先般「改宗とご本尊」に関してお教え頂いたものです。丁重にご回答くださりありがとうございます。深謝申し上げます。 今般は、当家の先祖がお祀りした「毘沙門天様」と「番神様」に関連してご教示ください。 かつて、自宅敷地内の祠にお祀りしておりましたが、ずいぶんと昔、転居に伴って、一緒に引っ越して頂きました。神仏習合の名残と思います。 表に「毘沙門天神躰也」、裏に日蓮宗のお経が記されています。 もう一体には、表に「久奈●神」、裏に「番神堂」とあります。 伺いたいのは、宗旨替え伴うお取り扱いです。 先般お話した通り、日蓮宗から臨済宗に宗旨替えをいたしました。 1.ご本尊と同様に、お寺様に魂抜きを御願いした後に、お炊き上げするべきでしょうか。あるいは、神社にお納めするべきでしょうか 2.そもそも祠、仏壇にお納めしるべきだったのでしょうか、神棚にお祀りするべきだったのでしょうか(今は神棚にお祀りしてあります) 神様仏様に失礼がないか、大変気になっています。ご教示、宜しくお願い申しあげます。
本年の正月、突然に最愛の母を失いました。 この悲しみは筆舌に尽くし難いのですが、この件はご相談は後日にさせていただき、今回は宗旨替えに伴うご本尊様、仏壇、ご位牌の扱いについてお教えください。 諸々の事情で、生前母と相談のうえ、これまでの日蓮正宗から臨済宗に改宗いたし、母の葬儀も臨済宗にて行いました。 今今は亡き父の位牌を含めて先祖代々の位牌は日蓮正宗のご本尊の前に収めております。 今般、母の位牌を作るのあたり、仏壇には臨済宗のご本尊をお収めしたいと思います。 元々の日蓮正宗のご本尊はお山にお返しするのがよいのでしょうか。なお、これまでお世話になっていた日蓮正宗の菩提寺はなくなりました。 ちなみに五十回忌を過ぎた御先祖様のご位牌は繰り位牌にしたいとも考えております。
お世話になります。 若院の言動に不信感を抱いたので、質問いたします。 若院(30代)が来年以降、住職となります。彼には寺を老若男女集う場所にしたいという志があるらしく、新たに門信徒会館を建てたいと言い出しました。 借金をしてでも建てるといっています。 しかし私達の住む場所は過疎地域であり、これからどんどん住人が減っていきます。 そのような場所へ、門信徒会館を建ててどうするというのでしょうか? 借金は何を担保にするのか?自分たちが働きに出るつもりなのか?そのへんの回答は得られません。 計画では門信徒会館で葬式、法要をおこなうことで建築費用の足しにするそうです。 しかし過疎地域なのです。皆死んでいきます。寺に気を遣い、門信徒会館で葬儀などする世代は少ないのです。 皆、葬祭会館の便利さに気づいてしまったのです。 どのようにしたらいいのでしょうか? 諦めてくれたらそれが一番平和ですが、若院には耳がないようです。 現状を見る目もないようです。 このまま敢行されたら、いずれ寄付という形で借金を返済させられそうで、不安です。 止める手立てはありますか?
