同居に限界を感じています
結婚と同時に主人の母親と同居にして今年で29年目になります。
最初の頃は出来るだけ姑に親切にしようと頑張ってきましたが、実はそれが結局自分の首を絞めることなのだと、15年程経った頃にようやく理解して、今は必要以外の事は喋らず行わずの日々です。
「自分の首を絞める」のはどうしてかと言えば、親切にした状態が姑にとっての「当たり前」になり「もっと」を要求されるからです。それが繰り返されればこちらに無理を強いられる状態が続き、結局諍いに発展してしまいます。
何がどう嫌なのかと聞かれても嫌な事が多すぎていちいち書くのも思いだすのも辛いのですが、とにかく欲が深くてケチなくせに、こちらの負担になる電気水道の無駄遣いは酷いし、とにかく「自分のもの」への執着が強いです。
例えば長年、玄関の下駄箱は姑一人だけのものでした。大きな下駄箱に姑が40年近く前からの靴などを一杯入れて私たちには使わせてくれません。
私が持ってきた小さな下駄箱が二階の階段上に置いてあるのでそれを使いますがいちいち仕舞いにいくのも面倒なので玄関先は靴で溢れていました。
半年ほど前に玄関に置いた鍵がなくなり散々探した挙句、姑が下駄箱に架けたまま1年以上放置している傘の中に入っていました。
更に無くしたままの車のスペアキーも傘の中から出てきたのを見て、少し反省したのか、下駄箱のホンの一部(5足ぐらい分)を空けてくれました。しかしその「傘」は自分のものではない、と言い張ります。
自分の物に執着はあるものの、自分の非は絶対に認めたくないのです。
普段は全く正常なのですが、季節の変わり目に突然不思議な事を言いだして
私に難癖をつけます。(姑の押し入れに私が不要な布団を入れたとか。実は要らなくなった姑自身のコタツ布団です。ホットカーペットにしたのでコタツは処分しました。)
食事へのコダワリも強く、姑に合わせた食事作りにも苛立ちます。娘が作ると「要らん」と言ってカップ麺を食べたりするので娘も姑が嫌いです。娘の料理は
まずい訳ではありません。
「娘の作った食事を食べてあげることは、娘を育てる事になるんだから、例えまずくても食べる事が親やバアさんの愛情なんじゃないの?私の祖母は私が作った料理を文句も言わず食べてくれたけど」と言いましたが無駄のようです。
同居が何年続くのかと思うとやりきれません。
有り難し 21
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