2024/02/27先祖供養について
お世話になっております。
種々の僧侶様が、先祖供養の重要性を説いていらっしゃいます。
「布施」の概念だったり、施餓鬼における「回向」の概念だったり、先祖による「守護」の概念だったり、「滅罪生善」の概念だったり…。
素晴らしいと思います。
祈願が叶わないときには、まずは回向をと言われる方もいらっしゃいます。
それほどまでに供養・回向というものは仏教にとって重要な概念かと思います。
私自身もお寺に供養をお願いしたり、施餓鬼を申し込んだりしております。
ですがその際、少し疑問が生じるのです。
①「●●家先祖代々の霊位」だけで仏さまに通じるのか?同姓同名がたくさんいるなかで、どこの「●●家」なのか特定する必要はないのか?というものです。
ここには、一応「自身の思いがあれば特定はそれでよい。仏さまはわかってくれる。」と解釈していますが、それでよいのでしょうか。
②もう1点、上記①がそれでよいとすると、専ら供養の本質は「供養したい」という施主の主観によるものになると思いますが、そうすると、世間を騒がせている霊感商法まがいの「壺を買って先祖供養」などのものも、施主が「供養したい」という思いから出ているため、実際に功徳は生じ、回向されるものなのでしょうか?
(もちろん、この結論とは別に、社会悪として霊感商法は駆逐されるべきですが。)
法外な値段をとるかどうか、供養の動機付けが恐怖心に漬け込むものなのかどうかは別として、霊感商法もお寺での供養も「施主の思いをかたちにする」という意味では変わりはないのではないかとも考えてしまいます。
これに関しては、お寺では「如法」という確立した方法論があるという結論になるのでしょうか。
決して先祖供養を否定するつもりはないのですが、どうもそのところが腑に落ちません。
有り難し 6
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