よろしくお願い申し上げます。 先日、父親の葬儀を無事終えました。 浄土真宗です。 いくつか疑問に思ったので質問致します。私の勉強不足で失礼な物言いになってしまっていましたら申し訳ありません。 葬儀の打ち合わせをした際、直接お寺さんにお布施をどれくらいにするかをお聞きしました。 お車代1万(片道車で30分)精進落としは辞退(つまりお膳代1万) 法名付けて30万で結構ですよ。 と仰いました。 結構ですよという文言が気になりました。 お布施は阿弥陀仏に捧げるものなので、金額に不満ということではありません。 全国のお寺さんは集めたお布施をどのくらいご自身の生活に使われて、どのくらいを修繕維持費や拡張費、又は広告費や檀家接待費に割り当てているのでしょうか?それはお寺によりまちまちですという回答はお控えください。どうあるべきかを教えてください。 私個人としてはお布施に各寺院による金額差が出ている時点でおかしいと思っています。 例えば30万のうち20万はどこのお寺さんでも阿弥陀仏に必ずこの額のお気持ちを捧げますという意味で本山などへ送金し、残った10万はお経、説法の勤めと維持費に使いますという約束が欲しいのです。 先日では通夜葬儀含め1時間もいらっしゃったかどうか。荼毘に伏す前にお帰りでした。 葬儀社の方もそれが一般的と仰っておりました。一般的ってなんなのでしょう。 葬儀に伴い、初七日を式の日に合わせて行うことが多いそうですが、言い方がわるいですが、いい加減だなあという印象です。 どうしても仕事が外せないとか、遠方で行けないとかということで日にちを改める事を遺族から伝えることは致し方ないことと思いますが、葬儀社やお寺さんがまとめて法要をすることを勧めたりというのは如何なことなのでしょうか? 不勉強ですが私は霊的にちゃんと日を数えることに意味があると思うのですが、大事なことはそこではないのでしょうか。 四十九日がお盆になるということでその日はずらしましょうと言われました。 宗教は眼に見えず、なかなか体験し難く、自分なりの解釈を得るまでむずかしいですね。 私は無宗派ですが、神仏を習慣ではなくて本質的に大事にしたいと思っておりますので、尚更疑問に思っております。システム化して商売っ気を持ち込んで来ているように思えるお寺さんに対し虚しくなります。 皆様どうお考えですか?
はじめまして。私は菩提寺は天台宗なのですが、個人的には浄土宗を信仰しています。 ですが菩提寺を浄土宗寺院に変えるということはできません。菩提寺を変えるとなれば墓を移したり墓仕舞いしたりすることになりますが、 私の個人的な信仰に先祖を付き合わせるわけにはいきません。 それに祖母が、現在の菩提寺の墓地に私が死後入る用のお墓をもう買ってしまいました。 すでに亡くなっている大勢の先祖に迷惑はかけられませんし、祖母が私のためにしてくれたことを無駄にもできません。 そこでお聞きしたいのですが、天台宗の檀家のままで浄土宗の帰敬式や結縁受戒などに参加することは可能でしょうか? (そういう行事に参加しなくても心のなかで信仰心を持っていればいいですよ!とか、天台宗も素晴らしいですよ!などの回答はいりません。よろしくお願いします。)
今年死産をしており、その後内臓手術も受け、色々と災難なこともありお祓いを受けました。ですが子供を失ったのだから行くべきではなかったと主人に言われました。 私は悪いことをしてしまいました。 これでもしまた何か起きてしまったらと思うと不安で不安で仕方ないです…。 神聖な場所に子を失って良くないの(穢れ?)がある私にまた悪いことが起きてしまうのでしょうか…。色々と疲れてしまい、気になって仕方ないのです。もう遅いですが…。 教えて下さい、喪中にお祓いしに行くことはタブーですが知らずに行ってしまったために私には何かバチが当たってしまうのでしょうか。どうすればいいのでしょうか…。
