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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

2023/02/04

住職からのパワハラ

葬儀社に勤めています 先日通夜にて天台宗の若い二代目住職から怒鳴られました。 • いつもは式場前に車を横付けして、車から降りて来てドアをご自分で開けて仏具をお預かりしていました。 • しかし先日は車を縦に停めて、車内に10分程居たようなのです。 普通その場所には住職は車を停めませんので、会葬者のお迎えの車だと思っていました。 • 私は開式30分前から、出入口で会葬者の案内とその二代目住職が来るのを待っていました。 • その時には車は既に停車していました。 • すると突然、その車から二代目が降りて来て • 「あんた10分前からそこに居るよね、 車を覗かないの?こんなの初めてだよ、不愉快だ」と怒鳴りかかってきました。 • 自家用車で来られた住職はもちろん自分で車から降りてきます。 • 二代目は降りて来ないで私が気付くのを車内で10分程待っていたようなのです。 • 立場上、葬儀社は弱いですので3回謝罪の言葉を伝えましたし、荷物を預かろうとしたら、腕を振り払われ • 「あんたになんか持たせないよ」とまた怒鳴られました。 • 最後には「あんたは明日(告別式)は入らないで下さい。不愉快なので」と怒鳴りつけられました。 • 正直私も不愉快でしたので、同僚達に全て話して他の葬儀に入りました。 • 二代目は自分から車を降りてきませんでしたが、私達葬儀社に何を求めていたのでしょうか? • まだ30代後半~40代半ば位の二代目です。 • ご意見を宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 60
回答数回答 3
2023/01/31

真言宗の僧侶になるには

僧侶になる人の心構えを教えてください。 自身を修行の場に身を置き、一切言い訳や弱音を吐けない場所で仏教を学びながら、自分や周りの人生を仏教を学んだうえで豊かにしていけるのでは?と考えてます。 高野山の宿坊では宿業務の傍ら、僧侶になれます。と求人が出ております。 このような場所に身を置いて学ぶ事の想像が出来ませんが、どんな人間でもそれなりの精神的成長は見込めるものでしょうか? 今は都会で暮らしており、少し人生に疲れているところはあります。何事にも中途半端になってしまうところもあります。 ですが、高野山の宿坊を調べてるうちに、ピンキリとあり、結局のところお金が神様と考える資本主義の世の中から断ち切れるか?修行の場にも俗世の欲望や煩悩から切っても切れない場であるのか? 全ては自分次第だとは思いますが、何かアドバイス頂けたらと思います。 真言宗にしたのは高野山含めて昔から馴染みがあります。 あと人との関係性を築くのがあまり得意ではなく、大体独り行動が多くここまで来ました。医療系の仕事で業務の会話のみで成り立つ、女性に囲まれた環境が長かったです。 男性社会の人間関係はどのようなものかも実情を教えて頂けたら幸いです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2
2023/01/26

悲しんでいると成仏できないというのは

今回も、私のせいで苦しめた挙げ句に死なせてしまった犬ちゃんのことについてお伺いさせてください。 いつも本当にありがとうございます。 お坊様方からいただいた回答は 毎日、何度も何度も読み返しております。 そして相変わらず、毎日hasunohaのペット関連の問答、その他後悔や懺悔などの問答も読み尽くしております。 ペットに限らず、人間やその他の生き物にも言えることですが、 「残された人が悲しんでいると成仏できない」 「自責の念で苦しんでいる姿を亡くなった方は悲しんでいる」 と聞きます。 (実際私の以前の問答でもお坊様がそのように仰ってくださいました 本当にありがとうございます。) それなら前を向かないと、と救われる気持ちになりますが、 このような言葉は遺された者のためにあるのでしょうか? 私の場合は自分のせいで愛犬は病気になり、 そればかりかそんな病気の子を自分の愚かさと無知により更に苦しめ、挙げ句に死なせてしまったので 世の中のペットを失った飼い主さんや愛する人に先立たれた皆様とは全く違う立場なのですが。 「遺された方が前を向いて、気持ちを切り替えて生きていくためのお言葉」なのか知りたく質問させていただきました。 お忙しい中申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 36
回答数回答 2
2023/01/11

