お不動様を念じれば・・・(お寺の掲示板の標語から)
こんにちは。
個人的な話ですが、近所で月毎に掲示板の標語を書いてらっしゃるお寺があり、毎月の更新をひそかに楽しみにしていたのですが、数ヵ月前の標語がじんわりと心に響いてきています。
いわく
「お不動様を念じれば 元気を頂き 護ってくださる」
私の家は真言宗であり、密教と言う事で少し難しく考えてすぎてモヤモヤとしてました。(実際に密教は滅茶苦茶に難解ですが)
密教は学びたい、けど密教は師から法を授かって初めて意味をなすものであり、導師に師事する事は(特に日本の密教では)僧侶になる事前提であり、生半可な心構えではできない事です。
仕事と子守に追われ、寺院や神社にお参りに行く事すらなかなかできない状態で、自分は何を学べるのか悩んでました。
2人の子供が成人し人間的、経済的にも自立すれば・・・との思いも無いでは無いですが、下の子は現在0歳であり、私の年齢も考えれば確実に60は超えます。そんな歳で修行(真言宗で言えば100日間の四度加行)に耐えられるか、そもそもその歳になったらなったで退職後の生活資金や親の介護などの問題も出てくるし・・・あまり現実的な人生設計じゃないような気もします。(将来的にどんなご縁があるかわかりませんが)
そもそも自分自身が「専修密教の宗門」での「在家信徒」って、何か矛盾をはらんだ存在ではないかと悩んでいた所でした。
でも、上の標語が心の中で反芻されるにつれ、気持ちが楽になりました。
宗派でなはく、信仰の本質は常にシンプルで力強いものなんだな、と。
実家のお仏壇の大日如来様、それに左右の不動明王尊と弘法大師様を念じ、日々の暮らしを大切にしようと言う前向きな気持ちになりました。
その寺院にはお礼を言いたい気持ちでいっぱいです。
個人的な話が長くなりましたが、お坊様方は掲示板の標語、どのような思いで書いてらっしゃいますか?
また自寺、他寺問わず印象的な標語があれば教えて頂ければ嬉しいです。
最後に、標語を考えて書く事は結構大変で、目に見えるレスポンスも得づらいので、あまり気持ちが進まないとは思います。実際、何ヵ月も月毎標語を更新してないお寺さんもあります。
でも、その標語で救われたり、何らかの「気付き」を得てる人もいますので、書いてらっしゃる方々には、是非とも自信を持って続けて頂きたいと伝えたいです。
-合掌ー
有り難し 3
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