hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「お寺」を含む問答(Q&A)一覧

お寺でお話を聞いたり、修行体験することはできますか?

お寺の敷居が高く、なかなか一歩を踏み出せずにいます。 最近、即身成仏に興味を持ち、日本で有名な即身仏を見てきました。博物館を見学する感覚で観に行けたのですが、多くのことを教えていただき、感謝しています。そこから、真言宗に興味を持ち、空海、即身仏になった方にも興味を持ち始めました。 禅にも興味があり、居住地に曹洞宗が多いことから、曹洞宗にも興味があります。 実家の方は日本の多くのところにはない風習で、お墓の形が違います。 明治にはいるまで、正式な日本の統治下になかったためか、菩提寺とか、檀家とか聞いたことがありません。 親からは、「宗教は考え方が偏るから、入るな」、「無宗教の人と結婚しなさい」と言われ、本格的に教えをこうことも難しいと思っています。そのような考え方になった背景に、親戚関係があること、また日本人の宗教観から、親の考えも理解できます。 ただ、もう亡くなってしまった人に対する供養(難しいことではなく、いろいろあったけれど、その人なりに一生懸命生きたことを理解し、今自分が抱えている問題をなくして前に進めるようにすると捉えています)と、自分自身の中で懺悔したいと考えています。 できることはやっていますが、まだ供養や懺悔が足りないように思います。 きちんとした師についてやった方がいいとは思いますが、仏教は宗派が多く、どこに行ったらいいか、手続き等が分かりません。境内の仏像を観て、真似をしてみて、どういう思いになるかということもやってみました。神社は気軽に行けるところが多いので、神社で心身を清めています。(通常はお祓いは受けず、お祈りをするだけです) 仏を拝むのも何か気づくような気がしますし、仏法は本を読めばある程度学べますが、 人との関わりから学ぶこともあるかと思うのです。 私に合う仏教との関わり方はありますか?

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

お不動様を念じれば・・・(お寺の掲示板の標語から)

こんにちは。 個人的な話ですが、近所で月毎に掲示板の標語を書いてらっしゃるお寺があり、毎月の更新をひそかに楽しみにしていたのですが、数ヵ月前の標語がじんわりと心に響いてきています。 いわく 「お不動様を念じれば 元気を頂き 護ってくださる」 私の家は真言宗であり、密教と言う事で少し難しく考えてすぎてモヤモヤとしてました。(実際に密教は滅茶苦茶に難解ですが) 密教は学びたい、けど密教は師から法を授かって初めて意味をなすものであり、導師に師事する事は(特に日本の密教では)僧侶になる事前提であり、生半可な心構えではできない事です。 仕事と子守に追われ、寺院や神社にお参りに行く事すらなかなかできない状態で、自分は何を学べるのか悩んでました。 2人の子供が成人し人間的、経済的にも自立すれば・・・との思いも無いでは無いですが、下の子は現在0歳であり、私の年齢も考えれば確実に60は超えます。そんな歳で修行(真言宗で言えば100日間の四度加行)に耐えられるか、そもそもその歳になったらなったで退職後の生活資金や親の介護などの問題も出てくるし・・・あまり現実的な人生設計じゃないような気もします。(将来的にどんなご縁があるかわかりませんが) そもそも自分自身が「専修密教の宗門」での「在家信徒」って、何か矛盾をはらんだ存在ではないかと悩んでいた所でした。 でも、上の標語が心の中で反芻されるにつれ、気持ちが楽になりました。 宗派でなはく、信仰の本質は常にシンプルで力強いものなんだな、と。 実家のお仏壇の大日如来様、それに左右の不動明王尊と弘法大師様を念じ、日々の暮らしを大切にしようと言う前向きな気持ちになりました。 その寺院にはお礼を言いたい気持ちでいっぱいです。 個人的な話が長くなりましたが、お坊様方は掲示板の標語、どのような思いで書いてらっしゃいますか? また自寺、他寺問わず印象的な標語があれば教えて頂ければ嬉しいです。 最後に、標語を考えて書く事は結構大変で、目に見えるレスポンスも得づらいので、あまり気持ちが進まないとは思います。実際、何ヵ月も月毎標語を更新してないお寺さんもあります。 でも、その標語で救われたり、何らかの「気付き」を得てる人もいますので、書いてらっしゃる方々には、是非とも自信を持って続けて頂きたいと伝えたいです。 -合掌ー

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

“死に方を考えることは、生き方を考えること”

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 これはこれ災難をのがるる妙法にて候 今回で4回目の質問になります。 私の事情や性格などは、プロフィールや以前の質問、頂いた回答へのお礼文などから推測してください。 お手数をお掛けして、申し訳ありません。 さて… 皆さまのご協力で、少しずつですが、現在の自分の不安や心配。 今の自分に出来そうなことが、朧げながら見えて来ました。 本当にありがとうございます<(_ _*)> タイトルと冒頭に並べさせて頂いた言葉を見知ったのは、小学生の頃でしたでしょうか… それ以来、私の心の片隅にずっと在り続け、支柱として立ち続けてくれた言葉たちでした。 皆さまからのお言葉で、ようやく、思い出すことが出来ました。 まずは御礼申し上げますm(_ _)m 過去の投稿と重複もしてしまいますが… 4年前、少し稀有な脳炎(まだ難病指定にも至らず、日本国内では2ヶ所くらいしか専門研究機関も無いらしい)で入院し、意識混濁や呼吸停止寸前を1ヶ月以上経験しました。 その後、意識回復して動けるようになると追い出されるように退院し、その後の寺族生活が待っていました。 そして、今回、5月の誕生日(40歳)前後には自分自身に違和感を感じ始めて6月から医大へ入院。 前回を教訓に、事前から準備が出来、その後もリハビリ転院となりました。 今回の意識混濁や集中医療室は半月程だったように聞いています。 医療側からも詳しくは解明されていない不明な病気で… 前回と違い、リハビリ転院させて頂けたことで、ようやく自認出来た現在の病名は【高次脳機能障害】。 おそらく、前回からずっと発症していたのでしょう。 外見的な異常は見られませんが、以前に比べ、記憶・認知・認識・理解・判断力・感情のコントロールなどずいぶんと低下してしまい、[流暢に喋る失語症]というのも疾患の中には入っているそうです。 周囲からは分かり難く、本人も説明し辛い状況です。 前置きが長くなってしまいました。 〝質問〟 もう今後、寺の長女として寺族の務めを続けていく自信はない。 弟の継職が決まった今、速やかにこの務めも継承して家を出たい。 これ以上、家族の負担にはなりたくない。 けれど家族や周囲には上手く伝えられない。 今の私に出来ることは? 知るべきことは?

有り難し有り難し 34
回答数回答 3