hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 死にたい」
検索結果: 9578件

最近知った故人を好きになった

こんにちは、よろしくお願い致します。 ちょっと特殊な悩みかもしれませんが、お話聞いていただけたら幸いです。 私は最近、友達からとある俳優さんの存在を教えてもらいました。その俳優さんは病気で既に亡くなっていて、来年で七回忌になります。 初めは友達の話を聞いているだけでしたが、興味を持って自分でいろいろ調べているうちに、その人柄や仕事に対する姿勢など、とても素晴らしい人だったことを知りました。 亡くなった原因となった病気も、本来であれば軽傷で済んだものを、仕事に対する考え方を貫き通した故に悪化を招いたとのことでした。 私は心の底から「本当に惜しい人を亡くしてしまったんだな」と思いました。 また、彼の恋人も彼の後に不慮の事故で亡くなってしまったとのことで、その事実を知ったことで輪をかけて切なくなってしまいました。 自分の身内でもなんでもないのに、最近本気で「どうして死んでしまったんだろう」という後悔のような本当に落ち込んでしまっています… (仮にご存命だったとしても、私と彼らになんの接点もないのですが) お墓参りでも出来れば良いのでしょうが知る由もなく、ネット上にあるバーチャルお墓参りのようなサイトで、お花とお線香を手向けています。 どうしたら、この落ち込みから回復して元気になれるのでしょうか。

有り難し有り難し 26
回答数回答 1
2023/03/12

何もせずに、消え去りたいです。

生きる気力がわきません。 自営業をやっていましたが、うまくいかずに、心理的に疲弊して、何もかも放り出して、車に乗って逃避してしまいました。 年老いた両親に心配をかけて、捜索願を出されて、見つけ出されて、すごすご実家に戻ってきています。 借金が1200万円あります。 死んでしまいたいと思うのですが、死に切れる自信がなく、 どこまでも中途半端な自分に絶望をしています。 生きて戻ったことを喜び、今後の自分の人生を一緒に考えてくれる両親には申し訳なく、死んでしまいたいと思う気持ちを伝えることができないでいます。 甘えてしまえば、おそらく、仕事の後処理や、借金の返済など、両親は協力をしてくれて、新しい人生をやり直すスタートラインにはつけるのだろうと思います。 ただ、私自身今までの人生を振り返って、 ここまで自堕落で、救いようのない自分の性分に、心底嫌気がさしています。 車で逃亡した際に、死んでしまおうという気持ちもあったのですが、 死ぬ勇気すらなかった。 こんな自分に、こんな優しくありがたい両親の気持ちが申し訳なく、 なのに、心を入れ替えられる自信もない。 死ぬことを選択した場合の、両親の悲しみを想像してしまうと、 再度、逃げ出すことを選べずにいる。 この状態から逃れられる考え方をご教授いただけないでしょうか。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

自殺した彼のお母さんに恨まれている

半年前に彼が首つり自殺しました。第一発見者は、私でした。 発見した時にパニックになり何処に連絡して良いか判断出来ずにとりあえず警察に連絡してそこから救急車を呼んでもらいました。 救急車が来る間、警察の人の指示により心臓マッサージをしたりしましたが駄目でした。 それから体調を崩し手汗の発汗や震え目眩でなんとかお通夜には行ったのですが、お葬式には行けず寝込んでしまいました。 薬を服用しながら半年生活してきましたが、突然彼のお母さんが警察から私の連絡先を聞いて連絡してきて、貴方を恨みに思うと・・・ 普通は警察より先に救急車を呼ぶもんでしょう?と 貴方は息子が死んだことが分かってたから一番に警察に電話したんでしょう。とか色々2時間程責め立てられ息子を死に追いやったと言われつずけられました。 私も彼が何故自殺をしたか理由が全く分からず薬を服用しながらなんとか生活しているのに彼の母親にそこまで責められなければいけないのか理解不能な日々をすごしています。 あとお通夜の時にパニック状態だったので気がつかなかたのですが、お葬式に行った知人が最近教えてくれたのですが、お金が無いとの理由でお通夜もお葬式もお坊さんを呼ばず戒名もなく入るお墓が無いとのことで家にそのまま居るらしいのですが彼は成仏して仏様になっているのでしょうか? 目に見えないことなので私には分かりませんが、死因がどうであれ供養されない状態でも全ての人は皆成仏して仏様になれるのでしょうか? あと私の祖母が小さい時から自分にとって理不尽なことに出くわした時、それはお天道様からの気ずかせなんだからとよく言われてきたのですが、今回こんような体験をしたのは、私の何かが悪かったからでしょうか? 彼は私と出会わなければまだ元気に生きていたのでしょうか?

