな僕にこれから日々を過ごして行く上でのアドバイスをいただけないでしょうか。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 28
回答数回答 3

仲良くしていたおじいさんが亡くなりました

仕事の関係で知り合って、プライベートでも仲良くしていたおじいさんが亡くなっていた事が、最近判明しました。享年93歳でした。 私は旅行の添乗員をしていて、ツアーでご案内したあるおじいさんと、仲良くなり、プライベートでも食事に行ったりしていました。 おじいさんも私の事を気に入ってくれ「3か月に一回は会いましょう」と言ってくれ、自分では入れないような高級レストランに何度もつれて行ってくれました。 そんな感じでしたが、2012年に入ってからは連絡の間隔があき、何度か携帯電話に着信があったけれども、こちらも仕事で忙しく、そのまま折り返しするのを忘れたりしたこともありました。 おじいさんから年賀状をもらったりもしましたが、私は旅行業従事者で、年末年始が年で一番の繁忙期のため、つい年賀状を送るのをさぼったりもしていました。 2013年の5月、なぜだかどうしてもおじいさんと連絡を取らないといけないような気がして、遅すぎる年賀状の返事を出しました(年賀状と言えないですね・汗) ハガキを出したらおじいさんから電話がありました。でも何だかとても様子がおかしかったので、大丈夫かな、とは思ったんです。(通話履歴を確認したところ、2013年の5月18日でした) その後連絡がなく、心配だったので、忙しかったけれど、今年は頑張って元日につくように年賀状を出したのですが、返事がありませんでした。 そしてつい昨日、夢におじいさんが出てきたのでもしかして…と思い現役時代に勤務されていた新聞社の会報の訃報欄を調べてみたら… 2013年の5月24日に亡くなっていました。 こうなると色々考えてしまいます。いくら繁忙期だって、一枚くらい年賀状を書けたんじゃないか、何度か着信があったのに、折り返しを忘れてしまったこと、もう少し積極的にこちらから連絡しても良かったんじゃないか…などなど。大変失礼ながら、知り合った時点で高齢だったので、いつ亡くなってもおかしくないと分かっていたのに、行動に移さなかった自分に後悔です。今となっては遅いですが… 私はこれからどう気持ちを持っていったらいいでしょうか?アドバイス願います

有り難し有り難し 34
回答数回答 4

悪い関係のまま亡くなった家族に対し、心の整理をつけるには

葬儀を済ませ3ヶ月程経ちますが、何度も父のことを思い出して困っています。それも悪い記憶です。 私は7才~15才頃に父から性的虐待を受けていました。触れるまたは触れされるという程度のものですが。家族は誰も知りません。父が発病した頃から鬱傾向が出ていましたが、状況が落ち着いて症状も改善するかと思ったら、逆に悪化しています。 父と一緒に私の心のもやもやも埋葬されると思っていました。それが、どうも墓の中からゾンビのように這いずり出てきて、後ろ髪を引っ張られているような気持ちの悪さです。 このような故人への屈折した思いを整理するには、どうしたらよいものでしょうか。 実のところ、私は父を道端の石ころ程度にしか思っておりませんでした。父の人格の良い部分というのは「母にとっての良い夫」「弟にとっての良い父」というフィルターで認識しており、どうも他人事です。恨み憎しみを日頃から抱えていられるほど逞しくありませんので、つとめてその存在ごと忘れるようにしてきたからだと思います。 最後は半年の在宅介護でしたが、遠方より可能な限り帰省して、高次脳障害で幼児のようになった父の介護を手伝っていました。その間も、父に対して同情も憎しみも親愛の情も湧かず、赤の他人を看護しているようでした。「家で出来る限りのことをしたい」という母への孝行と思ってやっていた、と思います。 本人の希望通りに看取られ、葬儀も済ませ、このまま空に消えていってくれると思ったのですが、鬱傾向のときにいちいち思い出すようになってしまい、その記憶から連想されるフラッシュバックやネガティブな感情に苦しめられています。激しく落ち込んだときは希死念虜まで出てきまして、はじめて精神科にかかりました。 とはいえ、あれこれうまくいかないことを父のせいにしているだけのかもしれません。仕事や慣れない環境など、ストレス要因は他にもあります。もう責めようのない土の下の人間に罪をかぶせて、トラウマを理由に、自分の意志の弱さや状況改善の努力から逃げている部分も否定できません。 この件については精神科のカウンセリングも受けていますが、故人への複雑な思いを整理するうえで、何か心の拠り所になるような考え方があればお教えいただければ幸いです。 自分でも整理しきれていないままの内容で申し訳ありません。宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 63
回答数回答 4

娘の死

私には、夫、長女15歳、二女10歳の家族がいます。 2ヶ月前の中学卒業式の前日に長女が朝方トイレで倒れており運ばれてから半日で亡くなってしまいました。 肝臓に悪性腫瘍があり、破裂したことが原因でした。症状が出にくいのでわからなかったでしょう、とのことですが、気が狂いそうな葬儀を終え、日にちがたつと自分を責め、してやりたいこともたくさんありすぎて後悔をし、寂しくて会いたくて、最後のすがた、笑顔の娘、抱きついて来る娘、母さんて聞きたくて、思い出しては辛くて仕方ありません。 二女は泣くのは見たくないようですし、私がつい買いものしても、これ姉ちゃんなら欲しがるねと言ったりすると姉ちゃん姉ちゃん言わないでといいます。 二女もあの悪夢のような日は号泣しておりました。 私は15年間夢を見ていたんじゃないかとぽっかり穴があいたままです。 パートも再開しており外ではまだ大丈夫なのですが 思い出しては苦しくなります。 夫の誕生日に産まれ、私の誕生日に亡くなったのも何か意味があるのでしょうか?二女の為にも長女の為にも気持ちをどう思って生きていくのがいいのかアドバイスをいただけたらありがたいです。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 104
回答数回答 4