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hasunoha 問答検索結果 : 「 霊 」
検索結果: 939件

昔人を呪い、今悪霊にとりつかれています

こんにちは。 中学だったか高校の時、人間関係の苦しみから人を呪い、自分の幸せを願いました。 その人は私の願ったとおり怪我をしたり部活が変わったりしました。 私は今夫もいて、いろいろあって彼を好きだけど愛せずにはいます、 しかし、物質的には幸せで、困ることはありません。ある意味幸せをつかみました。 ただ、自分の願ったとおり幸せになったので、怖くなり人に見てもらったところ 低級霊の悪霊と契約してしまっているといわれました。多分神社仏閣などのお祓いでは祓えないといわれました。 もし、カルマをなくしたいなら、ボランティアとか寄付などして見ると少しは軽減されるかもしれないともいわれました。 悪霊は、私の健康と寿命を引き換えに契約したそうで、確かに今私は精神的病と糖尿病を患っており、思い当たるふしがあります。 今はもう呪いもしていませんが、契約は続いているそうです。 どうしたら、この状況を打破できるでしょうか? 一応寄付などはしていますが、ボランティアをやる気力が今はなく落ち込んでいます。 何かそういったものを取り除くお経や方法などありますでしょうか? 呪いをしてしまったこと今とても反省しています。 どうかご教授ください

有り難し有り難し 51
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亭主関白、モラハラ夫

2年前に当時6才の私の子供を連れて再婚しました。主人は子育て関して厳しく、お前の子育ては間違っているろくでもない子供俺が子供の心をおっとく❗❗と言い放ち厳しいしつけ小言が多く息子はパパ怒ってばかりで嫌、怒ってばかりで褒める事は全然しないねと私が板挟みです。私はどちらかと言うと褒めて育て上げたい方針なので考え方の違いや私を育ててくれた両親に対しても出来損なえがっ、っと主人に言われます。とにかく日々怒る怒鳴るばかりの主人で、お前みたいなバツイチ子持ちの女と結婚してやったんだから俺の言う事絶対に聞くのは当たり前だ❗❗俺の言う事が聞けないなら出て行け❗俺は赤ちゃんがほしくて結婚したのにお前は中々赤ちゃんが出来ない年内に赤ちゃんが出来なかったら離婚だと言われました。お姑さんからも、息子は赤ちゃんがほしくて結婚したのに❗他の人達だったら、あんたみたいなバツイチ子持ちとの結婚絶対に親が反対するわ❗私は何も反対せんかったでしょう❗と凄い荒々しい声で怒鳴られました。お姑さんの言葉に私は深く傷ついてしまいもう義理実家に行きたくないと私が言ったら、主人がお前は俺の家に嫁いできた嫁だろうが❗嫌とか関係ない❗俺の実家に行きたくないなら離婚だ❗と事ある事に離婚だとか、出ていけと言われます。1度スイッチが入ったら感情のコントロールが出来ない人で怒鳴るのを辞めてと私が何度言っても聞く耳も持たずに顔を真っ赤にして怒鳴り続けてもう手におえません。怒りが治まった時にさっき、あなたこんな事を言ってたよ。と私が言っても、主人はえっ、俺そんな事言ってないよ。と記憶にないみたいです。怒らない時と怒った時の人が別人で人格が2つあるのかと思う位別人です。夫婦とは修行と聞いた事がありますが、この怒鳴られる試練を乗り越えたら夫婦円満になれるのでしょうか?人生出会う人には全て自分にとって意味があると思うのですが、この怒鳴られる夫との修行も私の魂の成長の為の試練なのでしょうか?夫婦の修行とは何年位で終わるのでしょうか?心身共に疲れ果てて離婚しようか、このまま我慢して結婚生活続けるか迷っています。怒ってばかりは先祖供養や、霊など関係してるんでしょうか?食事も子供より自分に一番多くおかずを出せ❗ととにかく何事にも俺が一番だ❗俺が偉いんだ❗の一点張りです。夫は亭主関白なのか、自己愛なのか。。もう私も疲れました

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愛猫の供養について教えてください

愛猫が亡くなり、もうすぐ4カ月が経とうとしています。 私が離れがたいのと、納骨について迷っていたために、四十九日も百カ日も納骨せぬまま今に至ります。 まず、以前何かで「いつまでも死んだ猫の骨を手元に置いたり、寂しいとか思っていると成仏できずに化け猫になってしまう」という文章を見たことがあるのですが、本当でしょうか。 今でもつい「もっとこうしていれば、今も生きてくれていたかも」と後悔したり、「●●ちゃんがいなくなって寂しいね。天国から会いに来てくれるかな」と息子と話したりしてしまいます。 離れがたくて納骨していないと言っておきながら、死後しばらく経ってからはお参りもお供えも毎日はしておらず、たまにお線香をあげて手を合わせたり、食べ物や花をお供えしたりするだけです。 供養という面では、人間が仏壇にご飯やお茶をお供えするのと同じようにするほうがよいのでしょうか。 缶詰をお皿に盛って置くこともありますが「仏さんに肉や魚というのもどうなんだろう」と考えたり、もう死んでしまったのにあげても仕方ないなと虚しく感じたりしてしまいます。 私の願いは、愛猫が次生まれ変わる時まで天国でのびのびと幸せに過ごしてほしいということ。そしてもし望んでくれるならば、生まれ変わったらまた私たちとともに、今度はもっと長く幸せに暮らしてほしいということです。 ペット供養をなさっているお寺は、近くに3軒ほどあります。合同のお墓に毎日お経をあげてくださったりはしないのかもしれませんが、それでも民間業者の霊園よりはよい気がしています。 ただ、最初から合祀のみだったり、数年間個別で納骨した後に合祀だったりで、結局合祀されることに抵抗があります。 最近は人間も樹木葬などがあり、自分自身が選択するのは全然よいと思うのですが、いざ愛猫のこととなると、他の動物たちの骨とごちゃ混ぜにされるというのが受け入れがたいのです。 また、うちには幼な子がいるのですが、合祀の場合、家族でお墓参りに行った時に、元の飼い主さんにお参りしてもらえず寂しい思いをしている動物の霊たちが、子どもたちについてこないか心配です。 どのように供養するのが、愛猫にとってベストなのでしょうか。 個別でも合祀でも死んだ側には関係ないのでしょうか。 ちなみに我が家はマンションですので、埋められません。実家は庭がありますがとても離れています。

