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「世の中・自然」を含む問答(Q&A)一覧

「優秀な人の子供が欲しい」はエゴ?

最初に、不愉快な質問と思われたらごめんなさい。 私の父親は中卒で外仕事をしています。父は複雑な家庭で育ち、人間関係が苦手で幾つも転職をしてきました。母を殴る事もよくありました。 父に感謝はしていますが、できれば隠したい、恥ずかしい存在です。 私の兄弟も、学歴が無く、外仕事で、借金を重ねてブラックリストに乗りました。自己破産は時間の問題でしょう。 学歴や職業で差別するな!と言いながら、父や兄弟を蔑んだ目で見る世間が多いのが現実。 その反動か、私は頭の良い男性に憧れがあります。だから今まで、医師や医学生、弁護士と恋人や都合の良い関係になる事が多かったです。 けれど、学歴や美貌が無い私は、恋人ではなくセカンド的な位置にされた事が多いです。情けなくて恥ずかしいです。 とは言え、優秀な彼らと同じ時間を共有できることに嬉しさを感じます。私には無い教養、気品、社会的な地位、お金、余裕…彼らといると、心の傷や劣等感が修復されたような気がするのです。 職業柄、私は医師と接する機会が多くなります。しかし、私のレベルや家柄では、結婚は難しいでしょう。 もう時期、結婚適齢期。子供は欲しく、できれば賢く育って欲しい。優秀な遺伝子を持った子供が欲しい。賢い子供に育てたい。 それは親のエゴだと批判されると思います。けれど、遺伝って大事だと思いませんか?(私の遺伝子が強ければ駄目だと思うけど…) 私が仕事を頑張れば、専門職だし、恐らく子供は1人で育てられると思う。教育費も掛けられると思う。 だけど、父親がいない子供は可哀想な気もします。とはいえ、自分のレベルに見合った男性と結婚しても、上手くやっていく自信は無い。 身分不相応な生き方が自分や周りを苦しめるのは、経験上、理解できるものの、私が歩みたかった人生を子供に歩んで欲しい…子供は優秀に育って欲しいという思いが強くて。 こう思うのはエゴなのでしょうか? 健康で優しい子に育ってくれれば良いとは思いますけれど、プラスαで優秀な子に育って欲しいんです。 こんな歪んだ私が、結婚や出産なんて向いてないと思います。将来、生まれてくる子供も可哀想です。 けれど、つきまとう自己否定感が辛いです。それを子供に癒して欲しいのだと思います。 どうすれば、この考えは和らぐでしょうか。なぜ私はこんなに自己否定感が強いのでしょうか。

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同居が嫌

はじめは旦那と2人で住めると聞いていたのですが、なんだかんだで、妊娠中から出産し現在まで完全同居をしていますが、もう嫌でたまりません。 台所は料理好きな義父の管理下で、ごはんを作ってくれるのはありがたいのですが、キッチン、冷蔵庫も自由に使いづらく、常にキッチン側の食事スペースに夫婦してテレビを観ているので、飲み物や食べたいものを取りに行くのも、いちいち声をかけられるのが嫌で我慢する肩身の狭い居候のような生活です。 唯一、自由にいられる夫婦の部屋にも、子供が生まれてからは、些細な用事でいちいち覗きにくるようになり、それが毎日毎日のことになりだんだん親切すら煩わしく鬱陶しいとしか思えなくなっています。 また、出産後の入院中に見舞いに来た義母が孫フィーバーになっていて、ある日、嬉々として義母に抱かれている赤ちゃんを見ていたら無性に悲しくなり、 それ以来、子供に触れられたくないし関わられたくないと思っています。 「ウチの孫」発言されると悔しくてしょうがないです。 悪い人たちではないですが、子供と私の時間に1分でも介入されることが嫌で許せません。 しかし、でき婚で、親族呼ばず2人で式を挙げた負い目や罪悪感が義理親に対してあり、 別居したいけど、したらしたで罪悪感が増しそうで、高齢だし別居もしずらく、 この生活や負い目や罪悪感や義理親の干渉から解放されるには、いくら考えても離婚か死ぬしか道がないように思います。 しかし、離婚は旦那がなかなか応じてくれません。 今は冷静さが欠けているかもしれませんが、他に方法は思いつきません。

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犠牲

※できれば女のお坊様にもコメント頂きたいです。 何故女だけ妊娠出産という犠牲を背負わなければならないのでしょう。 身体のしくみを聞いているわけではありません。 男は生殖に関しては女の上で気持ち良くなったらそれだけで子孫が残せる。 しかも種をあちこちにばら撒くことも簡単。 妊娠のリスクもない。 子どもができたって仕事をそのまま続けられる。 しかし女は自分の子孫をのこそうとすると妊娠出産せねばならず、それは腰が砕け散るような激痛を感じながらの命がけの行為。 ホルモンバランスが狂い自殺する人も多く、十月十日も行動を制限され、仕事も辞めなければならず、骨格も歪み性格すら変わってしまうこともある。 これを言うと中には「これは幸せなことなんだ」とか「女の特権だ」と言う人がいますが、私はそうは思わない。 結果的に子孫を残すのは男女とも同じなのに生殖に関する負担が余りにも違い過ぎます。 もっと納得いかないのは妊娠出産を「めでたい、祝福すべきこと」だとされていることです。 先にも述べたように妊娠出産は命がけ、もし助かっても後遺症などで苦しむ可能性もある。 にも関わらずめでたいことだとされるのは「新しい命が生まれてくる」から。 それはつまり女性の命を犠牲にしてでも子孫を残すことが良しとされているということ。 つまり女の命<<<<男の命・新しい命、というわけです。 男はこの理不尽さに対して何の疑問も持たず、「当たり前」だと思っています。 多くの女も「仕方ない」と思っています。 そして少子化も女だけのせいにされ、今や「女は家庭に入るべき」という意見も多くなってきました。 もうこんな理不尽な世の中嫌です。 消えたい。 絶望でいっぱいです。 自分に子宮がついていて筋力が男より劣る生き物だというのが嫌で嫌でたまりません。

