こんにちは。初めて質問させていただく者です。拙文、長文ご容赦ください。 私は現在、実家の寺を継ぐために仏教系の大学で宗教の勉強をしています。将来的には僧侶となり、ゆくゆくは行政書士等の資格も取り、檀家様方のお手伝いをさせていただく心構えでした。 しかしながら、軽いうつを患い休学中、色々と思考を巡らせてゆく中で、本当に自分は寺を継ぐべきなのか、継いでもよいのかという不安が沸き起こりました。 恥ずかしながら、私は生まれながらに発達障害を持っています。そういう訳ですから(無論、全てが障害のせいであるというつもりはありません)、小学校時代から課題が出せない、時間、約束が守れない等、人が社会で生きていく上で基本的な事を上手くすることが出来ませんでした。幾度か改善を試み、精神科の先生にもお世話になっておりますが、完全に解決したとはまだ言えません。 元々いい加減な性分ですので、大学に進学するまでも、なんとなく漠然としか将来を考えていませんでした。それ故に、自分の思い描く目標が絵に描いた餅そのものではないかと気づいたときにはもう一回生の終わりに近づいていました。 私の実家は県下でもかなり大きな寺です。檀家様の件数は千を超えます。学業も碌にこなせない人間が、そのような環境下で期待に応えられるほどの働きができるか甚だ疑問です。 仮に私が継がなくても、そのまま無人となることはまずあり得ないでしょう。私より仕事の出来る方、業界に精通する方、人として素晴らしい方はいくらでもいます。そういった方々に代わりに寺をお任せすることが、実家に関わる者全てにとって幸せになるのでは。そういった想いが頭を離れません。 昨今の宗教離れが叫ばれる中で、こうした多くの檀家様方に支えられていることは大変ありがたいことです。そのことは重々承知の上で、私が継いだ時に皆様を失望させてしまう事が一番怖いのです。 無論、仮に私が継がなければ、現住職が亡くなった時に我々は寺を出て行かねばならないこともわかっています。両親は無理して継ぐ必要はないと言ってくれていますが、実際の本心は私には分かりかねます。 私の疑問はどうすれば晴れるのでしょうか。 また、このような経験を、回答者の皆様でお持ちの方はいらっしゃいますか。いらしゃれば、そのときの体験をお聞かせ願えませんでしょうか。 回答お待ちしております。
私の父は長年宮城県仙台市に住んでいたのですが、私は東京、妹は名古屋と住所はバラバラです。母は14年前に亡くなっており、父は頑固に仙台で一人暮らしをしておりました。 その父は、昨年(2020年)3月に亡くなりました。ちょうどコロナ禍が始まっており、葬儀は一番シンプルな形で行いました。しかし、納骨はしておらず、まもなく一年が経ちます。その間、お骨は名古屋に住む妹の家にありました。 母のお骨は埼玉にあるお寺に合祀されており、父方の祖父母も同じお寺に合祀されています。 最近、そのお寺に父の納骨の件で電話したところ「お話を伺いますのでこちらに来て下さい」といわれたので、お寺に行きました。対応した方はわりと若い男性でした。 その時驚いたのは、いきなり料金の話を持ち出されたことです。というか、話はお金の件だけでした。その金額が思っていたより高額だったので、つい「戒名はこちらで用意してます」と言ったところ、「ではその戒名をFAXで送って下さい。宗派とか確認して大丈夫だったらそれでいいです」と言ってくれたので、帰宅後ネットで戒名を依頼できるサイトで申し込みました(金額は10分の1でした)。直後、そのサイトに契約されているお寺(なんと岐阜県)から電話がありましたが、内容は「このような戒名ですがいかがでしょう?」といったもので非常に感じの良い方でした。 私は、先日のお寺で話した段取りで戒名のFAXをしようと思っていた矢先、埼玉のお寺から封書が届きました。内容は簡潔に言うと「戒名はすでに決めたので料金を払え」というものでした。「戒名抜きの金額でも厳しいのに話が違うじゃないか!!」と怒りが込み上げてきたのですが、相手はお寺でビジネス相手ではありません。戒名抜きの金額ならぎりぎり大丈夫と思っていましたが、なんだか最初からお金の話しかしないし、まるで借金取りのような手紙は来るし……このお寺はイヤだなと思うようになりました。 一応、戒名の件と経済的に厳しいということは先方に伝えるつもりですが、話がこじれた場合、今回の納骨の件は全てキャンセルしたいと考えていますが、キャンセルは可能なのでしょうか?