続・経木塔婆の名前が間違っていました

11月に『経木塔婆の名前が間違っていました』というご相談をさせていただいた続きです。 前の相談を簡単にまとめますと、昨年9月の彼岸より1か月のミニ塔婆の供養を近所のお坊さんにお願いしました。 11月を過ぎてからその経木塔婆が配送されてきたのですが、頼んだものすべてで名前が間違っておりました。 その旨連絡したところ、すぐに新しく作り直して送りなおしますとのことでした。 名前を間違えた古い塔婆はゴミとして捨てて構わないという回答や、問い合わせ時の対応が威圧的だったこと、加えてTwitterやyoutube、他SNSを毎日何度も更新しているのにどれもこれも供養の文字すら確認しないでやっていたのか・・・ということで、不信感が生まれました。 とはいえこれ以上揉めるのも嫌でしたので、我慢して送付してくださるのを今日まで待っておりました。 ところが、それから2か月近くたった年を明けた今日、お寺さんから封筒が届いたものを確認すると、新規のお札の申し込み書や、頼んでいない紙のお札が入っていました。 一瞬目が点になりました。 12月は師走でお坊さんは忙しいかと思い、連絡も控えておりましたが、すぐ送るとは・・・なんだったのでしょうか、と。 本日までこれ以外の連絡はございません。 前回も書いたのですが、ここまで供養の気持ちを踏みつけられると悲しさが勝ります。 本来昨年10月末には発送予定の塔婆です。 クレーマーになりたいわけではないのですが、どう伝えていいのかわかりません。 こんな気持ちで供養する方の塔婆は手元に置いておきたくないです。 かといってお金を返してとも思わないですが、こんな中途半端な供養を私が頼んだと思いたくありません。 見たくはないのでブロックしていますが、こちらのお坊さん、週に何度も長時間録画の人生相談等のyoutubeがあがり、毎日幾度となく更新した複数のアカウントのTwitter、テレビに出ました等の自己顕示系の内容ばかりが風のうわさで届きます。 仏様の教えの通り、諦観の気持ちをもって、他のお寺さんに経木塔婆のお焚き上げをお願いするしかないのでしょうか。 もう新しい経木塔婆は欲しくないです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1
2023/01/11

年が明けても何も変わらない・・・

いつも大変お世話になっております。 私にとって大好きな大切な父が他界してからもうすぐ9か月、悲しく寂しく辛く日々が過ぎていきます。 年明けから夢には良く出てきてくれて、今まで通りに自分の名前を呼んでくれて旅にも連れて行ってくれます。 ただ目が覚めると父の部屋に行っても寝室に行っても父がいない・・・ 私自身36歳です。よく悲しみは時間が癒してくれると聞きますが、むしろ逆でどんどん辛さ・悲しさが増している気がします。と同時になぜあの時にあのようなことを父に言ってしまったんだろう・・・など後悔もいろいろ(後悔がいろいろと出てきてしまうなんて、本当に自分自身最低だなと思います)・・・ 毎日父の骨壺に頬を合わせて「1日に数分だけでも良いから戻ってきて!それが無理なら1週間に1回、1か月に1回、何か月かに1回でもよいから切実に戻ってきて!」と涙が出そうになるのを堪えながら伝えたりしています・・・周りに誰もいないのを確認しながら歩きながら父に向って「お願いだから戻ってきて!」と言葉に出す時もしばしばです・・・ 南無阿弥陀仏、倶会一処と毎日起きた時、夕食前、寝る前と唱えていますが・・・ 夢の中でも今までと変わらず旅に連れて行ってくれる父、思い起こせば「今度日光東照宮にでも行こうか?」なんて話していて横浜からどう行くのが良いのかな?と話していた日がついこの前の出来事のような感覚です。 いつも夏場に有楽町へウナギを食べに連れて行ってくれて、それも楽しみでしたがその後の父とのショートトリップで川越や葛飾柴又、北千住などへ行ったあの時も本当に楽しかったし幸せでした。 でもそんな楽しくて幸せな時を当たり前と思ってしまうダメすぎる自分に本当に何と言い表せば良いのか・・・という感じです。 本当に一生のお願いで何か一つだけ叶うなら・・・父にとにかく戻ってきてほしいです!そしてまた母と3人で暮らしたいです。それが叶えば他に何も望むことなんてないです。それが無理なら母と早く父のところへ行って父と3人で暮らしたいです。大好きな父がいない世の中を生きていて心から楽しいこと、幸せなことなんて有り得ないです・・・ 全くまとまりのない文章で恐縮です。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1
2023/01/07