有り難し有り難し 92
回答数回答 3

最底辺が、自慢の大事な娘になりたい。

私は人生を通して友人が一人もおらず、母と祖母だけが頼りで、唯一遊んでくれる人でした。 冗談ではなく、この2人としか話したことがありません。本当です。 店員さんとも話せないレベルです。 二人の認知症や植物状態、死亡が怖くてたまりません。一緒にいたいです。 大好きなんです。 なのに、中学生の頃は不登校で家にこもり、「死ね」「消えろ」等の暴言や、暴力も振るってしまいました。 私はダメな娘です。 私は今、通信制の高校に在学していますが、卒業できるかも怪しい状況です。 進学や就職は以ての外で。 中学の勉強からやり直しています。 最悪ですね。でも、好きだと言ってくれるんです。ゴミなので甘えてしまいます。 自慢できる、後悔しない、かわいい。 そんな子供・孫になりたいです。 二人のどちらかがいない世界は生きれないと思います。 二人共いないと死にますね。 想像して眠れなくなってしまい、最近はほぼ寝ていません。 ご飯も一日一回に減りました。 今のうちに感謝を伝えたいですし、甘えたい、遊びたい、話したいです。 きっとまた、同じ質問をすると思います。 何をどうしたらいいのか、わかりません。 自慢の大事な娘になりたいんです。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2
2022/08/13

自死は幸せなことなのでしょうか。

こんにちは。 うつ病を患っていて、精神科に通院中です。 時折、とても強い希死念慮に襲われます。 その度に処方された薬を飲んで、逃げるように眠ります。 私は父を自死で亡くしていて、娘の私もその選択をしようとしているのです。 現状は確かに辛いのですが、死ぬほどのことなのかと言われるとそうでもない気もするし、けれど確かに「死にたい」「消えてしまいたい」「死ななければ」という思いもあるのです。 子どもはかわいいはずなのに、今は成長を喜ぶことが精一杯で、世話はほとんどを母に任せてしまっています。 私がいなくてもきっと、子どもは育っていくのでしょう。 無責任なのは十分に承知していますが、もう疲れてしまいました。 いつもいつも、ギリギリのところでなんとか生きてきたような、綱渡りをしてきたような感じがします。 自死した父は、今幸せなのでしょうか。 自死する私は、後悔するでしょうか。 とりとめのない文で申し訳ありません。 なにかお言葉を頂けるとありがたいです。 子どもは3人、下の子は双子です。 夫とは離婚を前提とした別居中。 過去に実家族から性暴力を受けていました。(今もたまにあります)

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

こんな自分は夫に失礼だと感じてしいます

双極性障害を発症し10年になります。 夫はずっと支えてくれて13年の交際を経て結婚しました。 荒れた家庭と幼い頃のいじめと、思春期以降の恵まれた学校生活の間で精神的に不安定になり、丁度大学に進学する頃に気持ち的に破綻という言葉がぴったりな状況になりました。 何度も病院を変え、ようやく鬱病から躁うつ病との診断に変わり、治療の変更で一旦は持ち直し、希望する職種に就くこともできました。 夫とも結婚し、これからという時期に再発。 退職し、数ヶ月の休養後に急いで再就職したところ、大幅に悪化。 もはや日常的に外出することもできなくなり、再度退職しました。 今は何とか家事だけはこなす毎日です。 昔から何となく精神的にもたない、大人になるまで自分で命を絶ってしまうだろうと思っていました。 でも、治療が変化し、欲まみれのがんじがらめの状態から脱したことで、就職・結婚まですることができました。 でも、再発後、今度は欲がなさすぎることで治療の意思、社会復帰の望みも全て持てなくなりました。 今はただただ無意味な毎日を過ごすだけ。 夫は家事も立派な仕事、いてくれるだけで幸せと言ってくれます。 夫の言葉が嘘ではないこともわかりますし、両親もそれを望んでいます。 でも、私の気持ちが変わらないのです。 最近はこれでも、就職して考え方が大人になった、リアリストになったとも言われますが、それは全て損得で考えてしまうから。 他人の言葉が届かないのは、昔から自分とその他大勢と思ってしまうから。 本当によくしてくれた夫に対して、毎日家事ありがとうといわれる度に気がおかしくなりそうです。 もう働くこともできず、ただただ老いて、死ぬのを待つだけの自分に何の価値があるのでしょう。 特効薬のような魔法の言葉があるなんて思っていません。 ただ、このまま生き続けることが必要なのでしたら、鎮痛剤のような、対処療法でもいいの教えていただけたらと思います。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

彼の死=仕事

彼が突然亡くなり もうすぐ49日。 突然の死から 今日まで 涙のない日など なく 只々 生きてる日々です。 自分が死んだらラクになるとさえ 思う日々 1つ どうしても答えが出せない問題があり ここに 書かせて頂きました。 副業で週末 仕事をしております。 勤務地は彼の生活していた街 歩いて数分な距離で 仕事が終われば 彼の自宅へ行き 一緒に過ごす 週末を 送っていました。 彼も たまーに ぶらりと来て 差入れを してくれ 後でね!と 帰って行く。 彼と出会う前から この仕事はしていましたが 付き合ってからの3年は 彼に会う為に 仕事を入れていました。 私の中で 仕事=彼 の週末でした。 彼と出会った街 最後の彼を見送ったのも この街。 鮮明に 覚えています。 それだけに 仕事だと 割り切って行けるほど 私は追い付かず 彼の亡くなった日から お休みしています。 続けることが 彼への供養にもなり 喜んでくれるのかなぁ?と思う気持ちも あり どうしたら いいのか分かりません。 私だけの気持ちだけで 言えば その街へ行くのは 鮮明に 思い出す 彼のいない事実を突きつけられる のだと。 逃げたいのかもしれません。 亡くなった事は 分かっていても 仕事に行けば 彼に会えると思って しまう私がいます。 色々と考えていたら 死にたい。 彼がいなくなった今 その街へ行き仕事を 笑顔で こなす力がありません。 副業が亡くなっても 生活はしていけます。 彼の為に 頑張り続けるのがいいでしようか お導きが ありしたら と思い 書かせて頂きました。

