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hasunoha 問答検索結果 : 「私 勉強 できない」

検索結果: 6190件

ボランティアをやるべきか悩んでいます

※あんまりプラスの言葉を書いてなくてすみません。 現在、専業主婦をしています。 学生時代から精神を病んでいて働いていた時はどこで働いてももっと精神を病んで最終的に動けなくなってしまい、無職になってた所を幸い現在の旦那に拾われ生きてます。 やりたいわけではないですが当たり前に大方の家事はやってます。しかし、それが終われば暇になります。長らく週1程度でボランティアはしていますが、それでも暇でイライラして気が滅入りそうになることがあります。 様々な趣味をやってきましたがどれも飽きます。かと言って習い事をするお金もありません。 そんな時に、週に複数回あるボランティアの誘いがありました。 確かにこれは暇つぶしにはなります。しかし別にボランティアにやりがいを見出してる訳でもないのです。 感謝をされる・必要とされるのはありがたいことなのかもしれませんが、正直そんなに嬉しくないです。 それぐらいならもう少しボランティアの休みの日を作ってくれたり仕組みを変えてくれないかなすら思ってしまいます。 正直週に複数回あるとなると、こちらが得なことってそんなにあるんだろうかと思ってしまいます。 だからと言ってスマホ以外の趣味も無い、習い事もない。仕事もできないんじゃボランティアぐらいしか暇つぶしがないのだと思います。 このボランティアを受けた方が良いでしょうか?はたまた、何か別の考え方がありますか?正直決めるのは自分なのですが、どうも決めきれず悩んでいます。

有り難し有り難し 15
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平社員であることの受け入れ方

はじめまして。 仕事の考え方についてです。 先日40才になりまして、勤め先での勤続年数も14年となりました。 小さな会社では有りますが、販売員としてコツコツ勤めて参りました。 悩み事としてはこのご時世多いのかも分かりませんが、未だに平社員であることに悩んでいます。 年齢の若い社歴の浅い方が出世していくのを尻目に自分の仕事をこなす日々です。成績はそこそこなのですが、頑張れば頑張るほど厳しい環境へ異動させられ、成績を作るのが難しい状況になっています。 出世していかれる方は、来客の多い比較的楽な店舗で売り上げを作るのも、流れ作業で有利な環境です。 会社は数字しか見ませんので、歯をくいしばって同等程度の売り上げを作り頑張ってきましたが、なかなか自分は評価してもらえず、つい先日その来客の多い店舗にいる後輩に役職がつくことになりました。 こういった環境に理不尽さを感じてしまい日々思い悩んでいます。 頑張っていれば誰かが見ていてくれる、応援者が必ず現れる、と信じて勤め続けるつもりでは有りますが、果たしてそれで良いのか半信半疑です。 釈然としない気持ちを晴らしたく、お知恵を授かりたく思っています。 どうかよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 13
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片思いを諦めたいけど諦められない

1年前から片思いをしている方がいます。2人きりでゲームをしたり、自分から誘って2人だけでお昼を食べたこともあります。半年ぐらい前から週1で連絡を取っているのですが、連絡をしても一方的なものになることが多く、返信がもらえないこともあります。追い打ちをかけるように、この春2人とも大学を卒業し、離れ離れになりました。この間も、お昼を食べに行こうと誘ったところ、連絡を無視されました。 以前から周囲の友達に相談しているのですが、「脈がないから諦めたほうがいい」「別の人を探そうよ」と言われます。そのとおりなのですが、職場には異性が少なく、次の恋が見つけられそうにないです。また、好きでもない人を恋愛対象にするのは違うと思います。相手が自分を好きになるか否かは、自分にはどうにもできないことも理解しているのですが、「いつか振り向いてくれる」「状況が変わるときが来る」と考えている気味の悪い自分がいます。断られても気分が安定するように瞑想をしたり、身心脱落という考え方を学んだりしました。ですがここまで来ると片思いというか執着の域にまで達している気がして嫌な気分になります。 この方と付き合ってみたいという思いと、諦めたほうがいいという思いがごちゃごちゃしています。このまま片思いを続け、向こうが好きになってくれるのを待つのか、それともどうするべきなのかご意見をいただけないでしょうか。

