待つことは仏教でも大事ですか?
前の話と似たような内容なのですが、同じ職業(画家)の好きな人と疎遠になっています。
母親曰く「待て」と言われてます。
向こうの方が立場が上なので、まずは実力をつけろと言われてます。会うのはそれからでもいいだろうと。
私の中に、なんでこんなに頑張らないといけないんだ、という焦る気持ちと、
頑張って違った新しい自分という土俵でまたお会いできたらという気持ちがあります。
焦っている時、イライラして家族にも邪見にされるときがあります。
また逆におろおろしまってもっとゆっくり物事を進めなさいともいわれます。
親の言うことは正しいと思っているのにイラっとすることもあります。
でも待ちながらそれが正解だと感じることもあります。
画家の仲間が増えて、みんな同年代の人は凄く苦労されてその中でも夢に向かってひたむきに頑張っている。中には同業者に貶されている人もいる方もいますしバイトしながら、別の仕事をしながら頑張っている人も。
年上の人達は年上の人たちでライバルがいて、年下の人たちに追い上げられそうになる中、孤高に取り組んでいる方もみられます。
もっと年上の人は本当に素晴らしい絵を描くのに、それでも絵の事で悩んでいる人も見ました。
私も貶されたり叱咤されたこともありますが、励まされたり期待されたりしながらやってていて、しかも家族も一応応援はしてくれてるので救われてる方だなと思います。仲間の話をネットや現実で聴くのもためになっています。
そういう人たちを見てると、その人がきっかけで待っていた縁のパワーって侮れないなと感じました。
仕事を極めるというのは難しいですね。
もっとゆったりとした心で仕事や日常に向かい、精進したいと思ってますが、
中々できない自分に悩んでます。でももっと視野を広げて縁のパワーを広げたら、いつかまたその人に仕事を通じて出会えるんじゃないか、同業者として支えられるぐらいの力が持てるんじゃないかという不思議な気持ちがしています。
こういう待つ縁の話は、仏教のお話にもあったりしますか?
有り難し 18
回答 2