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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 怒り」

検索結果: 6369件
2024/06/09

父との生活に限界です

父は、診断はされてませんが精神科に相談に行ったところなんらかの発達障害がある可能性が高い。と言われました。 母の代ではそういった情報がほとんどなく「ヒモ」や「変わった人」と言う言葉で片付けられていたと思います。 父は、仕事が続かず(同じことしか出来ない、人の気持ちが分からないため共同作業が出来ない等、またギャンブル依存症でもありました)母が大黒柱で働いていました。 もちろん、そんな状態ですので年金も少なく弟が実家に戻り、私も事情があり実家に戻っていますが耳が聞こえないのもあり会話が更に一方的になっています。 口を開けばお金の無心で、思い通りにならないと「くそっ!」と暴言を吐いたり無視をしてきます。 さんざん、ギャンブルの借金をして母を苦しめ、叔母達が生きている頃もお金の無心、今度は私達にお金の無心で、正直消えて欲しい、縁を切りたいくらいの怒りに変わっています。 もう、弟も怒りが限界で話し合いができない父とはただの同居人と化している状態です。 私自身、父といると聞こえてくるため息、不意の舌打ち、具合悪そうに顔を覆うなど聞こえたり見たりすると胸が苦しくなりイライラや不安感が強くなり心が休まりません。 ただ、弟だけに押し付けられず(実家に戻った時、家はほこりだらけ、トイレとお風呂は掃除されてないほど汚れていました) 時々、もう疲れて消えたくなる気持ちになります。 生きてる以上、父を捨てる事もできず苦しいです。 宜しくお願いします。

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親戚の子供に葬儀を荒らされた時

自分は長い間1人っ子の1人親で2人暮らしをしていました。 そしてその親の葬儀での事です。   葬儀の日が近くなった時、元々来る予定でなかった、遠縁の家族が参列するとの連絡が入りました。   そして当日になって、その家族が時間に遅れるという連絡が入りました。それ自体は仕方のない事だったので、お坊さんに伝えたところ時間を調整してくださる事になりました。   そしてその家族が到着し、葬儀が始まりました。するとその家族の子供が騒ぎながらあちこちを歩き回り始めました。 子供が来る事は分かっていたし、そちらの親族は大人がかなり多いので自分はそこで面倒をみてくれると勝手に考えていました。実際は子供が騒ぐままにさせて歩き回らせていました。 自分はただでさえ悲しみでいっぱいなのを堪えてきていて、しかも喪主でしたから、ただ子供が大人しくしてくれる事と誰かが面倒をみてくれる事を祈りながら黙って座っていました。子供が仏具にぶつかって倒しかけた時は気が遠くなりました。 自分は人の居ないところで訳も分からず泣く事しかできませんでした。 葬儀がひと段落したところで、そちらの家族に近い親族に、「子供が騒いだけど 〇〇さんの葬儀も語り出してお経止めた人が居たよね」と言われました。ただの世間話だったかもですが、その時の自分はまるで「よくある事だから許してね」と言われたように感じました。自分が悲しんだところでもう味方は居ないような気になりました。   「子供のした事だから」「今後も親戚付き合いがあるから」と感情を抑えながらなんとかその家族達を笑顔で送り出そうとしました。コロナでマスクをしていて本当に良かったと思いました。 この事について謝罪を送ってきたのはその子供の祖母に当たる人だけです。 後で聞いたところ、この家族は遊びに行った帰りに葬儀に参列した過程で遅れて来たそうです。それを聞いたせいでしょうか、親の葬儀をアトラクションの延長にされたような気持ちになりました。   自分はどうするのが正解だったのか分かりません。自分が上手くやっていたらこんな事にはならなかったと自分を責めたくなります。 そしてその家族と、その周囲への怒りも湧いてきます。どうしたら良かったのでしょうか。そしてどうやってこの怒りを消化したら良いですか。 知見をお貸しくださると幸いです。