今年、寺嫁になった者です。 嫁ぎ先の寺院の現状と将来を考えると、寺族登録より自身が尼僧になった方が、 次期住職になる夫の支えにより役立つような気がしております。 夫の父である住職が兼務住職で忙しそうで、当初、4月の寺族登録を10月に見送られました。 私自身で登録手続きを、と提案もしましたが、手続きは住職で、の一点張りでした。 今夏、以前から夫の家族より受けていたモラハラが酷くなり、さすがに堪えかねて、彼等に意見を申し上げたところ、寺族登録の予定で散々振り回したあげく、 住職から「寺族登録を当面見送り」と脅されました。 しかしながら、私自身も夫の家族に対し、不信感が募っており、こちらから、寺族登録はしていただかなくても結構です、以前から夫には、年内に無理をして登録しなくてもよい、と話していたので、とも添えました。 よって、今年の寺族登録は見送り、現在に至ります。 寺族登録は年齢制限がないと夫から聞いております。 夫が住職になったタイミングでよいのでは、とも夫に話しましたが、夫は寺院内では萎縮しており、義父母は予想以上に夫に対し高圧的です。 夫とは交際から仲良くしていたのですが、今夏の住職からの「寺族登録を当面見送り」の脅し以来、夫婦仲に亀裂が入り、現在、別居中です。 寺院の将来の為にも安易に離婚せず、解決・改善の道を進むには、寺族登録にすがることなく、自身が尼僧となり、自立した姿となり寺院と宗派に貢献する案を考えました。 寺嫁は尼僧の資格取得は可能でしょうか。 曹洞宗の僧侶の方で、何かアドバイス頂けることがございましたら、何卒、よろしくお願いいたします。
今までの質問や他の方との問答で、個人的な悩みについて色々助けていただきました。ありがとうございます。 社会的に気になることについても、ここでお尋ねできるでしょうか。 貯金のおぼつかない生活をする中で、もし仕事が途切れて家賃も通信費も払えず情報も頼れる先も見つからなくなったような時、役所でも「まだ働ける可能性がある」「血縁者が存命」などで生活保護が受けられず追い払われてしまった時、行き当たったお寺で助けを求めることはできるのだろうかと疑問を持ちました。考えてみれば、ホームレスのような方をお寺で見かけたことはないように思います。 キリスト教の団体では募金や炊き出しをしているのを知っていますが、仏教ではあまり目につきません。 一部、セーフティネットとなるべく取り組んでおられるところもあるようですが、ネットで名前があがるのは一部の意識の高いお寺の個別の取り組みのように見えます。 歳末ですが、越年、越冬が難しいような方にいま頼られたら、お寺の皆さんはどのように対応なさいますか。 個々のお寺でなくても、困窮した人を現実的に助けているような場所、団体を紹介なさったりすることはあるのでしょうか。 せっかく公開の質問ですから、私だけでなく、今ネットは見られるにしてもいつ厳しい状況になるかわからないような人みんなのためと思ってお答えをいただければと思います。 これは厄介な質問と思われるかもしれませんが、よろしくお願いします。
こんばんは。 ハスノハに参加した時私は一応クリスチャンだったのですが、あれから色々あって、改教しようと思います。はっきり言ってしまうと、もうだいぶ前からすべての出来事に神の意志が働いて起こるというのが信じられなくなっていました。 最近わけあって近所のお寺さんでお世話になったので、まずはそこへお話を聴きに行こうと思います。ですが、そこは真言宗なので、通うと私は真言宗になってしまうのでしょうか? 以前仏教の本を読んだのがきっかけで、自分がすーっと入っていけそうな宗派のイメージができていて、それが真言宗ではないというだけで、真言宗が嫌というわけではないんです。 ただ、やっぱり最初にお話を聴きに行くお寺さんの宗派が違うといけないでしょうか。 ちなみに、私の家は普段どこか特定のお寺さんでお世話になっているのではなく、例えば父親の法事の際には植物園のようなお墓(父が眠っている所で、そこにお寺さんはない)にお坊様が短時間いらっしゃってお勤めをして帰られるという形です。 前は自分がお寺さんにお話を聴きに行くなんて考えていなかったのに、色々な事があってこんなふうになって、人の心も変わるものなんだなと実感しています。