運動に執着していいか

釈尊は自己の体は虚しいものだし生老病死は必ず来るものですし執着する価値がないといってるように解釈しております。 また私は今1日8時間程度用事を作ったりして意識的に体を動かすなどをしています。 釈尊がいっているように執着で運動したところでいつかは病気になるんだし無意味だとしても出来るだけ医学が推奨するように執着的な健康な行動(ウォーキングや食事、プログラム的に体を動かす)などをしていったほうが単純に得ではないでしょうか。 お坊様方のような清い心を持っていれば運動も食事も自然に健康的になるとおもいますが、今!人格的に未熟で運動ができないため、執着的な運動をしてでも奇病や早期的病気や腰痛足痛などを予防することを釈尊は実際どう仰っていますでしょうか。 人格が未熟で運動できないのが原因で病気になったとしても気にとめないということでしょうか。 ブッダの言葉(どこかの記事でブッダの言葉で体を動かすことにかまけないことと見たことがあります。)や一部動画ででてるような説法を聞いてもいまいち理解できていない状況です。 そもそもの私の解釈の違いなどがあればぜひともお教え頂ければと思います。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1
2023/01/04

前住職の横領行為について

前住職夫婦の横領行為について 住職ですが、お寺から少し離れたところに住んでいます。   これまでの住職が高齢になり、身内に後継ができなかったことから、新しい住職夫婦として他のところから来ました。 寺の掃除も、一生懸命やっています。汚かった寺もきれいになったと、檀家様からお声がけ頂けたときは嬉しいです。   しかし、前住職夫妻はずっと寺に居座っていて、新しい住職夫妻は1年以上、マンションから通わされています。   ただ、最近前住職夫妻が急に引っ越しをしたため、お寺に行っては、前住職が残していった粗大ゴミを処分したり、、と、本来の寺の寺務もできない程に酷い惨状で、通いながらなので心がつらくなってきました。。お陰様で前に比べ、少しずつお寺もきれいになってきて、檀家様達からはありがとうと言って頂けていることが唯一の救いです。   問題は、他の檀家仲間の間でも既に噂になってしまっているようなのですが、前住職夫婦が引っ越しをした際に、お寺の運営や経理に関わる檀家さんのリストや、パソコンのデータ、会計の元帳等も昨年の分から過去の分何十年分と、全て処分して立ち去ったようです。   もちろん、年会費や寄付金など、年間300万くらいの寄付金がお寺には残っていません。つけるべきものを会計につけず、自分の懐に入れていたようです。在任期間で計算すると1億円以上は無申告の脱税、着服、といった横領をしていたことになります。何度も税務署も入り、重加算税を課せられてます。   いくら高齢とはいえ、失望しかありません。   真面目にやろうとしても、お供物やお賽銭が消え、とてもやりづらいです。   前住職が決めた総代?達はいまだに前住職寄りで、前住職には1億円近い多額の退職金も支払ったそうですが、引退した前住職には今後も固定給を出すようにと、新しい住職に言って困らせています。   今後のお寺を守るためにと一生懸命やっめいますが、もう辞めた方が良いのではないかとすら思えてきます。私自身は力もなく、何もできずですが、住職である夫にはどうしてあげるのが良いのでしょうか。   他のお寺さんでもこの様な事例はありますか?お寺の世界ではこれがふつうなんですか?横領、脱税、隠蔽をした場合のお咎めはないのでしょうか?

有り難し有り難し 54
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