去年30年の結婚期間を終えて離婚しました。 別居五年 やっと決着が着きました。 お寺の寺族として 私なりに努力を重ねてきましたが、 住職の長年の暴力や飲酒や性の強制など 裁判を経て終結いたしました。 母は結婚前に亡くなり、他の寺にお骨を預けていましたが、寺に嫁に来たことから改宗しこちらのお寺に移しました。墓地代は身内と言う事もあり特に請求されませんでした。墓石を立て年回忌の塔婆なども立て供養してきました。 私の母の墓地と供養ということで墓地の管理費や塔婆代など請求された事がありません。 結婚当初から夫婦関係はトラブルばかりで身内や友人など巻き込んで何度も調停や別居を繰り返して来ました。 3人の子供が独立した事から夫婦としてこれ以上はないやっていけないと思い家を出ました。 家を出ている中で浮気をしているなどと根拠のない事で騒ぎ立て裁判となりました。 事実無根の訴訟に住職は負け、和解で離婚が成立しました。 そんな中で父が病死し、住職が「父との約束だから」と葬儀を行ってくれましたが、納骨をさせてくれません。 今墓に母のお骨が入っているのに一緒にさせてあげられません。 理由は離婚後私が寺へウロウロされるのは困るからと 長年管理費も払っていないので 他へ移ってくれと勝手な事を言われてしまいました。一度も請求などされていないのです。 葬儀以外は息子が49日、1周忌を行ってくれました。 息子も、自分が住職になったら納骨はする。今は出来ない。と 子供を巻き込んで申しわけない気持ちと 親戚にも申しわけないです。 どうしたら良いか宗務所など相談しても 住職の判断だとの事 こんな個人的な感情で住職の権力をかざすことが許されるのでしょうか? 父を早く母の元で穏やかに眠ってもらいたいです。
私はゲームなり本なり創作なりでお寺で働いているキャラクターをよく見ます。 私も創作物を書くのですが、お寺についていくつか疑問が湧いたのでお答え頂ければ幸いです。 1、お坊さんが世襲制だという話 親がお坊さんなので自分もお坊さんになる。というのはお寺では多い事なのでしょうか。 また、そのような家系にお産まれになった女性の方に、巫女になるという選択肢はあるのでしょうか。 2、お札について 初詣などでお札を頂く機会があります。 この「お札」というのを作るのに適切な時期のようなものはありますか?(例えば、仏滅を避ける……等) また、お札を作成される方はお坊さんだけなのでしょうか。
何度かご相談させていただいております。いつも優しいお言葉をいただき、ありがとうございます。 本日相談させていただきたいのは、昨年買った新居のことです。仏教徒の皆様には失礼な質問だと思うので、先にお詫びをさせていただきます。申し訳ありません。 私は2年前に、現在の家を購入しました。その際に「神社が近くにある家が良い」と不動産屋の方に依頼し、不動産屋の方に「神社ではなくてお寺ですが」と、お寺が隣にある家を勧められました。 その家に住んで2年ほど経つのですが、今更になって「神社とお寺は全然違う」「自分は神社は好きだがお寺は好きかどうか分からない」という思いに囚われ、何故あの日にそのことに気付けなかったのか、何故軽率に今の家を買ってしまったのか、後悔ばかりしています。 仏教徒の皆様にはたいへん失礼な質問で、本当に申し訳ないのですが、この家を好きになるために私はどうすれば良いでしょうか、お言葉をいただければありがたいです。
