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hasunoha 問答検索結果 : 「 復讐 」
検索結果: 370件

詐欺に遭いました どうすれば前向きに生きていけますか?

長年、メンターと尊敬していた人物が詐欺師でした。 母と私の合わせて70年分の貯金を全て騙し盗られました。 パワハラで会社を辞めたい時期に、「お母さんと3人で株の運用会社を作ろう」という話になり、設立後3年もたってから、詐欺師が一円のお金も出していないことが判明しました。その後、会社は勝手に解散しています。 何度も相談した警察には「詐欺師が有能すぎて、刑事事件にできない」と言われました。 弁護士も変え、「民事で訴えることができる」という先生に出会いましたが、費用がまず200万必要で、ためらっています。 死にたいほど後悔している事は、「娘には絶対に老後の迷惑をかけない」と決めて、人生を楽しむこともなく貯金した母のお金のほとんどを、馬鹿な私の為に盗られたことです。 何とか生活は出来ていますし、母に弁済もしていますが、「あのお金があったら、母はもっと豊かな生活が出来ている。あそこにも行けて、あれも買えて・・・」と、いつも、いつも苦しいです。 母は強い人で「お金は心の安心につながっていた。でも無くなったものは仕方ない。人に相談するのも恥ずかしいことなので、もうあきらめよう」と、言ってくれています。責められることもありません。 私に万が一の事があった場合の生命保険の金額も、母の生活が何とかなる金額になりました。支払いに回していたお金を、母との楽しみに使いたいと思っていますが、弁済よりも母の老化は早く悲しいです。 弁護士料に200万は使えません。あれば、それは母の為に使いたいです。しかし、弁護士に払えたら、無念が晴れそうです。 詐欺師がされて嫌なことを逡巡し、「いつか、孫に取り返しのつかない重傷を負わせ、嘆き苦しむ息子の姿を見て苦しめ!」と思います。 私の母の苦労を知りながら、赤子の手をひねるように騙した詐欺師が許せないのです。(私は詐欺師と男女関係ではありません) 私が無知で馬鹿で浅はかだったために詐欺に遭い、母に心労をかけているにも関わらず、時折、母に優しくなれない自分がいます。情けなくて消えてしまいたくなりますが、母を置いては死ねません。 前を向いて、仕事をして、時々母と旅行もして楽しく暮らそうと思いながら、「民事で訴えたい・もう立ち直れない・一人身になったら、孫に重傷を負わせたい」と思います。 心をどう持てばよろしいでしょうか?お願いします。

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虐待

私の父は社会的地位のある人です。 しかし、私は幼い頃から厳し過ぎるしつけをされ、今思うと、虐待ではないかと思います。 幼い頃は、言葉遣いを誤ったり、口を滑らしたりという事は誰にでもあると思うのですが、他人にしつけが悪いと思われたくなかったのか、父は人前でよく怒鳴りました。家に帰ると、お前のせいで恥をかいた、と言って殴られました。 また、あくびやクシャミ、物に躓いたり、子供なら笑ってしまう何でもない事でも、笑うと、 『何がおかしいのか?』と言って殴られました。 冗談を言っても通じず、殴られました。殴られるとき、避けたり頭や顔を手で覆うと、卑怯だといって余計に何十発も殴られました。小学生の頃、一度走って逃げましたが、捕まって首を締められました。母が叫んだので、助かりました。 大人になってから知ったのですが、父は子供の頃チックがあり、からかわれていたそうで、笑われる事に敏感になっていたようです。 今になって思えば、父も若かったし、自分の怒りをコントロール出来なかったのかも知れません。また、子供のしつけ方が分からなかったのかもしれません。 父に殴られている間、母はいつも見て見ぬふりでしたか、大人になってから、あの頃は自分が殴られたら嫌だから助けられなかったと言って謝ってくれました。 私は今ほとんど笑わず、笑うことが罪の様に感じる性格になってしまっていて、人の冗談も、笑っても大丈夫か考えてからでないと笑えません。 テレビのバラエティ番組を見ても、人の欠点や失敗を笑いにしていることが多いので、見ていて怖くなります。 学生の頃から、面白くない、なんか真面目すぎる、とか言われ、心から友達と呼べる人は誰もいません。笑ってあげた方がいい軽い失敗なども、よく考えてからでないと、怖くて笑えないのです。 社会人になってからは実家にはあまり帰っていません。両親に会いたいとは思わないのです。 父は社会に貢献する仕事をしてきて、今でも世間からは立派な人だと思われています。いくら父が立派な仕事をしても、本当はそんな立派な人間ではないと私だけが思っています。 父に虐待されていた事を誰かに打ち明けたいのですが、そんなに親しい人もいないので、お坊さまに知っていただきたくて、書かせていただきました。 心の中の苦しさを軽くする方法かありましたらアドバイスをお願い致します。

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住職の方から傷付くことを言われました

初めまして。 お寺のこと、お坊さんのこと、あまり詳しくないため的外れなことを書いていたら申し訳ございません。 今年の1月に祖父が亡くなりました。 百か日法要の際、親族が集まる中、元気にハキハキとお坊さんはこう仰いました。 「いやー妹さんは美人でスラッとしてる!お姉さんはー…残念だけども!」 この言葉を聞いた時、私は呆気に取られてしまいました。 ただ目の前のお坊さんは楽しそうにそう仰っていたので、つい愛想笑いで返してしまいました。 私は間違いなく怒るべきでした。 その場の雰囲気に流されて愛想笑いをしてしまったため、お坊さんもそれが悪いことと分からず今後も同じことを繰り返すのだと思います。 残念と言われた事がずっと頭から離れません。 かといって綺麗になるため頑張ろう!と思っても、次にそのお坊さんに会った時「自分の一言で変わった」と思わせるのも癪です。 次は一周忌でそのお坊さんと会うことになります。 また見た目をからかわれるかと思うと、行きたくないと心から思います。 またそ思ってしまうことを祖父に対して申し訳なくも思います。 こういうお坊さんにお灸を据えるにはビシッと言うしかないですよね。 ただ今後付き合っていく親族に対してお坊さんからのあたりが強くなっても困るし…でも私は傷付いたし…と考えがまとまりません。 私一人が我慢し続ければ丸く収まるのだなという考えに悲しくもなります。 私はどうしたら良いのでしょうか。

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ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 71
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