人が利己的な存在であるのならば
あらゆる人間が皆利己的な存在であるのならば、あらゆる善行と思われてきたものはその実錯覚に過ぎず、人間は皆偽善と悪に満ちた存在なのではないでしょうか。
そして感情で物事を判断する事が悪しきものならば、機械や計算機のような論理的に判断する事が善きものではないでしょうか。
自分は機械のような、無機質で、感情などというものがなく、自分すらもない存在になりたいのです。
それすらも感情で判断している事を知っていながらも、それでもそうなりたいのです。
それ故か、自分はこうも苦しいのです。
それは物事を自らの都合に立てて見て、それが実現しないから苦しくなっているのでしょうか。
或いは実現したとしても、苦しい事に変わりはないのでしょうか。
いっそのこと、全てに諦めをつければそれで済むかもしれませんが…。
有り難し 11
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