有り難し有り難し 49
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変化を受け入れられません。

今まで私は趣味や職業柄、外見や容姿に頼る生活をしてきました。ところが、昨年から抜け毛が急増。頭頂部からハゲが進行してきました。 母方の親族男性のほとんどがつるつるとした禿げ方をしているので、自分もそう遠くないうちに・・・とは思っていましたが、いざこうやって現実を目の当たりにしますとショックで、色々と考えてしまいます。 出身は非常にのどかな、ありていに言ってしまえばものすごい田舎で、地域的なつながりも強く、その辺ではちょっとした基盤の家に跡取りとして生まれました。 そういった背景で、私は長子なのだから、跡継ぎなのだから、などというような言葉を、幼い頃から家の内外問わずかけられてきました。 自分の性格、能力、趣味など、いわゆる私自身の中身について褒められたような記憶は、正直あまりありません。 周囲の環境のせいにするのも馬鹿馬鹿しい話ですが、要は、この人達は自分の中身を本当に見てくれているのだろうか。 跡取りであるというラベル、ちょっとした家の生まれというブランド、人並みに恵まれた容姿、そういったものにしか、自分の価値はないのだろうか。 自分自身に全く自信が持てず、そのような気持ちでずっと生きてきました。 先述しました通り、そういった背景の中で寄り縋ってきた容姿という部分で自信を無くすようなことが起こっています。 人間見た目ではない、ということも重々承知しております。 しかしながら、ある程度見た目による部分があるということを、これまでの生き方から感じてしまっている自分もいます。 そういったものを失ったとき、果たして自分に何が残るでしょうか。 同時に、中身を見てくれる人はいるんだろうか。例えば結婚にしても、容姿を失っても受け入れてくれる異性と出会い、今後歩めるだろうか。 ずっと変わらないでいたいとは思いませんが、変わることが怖いです。 受け入れることができないのと、受け入れてもらえるか不安で、ただただつらいです。どうしたらいいでしょうか。 長々と大変失礼いたしました。 お考え、ご教授いただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 20
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学校行くべきか、就職するべきか

卒業間近で実習に落ちた看護学生です。再実習のチャンスがあったのですが、実習するエネルギーが無く断りました。 卒業することはできず、留年か就職の道を選ばなきゃいけなくなりました。 高校生のときに人の役に立ちたいがやりたい仕事がなく、親に看護師はどうかと勧められ、給料良い、人の役に立てる、家族や友人を医療系の知識で助けられると思って看護師を目指しました。 看護学生としての月日が流れていくうちに、人に伝えることが苦手、意見交流の場で話す内容が思いつかない、命の責任や医療事故による罰が怖いなどで看護師に向いてないんじゃないかと思うようになりました。 学校を辞めたところでやりたい仕事がないので、「看護師になりたい」と言い聞かせ、友人の助けもありなんとか約3年間乗り越えてきました。 今まで、コロナ禍のおかげで学内実習が多く、通常の実習より楽にクリアできていました。コロナ禍でなかったらもっと早く脱落していたと思います。 落ちた実習は学生生活で最後なので病院でした。通常二人一組だったところコロナ禍のため初めて一人の実習でした。 担当教員が私の苦手な怖いタイプ、患者さんが怒りやすいタイプで緊張、恐怖、不安、焦燥感がずっとあり、また、基本的な看護が思いつかず適切に看護できなかったです。 実習の提出物も何回か忘れたり、看護できなかったことなどで実習に落ちました。 1年生並の実習だと先生に言われ、私も同じことを思いました。何を今まで学んできたのか?今までの実習はペアが居たからこそクリアできていたんだと思いました。情けなくて死にたいです。 もう看護師を目指したいとは思いません。もう一年実習を乗り越えるだなんて無理です。面倒な気持ちがあります。 たたでさえ同級生とあまり深い関係が築けていないと思うのに、後輩たちとやっていくのは不安ですし、恥ずかしいです。 実習がイヤ、先生方がイヤ、人に伝えられない自分がイヤ。親は「ただ逃げているだけ、甘えだ。学校やめたら逃げグセがつく」と言い、資格取れば将来生活が困らないこともあり学校に戻ることを勧めます。 逃げグセがつきそうと私も思います。新しいところで二の舞いにはならず頑張りたいと思うが、簡単にはいかないので怖いです。 どう行動して生きていいかわかりません。どうしたらいいでしょうか。とにかく簡単に死にたいと思ってしまいます。

有り難し有り難し 24
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これから何を信じれば良いの?

