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問答一覧

大多数に嫌われ、嘘の噂話も流されて困っています

私はいつも大多数に嫌われてしまいます 前は人の顔色をうかがいすぎてあまり自己主張が出来ない無口に近い性格でした 気の強い、意見の強い人に攻撃的内容(嘘の話をでっち上げられて)をつきつけられ、事情を知らない人からも 「そんな人だとは思わなかった!」 「そんなことするんだ!」 と疑われてから、少しずつ自分の意見、自分というものを出しつつも、人を見て 「この人は…付き合いづらいかも」 と思った人とはあまり関わらないよう、少し警戒気味になっていました それでも仲良くなろうとコミュニケーションをとり、相手の話を聞いて、適度に自分の話もし 相談をされればどちらかに完全に味方せず 客観的視点で話をしたりと、いろいろ考えて動いていたのですが もともと仲がよく、けれど喧嘩や性格の不一致から縁が切れた人を中心に 「こんなことをされた!」 「この人ありえない!」 と話が広められ、いろんな人から距離をとられたりあることないこと言われたりされてしまいます (私の大事なものを傷つける発言や、嫌なことをされたりしたのでそれを話しても、笑って流したり真剣に聞いてもらえないなど、理由があっての縁を切る、だったのですが 完全に私が加害者、相手が被害者の図式が出来上がってしまっていて…荒れてしまう、まわりを巻き込まないように、実際嘘が混じっていても、私も相手を傷つけた部分はあるだろうし…と黙っていると噂がどんどん広まる状況です) けれど、必ず少数ですが、私を見て、肩入れしすぎずその人の判断でそばに残り、好いてくれてる人もいるのですが この人生ですでに3度ほどあり、やはり私の性格が悪いのだろうか 好いてくれてる人にも不安を与えてしまうしどうしたらいいのだろうかと悩んでおります 戸惑いながらの書き込みになり、わかりづらかったらすいません

有り難し有り難し 51
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今、生きることがとても辛いです

私は小さい頃から周りの目を気にする性格で、 学校での生活や人の多い所で変に緊張してしまい軽いパニックを起こすことがよくあります。 主にいうと、吐き気、腹痛、めまい、動悸などです。 この症状が出ることによって、学校へ行くのが怖くなり不登校気味になったこともありました。 (今は行っています) しかし最近、食後に吐き気や頭痛、腹痛などもするようになって思うように食事が喉を通りませんでした。 過去にも同じようなことがあったため、母に相談したところ精神的なものだろうと言われました。 でも、母に不調を伝えると、「都合のいい時だけ親を使わないで」「あんたが自分で自分の首をしめてるだけ」「もうこれ以上お母さんを苦しめないで」「毎回あんたのせいで…」 と言われました。 私はただ、普通に生きていたいだけなのにそれすらも母を不幸にしているんでしょうか。 私は誰かに助けを求めることも許されないんでしょうか。 私だって辛い、苦しい、痛い。なのに、違う人まで巻き込んでしまう。 どうして生きる道を塞がれるのでしょうか。 母の言葉がとても痛いです。あんな風にまた言われるかと思うと苦しいです。 でも、そんな風に言わせる自分が一番嫌いです。 私はなぜこんなにも弱いんでしょうか。 なぜ自分で自分を傷つけてしまうのでしょうか。 ただがむしゃらに前を向いて歩いているだけなのに、私の心はなぜ分かってくれないんですか。 吐きそうになりながらも、頑張って学校行ってる。 この症状から5年も我慢して来たのになんでずっと私に付きまとうんですか。 そしてなぜ、今の自分を他人に否定されなきゃいけないんですか。 こんなに苦しい位なら早く楽になりたいと思うのはおかしいですか、、。

有り難し有り難し 5
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おはちさんと、仏壇について

実家も嫁ぎ先も浄土真宗です。 結婚前、実家では毎日朝晩仏壇へお参りしていました。おはちさんを朝食前にお供えし、領解文を唱える祖父の後ろで手を合わせて、感謝を込めて、一緒に南無阿弥陀仏を唱えます。夕飯前も同様にお参りしたあと、おはちさんをさげていました。 今日久しぶりに、留守をする両親の代わりに愛犬の世話のため、実家へ泊まってます。 この春三回忌を迎えた祖父がしていたように、枯れかけていたお花を替えたり、お線香を供えてお念仏を唱えて手を合わせ、昔のようにおはちさんを供えました。 そこで、ふと疑問に思ったのですが…おはちさん、1日お供えしていたら、ご飯が傷むんじゃ…と思いました。本来、1日お供えするものなのか、それとも早めにさげていいものなのかなと思いました。どうするのがよいのでしょう? それと、私達夫婦の住んでる家には、仏壇がありません。幼い頃から朝晩参ってきたのですが、結婚してからは、お仏壇に手を合わせるのは、主人の実家や自分の実家だけになりました。 結婚以降、この家で亡くなった人はいません。この場合、仏壇は置かない方がよいのでしょうか?もしくは、仏壇の代わりになにか置いたりしたほうがよいものですか? 頂き物をしたら、仏壇にお供えしたり、朝晩のお勤めしたり…そういう習慣のなかで暮らしてきたので、結婚した後からずっと気になっています。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 25
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煩悩も欲も消さなくていい。