はじめまして。お世話になります。 実家の寺は、子院で男性の住職でないと継ぐことが出来ません。 ですので、当初は長女である姉がお坊さんと結婚して寺を継ぐと言いだし、 妹である私はそのつもりでおりましたが、姉が発達障害のグレーゾーンである事が専門の病院を受診して分かりました。 姉の代わりに私が継がないといけないのかとも思いましたが、 姉なりに頑張ろうとしていたのか父の知人からお坊さんを紹介してもらい交際を開始していました。 当時、父も母も仏教精神なのか何なのか、発達障害をさほど深刻には捉えていなかったようです。 しかしながら姉は日頃から昼夜逆転の生活を送っており、父母からお寺のことを何ひとつ教わろうとせず、交際相手に会う日と習い事に行く日以外には、部屋にこもり食事も一食しか摂らず何もせず寝ているという生活が続いており家族皆を悩ませていました。 私は、昔からお寺のことで母から大変な話や、母が苦労している姿しか見たことがなく、お寺と関わりなく生きていきたいと思っていて、実家を離れて一人暮らしをしながら児童発達支援の仕事をしていました。しかし任せられる仕事量も多くなり過労で体を壊し病気になり仕方なく実家に帰省しました。現在は胸郭出口症候群の治療のためリハビリ通院しています。 そんな状況にもあって、家族と関わる時間が増えた事により、姉の惰性的な生活と、姉の不機嫌だと癇癪を起こしたり、更に父母に当たり散らす行動を多く見る中で、姉に我慢ならず堪忍袋の尾が切れました。 父母姉そろったところで、こんな無責任な姉にお寺を継がれ滅茶苦茶にされるより、私が継いだ方がいいのではと気づいたら泣きながら話している自分がいました。 進んで継ぎたいという気持ちではないのは昔と変わりません。 お寺は私物ではないですし、これからこの問題にどう向き合っていったらいいか悩みます。悩む分だけ体は正直で、中々私のからだは痛みが増し未だ癒えません。自分の体も良くなるのか心配になります。助けてください。
緊急事態宣言が出た後、義実家のお寺が餅つき、お寺の法要、会食をしていました。 3密(本堂に30~40人)にもなりますし、御門徒さんも一緒にお経をあげる宗派なので、コーラスや合唱が危険と言われる中、なぜこのこのような時に開催決行したのか理解に苦しみます。 主人は今は別の自営業をしていまして、もしもお寺でクラスターが発生したら…と考え、これで行事は最後にして欲しいと主人が義両親に言いました。 しかし、また5月に法要を開こうとしています。 田舎なので、法要に行かなかったら、他の人に陰口叩かれるからと出席されたご高齢の方もいらっしゃいました。 本部?も法要を中止しているのに…自分達は大丈夫と思っているのでしょうか? 希望が縮小してやるならまだしも、手紙を出して多くの人数にお参りにきてもらう理由が分かりません。 どうしたら中止してもらえるのでしょうか?それとも私達夫婦の考えがおかしいのでしょうか? 他のお寺さんはどうされていらっしゃいますか?
3度目の質問になり恐縮です。 新型コロナがおさまった後の話ということで、ご相談させていただけますか。 タイトルのとおり、お寺に通うことは可能かどうかについてです。 私は子供のころ、比較的お寺に親しんで育ちました。 法事以外でも、近所のお寺でご住職様のお話を伺ったこともありますし、仲の良かった友人の実家もお寺でした。 両親は、お寺の方を信頼し、お墓参りなども大切にしていたと思います。お寺の静けさと、さりげない人の気配に、子供時代の私は安心したことを覚えています。 その後、私の実家のお墓は兄が守ってくれることになり、私は地元を離れて結婚しました。 夫の実家は、事情があってどの宗教からも距離を置いており、夫の両親も夫も、今後お墓を持つ予定はないそうです。 そのため、私と家族は今、お寺や神社、教会といったすべての宗教と縁のない生活を送っています。 しかし、私は近年、年を重ねるごとに様々なことを考えるようになり、また子供のころのように、時々お寺に行ってお坊様のお話を伺ってみたくなりました。夫は「自分は宗教にはかかわらないが、君が一人で行くぶんには構わない」と言ってくれています。 少し地域のお寺を調べてみましたが、檀家でないのに一人でふらりとお寺を訪れるのは少し敷居が高い気がいたしました。法話の会も開催されているようですが、檀家の方や年上の方ばかりだと少し気おくれしてしまいそうと感じたり、一人で参加するのが不安であったり、いろいろなことを気にしてしまいます。 