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白人コンプレックス

白人コンプレックス(?)に悩んでいます。 大好きな尊敬する人は白人ばかりです。 容姿もとても美しいです。 でも、鏡をみると私は日本人(アジア人)の顔です。 それが嫌でしかたがありません。 日本でずっと暮らすのであれば何も問題もないと思います。 ですが、私の夢は海外で活躍することです。(具体的なことはバレてしまうので書けませんがその為には容姿も重要なのです) なので、見た目のコンプレックスが凄くて悩んでいます。 整形しても日本人にしか見えないですし、海外に行ったらみんなではなくても差別はあると思いますし、アジア人が向こうで活躍するのは厳しいと思います。 能力を付けて充分に実力があっても、容姿などで活躍できていないアジア人はたくさんいると思います。 なのに、白人は見た目がいいので、同じ能力やそこそこの能力でもチャンスが来る機会はとても多いと思います。 その差に毎日毎日嫌になってしまいます。 この夢は次生まれた時に(白人に生まれた時に)とっとこうか、とさえ思います。 それだけ過酷な思いをすることも見たり聞いたりしているので分かっています。 毎日どうしようないものに苦しんでいます。 アドバイス下さい。

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酒を飲もうと思わない

自分はもうすぐ25歳になる男で、 飲酒ができるようになってから結構経ちますが、 あまりお酒を飲みたいと思いません。 飲んで忘れたいようなことも特にありません。 ただ、飲まないせいで、会社の飲み会がとてもきついです。 みんなが盛り上がってる中、自分も一緒に盛り上がるよう努めるのですが、 無理をしているせいか会話をしてても噛み合わなかったり、 アウェーな会だとまったく会話に入れなかったり、 反動で、帰り途中に猛烈な疲れと虚しさを感じたりします。 そしてそんな自分に対して、心の中のもう1人の自分が、お前はほんとに気持ち悪い、 何の価値もない、駄目人間だなと言ってきます。 友人と飲んで練習させてもらってもいいかと思いましたが、 友人と呼べるのは1人しかおらず、 その唯一の親友にでさえ、酔っ払っているところを見られたくないです。 あまり量を飲んだことがないので自分の許容量がよく分からないのですが、 たぶん感覚としては、決して強い方ではないが、 1滴も飲めないわけではなさそう、という感じです。 (2杯でやめておいたほうがいいかな?ってとこでしょうか) (だいたい付き合いで、勧められて女子が飲みそうなサワーかカクテルを1杯だけ飲むことには結局なってしまいます。) あまりこだわらずに飲んでしまえばラクになるものなのでしょうか? 酔っ払って他人に自分をさらけ出すということをしたくないです。 仕事でオフレコの内容をうっかり喋ってしまったり、 失言をしてしまうのではないかという恐怖もあります。 酔っ払って駅のホームから落ちたら嫌なので酔っ払いたくありません。(←これが一番強いです) お酒のせいで、くだらないことで人生を無為にしたくないという気持ちが強いです。 普段自分はとても計算をして生きてる人間で、 相手の気持ちを考えに考えまくってやっとなんとかやっていけてる程度の 人間なので、酒が入ってその普段の考慮の部分がなくなったら 多分何の良さもない、無価値な人間になると思います 一生懸命とりつくってなんとか健常な人間のふりをしてるだけなので。

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ごめんなさい。それでも世界が恐いんです。

最早毎度のこととなってしまいますが、頂いた御回答について上手く飲み込めず、新規質問として失礼させて頂きます。誠に申し訳御座いません。 絶望に閉じた精神状況は少々落ち着きましたが、戦争や災害の恐怖は未だ現実的な雑念としてあり、収まりません。 未来は見えない、その時まではわからないから「今、ここ」に集中する。希望が見えないのは自分が見ていないからである。色眼鏡をかけている自覚はあります。少しずつ、外そうと試みています。 しかし、危険性は「現実」のものとして存在しているとも思ってしまいます。 これまで、数々の凄惨な「現実」がありました。私が恐れているのはその繰り返し、あるいはそれ以上の悲劇です。 これまで沢山の人々が、悲劇を避ける為に、被害を抑える為に懸命に生きて来ました。それでも災害、戦争、テロ行為による犠牲は無くなりません。私もいずれそのような死を迎えることを覚悟しなければならないような気がします。 私はただただ、あらゆる痛みが恐ろしいのです。痛みを恐れて生きることを拒絶しようとしました。懸命に生きていても、唐突に何かによって命や健康が奪われる。それがあまりに恐ろしく、悲しいのです。 本当はこの世界は安心してして生きていられる場所であると信じたいのです。どうにかなる、大丈夫だと。しかしその根拠は見つからず、むしろ絶望的な根拠ばかりが目立ちます。恐らくはこれも色眼鏡。 内臓が破裂し、鼓膜が破け、眼球が潰れ、絶えず血を吐き、全身が焼け爛れる痛みを、今日と同じ明日が奪われる悲しみをある日突然もたらされたとしても、自分の気持ち次第で極楽といえるでしょうか。今いる場所が突然焼け野原となるという前提で、今の仮初めの平穏に感謝しながら、今できることに集中すれば良いのでしょうか。それが恐いと、ここに吐き出してしまっても許されるのでしょうか。 通り過ぎれば下らないことで苦しんでいたのだと思う日が来ると思います。害されることなく生きて、無事にその日が迎えられることを願います。

有り難し有り難し 16
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