こんにちは 私は現在海外の大学にて哲学を学んでいますが、その興味の分野はもっぱら西田幾多郎や鈴木大拙などの俗にいう「東洋思想」にあります。そこで私は大学の夏休みを利用して、臨済宗のお寺に数ヶ月間参禅したいと考えているのですが、そういった短期の修行は可能なのでしょうか?また、もし可能であれば鈴木大拙の思想を深く学べるところを紹介していただけると幸いです。 上記の質問だけだとただ思想に魅了されただけの青二才という印象が否めないので、もう少しだけ「禅」を志す理由を明記させていただきたく思います。 私は幼少期の頃から嗜んでいた少林寺拳法と、中高で出会った先生方の影響により教育者になることを志しています。しかし現代教育におけるあまりにも多くの問題はロゴス的思考力ばかりを求め、心のあり方や感覚などのレンマ的なものを忘れ去ってしまっているように思われます。学問とは本来「学ぶことの楽しさ」を追求すべきなのに成績や偏差値と言った数字だけで縛りつけ、「合理的」という一点のみを求めてただの点取りゲームのようになってしまっている現状は、「歪んでいる」としか形容ができないものです。 「禅」の教えが、それは古くから日本文化が、そして日本人が慣れ親しんできた教えですが、そうした教えが「歪み」を直し、子供たちに「学ぶ」ことの楽しさや「健全な心」の育み方を教える大きなヒントになるではないかと西田幾多郎や鈴木大拙の著書を読んで感じ、より彼らの思想への理解を深めるために、修行をしたいと思い立ち、現在に至ります。 教育者を志しているので出家をし本格的に臨済宗の僧侶になることはいささか迷いがあるのは事実ですが、それでも自らの思想を育み、未来の少女少年たちに「禅」の教えを、そして「学び」の楽しさを教えることができる人間になれたらと思います、長々と失礼しましたが、何卒ご意見やご紹介のほどをよろしくお願いします。
父が亡くなり、納骨するにあたり、先祖代々の菩提寺様より入檀請求書なるものへの記入、捺印を要請されました。 内容を確認したところ、会費、火災保険料、離檀料など、お金に関わることは全て「別途規定する」とだけで、具体的な金額が示されていませんでした。(別の書類にも記載はありません) 我が家は弟である長男が継ぐことになりますが、子どもはおりませんので、先々墓じまいをすることになると思いますが、その際、この契約書を元に法外な金額を請求されるのではないかと不安です。 このような誓約書はお寺様において一般的なものなのでしょうか。 先祖代々のお墓なのに?と疑問もあり、正直、不信感しかないので、誓約書は出さず、離檀して納骨は樹木葬等にした方が良いのではないかと思えてきました。 お寺様によるのかもしれませんが、あまり耳にしたことがないものなので、もしご存知の方がいらっしゃいましたら、御教授いただければ幸いでございます。
我が家は浄土真宗本願寺派です。 菩提寺の御住職様は御高齢の為、お勤めをしておらず、県外にいる息子様が行事等がある際に戻ってきていらっしゃるとの事です。 先日親族が亡くなり、すぐ菩提寺へ連絡した際に「すぐには対応出来ないので、そちらで別のお寺を探してもらえませんか」と言われました。 葬儀社を手配し、その葬儀社へ菩提寺から言われた事を相談し、お寺様を紹介して頂きました。 葬儀も滞りなく、無事に終了した為、菩提寺へ連絡し、「七日毎のお勤めをお願いしたい。家へ来れないのであれば、お寺でお経をあげて欲しい」と伝えたところ、お断りされました。 その後四十九日の法要にあたっては、事前に連絡をして日程を決めてお願いし、了承を頂けたのですが、後日連絡があり、「葬儀でお世話になったお寺様へお勤めしてもらわないでいいのですか?」と言われました。 こちらから「本来菩提寺であるそちらへ葬儀の時もお願いしたかったのに、お断りされたのはそちらで、代理で立てて頂いた方です。」とお伝えしました。なんとか四十九日の法要はお勤めして頂けるとのことです。 このような事があり、家族や親族より、菩提寺を変更した方がいいのではないかと話が出ております。 ずっとお世話になっている菩提寺様なので、今回の事は少しショックでした。 今回お勤めをして頂けるお寺で依頼していたのは、「浄土真宗本願寺派のお寺様」でした。 私は仏教に興味があり、お寺を調べたところ、「天台宗のお寺様」でした。 お経は、仏説阿弥陀経や正信偈だったので、通夜・葬儀の際は「なんかお経の読み方が新鮮だなあ〜」と感じていただけでした。しかしとても親切で、四十九日までの間、毎週お勤めに来てくださいます。 普段から仏壇へ向かい、お経を読む事もあり、こんな事があるのなら、私が学校に行き、僧侶の資格を取ってお勤めしたいとも頭をよぎりました。 菩提寺を変更するというのは、やはり避けた方が良いのでしょうか。それとも変更しても良いものなのでしょうか。 どこに相談していいものか分からず、投稿させて頂きました。 宜しくお願い致します。