それならば一人で仏教を勉強しようかとも思いましたが、私は仏教を学びたいというよりは、どちらかというと、お寺やお坊様とつながりを得たいのだと思います。 私には今、ふと心が迷ったときに、自分の家以外に向かう場所がないからです。 お坊様に個人的に悩み事を相談するために伺いたいわけではなく、ただ、お堂でしばらくの時間座らせていただくだけでも十分気持ちが安らぐ気がいたします。 もちろん、自分の家は安らぐ場所ですが、ずっと引きこもってばかりです。 社会との接点として、お寺とつながりを持ちたいというのは、あまり一般的な考えとはいえないでしょうか。(ふさわしくない場合は、はっきりご教示くださってかまいません。申し訳ありません) 御多忙な折に、読んで頂きありがとうございました。
私には2人の父がいます。私が5歳の時に他界した父、12歳~22歳までの養父(他界)血のつながったちちのお墓は遠く離れた場所にあり、数年に1度ぐらいしか行けません。 養父の納骨堂は近くにありますが、そこには母が再婚する前に亡くなった養父の奥さんにあたる人と一緒に入ってらっしゃいます。 ずっと一人暮らしをしてた母が自分もそこに入らないといけないと、お寺には関わってきましたが何だかとても寂しそうでした。 その母も認知症になり、介護のため私は夫に許しを受け母と2年近く同居しましたが、私が頑張ることが出来ず、心身ともに疲れ果て母を施設に預けてしまい2年がたちます。 実家は空き家になるため、お寺に相談して過去帳だけ手元に持っていればいいとの事で仏壇はそのまま養父と奥様の名前の書いた過去帳を持っています。 10年間養父にはお世話になりましたが、そちらのお寺とは繋がりを持つきになれず、母がもし亡くなってもそのお寺に入れる事は考えられません。 母は私の手元に置いておきたく思っています。 血の繋がった遠くにいる父もどうにか手元に置けないかと悩んでいますがそちらのお寺こそまったくの疎遠になっています。 母が記憶のある間は年に数回遠いお寺にお金を送っていたようです。 私が嫁いだせいで旧姓の2つの名字のお墓があり、どうしたらいいのか困っています。 そもそも母を手元に置いても成仏出来るのか?49日や1周忌などはどうしたらいいのか? ほとんど行けないお寺に置いておくよりいつでも傍で話しかけられるようにしたい!と思うのは生きている私達のわがままなのでしょうか? 妹がいてその話もしています。初めは「じゃ、私はどこに拝みに行ったらいいの?」と言っていましたが、手元にいてもらえれば会いに行かなくてもいい事がわかり納得しいます。 妹ももっと遠くに住んでいるため納得してくれたようです。 疎遠になってる実父のお墓はいずれにせよちゃんと私の代で供養しないといけないと思っているのですが、どれだけの費用がかかるのか怖くて聞くに聞けずにいるのです。 ご先祖さまの事なので手をあわせつつ悩んでいます。
僕は仏教と神道が大好きで神様と仏様を同じように尊い存在として崇敬しています。 明治以前両者の距離は極めて近くほぼ同じ存在と言ってもよい状況でした。 僕はそれこそが仏教、神道双方の良い所でありそれが自然な形であると信じています。 今は失われてしまった神仏習合を実践しこれから先神道と仏教の距離を少しでも近づけることができるように、また双方の立場から物が見れるように僧侶兼神主になることが僕の目標です。 僕の家も寺院なのですが父にこのことを話すと家の宗派ではこの夢を実現するのは難しいと言われました。 そこで僕は真言宗の僧侶になろうと思っています。 そのための具体的な道筋もある程度決めてあります。 真言宗の大学に通い僧侶の資格を取った後、神主の養成学校で神主の資格を取り将来的に神社本庁の神社で働くという感じです。 寺院ではなく神社の側で働くのは、鎮守社や権現様をお祀りする形でどちらかと言えば神道の要素に寛容な仏教に比べ神道は明治時代に徹底的に仏教要素を排除した状態のまま基本的に変わることなくそのまま今現在まで続いており仏教以上に神仏習合の下地が出来ていないからです。 宗派として真言宗を選んだ理由は元々真言宗に興味があった事と歴史上真言宗は他宗派や神道など他の教えに対し積極的に共通点を探し共に進んでいく姿勢を持っていたからです。 しかし一つ問題があります。 真言宗における僧侶の資格と神道における神主の資格、この両立が出来るのかが分からない点です。 先ほど書いた通り僕は神社で働きます。 その状態でも僧侶の資格を持ち続けることは真言宗では可能なのでしょうか? 知り合いに真言宗のお坊さんや信徒の方がいないため聞いて確かめることも出来ません。 勿論お金や労力など神主の仕事をしながらも宗派、教団のために出来ることは全て果たしていきたいと思います。