私は、今年一浪して地元の国立大学(大学Aとします)を第一志望で勉強をしていました。高校の頃の模試では、大学Aは、いつもA判定で、高校の頃の先生にはたぶん受かると言われていました。その大学よりさらに上の国立大学(大学Bとします)も、高校の頃の模試でC判定で、先生には頑張れば目指せると言われていました。だから、現役生の頃は大学Bをめざしていました。しかし、成績は思い通りに上がらず、結局センター本番で大学BはE判定。大学AがD判定だったので大学Aを受けましたが、二次試験の対策が間に合わず不合格でした。そのあと、大学Aをめざして一浪していました。浪人時代の模試(現役時代受けていた模試とは別の難しい模試)では、大学AはC判定くらいで、五分五分という感じでした。そして今年も、大学Aを受けましたが、結局不合格でした。私の通っていた高校では、大学Aの合格者がたくさん出ており、現役時代の模試でA判定だったんだから、普通は目指せるって思いますよね。もちろんこの一年間、サボらず真面目にやっていました。現役時代の模試は簡単な模試と言われていたけど、高校の頃の先生にはたぶん受かると言われていたので、そうだろうなと思ってこの一年間やっていました。でも結局不合格。結局、現役でも受かったであろう私立大学に、特待生として入学することになりました。特待が取れて学費が全額免除になって、親が誉めてくれたことだけは不幸中の幸いです。別に、大学受験に失敗したからと言って死ぬわけではありません。でも、人付合いが苦手で、なんの取り柄もない私は、せめて大学は偏差値が高い所に行こうと思って、この一年間やっていました。でも結局裏切られた。努力は報われなかった。現役時代の模試を信じたのが間違いだったのでしょうか。先生の言うことを信じたのが間違いだったのでしょうか。せめて現役時代、推薦で入れる大学に入っておいた方が良かったかも知れないと後悔しています。でもあの頃は、模試の結果が正しいと思って大学A、Bをめざしていた。もう終わったことはしょうがないので、次に生かすために質問しています。今までの人生を振りかえると、良かれと思ってやったことが裏切られたことが多いです(今回の大学受験だけでなく)。これからは、何を信じればいいのですか。物事を判断するときは、一人の人だけではなく、いろんな人に相談すればいいのですか?

有り難し有り難し 21
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2024/07/03

お金なんて要らんと貫いた心

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

有り難し有り難し 7
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息子を上司から注意してもらうべきか?

息子は世間では信用される仕事に付き高所得です。息子は、高校中退から始まって、大学時代に勉強代と嘘をつき、家庭内暴力・親を脅迫して家を抵当にいれさせ、老後の年金まで解約させ仕送りさせられましたが、後日飲み代との浪費と判明。職場も人間関係が構築できず、トラブルですぐやめてしまい、大量飲酒と安定剤の常用。自殺未遂。資格があるので仕事には困りません。お見合いで同居してくれるお嫁さんを探し結婚し、我々は自宅を売って二世帯住宅の建築費を負担し、同居。建築後すぐ、嫁の親が約束を破って「二世帯住宅に住みたい。住めるようにしてくれ」と言いだし、すぐ「虐められた」と嘘をお嫁さんが言いだしました。息子から「俺に有利に遺言を書け」と暴力をふるわれ我々は怪我。書かなかった以降は「出て行かんと殺すぞ」との脅迫。話し合いさえ出来なので、嫁の親と話し合ったところ、結婚前から身上書も同居の約束も全て嘘で「騙されたお前らが馬鹿だ」。「虐められたとの嘘を信じ込ませて、息子から追い出すように仕組んだ」そうです。まさか結婚前から騙されていたとは晴天の霹靂でした。嫁の親から「さっさと出て行かんと殺すぞ」と脅され、お金のある息子は弁護士を雇い、我々に「虐めた」との事実に基づかない合意書に押印させました。息子からお金も返却してもらえないまま、家もなく高齢で二人とも病気の我々は追い出されました。息子の弁護士でさえ私たちの生活を心配してくれましたが、どうしようもありません。私たちにお金を返却せずに済むよう、息子は嫁一家の脅迫に加担・利用して、合意書に押印させたのが後日判明。過去息子は親に対して平気で惨い態度・暴力をふるってきたので、お金を返却せずに済むよう、この時も嫁一家に加担すしたのが判明。そういう惨い事を平気でします。息子の職業は社会的信用もあり人の前では穏やかなので、誰も家庭内暴力・惨い態度を取り続けてきたとは信じないでしょうが、私たちは1日たりとて平穏な日はありませんでした。家もなく老後の年金も解約させられて追い出されたので、気持ちの整理もつかず、お金もなく、今後どうすればいいのかわかりません。息子とはまともな話合いさえ出来ず、「孫を虐める親とは縁を切った」と追い出されたのでここ数年間連絡さえありません。息子の上司と相談して上司から嫁の脅迫や事実を言ってもらった方がいいでしょうか?

有り難し有り難し 52
回答数回答 3