有り難し有り難し 27
回答数回答 1

母を助けてください

母子家庭の高校生です。 母方の家系は霊感?というものがあるらしく 曽祖母も祖母も母も霊と呼ばれるものが見えるそうです。 私は幼い頃は見えていたようですが今はあまり信じていません。 とりわけ母は見る力?が強いらしく今でもよく何かが見えるそうです。何かによって今まで良くない目にあったこともあるそうです。 ここから本題に入ります。 私の母は幼い頃からほぼ毎日悪夢を見ています。 化け物が出てきて、夢の中で殺されたら 実際に死んでしまうと言われて襲いかかられる夢だそうです。その夢の中でまだ幼い母は自分がいつ死ぬかを告げられたそうなのです。 その「自分の死ぬ日」というのは 母の誕生日でもある10月6日なのです。 今年のです。 先ほど母から「自分は近々死ぬ、あなたを幸せにできたかな?」 といったようなメールが来ました。 母は夢で告げられた死を信じきっています。 そんなことあるわけないと私は母に何度か言ってみましたが 幼い頃からほぼ毎日のように刷り込まれてきた死の印象には太刀打ちできません。 夢で言われた通りに死ぬ、なんてことあるはずが ないと言いながら、私も多少信じてしまっている部分もあります。 本当にその日に母が死んでしまうかもしれないと考えると怖いのです。 せめてその日は母の側にいたいのですが、部活の大会があり遠くに行ってしまいます。 何かあっても私にはどうすることも出来ません。 こういった事もあって「何かが母を守るものを引き離しているんじゃないか」と非現実的なことを考えてしまいます。 私1人じゃどうすることも出来ません。 母は正直生きることを諦めているような感じがします。 それに先ほども述べましたが母は今までにそういった霊や不思議な力?でひどい目にあったこともあるそうなので今回も抗う気が無さそうです。 私はこんなことで母が死ぬと思いたくありません。でも例えばその日にもし母が事故にでも遭ったとしたら生きようと救急車を呼んだりせずに死を受け入れてしまったりしそうで怖いのです。 母を失いたくありません。 私はどうしたら良いのでしょう。 助けてください。

有り難し有り難し 41
回答数回答 2

どうしてそんなに生命を軽く扱うんですか?

生来の体質ゆえに普通の人と同じような人生を送ってこなかった私ですが、十代の頃から長いあいだ「希死念慮」という死神に貼り付かれてきました。死ぬほうが楽なことは一杯ある。いままでそれに負けなかったのはひたすらに自分自身に負けたくない気持ちゆえにです。子供の頃からずっと「死」について考えてきました。 私は特定の信仰を持ちませんが、なんとなく「生かされている」という気がしています。 「お天道様が見ている」というのに近いかな? この「お天道さま」は誰も人が見ていなくても非道なことをすると罰を与えます。「天罰」というやつですね。 大事故で九死に一生を得て助かる人もいますし、大災害で亡くなる方もあれば、奇跡的に助かる方もおられます。特に東日本大震災のような災害で、本当にわずかな差で生死を分けた人の話を聞いたりすると、本当に不思議な気持ちになります。 なにが運命を分けたのかわかりませんが、私はこう考えてしまいます。「助かった人は生き延びてまだやるべきことがあったんだ」と。 不幸にして亡くなられて、遺族に大きな悲しみを残された無念の死を迎えた人も、その大きな犠牲によって、多くの人に訴えるものがあって、改善のきっかけになったこともあるし、遺族がその人の分も力強く生きていこうとする力の源になったのかもしれないなあ…とも…。 すべて私が勝手に思っているだけのことですが、だからこの世に「無駄な生命」はひとつもないのです。天命だか運命だか、寿命がある人はその時まで、生き延びる運命にあるかもしれないし、短く定められた寿命の人は普通なら大丈夫、くらいのわずかなことで命を落とされることもあります。 …だから、私も、生きているということは自分なりの役目があるから生きているんだと思っています。それがちゃんと出来てからじゃないと死ねないかもしれません。 黒柳徹子さんのエピソード。ユニセフの仕事で「寿命があるなら大丈夫だから」と地雷原にずんずん入っていかれるという話。単に無謀とは違って黒柳さんの中にも「生かされて生きている」感覚が強かったんじゃないでしょうか。 生きているうちはこの世での役目があって、それが完了するのが死ぬ時。自分勝手に途中で投げ出したら、それまでの苦労も無駄になりますよね。 相談ではなくてすみません。一度しかない人生、大切にしていただきたい切なる願いです。

有り難し有り難し 26
回答数回答 2