鎌倉の報国寺住職であられた菅原義道氏(故人)の本を数冊読みました。禅宗の僧侶だったことですので、以下老師と呼ばせて頂きます。老師は著名な僧侶だったらしいので、現在の僧侶のなかにも老師の著書を読まれたり、直接謦咳に接された方もおられるでしょう。 菅原老師のご著書を読んで感慨を深くしたことは、(少なくとも)菅原老師の寺院は「駆け込み寺」としての機能を持っていたことです。ご著書の中にこんな部分がありました。「自分の寺の境内で女子高生らしき若い女性を見つけた。深く悩んでいるように見えた。お寺に救いを求めて訪れたのだろうと思い、『さあ、さあ、そんなところに立っていても寒いから、中に入ってお茶でも飲まないか?』と言って寺の中に入れ、彼女の話を聞き始めた。」 今、こういうことをして下さる菅原老師のようなお坊さんて居るんですかね?少なくとも私は今まで一度も経験はありません。寺を一人で訪れたことは数十回もありますが。。 率直で恐縮ですが、今の仏教は「葬式仏教」と言われて久しい。人が死んで葬式を行い、それでお金を稼いでいるという意味ですよね?(はっきり言えば) なんでこんなことを聞くのかと言えば、私一年ほど前に近隣の浄土真宗の寺院の住職にお会いしたかった。仏教を学ぶ手ほどきも受けたかった。でも、メールを送っても電話をしても何の連絡もなかった。「お忙しいでしょうから、お手すきの時にお電話でもメールでも返信をお願いしたい」と伝えたのにも拘らずです。その浄土真宗寺院には、もう連絡する気も訪問する気もなくなりました。 今のお寺には菅原義道老師のお寺のような「駆け込み寺」的な要素はもう期待できませんか? 住職に面会を求めて何かの悩みを相談できるような雰囲気はもうありませんか? このhasunohaに登録されている僧侶の皆さんであれば、菅原義道老師のような方がおられるかもしれないと思ったのですが、いかがでしょうか? それとも今の仏教はもはや「葬式仏教」に堕してしまったんですか? 少々辛口になってしまいましたが、忌憚のない意見・質問を述べさせて頂きました。ただ、”私のように考えている日本人は決して少なくない”ということを忘れないでください。
最近気がついてびっくりした事があります 私のお家は曹洞宗で 毎朝うちのばあちゃんは お仏壇に手を合わせ般若心経を唱えてます。 ふと、お世話になってるお寺って どこなのかと思いばあちゃんに聞き そこのお寺を調べたところ 檀家になっているお寺さんが 違う宗派の浄土真宗でした 法要の時もお経が違うだろうに これって良いのか…?と思ってしまいました。 問題無いのですか?
11/4に、鎌倉の円覚寺様にお参りをし、その際に限定公開の舎利殿を拝観し、合わせて限定の御朱印もいただきました。 その場では気づかなかったのですが、帰ってから改めて御朱印を見てみると日付が十一月二日となっていました。 他にも同日円覚寺様にて何種類かの御朱印を受けておりますが、他のものはきちんと十一月四日となっています。 私は、どんな御朱印であろうと(たとえば字の上手い下手など)、これも御縁と思い気にしないですし、逆にこんなこともあるんだと、レアだと思ってたりするのですが、十一月四日に挟まれた十一月二日の御朱印。 これはお寺様にお知らせした方がいいのでしょうか? (日付が間違ってるのだから詫びの品を寄越せなどというものではありません) このような場合、お寺様的にはどのように対応されるのかお聞きしたいです。
明日長男の三回忌です お茶菓子は何がうれしいですか?
こんばんはというか、おはようございますというか、変な時間に突然起きてしまってすみません。 事情があって少し切羽詰まってしまい、今埼玉県内のお寺さんを探しているのですが、インターネットで調べると膨大な数の寺院が載ったリストが出てきます。 今回は、内密にお話したい事があるので相談を受け付けてくださるお寺さんを探しています。リストを眺めながら勘で狙いを定めて電話すればいいのかもしれませんが、そういう時ホームページを持っているような大きそうな所のほうがいいよとか、でも商売っ気がある所はやめたほうがいいよとか(失礼).....お坊様の目から見た本音で、良いお寺さんの探し方がありましたら教えていただけると幸いです。
いつもありがとうございます。 また質問させてください。 外ではニコニコしていて陽気で人当たりが良く気前も良い義父なのですが、家の玄関を開けた途端に豹変し、家族に対していつもイライラし、支配したがり、言うことを聞かないと怒鳴り、暴言、見下し、金づる、口を開けばモラハラととれる言葉ばかりを発し、孫に対して差別したり気に入らない孫には煩いと怒鳴り思い通りにならないとバカ野郎と怒鳴って脅して叩いたりしてきます。 そんな義父ですが、お寺のボランティアを熱心にしています。 外では本性を隠しているので住職にもバレていないみたいでとても信頼され気に入られており、住職主催のイベントを毎回お手伝いしています。 義母は良い戒名を頂くためにボランティアをしているんだと言っていました。 私は義父の本性を毎日見ているので、いくらお寺で徳を積んでも、今まで家族にしてきた悪行は帳消しになるわけがないと思っているのですが、仏教的には帳消しになるのですか? 人の心を好き放題傷付けても、ボランティアさえすれば全部チャラなのですか? お寺でボランティアをしたら良い戒名を頂けるのですか?値引きして頂けるのですか? 良い戒名は我が家ではとても手が届くお値段ではないので、義父亡き後私達に支払いを求められても払えませんし、あんなひどい人間に良い戒名などとんでもない!と思ってしまいます。 ボランティアの前に、家族を大切にすることの方が大切なのではないかと思うのですが、違いますか?