彼岸会に参らせて頂き、別院で2時間程の行事に参加した後の事です。 本殿(観光地となっています)前の野外で親子で順に1人づつお線香に火をつけていた時、本殿の奥から 「あんたお金払わないといかんよ」と怒鳴られました。あぁ、間違いかな と思い「払いましたよ」と応じたところ 「ずっと見ていたから払っていないの分かるよ」「悪い事はしたらいかん」「この人が払ったよ、見とった あんたは払っていない」 と、こちらが いついつこういう形で払ったという度に表に出てくる事なく中から大声でおっしゃるので、本殿の中に入りお参りするのも悲しく辛い状況になりました。 「この人が払ったのは見た」という、この人とは私の家族です。家族でひとりだけお線香代をくすねる訳無いと思うのですが。 お線香代は、良心販売方式で箱に100円入れる様になっていて本殿中からは3M以上離れています。 同行していた幼い子がお中日のお線香初体験を楽しんでいましたので、この子に気持ちが落ち込んだ事が伝わってはいけないと思い本殿にすすみ手を合わせましたが、疑いをかけた人物は不審な者を追うような目で睨みを利かせていて怖かったです。 まだ昨日の事なので、幼い頃から親しんだお寺に怖い印象が湧いてしまいそれが悲しく辛いです。どの様な心持ちで思い直せば良いのでしょうか?
よろしくお願いします。 私の妻の家は檀家なのですが3年前義祖父が他界いたしました、その際の葬儀の時に妻から色々お寺さんの話を聞いてみると義祖母は「お寺に今までお布施等を納めた事は無い」(多分寄付の事だと)と言っていました、私の感覚ではお寺さんとのお付き合いは法事や葬儀、お盆以外にも寄付等があると認識しておりました。 その後祖母と一緒に同居する様になり、ある時本堂建て替えの為の寄付の案内が届きました、祖母は「節目節目で色々贈り物をしてるからいいんだ!」と言い寄付をしようとしません、そこまで高額では無かったので納めた方が良いとも思いましたが私が口を出すのもと思い結局納めませんでした。 ですがその事実を知ってから私自身がお墓参りも行きづらい気持ちと他の檀家さんに申し訳ない気持ちです。 今後の事も考え妻と話し他の檀家さんと同じようにお付き合いをしていきたいと思っているのですが10年20年近くお付き合いもせずに今更ご住職様になんと言うべきか分かりません。
現在、父方母方の2つの宗派の寺の檀家になっています どちらも年間1万円くらいなのですが、季節ごとにお参りに回ってこられたときに御札の購入とお布施が必要になります。収入が少ないため支払いがしんどいので居留守をつかってます。 また、それぞれのお墓は寺ではなく霊園にあるので墓の維持費にもそれぞれ2万円かかります。お墓は今後も必要なので維持していきたいです。 これらを踏まえてお聞きしたいです。 お寺に、お墓がないこと。 お寺にお世話になってることがほとんどないこと。 万が一、法事になっても最近は葬儀屋を通したらその宗派の寺の方を派遣してもらえるので檀家じゃないとお経を読んでくれないというデメリットはなさそう。 これらを考えたらお寺の檀家になりつづける必要は無いのではないでしょうか。 しかし周りの親戚は、檀家料を支払ってはくれないけど 先祖代々檀家なのだから子孫は守らないといけないと言われます。 檀家をやめると先祖が安らかにいられないのでしょうか。 本当にどうしたらいいものか迷っています。 どうかご意見をいただきたいです。 よろしくおねがいします
お堂を見た時、思ったんですが、お堂って、仏様の「家」か、「別荘」何ですか?