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2023/01/11

憎しみや恨みについて解せません

憎しみや恨みの感情を持つのは、それ程誰かから酷く傷つけられ、心が病むほど深く悲しみ、余程耐え難い事があったからだと思います。それなのに、被害を受けた方が、自分で悲しさや心の傷を癒せずに相手を憎んでしまうと、怒りという煩悩に負けて一番不幸になり、結局被害を受けた方が悪いのでしょうか。相手を傷つけた方は、傷つけたことすら理解する気もなく、忘れて、何にも囚われずに今を楽しく生きられて素晴らしいのでしょうか。 恨みや憎しみの裏側には、きっとその相手に同じことを体感して自分がしたことを理解して悔いて欲しいという思いがあるのだと思います。でも、傷つけるような人がそんな考えに至ることもないだろうし、空虚な願いというか…だから制裁が加わってほしいとか、因果応報はないの?とか、どうして理解すら、同じ苦しみを味わうことすらないの?とか思いが膨らんでしまうのだと思います。 恨みを抱える方も、そうしたいわけではなく、悲しすぎて自動的に反芻してしまったり、反芻することにうんざりしたり、そんな風に生きていると心が一杯になって、新しい幸せや喜びを心に入れる隙間やキャッチするアンテナがなくなっていく事もわかって辛くなったり…。でもそれでも悲しみが大きすぎて止められなくて、時間が流れていき、自分だけが悲しみの中に取り残されていく焦りがどんどん溜まり、それでも昇華できないから憎んでしまうんだと思います。 でもそれって原点に帰れば元々それだけ傷つける行為を相手がしなければ起こらなかったことですよね?ではなぜ被った方が、その原因に対する第1段階の悲しみと、憎しみが増殖していく第2段階の悲しみと、"憎しみや恨みを持つなんて良くない"と抜け出せない自分が悪いような罪悪感と何重苦も抱えて、人を傷つけた方がお気楽に人生を楽しめるのでしょう。だとしたら、人の事なんて気にも止めず、我を通して相手が傷つこうが傷つくまいが知ったことかとやりたい放題やって楽しく生きられるのが良しなんでしょうか。それが道理なら虚しすぎます。 それとも何があっても人生そんな事もあるよねと水に流し、次の瞬間には忘れてハッピーに!とか、比較することでもないのに、もっと恵まれない人だっているから幸せなのよとか、もしくは自分の知らない前世で罪を犯したのだから全てを甘んじて受け入れて下さいなんて言うことなんでしょうか。どう考えたら良いのでしょう…

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お客様からの暴言を受けて

初めて相談させていただきます。 仕事に関することで、お客様からの暴言に大変苦しんでいます。 私は営業職として働いているのですが、精神的に病んでいるお客様から受けたクレームが度を超えるもので(電話やLINEでの罵倒)、特に、異常なほど大量に送られてきたLINEがフラッシュバックして、仕事が手につかなくなってしまい、私は休職せざるを得ない状況になってしまいました。 相手が主張することについて、こちらには全く心当たりがありません。 お客様のそもそもの怒りの引き金は、私とは全く関係のないところにあるのですが、会社に対する不満がだんだんと私個人への攻撃に変わっていったようです。 ずっと真面目に働いてきたにもかかわらず、今までの職業人生、ひいては人生そのものを否定するような言葉を浴びせられ、精神的にかなりのダメージを負ってしまいました。 私は現在うつ病で通院治療をしており、回復途中で今回のトラブルに見舞われました。 会社の上司や同僚からは、相手が相手だから気にしないように(電話口で呂律が回っていないなど、正常なコミュニケーションが取れない状態でした)、とフォローしてもらったのですが、気にしないようにと言われても、そう簡単にできることではありません。 警察や弁護士に相談することも考えました。しかし、大事にすることで更に精神的な負担がかかるかもしれないと思うと、行動に移せませんでした。 警察や弁護士でなくてもどなたか社外の方に話を聞いてもらい、何かしらの解決の糸口を見つけたいという思いで、今回相談をさせていただきました。 今後、私はどうするべきなのでしょうか? やりきれない思いを抱えながら、怒りや恐怖を我慢して生きていかなければならないのでしょうか? アドバイスを頂けますと幸いです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 14
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「赦す」ということについての質問

宗教・宗派を超えて、聖職者・宗教指導者は異口同音に「人を赦せ」といいますよね。 私も、ここで別件で質問させていただいた際、御回答いただいた師から、やはり加害者を赦すようにと御指導いただきました。 理論上・理屈上、理解できますし、私に御指導していただいた師の御指導道理に努力します。 しかし・・・・・ ふと思いました。 犯罪・不正・いじめ・暴力・嫌がらせとかをやったヤカラを赦した際、これらのヤカラが、自身が課外をやった被害者から赦されたことによって、自分のやった悪行を自覚し、悔い改め、反省し、更生するのであれば、赦し甲斐があり、赦す意義があるというものでしょうが、反省もすることなく、まだ悪行を続けている場合は、いったいどうなんでしょうか? 仏陀は、赦しを受けても悪行を続けるガンダダ(『クモの糸」に登場する悪人」)みたいなヤカラを、どう御覧になっているのでしょうか? 以前別件で相談させていただいた、私に三年間にわたって嫌がらせ・侮辱し続けたヤカラは、いまだに私に対して一切謝罪・弁解・弁明も30年経ってもしてきませんが。 私の件はさておき、赦してやった者が、悪行を続けているということを、僧侶の師の各位は、仏教的・宗教家的見地から、いかがご覧になられているのでしょうか?

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