この前、納骨をしに墓苑に行きました。 納骨法要まで時間があったので、 休憩所から、これからお世話になる墓苑を観に行こうかと向かっていましたら、 スタッフの方が、墓苑の前で 喫煙をしていました。 はっきりとは分かりませんが、ポイ捨てもしているようにも見えました。 永代供養してくださるお寺でこれからずちっとお世話になりますので、 わだかまりは持ちたくないのですが、 こういったことはよくあることなのでしょうか? 外での喫煙ですから、問題もないのかもしれませんが… 故人を敬うにはかけ離れた行動だと認識してしまう私が凝り固まった考え方をしてしまっているでしょうか? まだまだ、永遠の別れとなってしまった悲しみは癒えずにいます。 ご教示いただけると幸いです。
当家のお墓は関東某県の山奥にあります。 お寺はご住職お一人でお住まいです。 とにかくお寺が汚いのです。 畳も床もあちこち埃だらけ、祭壇も埃だらけでゴミも散らばり、荷物が窓際に山積み、 お寺と自宅をつなぐ廊下とその向こうに見える自宅はゴミ屋敷です。 昔、ご住職のお母様が元気だった頃は古くても清潔で、お墓参りに行くと「遠いとこをよくきなさったね」とお茶でもてなして頂きましたが、今はお茶どころではなく、私も母も一刻でも早く帰るようにしてます。 ご住職は50代の男性、独身です。 父の法要の時は祭壇に、前の方の位牌が置きっぱなしで気づきもしないので、こちらで別の場所に避けさせて頂きました。 父は生前、あのご住職は障害があり、苦労してお坊さんになられたのだから、と庇っておりましたが、私はもう、うんざりです。 お墓は明治の頃からの先祖が眠っており、簡単にお寺を変えるわけにもいきません。 こちらから、あちこち汚い、掃除して、と言えるわけもなく。 なんとか訪問者が不快にならない程度に清潔にしていただく方法は無いでしょうか。
20年前にご縁のあるお寺にてご祈祷を受けたところ、凄い効き目がありました。その頃、霊現象が多かったのですが、口伝のまじないのようなものもその時教わりました。(口伝なので、人には内緒にするよう言われました) 色々効き目は凄かったのですがここでは省きます。 それから、20年毎年正月にはそのお寺で新年のご祈祷を受けていたのですが。 最近、良くないことが重なったので、いつものお寺でご祈祷をしてもらおうと伺いましたところ、 今まで見たことのないお坊さんが受け付け、私の話を笑ってバカにするのです。しかも、同じお寺にもかかわらず、以前受けたご祈祷のこともバカにされた(言ってはいけないと言われた口伝も無理矢理聞き出した上で)為、私は怒ってご祈祷を受けずに帰りました。 しかも、寺を出て5分もしないうちにゴールド免許だったのに警察につかまり罰金です。 そのお坊さんは人間としても最低だと思いましたが、 私は20年も通い続けたお寺に裏切られたと、仏縁が無くなったと感じ、そちらの方がショックなのです。 もう、お正月に御札を替えに行く気持ちもなくなりました。 しかし、次にどこを頼れば良いのか。今回の件で、どれだけ自分がいつものお寺を頼りにしていたかもよくわかっただけに、帰る実家を無くしたような気持ちです。 このような場合、お正月は新しいお寺を探して行った方が良いのでしょうか? それとも、そのクソ坊主に当たったのはたまたまだと考えて同じお寺に行った方がいいのでしょうか?お正月、また会ったらイヤなので、とても迷っています。
