いつもお世話になっております。朝からネットで法話を聴いて いました。 「老いた人は邪魔にされ、病む人は嫌がられ。これが人生。 仏教の教えに通じる」 とお坊さんが言っていました。 老いることは止められない。病むこともどうしようもない。 私は発達障害があり、体にも影響が出てしまうので、ヘルプ マークを付けています。満員電車など、「座らせていただけませんか」 とお願いすることも多々あります。 私の主治医の先生や支援者さんは、 「差別的、排除的な考えを持つ人は、世の中でも一部だよ」 「障害、病気だからみんなから攻撃されるという考え方は、 とても損」 と言います。 私が尊敬するくられ先生も、 「人は、不健康な人を見ると恐怖を感じるように進化してきた」 と言っていました。 しかし、 「障害を負っている人たち。確かに、周りの人は違和感を抱く。 でも、勉強している人や知っている人は、理解してくれる」 と続けました。 くられ先生は、毒物学や生化学に詳しい科学ライターの先生です。 しかし、お坊さんはその法話で、 「檀家の90歳のおばあさんは、いつも笑顔で『おかげさま』『ありが とう』が口癖の人。そのため、町内でも人気」 と言っていました。 私も、席を譲ってくださった方には、飴玉を勧めるように しています。断られてしまいますが、お礼の気持ちです。 私は、周りの人を怖がらせている、不快にさせているの でしょうか?どうすれば、病んでいても老いていても、邪魔にされない 嫌がられない存在でいられるでしょうか?
お世話になっております。六波羅蜜の忍辱と因果応報について、合わせてお聞きしたいことがあります。六波羅蜜の忍辱の修行は、人それぞれの解釈というか、正解があると思います。僕は忍辱は、自分の考えかたや、捉えかたを、変えることだとは思います。ですから、僕に自因自果、というか悪因悪果の報いが現象化してきた時に、「それ」をどう捉えるかということを、意識して変えようとするのですがうまくいかないです。どうしても瞬間的な怒りが湧いてきて、そのまま精神を持っていかれたりするからです。さらに言えば、悪果が理不尽なことであればあるほど、何か月も思い出すたびに相手やその出来事を恨んだりしてしまいます。これは、僕自身が因果応報を心の底から信じられないよう所為な、己の無知の所為なのかもしれないです。ということは、因果応報を心の底から信じられるように、自分の解釈を変えられたら怒りや恨みが抑えられるのかもしれません。このように、自分の信念を変えることが忍辱なんでしょうか。
私は先祖代々◯◯◯◯宗なのですが、とある和尚さんとの出会いで真言宗に興味を持ち、真言宗を勉強しています。 月一で参拝するお寺も真言宗のお寺様です。 先祖代々◯◯◯◯宗でそのうち本家の仏壇なども私が見なくてはならないのですが、私は真言宗に改宗したいと考えています。 先祖代々◯◯◯◯宗なのに私の代で真言宗に改宗することは良くないことなのでしょうか? あと改宗するにはどうしたらよいのでしょうか? お寺様に行って改宗したい旨を伝えれば改宗はできるのでしょうか?
天台宗と真言宗の違いとは、何でしょうか?
仏教の修行というのは色々あると思いますが、特に孤独に修行に励むタイプの人たちって心が壊れたりしないんですか?逆に心が壊れない程度の修行だったら生温いのかなと思ったりもしますが、自己の内面においてどういう所まで行けば変化が生じるのだと思いますか? 世の中にはギリギリの精神状況で死んでいく人たちがたくさんいますが、阿弥陀如来を目指すような仏教徒たちというのはそういう人々の苦しみを理解すべく自らも苦しみと孤独の中に身を置いて修行しているのだと思いました。そうでなければ真に人生一般の普遍的な、かつ苦楽の深みみたいなところに到達できないと思ったのですが。
私は、罪深い人間です。 私は、人一倍欲望が強いです。 その上、頭も悪く、顔も悪く、器も小さく、喧嘩っ早く(知らない人に喧嘩売った経験あり)、ネガティブな思考で他人の不幸を喜んだり、嘘を付いたりする様な人間です。 小中学生の頃はクラスで浮いた存在になりたくなくて、優しそうな人を見つけてはその人を虐めてました。 他にもありますが今回は省きます。 こんな人間でも浄土に行く、或いは解脱は出来ますか? 地獄に堕ちる覚悟は出来てます。
私は小学5年生の頃にゲームで人を裏切りました。ギフトを送ってくれたら返すなどと言い、ギフトを送ってもらい,そのまま返さないでいました。最近はそのことを後悔し,1年前から裏切ってしまった人達に返すように努力をしました。しかし、そのゲームのアカウントが消えている方などには,お返しをすることが出来なく悔やんでいます。私が死後の世界について知ったのは裏切ってしまった後です。そのため,私は後悔し,そのアカウントで謝罪をしました。 質問です。 1そんな私は地獄に堕ちるのでしょうか 2地獄に堕ちることを避けれるのでしょうか? 3これからはどう生きていけば良いのでしょうか?