煩悩も欲も消そうとする必要はない。この世の理(ことわり)だから。 煩悩や欲はありのままの心の在り方であり、決して消えるものではなく、そのままを受け入れることでその縛りから解き放たれる。 辛い苦しい悔しい腹立たしいだけでなく、ありがとうと感謝の言葉を発することも、何か良いことをするという徳を積む行動も、お念仏さえ煩悩や欲のひとつである。煩悩と欲は人として生きるには逃れられないものである。 また、煩悩は108あるという。言葉遊びではあるが永遠(とわ)とも読める。 これは、煩悩や欲などはこの世の時空間が始まる時から(科学的にはビッグバンか)終わるまでの限られた「永遠」という中に存在することを意味する。 煩悩がこの世の物理的な法則決まりごと、欲が化学結合などを起こすエネルギーとして考えるなら納得してもらえる人もいるだろう。宗教や哲学、科学などは人のごく限られた能力の中で作られたものであり、大した差はない。 別の世、違う時空間には違った煩悩や欲があるだろう。 人は人としてこの世に産まれる前から生命体(あるいは物質)として遥か昔から存在し、煩悩と欲のおかげを受けながら、産まれてからだけでなく、死んだ後も物質やエネルギーとして森羅万象の中で存在しつづける。 自分とは?自分はなぜ?ということに捕らわれず、今の状態、周りの言動はその存在を認め、自分の感情をはじめ、他人の行動や起こった出来事は仕方がないと赦して労わり、その経験をありがたしと感謝しながら、経験を活かして自分の趣くままに行動する。 そうして、普遍的に存在する煩悩や欲にも感謝しながら、うまく活用できれば、自ずとこの世も極楽と気づくことができる。 悟ることができて仏になるであろう。

有り難し有り難し 11
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人生に納得できません

いつも、ありがとうございます。 今日は 友達の人生について質問させて下さい。 中学時代からの仲良しの友達があっけなく亡くなってしまいました。 結婚してから嫁ぎ先が自営業なので、ほんとにほんとに苦労して友達はお手伝いさんみたいに家族のために働きずくめでした。 昔、自分のお父さんのお通夜さえも一晩でも一緒にいる事も出来ず、仕事のために泣く泣く帰らなくてはならずに… 旦那さんは全く何にもできなく、しない人で全部友達まかせで… 旦那さんが起こした事故で地域からは、いつまでも噂のタネになり お義母さんにもすごく苦労して、お小遣いさえも貰えずお金に苦労して …それなのに …お義母さんが亡くなって、これから少し自由になり、好きな事できるな〜って思ってたのに 一年も経たずに、がんであっけなく亡くなってしまいました。 そんな人生ってありますか? 苦労した次には幸せな事が訪れるものだと信じてました。 老後は早く年金貰って、のんびり過ごしたいっていつも言ってたのに。 苦労ばかりで、嫌なことばかりで、それで人生が終わってしまうなんて… 凄く悲しいです。 まだまだ これから楽しみたいって言ってたのに 心の整理ができません。 お坊さまの考えを聞かせて下さい。よろしくお願います。