お世話になります。 先日 42年振りに京都に行って参りました コロナ禍のせいか街は静かで人通りも少なく 穏やかな癒し旅を満喫 バスの運転手さんから宿坊のスタッフさんまで 善い人との縁もあり京都が大好きになりました。 沢山の神社仏閣を巡りましたが 旅行から帰宅後 胸にぽっかり穴が…💔 これからまた数日後 現実(仕事)に帰って行くのが憂鬱です 旅で英気を養うというより反動で 気力減退してしまったような。 長い休みの後、憂鬱になるというのは よくある話ですが。 旅することに何か意味があったのだろうか… 穏やかな癒しの空間への執着 楽をしたい楽になりたいという煩悩が強くなってしまったようで 今は少し虚しい気持ちです。 質問になってないですねm(_ _)m 嬉しい楽しい、辛い、憂鬱…いろんな感情に左右されない心を保つには どうしたらよいのでしょうか。 御助言 お願いいたします🙏🏻
見つけてくださって、ありがとうございます。 以前、お地蔵様の前掛けについて質問させていただきました。今回は、お地蔵様の前掛けの交換について質問させてください。 以前お地蔵様にお供えした前掛けが、風雨に耐えたためちょっとボロボロになってしまいました。そのため、新しいものと交換しようか、それとも洗おうか(洋服のようにじゃぶじゃぶ)迷っています。 新しいものと交換or洗う、どちらがよろしいのでしょうか。 また、新しいものと交換する際、作法はありますでしょうか(お経を唱える、古い前掛けをお寺にもっていく等) よろしくお願いいたします。
多くのお寺は総本山があり、各地に分院があることも多いと思います。 お参りをする時に、総本山にお参りをするのではなく分院にお参りをしても祭られているご本尊が同じであればご利益も同じなのでしょうか? また、例えば子宝・安産のご利益があることで有名なお寺の子宝・安産お守り等は、分院の形状が違う子宝・安産お守りでもご利益は同じなのでしょうか。
お寺についていろいろ教えて下さい。 こちらのサイトで同じような内容で何度か相談させていただいた時に「くよくよしてないで説法でも聞きに行ってみては」と言われました。 正直常に小さい子供を抱えている状態で、場所見知り・人見知りがあり知らない場所や人がいると泣き叫ぶ子供を連れて行く勇気がなく、まだ足を運べていません。 なのでやはり悩みは尽きず、いっぱいいっぱいになってきています。 そこで質問なのですが、説法というのは一体どういうものなのでしょうか? 大小関わらず全てのお寺でやっているものなのですか? 悩んでないで説法を聞きに行けと言われましたが、説法で悩みが解決するようなものなのでしょうか? 他にも説法を聞きに来ている方もいらっしゃると思いますが、永遠に泣き続けるような子供を連れててもいいのでしょうか? そしてこれは個人的な意見なのですが、私が関わったお寺はそんなに多くはありませんが、正直儲け主義・自己中心的なお寺ばかりだったように感じています。 1 保育園併設のお寺でしたが、住職さんのお誕生日には園児1人につき1000円を徴収し、かなり高めのお誕生日プレゼントを購入しないといけない。他にも何かと金銭を徴収されることが多かったです。 2 こちらも保育園併設のお寺でしたが、私の妹が保育園の先生として就職した際なぜか住職さんの奥様に嫌われたらしくイビリ倒されて心を病んで泣く泣く退職。 3 母方の祖父のお葬式などでお世話になったお寺でしたが、母が「お葬式が初めてでお布施にいくら包ませていただいたらいいか分からないので、申し訳ないのですが平均的なお値段を教えていただきたい」と申し出たところ、平均の2~3倍の値段を言われていました(後で他の方に聞いたみたいです)。 といった感じで、あまりお寺にいいイメージがありません。 できればこういったお寺ではなく、こちらのサイトで色々な方々の相談を親身になって聞いてくださっているような住職さんから説法を聞きたいと思っています。 何か見極める方法などありますでしょうか?