初めまして。蓮花と申します。 よくあちこちのお寺にお参りしております。 真言宗のお寺名称に関してなのですが、 ○○山○○寺 ってのが普通だと思っていたのですが、 最近、 高野山大師教会○○支部 って名前を時々見かけるようになりました。 違いは何でしょうか? またこの場合は住職ではなく支部長になるのでしょうか? 住職と支部長の違いについても教えて頂けると幸いです。 不躾な質問ですか、宜しくお願いします。
一年前に父が急に亡くなり、本家に勧められるまま本家当主と住職が古くから友人関係としての付き合いがあるお寺(臨済宗になります)にお世話になることになりました。 つい先日、父の一周忌を終え、節目としてお寺を移りたいと考えています。 理由としては、昔から本家筋から難癖や高圧的な行動を受けることが多く、折り合いが悪いという状態にあります。本家と付き合いがあるお寺さんでこれからもお世話になると本家関係で不都合が生じてしまい(この一年で実際に何度かありました)、出来ることであれば避けたいと思っています。 移らせていただきたいと考えているお寺さんには事情などを説明し、受け入れていただくという話はついています。 なので、質問としては、一年お世話になったお寺さんに移らせていただきたいという旨の話をしっかりとつけるべきかどうか。つけるべきであれば電話だけでいいのか直接伺うべきなのか。お気持ちとして包ませていただいた方がいいのか。など、寺を移ることに関して、行った方がいいことなどを教えていただきたいです。 なお、お墓はまだなく、今のお寺さんに遺骨や位牌などは一切預けていない状態です。 よろしくお願いします。
私は福岡県の日蓮宗の寺の次女で、今は実家から企業に勤務に行っています。実家の寺は長女の姉が婿養子を貰う予定でしたが、うちの正干与の寺の住職が持ってきた見合いの話を受け、東京の寺に嫁がせることになりました。 よって私に実家の寺の継承の話が回ってきたわけですが、私は継ぐ気もなく、会社員の方と恋愛しているので、僧侶と結婚する気もなく、そろそろ実家を出ていくつもりです。しかし父は3年間したら戻ってこいと言います。そこで思ったのですが、日本国憲法では職業の自由も婚姻の自由も保障されているのに、人々の幸福のために働いている僧侶たるもの(父)が、そのように実娘の意にそぐわない婚姻をさせようとするのは、僧侶としていかがなものだと思われますか?姉も結婚などしたくなく泣いておりました。前時代的にもほどがあるし、うちの寺も檀家が減っており今後経済の保証があるかどうかもわかりません。寺の継承のための親のエゴでしかないように私は思います。実際姉の嫁入りの話も私には秘密裏に行われており話し合いもなにもなく決まりました。反発をすると感謝の意が足りないと言ってきますが、それと継承の話は話が別だと思います。 また、父母は私に「信仰しろ、拝みなさい」と言ってきますが、信仰とはそのように強制されるものではないと思っております。また生まれた家がたまたま寺であったというだけでその寺の宗派の信仰をしなければなりません。これは寺に産まれた場合、信教の自由はないのでしょうか?"改宗は良くない、バチが当たる、絶対に良いことがない"、などとよく言われてきましたが、改宗は本当に良くないことでしょうか。 現在の日本では宗教より法律が上です。私の人権、私の法の下の平等は宗教により制限されている気がします。 他のお正人方のご意見をお伺いすることができればと思います。
先般「改宗とご本尊」に関してお教え頂いたものです。丁重にご回答くださりありがとうございます。深謝申し上げます。 今般は、当家の先祖がお祀りした「毘沙門天様」と「番神様」に関連してご教示ください。 かつて、自宅敷地内の祠にお祀りしておりましたが、ずいぶんと昔、転居に伴って、一緒に引っ越して頂きました。神仏習合の名残と思います。 表に「毘沙門天神躰也」、裏に日蓮宗のお経が記されています。 もう一体には、表に「久奈●神」、裏に「番神堂」とあります。 伺いたいのは、宗旨替え伴うお取り扱いです。 先般お話した通り、日蓮宗から臨済宗に宗旨替えをいたしました。 1.ご本尊と同様に、お寺様に魂抜きを御願いした後に、お炊き上げするべきでしょうか。あるいは、神社にお納めするべきでしょうか 2.そもそも祠、仏壇にお納めしるべきだったのでしょうか、神棚にお祀りするべきだったのでしょうか(今は神棚にお祀りしてあります) 神様仏様に失礼がないか、大変気になっています。ご教示、宜しくお願い申しあげます。