有り難し有り難し 9
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また人に嫌われてしまった…。

お世話になっています。 先日も人間関係について、こちらで相談に乗っていただいたのですが、やはり急に変わることは難しくて…。また心を痛めるようなことがあったので、相談させて頂きたいです。 しばらく疎遠になっていた知人達が、私のことを嫌っているようです。 元々私はあるコミュニティー属していたのですが、3か月ほど前に、そのコミュニティーでの活動に個人的に区切りを付けたいと思い、脱けることにしました。 その後もそのコミュニティーの人々とは、ある人とはそこそこ関わったり、またある人とは全然関わらなかったりと、密接ではありませんが、決して仲が悪い感じではありませんでした。 しかし先日、そこのコミュニティーの数人が、私を嫌い始めたことに気づきました。個人が特定されてしまうようなことが絡むので詳細は省かせて頂きますが、私の思い違いなどでがありません。明らかに私を無視していますし、実際に人づてに「◯◯がお前のこと嫌ってるみたいだよ」とも聞きました。 ある人に至っては、私のことを「怖い」とか「一緒に居たくない」とか言っていたらしいのに、その割に普通に話しかけてきます。もう意味がわかりません。逆にこっちが怖いです。 直接的に、その人たちが嫌がるようなことをした覚えは全くありません。変化したことは、関わりが薄くなったことだけです…。 ただ、嫌われるのは嫌な癖に人付き合いがしんどい性格で、そのコミュニティーに属していた時も、正直そんなにそこの人たちに親近感を抱いていたわけではなく、軽い付き合い程度で関わっていたのですが、もしかしたらそういう態度が表に出てしまっていて、疎遠になったことでそれに対する相手方の不快感が爆発したんじゃないかなぁ…と思っています。 嫌われない人なんていない、仕方ないことだ、とは何とか割り切ってはいますが、それでもやっぱり嫌われると傷つきます。もう人間関係疲れました…。できれば1人でいたいけど、独りにはなりたくないんです…。嫌われたくはないです、でもそれは無理だと分かっています…。どうしたら嫌われても気にしないでいられるような、強い心を手にできるでしょうか…。

有り難し有り難し 9
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精神やられて帰ってきてしまった 死ぬのでしょうか?

東京に住んで仕事探しに行ったのですが、今週帰ってきました。 東京で働いていた期間はたったの5ヶ月くらいでそれ以外はほとんど仕送りで生活していました。 なんかつかれたので帰ってきてしまいました MRIで見た脳には白いモヤがあり、最近は精神もおかしくなっています。 心気症で病気を疑うことがあり、帰る当日自分の手の色を見ていたら病気何じゃないかと不安になり、動悸があって手が一気に冷たくなり 過呼吸になって苦しくなったので救急車呼んでもらいました。 私は副交感神経が敏感で怖いと震えが止まりません 帰るまで時間があったので 血液検査やレントゲンや心電図をやりました。 心電図には不静脈?が隠れていることがわかりました(心臓が悪いわけじゃない) ショックでした。 脳と心臓を気にしながら生きるのが怖いです。 うつも隠れてる気がします、マイナスな事ばっか考えてたからこんなことになるのかなあ? 怖いです、怖いです 健康が全てということはわかっていましたが 今回でより強く実感しました。 地元に仕事あるかわかりません、車も動悸を引き起こしそうで怖いです どうすればいいんだろう、眠りに落ちる瞬間が怖くて目が覚めてしまう、死んでしまいそうだからです

有り難し有り難し 35
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どうしても浄土真宗のお経をネガティブな解釈してしまう

どうもこんばんは 以前からの質問を見ていただければ分かると思うのですが、無量寿経の41願について「信心決定したものは諸根が具足する。だから諸根の具足していない者は救われない」といった解釈に気を取られて、ずっともんもんとしておりました それで、ハスノハでお坊様の意見を聞いたり、本で調べたりしたところ、「その解釈ではみな救うと誓っている18願の誓いが守られないからそれは我々に関係のない菩薩様への願だ」「十住以上の菩薩様は三悪道に堕ちることがないので、浄土を願わないものもいる。そうした聖道門の方々を浄土門へ引き入れるための願」「諸根ケツルというのは念仏という大道を知らないこと。哲学者や聖道門の方々も名号を聞くことで諸根具足することができる」「42願~48願を見ると、他方国土の諸菩薩というのは名号を聞くとただちに三昧を得るような方々であるので、われわれには関係のない願」「そもそも障害というのは実体的なものではない」「身体に不自由がないというのは、浄土へ行くのに不自由がないこと」という頭では合点できるような説明がたくさんありました。ハスノハの皆さん、ありがとうございました。 けれども「けれども」なんです…。「もしも」41願が念仏者が諸根具足するという願だとしたら、体の弱い自分は救われないかもしれない…。と、この「もしも」が頭から離れないのです。おそらくこれは、阿弥陀様への疑いと、自力のはからいでもって、このような状況になっているのだと思います。 この「もしも」というのを消す方法はないでしょうか…。そんな上手い方法はないとは思いますが、なんか愚痴みたいになっちゃいました、すみません。阿弥陀様を疑ってしまい、お経をネガティブに解釈してしまう自分がいる。それが悩みです。

有り難し有り難し 51
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