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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 死にたい」
検索結果: 9574件
2023/07/07

親の二の舞(続・安楽死所望)

前回と似た内容で、申し訳ありません。 親の二の舞を演じるのが明白なのに、生きていく意味があるのでしょうか? 生まれてから今日に至るまでの現実体験を踏まえれば、DNA(遺伝子)の問題であるのは、間違いありません。 具体例を1つ。 「歯茎が、お父ちゃんと同じやなぁ・・・」 初診時に、現在も通院しているかかりつけの歯科医から、言われたセリフです。父も診てもらっていたので、事実なのでしょう。 今、上の前歯がぐらついて、いつ抜けるかわからない状態です。私の歯と歯茎の状態は、その歯科医の「予想した通り」の経過をたどっています。 その他、親の二の舞の具体例には、枚挙にいとまがありません。 ところで、2019年の参議院議員選挙(比例代表)で、政治団体「安楽死を考える日本の会(安楽会)」が、候補者を立てていました。 結果は、得票数26万9,051票(得票率0.54%)で、議席獲得はなりませんでした。昨年(2022年)の同選挙では、安楽会は候補者を立てていませんでした。 日本では、安楽死の問題を議論する雰囲気は、「微塵もない」ようです。 生き方を熱く語る著名人・有識者は、星の数ほどいますが、「死に方」を論じる著名人・有識者は、私の知る限りでは「皆無」ですね。人は、いつか必ず死ぬというのに・・・。 前回の質問文中にも書きましたが、読売新聞社あてに出した投書は、ことごとく「無視」されました。 とっくの昔に、心は折れてます。 体が思うように動きません。 体のあちこちが痛みます。 もともと弱かった心臓も、さらに悪化しています。 身も心もボロボロです。 お金もありません。 何かあった時に、助けてくれる人もいません。 死んでも、白骨化するまで、誰にも発見されないでしょう。 父の七回忌までは、まだ生きている意味もありますが、それが済めば、本当に終わりです。これらを踏まえれば、やはり「安楽死所望」です。 今後の予測がついているのに、それでも、生き続けなければならないのでしょうか?

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最悪に備えるって?

私は、仕事に限らず、プライベートなことでも、想定出来る範囲のことはすべて考えて対策・準備するようにしています。 想定外の出来事に対面すると動揺して冷静な判断は難しくなるでしょうから、少しでも多くのことを想定しておけば、準備万端であり、心に余裕を持って物事に対処出来ます。 それでも、想定外の出来事は起きるでしょうが、そのことだけに集中して対応することが出来ます。 しかし、スピリチュアル系の知人に言わせると、「最悪の場合を考えるとそれが実現してしまうから、絶対にマイナス系は考えない」と言います。 最終的なことは、人智が及ばない神仏のみが知る部分があるとは思いますが、小さな日常的なことまで、すべて、「その場その場の状況次第」というのはどうなのでしょうか? 最悪を想像して落ち込むのではなく、対策を練るために想像することは良くないのでしょうか? 1つの出来事で、本番1回だけの経験から学ぶよりも、事前練習で10パターンの対応を考えることの方が、より多くの学びが出来ると思うのは違うのでしょうか? 限られた命の中で、より多くのことを学び・経験したいと思うからこそ、自分の出来事だけでなく、世間を騒がせる事件などでも、「もし私が当事者だったら、どうするのか?」などを考えるのは、仏教的に良くないことなのでしょうか?

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逃げてはだめなのでしょうか

今、生きていることが苦痛です。 耐えられないほど苦しいわけではないのに、毎日暗い気持ちで、気づけば一日が終わり、無理に笑っては情けなくて涙が出ます。 家族と楽しい話がしたいのに、気づけばひねくれた物言いをしてしまう、仕事が辛いといえば、今は頑張るしかないと言われ、支えてくれているにもかかわらず、わたしのことをわかってくれる人はいない!とまた一人の部屋に来てしまう。 今年の春から小学校教員として働いています。業務は時間内には終わりません。わたしのやる速度が遅いからです。自分ではその時々での全力を出しているつもりですが、それは他の方と比べたら微々たる力で、とても頑張っているようには見えないと思います。自分じゃなくてもよい業務はやっていただくことばかりです。それも申し訳なく、終わらない仕事にも落ち込み、色々な対応もうまくいかずできないことばかり。 向いていない、辞めてしまいたいと思います。 でもそれは無責任で、自分が楽になるだけで他の人を悲しませます。それなら、なんとか一年だけでも、と思いますが、それでもやはり、色々な人に迷惑をかけ、家族にも頼らなくてはいけなくなります。 それなら、死んでしまうしか逃げ道はないのではないかと思っています。 今は、自転車で通勤する途中、だれか車で轢いてくれないだろうか、と思っています。色々なことを、「(もうすぐ死ぬから)これは使わないままにしておこう」というように、死ぬ前提で考えています。 家族には申し訳なくて、でもこのまま生きるのでは何のために生きているのかわからなくて、むなしくて、それならもう辞めてしまいたいと思うのです。 本当は、仕事を辞めて、自分が明るくなれる道を探すとか、いまの仕事をなんとか楽しくできるように頑張るとか、方法はあると思います。だけど、そのために頑張る力が、もう出ません。それを伝えれば言い訳だと甘えだと言われるから、死んで思い知らせてやりたいと思うのです。 でも結局、死ぬことはできず、ただ自分が悲しいだけでずるずると生き続けるのだと思います。家族と居られる時間もどれくらいかわからない、結婚したいと言ってくれる恋人もいる、楽しく生きられるはずなのに、楽しく生きられません。全ての悩みは仕事を始めてからです。何度相談しても、まだ3ヶ月だから、まだ半年だから、もうちょっとと言われます。 逃げてはだめなのでしょうか。

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2022/10/21

死と病気への恐怖

入院中、薬品のアナフィラキシーショックで「死ぬかもしれない」と思う体験をしてから、近く自分が死ぬのではないかとものすごい恐怖に襲われパニックになります。 あの闇に呑まれるのではないかという感覚、ある程度年齢を重ねれば違うのかも知れないけど、わたしはまだ若く、もし万が一そのようなことになったらまだまだやり残したこと(やりたいこと)、叶えたい夢、思いがたくさんありとても強く、不安や恐怖も人一倍強いため、死ぬのは物凄く恐く苦しいだろうと想像してしまい、どうしようもなく辛いです。気になって過去、今のわたしと同じくらいで闘病して亡くなった方のドキュメントなどを見てしまい、余計ものすごく恐ろしく感じました。 入院中の体験から3ヶ月ほど経ち、体験そのものの記憶は薄れつつありますが、どうしてこんなにも恐怖が根強く残っているのか、自分の体のことが気になってしまってもし万が一○○(怖い病名)だったらどうしようといても立ってもいられないほど怖くなります。わたしは死にたくないです、怖い病気には絶対なりたくないし、手遅れの状態はもっと嫌です。 毎晩目が覚めてしまい、不安が押し寄せてきてとても恐くなります。不安が収まりません、 どうぞ宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 10
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