以前寺院を参拝した後に、良いことがあったので御礼をしに再び参拝しに行ったんですが、その際に帽子を被ったまま参拝してしまいました。 境内を出た直後に気付き、どうしても気になってしまったので「精進します」という気持ちを持って、帽子を取ってもう一度参拝しました。 自分の中で節目の時期だったこともあり、これを機に神社仏閣巡りを始めてみたいなという気持ちもあって、初めて御朱印を貰うなど、気がはやってしまっていたので恥ずかしいです。 少し心がモヤっとしたままなので、質問しました。このまま自分の中で教訓としてよいものでしょうか。
ご覧頂き有難う御座います。 似たような質問があるかもしれませんが、私の方からもご質問させてください。 私は一般家庭家庭で育ち、両親も宗教事には無関心です。その為、言葉や表現におかしな記載もあるかと思いますがご了承願います。 サラリーマンの彼氏と結婚を視野にいれたお付き合いをしているのですが、将来実家のお寺を継ぐようです。 いつごろなのかわかりませんが、いずれはそちらの学校に通うことになるとのこと。 また、会話の中で「檀家さんが」と口にしていたので、「檀家さん」というものではないようです。宗派については、教科書にも載っている歴史ある宗派だと聞きました。 ご実家の話はよくしてくれるのですが、私の年齢(彼とは15歳差です)や結婚願望がなかったことなどを気にしているようであまり具体的な話にはなりません。 お寺のお仕事とはどのようなもので、どんな生活になるのか。 (彼には離婚歴があり、現在は持ち家での生活。12歳の女の子14歳の男の子がいる為後継の心配はひとまずないようです。) 彼も修行をすることになるのか。もしするのであればどれくらいの期間なのか。 私は何をすればよいのかなど、聞きたいことが山ほどあります。 お寺によって様々でしょうし、彼も教えてくれると思うのですが、どこまで踏み込んでよいのかわかりません。 まずはこちらで、お坊さんのお仕事や生活について少しでも教えていただけないでしょうか。 また、近場のお寺に行き、住職さんに直接お話をお伺いすることは可能ですか? 話も纏まらず、読みにくい文章ですが、お教えいただけましたら幸いです。
両親のお墓は、両親の片方のお墓のそばにあります。 私が引き継いだのですが遠方なため 引っ越しを考えております。 宗派がかわりますが問題ありますでしょうが?
