2022/12/20奉仕活動で解脱を目指すこと
私はバガヴァッド・ギーターというインドの聖典が大好きで、その中に「奉仕活動によって解脱ができる。それは行よりも有効な手段」という記述があります。私の夢は解脱とみんなが幸せな世界であり、そのためにボランティア、人助け、世界のためになる選択肢を選ぶことが大好きです。
しかし、達磨大師はこう言われました。功徳(つまり私でいう、解脱を目的としていること)のために寺を建築したり写経したりしても新たな煩悩を生むだけであり無功徳であると。これは、解脱という利己的な目的を持って人を助けたり救ったところで自分は何も得られるものがない、ということなのでしょうか。
奉仕活動によって解脱を目指すというのはシク教やヒンドゥー教的な考え方のはずで、確かに私は若い頃にいっぱい罪を犯したためその分、誰かを助けたり誰かの役に立ったりよりよい世界を作るために努力することは損得を抜きとして心から大好きです。しかし、その先で自分も解脱したいという利己的な抱きがあるのもまた事実です。
私のしていることは、解脱を目指す上で無駄なのでしょうか? 私の行いで誰かが喜びを味わったり救われたりしているので、それは決して無駄なことではないのは確かなはずです。しかし、やはり達磨大師のおっしゃられたことにも一理あるので、そこがずっと引っかかっているのです。例え自分に得が無くとも、奉仕活動自体は好きなのでそのスタンスは崩さないつもりです。
私はちゃんと正しい方向へ進めているでしょうか? よろしくお願いいたします
有り難し 34
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