無作法ですが、みなさまへの挨拶も省かせて頂き、 少し急ぎの質問をさせていただきます。 私の幼なじみが数年前に亡くなり その幼なじみはまだ亡くなったことに気づかず、一人暮らしをしていた部屋にずっと残っている ということがわかりました。 限定的ではありますが 愛媛県内にて、成仏をさせてもらえるようお経を唱えて頂けるお寺はございますでしょうか。 幼なじみのお母さまに行動してもらうことにはなりますが 幼なじみを一緒にお寺に連れて行こうと思っています。 唐突で、何を言ってるんだ? となるかもしれませんが どなたかご存知であればお教え願いたいです。
主人が病死して20年経ちます。 本家の長男に嫁ぎましたが、義理の家族といろいろあり夫の3回忌が終わってから子供と2人で実家のある他県に引っ越しました。 盆正月、春秋彼岸には子供と必ず義実家へお参りに行っています。 当然お仏壇もお墓も義実家にあるのですが自宅には何もありません。 お寺参りも私の実家のお寺参りはしますが主人の方のお寺参りは一度しか行ったことがありません。 同居している時に義母には自分が元気はうちはお寺の事は自分がしたいと言われたので従っていました。 今まで忙しさにかまけてそういうことから逃げてきたのかもしれませんが、最近何もしてこなかったことに主人に対して申し訳ない気持ちが起こります。 今更ながら自宅にもお仏壇を持って毎日お参りしたいと思うようになりました。 以前はお仏壇が2つあると仏様が迷われるので持たない方がいいと思い込んでいましたが、今更お仏壇を持ってもいいのでしょうか。 義実家は浄土真宗で、お寺参りも一度しか行った事がないのでお作法も全くわかりません。 近くのお寺に行って事情を話し、お参りさせていただくことは可能でしょうか。 主人のお陰で子供と2人何不自由なく暮らす事ができ、大病もせず、子供も順調に成長して来春就職も決まっています。 この感謝の気持ちを主人に伝えるためにはどうすれば良いのでしようか。 仏教のことをもっと勉強したいと思うのですが、何をどう始めたらよいですか。 質問ばかりで申し訳ございません。
埼玉県在住の母86歳から墓守を頼まれています。私はバツイチ独身で実家の墓は静岡です(自分も静岡在住) 私はこれまでに何度も墓についての話を求めてきたのですが母からは具体的な説明が全くありません。 母は信心深いとは言えない人です。自分が死んだ時のことを想像したくない様子がありお墓のことも話したくないのかもしれません。 実家のお墓の住職は布施の要求が高額だったり檀家の悪口を言うなど評判もよくありません。 この住職を尊敬信頼できないため私が墓守をするなら自分の好きなお寺に移転したい、と思うのですが。 その場合、今のお寺から高額な請求や嫌がらせをされないか、とかお墓の移転、改宗など大それたことのように思う気持ちもあります。 ちなみに私は無宗教ですが現在臨済宗のお寺で坐禅をさせていただいています。 そのお寺や住職の人柄が好きで尊敬信頼しています。 できましたら自分が好きなお寺にお墓を、、という思いが強くなって参りました。 お墓の移転など注意すべき点などありましたら教えていただけますでしょうか。 よろしくお願いします
数年前に最愛の家族が亡くなってからよく不思議な夢を見るようになりました。 不思議と自分の意識がハッキリしていてまるで起きているかのような夢で、怖く厳しい顔のお坊さんに「岩手県の湖の近くにある寺に行け、そうすればあるいは助けてくれるかもしれない」と言われ、そのお寺をずっと探しています。 広い湖が目の前に広がり、お寺は岩壁に囲まれて、中には立派な薬師如来様が座っているお寺でした。 最初は毛越寺と達谷窟かと思いましたが、毛越寺は湖ではなく池で、達谷窟も湖が近いわけではありませんでした。 自分で探しても探しても見つける事ができません、湖の近くで薬師如来様のいらっしゃるお寺を教えてほしいです。 どんな些細なことでも構いません、どうしても探したいのです。 どうかお知恵を貸していただきたいです。 どうか、どうかお願いします。