菩提寺は新潟県五泉市にある曹洞宗のお寺です。 家は大正8年頃の祖父の代に東京に移っており、現在は墓があるだけの状況です。 曾祖父が地域の名士だったこともあり、そこのお寺の三大檀家の一つとして扱われています。 先の住職がお亡くなりになった時の葬儀では高い位置に座らされています。 墓は父の代に建て直したもので、そこのお寺の墓地の中でも立派なものです。 過去帳によりますと9代前からの祖先が葬られて居る様です。 骨壺は納められて居らず、納骨の時には骨壺から遺灰をザッと墓の中に落とし込む形です。 家が東京に移ってから現在までに6人が東京で亡くなり、新潟に納められています。 一番古くは大正10年に父の兄(中学生)、その後祖父、私の産みの母、祖母、父、継母の順で父が平成7年、継母が平成24年です。 最近、墓を「目黒御廟」に移そうかと考える様になり、その際、墓じまいをして菩提寺との縁を切るのか、或いは東京で亡くなった6人だけを向こうの墓からこちらに移すか、或いは更に減らして今後年忌法要を行うことになる父と継母だけを移すかと言う選択肢で悩んでいます。 父と継母の年忌法要が未だ続きますがそれを菩提寺でやって貰うのは、もうしんどいと言う感じです。 菩提寺への話の持って行き方、移すに際しての御礼の考え方、3大檀家の残る二家の方への話し方等々ご助言ください。
臨済のお坊さまに質問です。師が見つかり、得度することになりました。 親戚に僧侶がいないので、わからないことが多いのでここで質問させてください。 ・得度すると僧籍をいただけますか(さらに、大学の僧侶養成コースにはいるつもりなので) ・お礼はどのようにしたら良いですか ・一番の悩みは剃髪です。どうしてもしないといけないのでしょうか
初めてご相談させて頂きます。 もし、以前同じ様な質問があればすみません。 お盆やお彼岸などで仏様にお供えする菓子等の事でお伺いさせて下さい。 今年のお盆に菩提寺へお参りした時、ゼリーをお供え致しました。ですが、ネットで見てみると、他寺の娘様たちが「お盆ゼリーばかり飽きた」と書かれているご投稿を見ました。 よく考えれば確かに日持ちがするから、ゼリー、水羊羹、ジュース等は沢山お供えとして上がるだろうと思いました。 同じ様なお供えは飽きますか? ご迷惑ですか? これからお彼岸があるので、飽きたという投稿とかは気になります。 もし、仏様へのお供えで、こういうものが助かると思うものがあれば、教えてください。 また、私の家と菩提寺とは何件か先ぐらいの距離で私が産まれた時からのご近所さんです。 なので、尚更お供えに悩みます。
※血の表現があります※ 二度目の質問をさせて頂きます。 現在、我が家には名も素性も分からない日本の兵隊さんのお写真と、血染めの日章旗があります。 何方も知り合いが唐突に送ってきたものなので、何も分からずじまいな状況ですがどうしても写真と日章旗を供養してあげたいです。 蛇足ではありますが、血染めの日章旗は大分霊的な意味で力が強い様です。 初めて見た瞬間、母が取り乱してしまう程でした。(現在は何ともありません、普通に私も母も過ごせています) そこで質問なのですが、どこのお寺様で供養して頂けるのでしょうか。 また、手続きなど必要な事が有ればお手数ですが教えて頂けると助かります。 そもそも、供養してくださるお寺様はありますか? 宜しくお願い致します。
ヘルプマークは、周囲からは 見えない 分からない 。 内臓疾患 や 精神障害 、高次脳機能障害(私はこれに当てはまります)、妊婦さん などが、地方行政の、障害福祉課 などへ 申請 することで、受給される 比較的 新しい マーク です。 著作権は 東京都福祉保健局 が所有していて、各地方行政の 福祉課 は、それぞれ個々で 申請して給付しています。 周囲からは 見えず 分からなく ても。 当事者本人も周囲の人たちですら、まだまだ認知度の低い。 けれど、声に出せない SOS のマークです。 せっかく生まれた マーク なのに、周知が足りません。 そこで、こちらに登録なさっている皆さまへ、お願い致します。 ヘルプマークの周知・啓発に、御協力ください。 ヘルプマークには、強制力はありません。 また、各地方行政によって管理管轄が違うため、せっかくの 周知・啓発 ポスター や チラシ も。 それぞれ各自が問い合わせて、取り寄せなければ、掲示する意思を伝えなくては、行政からは、強いることは出来ないそうです。 〝お寺〟という場所は、古くから、地域 地元 を繋いで、一般の、その場所に住む人たちに寄り添う。 啓蒙力にある場所では無いでしょうか? それぞれ各地方の、地元の、福祉窓口に、お問い合わせください。 そして、少しでも、人の目に触れる場所に、ヘルプマークの啓発ポスターを掲示してください。 本当は、本山だとか、もっと大きな 宗教界 全体から… 声をあげて欲しいのですが… 今のワタシには、近親の家族との対話さえままなりません。 ↑実家にポスター掲示はしてもらえていますが、全体を結ぶ取り組みに対しての理解は難しく… どうか、力を貸してください。 声を出せない SOS に、気づいてください。 伝えてください。 知ってください。 よろしく お願い申し上げます。 #Femmefataleプロジェクト