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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

2026/02/08

地獄に落ちる意味はありますか?

自分は悪い人間なので従苦入苦 従冥入冥でこの世の地獄から本当の地獄に落ちて行く訳です。 勿論、救いを求めて毎日少しの時間ではありますが2、30分ほどYouTubeで仏教を聴聞してます。 信心決定をして阿弥陀仏様の居る極楽浄土に行くために、残りの人生も疑情が晴れるまで聞き抜いていこうという気持ちはあります。 でも自分はほぼ間違いなく地獄に落ちてしまうでしょう。 毎日毎日地獄の事ばかり考えてしまいます。 まさに、お釈迦様の仰った様に悔いに悩んでます。 特に地獄で苦しむ意味を考えてしまいます。 例えば地獄に落ちて苦しんで苦しんで苦しみ抜いたら周りと同じ様な普通の人になれるのかなとか考えたりしてしまいます。 自分は一言で言えば醜悪です。 地獄に堕ちれば、まともな生き物になれるなら地獄に落ちて一生懸命苦しみます。 要は汚れまみれ(罪悪深重)の洗濯物(私という人間)が洗濯機(地獄)に入って真っ白で綺麗な状態になれるのなら地獄も悪くないかなと思ってる訳です。 仏教史上最大の極悪人と言われたダイバダッタという人も現在阿鼻地獄で責苦を受けてるらしいですがその人はお釈迦様曰く未来世で仏になると言われてる様に地獄の苦しみが未来世に良い影響をもたらすのであれば潔く地獄に落ちます。 地獄に落ちるメリットとして極悪人に良い影響もたらす事はあるのでしょうか?

有り難し有り難し 55
回答数回答 4
2026/01/25

自殺のあった土地の見え方が知りたいです。

プロフィールを見てもらえると分かっていただけると思うのですが、主人と結婚するまでに私の父方の祖母(プラス叔父)と揉め、紆余曲折を経て結婚できました。 その際、祖母から結婚の条件として出された物の中に「母との同居」があります。 ただ母に貯金がないため、援助は見込めず。 私たち夫婦も先月主人の作った借金を返し終えたところで、お恥ずかしながら貯金がなく。 ローンのこともシビアに考えつつ、母との同居に向けて本格的に土地を探し、地域の工務店を回っていたところ、私たちの希望する価格、場所、坪数の土地を見つけました。 そこが告知事項、心理的瑕疵ありの土地で…。 不動産屋さんに確認すると、20数年前に自殺があった土地だということが判りました。 私は最初、「え゛っ…」と思ったのですが、主人も母も全く気にしないそうで。 主人からは「こんなこと気にし始めたら、何百年も前に遡ると、どこで誰がどういう亡くなり方してるか分からないよ」と言われ、確かにそうだなと思い至り。 結論、「たとえ今嫌な土地なのだとしても、そこで家族皆で幸せに暮らし、幸せな土地に昇華してやるぜ!」の気持ちになり、価格交渉をしてもらうよう…本日決めてきたところです。 そして、冒頭が長くなって申し訳ないのですが…ここからが本題でして💦 上記の件をまず父方の叔父に報告し、「祖母へ告知事項のことは伏せて、土地が決まった事を報告しようと思うのだが、どうかな?」と相談したところ。 「土地は怖いよ。代々祟るよ」「(決め手に関して)理屈としてはそうだけど、やはり俺とは気が合わない訳だ🤔まぁ当事者が良いならいいんじゃない?この話は言わないから、ばあさんには自分たちで言ったほうが良いね」と返信がありました。 叔父の言うように、自殺があった土地…というのは祟られるものですか? もしその土地が嫌な場所になっているのだとして…それは永遠に続きますか?お祓い等しても、そこで死んだ方、土地に救いはないのでしょうか? 私たちがその土地を見つけ、今こうして前向きに検討している…というのは、何かしらの縁があってのことなのでは?と希望的観測が拭えず。。 仏教の観点から、どう考えられるのか教えていただきたいです🙇‍♀️ ※地鎮祭、お祓いをした上で、家相にも気をつけた家を設計してもらう予定です。

有り難し有り難し 12
回答数回答 3
2026/01/13

経典の迷い

敬具 私は坐禅を実践しており、曹洞禅に深い敬意を抱いています。 禅においては、実践と師資相承が中心であることも理解しています。 しかし、大正蔵に収められている経典と曹洞禅との関係がよく分かりません。 ある経典は重視され、他の経典はより文脈的に扱われているように見えます。道元禅師自身も経典を拠り所とし、多くの経を引用しています。 もしすべての経典が同じ重みを持たないのであれば、好きな経典だけを選ぶことができてしまい、すべての経典の意味が失われてしまうのではないでしょうか。 具体的な例を挙げます。 曹洞禅では、倫理的な生活は十六条の菩薩戒に基づくと言われています。 しかし『優婆塞戒経』も、在家者の倫理について非常に詳細な規則を示しています。 同じ領域――ここでは在家の倫理――を扱う二つのテキストがある場合、実際の曹洞禅の修行では一方だけが実践されることになるのでしょうか。 もし一方が用いられるなら、もう一方は論理的に曹洞禅の中で教義的な役割を失うことになるのでしょうか。 他の宗教伝統には、比較的明確な文献的基盤があります。 たとえば、上座部仏教にはパーリ聖典があり、キリスト教には聖書があります。 では、曹洞禅においてそれに相当するものは何でしょうか。 経典に関して明確な枠組みや序列は存在するのでしょうか。 この無数に存在する経典を、どのように理解すればよいのでしょうか。 『優婆塞戒経』と菩薩戒の例を用いて、できるだけ明確で判断のはっきりしたご説明をいただけましたら、大変ありがたく存じます。 この問いは私にとって非常に重要です。 なぜなら、現代の曹洞禅の教えと、いくつかの経典が語る内容との間に緊張を感じているからです。 何卒ご教示を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 8
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