有り難し有り難し 29
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2023/08/14

水子供養と存在について

水子の存在に関する有無をお聞きしたいのです。 質問しようと思う前に、ある程度は自分で調べました。 『これからの水子供養運営実践講座』という僧侶に向けられ書かれた1万8000円程度する本を買って読んだりしても私は水子を一切信じられません。 知り合いの住職すら水子供養していた訳で、真宗以外のお寺は大体仕事としてやっているのでしょうが詐欺紛いにしか私には思えません。 仏道修行とも特に関係ないように思うし、また導くものでもないと思う。 ウィリアム・ラフルーアという日本仏教の研究家によれば水子供養が主に頻繁に行われだしたのは戦後からとのことでした。 1948年に優生保護法ができ妊娠中絶が認められたのち水子供養が登場したとのこと。 水子供養を薦める理由として…『中有に彷徨って苦しんでいる貴方の水子の霊を救わなければならない…異時因果として貴方の人生に影として顕れる前に悪業を罪滅しなくてはならない』というのもあるようです。 これは霊感商法?ではないでしょうか?無眼子の罪意識を拭い去ってやる為に一般的な最低価格1万程度から永代供養及び戒名込みのコースで高いところは15万円程度取って彼女らが仏道に入る機縁になるとは到底思えないのです。聞思修、戒定慧と正道へ続けさせてやらなければ仏教として誤りに思う。 六種輪廻についても私は微塵も信じていませんし、縁起すらも今や毛ほど信じていません。 『われ、かれ、もの』を規定してしまう人の観方ゆえに『』内を縁起させているわけであるし、人の目から見た『われ、かれ、もの』なる規定が因縁仮和合、心相続したと観ているだけ。 自性の観点からいったら霊すら信じていませんが…そもそも『信じない』というよりも『存在』に関する観方で躓いておるから下らないと唾棄しております。 hasunohaの僧侶様は水子の存在を信じておりますか? そして水子供養は未だに各地で執り行われているのでしょうか? 因みに20年前の2003年に行われた全日本仏教青年会の調査によれば葬儀収入35,5%、年回法要収入36,5%に次いで祈願・祈祷・水子供養収入は7,4%の3位でした。 後には4位賽銭収入や5位拝観料収入、墓地関連収入、不動産収入と続いていました。 文字数制限で色々省きましたが… 水子を信じているのかどうかをイエスorノー…現代に於ける水子供養その必要制をお教えください。

有り難し有り難し 7
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霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。  こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。  素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。  実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。  このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 168
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臨死体験について

お世話になりますm(  )m カテゴリが間違っていたらスミマセンm(  )m 臨死体験についてどう思われますか? これは体験した人でなければ なかなか分かってはもらえないと思うのですが 自分は1度だけあります もう25年くらい前になるのでしょうか その日はなんだか とても身体がしんどくて 自分の部屋で 横になって休んでいました するといきなり 自分の身体から魂が抜ける感じがあり ( 夢のレベルではなく、相当な衝撃でした ) 上へ上昇していきました 高さ的には3メートル位上の感覚でした 今まで自分の部屋だったところは 無限の真っ白い空間になっていて 非常に驚きました!! 色的には曇りの時の感じの少し 寂しい?感じのする白色でした 身体は無重力で すべての身体の苦しみから 解放された非常に気持ちが良く 極楽そのものでした しかし、瞬間に自分が死んだと悟って すごく怖くなり 「 まだ死にたくない!! 自分が死んだら誰もペットのお世話が出来ないから 死にたくない!! もう、死にたいとか思わないから まだ死なせないでください!! 」など とにかく焦ったというか 必死な気持ちでした すると 黒い「もや」がかかり始めて 目が開いて自分の部屋に戻って来ていました しかし、身体だけは全く感覚がなく 恐ろしい感じでした 何故か、このまま感覚が戻らなければ 『 また連れていかれる 』と 本能的に思いました 決して何か見えたわけでもなく( 死神とか ) 本能で思いました 戻って来れたのもある意味 奇跡的なような気もします 他の方の臨死体験の話のように 三途の川とか他のなくなった誰かがいたとか そこまでは見てないです 自分が臨死体験をしたのは ほんの数秒だと思います これも、そんなの嘘じゃないかとか なかなか信じてもらえないかもしれませんが 実際検索すると 同じような光景、体験をされている方が 多く本当にある世界なんだと確信しています ただ、そこに長くいた場合 どんな世界が待っているのかは 自分ではなんとなく想像することしかできません きっと何か高い( 精神的に?? ) 世界があるんだろうなあと思っています 仏教的に言うと臨死体験とは どうゆう事になるのでしょうか? よろしくお願い致しますm(  )m

有り難し有り難し 19
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