私は過去に父親からひどい虐待を受けて育ちました。その影響もあり精神疾患を持っています。 今は両親は離婚し虐待からは解放されましたが、過去のことが今も私を苦しめます。 毎日死にたいという気持ちがあり悩んでいます。 そんな気持ちから解放されたくて、最近尼僧侶に興味を抱きました。 尼僧侶になり神に支え修行すれば、過去のしがらみからも解放され、私らしく生きられるのでしょうか? 私は結婚をしていますが、出家しますと、もう家族とは会えないのでしょうか。 出家してから子供を持つことはいけないことでしょうか。 宗派を決める決め手はなんでしょうか。 教えていただきたいです。
いつもお世話になっています。前から気になっていたのですが、真言密教と天台密教はどういう違いがあるのでしょうか?経典も違うと聞きましたし、主神も違うと聞きました。教義とか概念とか難しい言葉になっても良いので教えて下さいませ。 追記 なぜかまだお答えをいただいていません。お答えお願いいたします。
日々神社仏閣へ参拝に出かけたいという気持ちが強いものの、北米(保守的な土地)に住んでいるためそのような環境がありません。 中華系のお寺はいくつかありますが、あまりウェルカムな雰囲気でなかったり、何となく禍々しい雰囲気が漂っていたりして、どこも気軽に出かけられる雰囲気ではありませんでした。また、いくつか教会に出かけたこともありますが、そちらも何となく自分とは合わないと思いました。 そのような場合に家でできることなど、信仰上のおすすめの方法などがありましたら教えてください。(朝晩の勤行は数年来しています) よろしくお願いします。
真言宗の三摩耶戒についての質問です 私の手元にあります勤行次第(檀信徒常用経典)には三摩耶戒という項目があります。 密教ならではの戒律のようですが、私は結縁灌頂を受けていませんがお唱えしても大丈夫でしょうか。 (毎日、勤行次第の順番通りにお唱えしています) ネットで調べたところ「心と仏と衆生は平等一如」みたいな教えのようですが、このへんも詳しく教えて頂けたらと思います。 それと素朴な疑問なのですが、どうして普賢菩薩さまと同じご真言なんでしょうか? いつも質問ばかりですいません。 よろしくお願いいたします。
いつもお世話になっております。最近気が付きました。 私は、色々な人に「私は仏教徒です」と言っていますが、 仏教徒らしい事を何一つしていない事に。 そして、せめて、十善戒くらいは守ろうと思い立ちました。 そこで疑問が生じました。 「何すればいいんだ…?」 生き物を殺さない(殺虫殺鼠より防虫防鼠)、物を盗まない。 悪口や乱暴な言葉を言わない。偽情報に惑わされず、正しい リテラシーを持つ。キレない(これが私の最難関)。他人も自分も 守るため、正しい性教育知識と、性処理方法を身につける。ケチらず 困って頑張ってる人に施す。嘘つかない。 ここまでは分かったのですが、「不両舌」「不綺語」の 解釈が難しいです。 ご教授のほど、よろしくお願いします。
いつもお世話になっています。長年の疑問ですが、テレビや本で霊能力者とかがよくサラッと言ってる守護霊の事ですが、いまいちその存在を信じられません。私の親も信じられないと生前言ってました。がその反面、虫の知らせ的な悪い予感的なもので事故やピンチを切り抜りぬけた事もあると言ってました。しかし、即それがイコール=守護霊とは考えてませんでした。私も同じくです。仏教には守護霊という教義や概念はあるのでしょうか?難しい話になっても構いませんので詳しくお答えお願いいたします。すみませんが納得しない場合もありますので気を悪くしないでくださいませ。
こんにちは。ちょっとだけ、質問させていただきます。六波羅蜜の一つ、忍辱は具体的に、どういった修行なのでしょうか?日頃のストレスに反発せずに耐えるみたいなことであってますか
つれづれなるままに小学館 日本古典文学全集 歎異抄を読んでみました。 さすが親鸞聖人、輪廻転生をどう逃れるか、その難しさを嘆いておられます。 歎異抄は「仏教の目的」を如実に示しています。 歎異抄(現代語訳) 第一部 三 ーーーすべての煩悩を身につけているわたしたちは、どんな修行によっても、生死を重ねる迷いの境地をのがれることができないことをーーーーー 五 ーーーそのわけは、あらゆる生き物は、すべてみな、過去のいずれかの世に生まれ変わり生まれ変わりした、いずれかの時の父母や兄弟だからです。ーーーーー 九ーーー限りなく遠い過去から今まで生まれ変わり死にかわってきた、苦悩に満ちた故郷ともいってよいこの世は捨てにくく、まだ往生していない、ーーーーー