本年の正月、突然に最愛の母を失いました。 この悲しみは筆舌に尽くし難いのですが、この件はご相談は後日にさせていただき、今回は宗旨替えに伴うご本尊様、仏壇、ご位牌の扱いについてお教えください。 諸々の事情で、生前母と相談のうえ、これまでの日蓮正宗から臨済宗に改宗いたし、母の葬儀も臨済宗にて行いました。 今今は亡き父の位牌を含めて先祖代々の位牌は日蓮正宗のご本尊の前に収めております。 今般、母の位牌を作るのあたり、仏壇には臨済宗のご本尊をお収めしたいと思います。 元々の日蓮正宗のご本尊はお山にお返しするのがよいのでしょうか。なお、これまでお世話になっていた日蓮正宗の菩提寺はなくなりました。 ちなみに五十回忌を過ぎた御先祖様のご位牌は繰り位牌にしたいとも考えております。
お世話になります。 若院の言動に不信感を抱いたので、質問いたします。 若院(30代)が来年以降、住職となります。彼には寺を老若男女集う場所にしたいという志があるらしく、新たに門信徒会館を建てたいと言い出しました。 借金をしてでも建てるといっています。 しかし私達の住む場所は過疎地域であり、これからどんどん住人が減っていきます。 そのような場所へ、門信徒会館を建ててどうするというのでしょうか? 借金は何を担保にするのか?自分たちが働きに出るつもりなのか?そのへんの回答は得られません。 計画では門信徒会館で葬式、法要をおこなうことで建築費用の足しにするそうです。 しかし過疎地域なのです。皆死んでいきます。寺に気を遣い、門信徒会館で葬儀などする世代は少ないのです。 皆、葬祭会館の便利さに気づいてしまったのです。 どのようにしたらいいのでしょうか? 諦めてくれたらそれが一番平和ですが、若院には耳がないようです。 現状を見る目もないようです。 このまま敢行されたら、いずれ寄付という形で借金を返済させられそうで、不安です。 止める手立てはありますか?
今年、寺嫁になった者です。 嫁ぎ先の寺院の現状と将来を考えると、寺族登録より自身が尼僧になった方が、 次期住職になる夫の支えにより役立つような気がしております。 夫の父である住職が兼務住職で忙しそうで、当初、4月の寺族登録を10月に見送られました。 私自身で登録手続きを、と提案もしましたが、手続きは住職で、の一点張りでした。 今夏、以前から夫の家族より受けていたモラハラが酷くなり、さすがに堪えかねて、彼等に意見を申し上げたところ、寺族登録の予定で散々振り回したあげく、 住職から「寺族登録を当面見送り」と脅されました。 しかしながら、私自身も夫の家族に対し、不信感が募っており、こちらから、寺族登録はしていただかなくても結構です、以前から夫には、年内に無理をして登録しなくてもよい、と話していたので、とも添えました。 よって、今年の寺族登録は見送り、現在に至ります。 寺族登録は年齢制限がないと夫から聞いております。 夫が住職になったタイミングでよいのでは、とも夫に話しましたが、夫は寺院内では萎縮しており、義父母は予想以上に夫に対し高圧的です。 夫とは交際から仲良くしていたのですが、今夏の住職からの「寺族登録を当面見送り」の脅し以来、夫婦仲に亀裂が入り、現在、別居中です。 寺院の将来の為にも安易に離婚せず、解決・改善の道を進むには、寺族登録にすがることなく、自身が尼僧となり、自立した姿となり寺院と宗派に貢献する案を考えました。 寺嫁は尼僧の資格取得は可能でしょうか。 曹洞宗の僧侶の方で、何かアドバイス頂けることがございましたら、何卒、よろしくお願いいたします。
今までの質問や他の方との問答で、個人的な悩みについて色々助けていただきました。ありがとうございます。 社会的に気になることについても、ここでお尋ねできるでしょうか。 貯金のおぼつかない生活をする中で、もし仕事が途切れて家賃も通信費も払えず情報も頼れる先も見つからなくなったような時、役所でも「まだ働ける可能性がある」「血縁者が存命」などで生活保護が受けられず追い払われてしまった時、行き当たったお寺で助けを求めることはできるのだろうかと疑問を持ちました。考えてみれば、ホームレスのような方をお寺で見かけたことはないように思います。 キリスト教の団体では募金や炊き出しをしているのを知っていますが、仏教ではあまり目につきません。 一部、セーフティネットとなるべく取り組んでおられるところもあるようですが、ネットで名前があがるのは一部の意識の高いお寺の個別の取り組みのように見えます。 歳末ですが、越年、越冬が難しいような方にいま頼られたら、お寺の皆さんはどのように対応なさいますか。 個々のお寺でなくても、困窮した人を現実的に助けているような場所、団体を紹介なさったりすることはあるのでしょうか。 せっかく公開の質問ですから、私だけでなく、今ネットは見られるにしてもいつ厳しい状況になるかわからないような人みんなのためと思ってお答えをいただければと思います。 これは厄介な質問と思われるかもしれませんが、よろしくお願いします。