現在60です。 最近、退職しました。これから浄土真宗本願寺派の僧侶になって、できたら死ぬまで僧侶として働きたいと考えてます。 まず、僧侶になるためには、得度を許可し所属寺になってくださる師僧さんを探さなくてはいけないこと、そしてそれがかなり大変なことは調べて分かりました。その難関をなんとかクリアーできたとして、その後の僧侶としての生活について教えて頂ければ嬉しいです。 どこかの所属寺に所属する教師僧侶になれたとして、その後、そのお寺に雇って頂くということをまず考えました。しかし、最近では、他人を雇うほど余裕のあるお寺はあまりないと考えました。そこで、自分でネット(イオンやお坊さん便)などを利用して、法事の機会を与えてもらいつつ、修行&生計を立てることができれば、色々良いのではないかと現在考えています。 そこで教えて頂きたいのですが、お坊さん便などを利用して、所属寺外で法事を営むことは、所属寺から許可してもらえるでしょうか?また、許可してもらえるとして、やはり収益の何割かをお礼として喜捨させて頂けば良いのでしょうか。 僧侶になることは真剣に考えています。そこから、生活できるくらいの収入をもちろん得たいと考えていますが(年金が少ないので)、残りの人生を他の人に貢献するために使い切りたいという気持ちが強くあります。ご相談頂ければ大変うれしいです。
悟りについて興味があります 現在は、「今、ここを生きる」というチベットのお坊様の書かれた本に従って、一日中マインドフルでいられるように精進しています 禅の本やテーラワーダの本、チベット仏教やボン教の本まで読みましたが、実際に現場にいる僧侶の方の体験を聞いてみたいです 「認識が止む」のような、なにかしらバチっとした特殊な体験が一度だけあるのか それとも徐々に深まっていくようなものなのか 宗派を問わずご教示くださったら幸いです
父兄は曹洞宗の住職、副住職の僧侶です。 寺族である母が亡くなりました。 その後四十九日、秋春のお彼岸、一周忌、新盆。 何も連絡がありません。 伯母や従姉妹達にも連絡はありません。 亡き母の誕生日に孫達が実家に集まる事も拒否されました。 理由を教えてくれる事もありません。 こちらからの連絡は直接してはならず弁護士を通すように伝えらています。 法要とは故人を偲び、残された遺族が悲しみをのり越えて生きていくために、心の折り合いをつける大切な仏教行事であると思っています。 その機会を尊敬していた僧侶である父兄に一方的に奪われて 驚きと理不尽さと不安で心がいっぱいです。 今年は三回忌になります。 たぶん連絡は来ないでしょう。 お寺で産まれ、一生をお寺の為に尽力した母があまりにも可哀想で不憫でなりません。 今後、僧侶として檀信徒の方々に何を布教していくのでしょうか。 僧侶も人間です。 間違いも犯すでしょう。 保身に走りたくなる気持ちも分かります。 でも、逃げずに向き合う時は必要です。 やってない。俺じゃない。知らない。覚えていない。分からない。 と逃げ回っていても誰も解決などしてくれません。 誤魔化し、嘘をつき、欺くことをやめて 自分の立場を自覚して誠心誠意、他者に対して心を尽くす事を 人して僧侶として今生を生きて欲しいと思っていますが、 無理な願いでしょうか。
1. 解脱=悟り=涅槃ですか? 2. 解脱とは実際にあることですか?なにか架空のことではないですか? 解脱がなにかわかっているわけでもなく、質問しています。 インターネットや本で調べたほうがよい内容ですが、よくわかりませんでした。
日蓮宗の信徒です。 幼少期より、朝夕の父の仏壇のお勤めを見て、方便品第二や寿量品第十六など自然と覚えておりました。 一昨年父が他界し、今は私が仏壇へのお勤めをしております。 その後、二十一、二十六、二十五、十二と徐々に読めるようになり、更に今まで知らなかった内容(意味)についてもYoutubeなどを見始めております。 二十八品全ての道のりは長いですが、敢えて順番を付けるとすると、次やその次とどのように勉強していけば良いのか、ご意見を頂けますと幸いです。 また、具体的に、次の時にはどの品を読まれているのかもご教授頂けますと幸いです。 今後、菩提寺様や久遠寺など、行事に参加する機会を増やしていきたく、その際にお上人様とご一緒に唱えられるものを増やしていければと思っています。 ・*周忌法要 ・御施餓鬼 ・立教開宗会 ・祥月命日 ・お葬式 ・その他、重要な行事 よろしくお願い申し上げます。