昔のトラウマに対して自分なりの解答を見出せません
初めての質問になります。
私は仏門神格を信じてはおりませんが、お坊さんの徳の高さには敬意を表しています。
私は小学校4年生の時に不登校でした。
さらに泣き虫というおまけつき。
ある時、弟と一緒に居留守を使いました。その時、どうだったかは忘れてしまったのですが、「居留守を使えと指導したのは私だ」との弟からの告発で教育指導の教諭からひどく責められました。
当時の私は教育者に対して不信感を持っていました。約束を破られたりなどしたためです。
その為、素直に謝罪する事はなく目には涙を浮かべて居ました。
その時に教育指導の教諭から「泣いたら全部許されると思うな」と言われ、その場であった些細な面白い事に反応すれば「誰が笑っていいと言った」と責められました。
それから私は(悲しくて・感動して・嬉しくて)泣く事を一切しなくなりました。
どうしてもという時は、一人になれる場所で声も上げずただ涙だけを流しました。
それから10年間、ある時を境とするまで泣く事を悪と断じ、それによって壊れた交友関係もありました。
今だからこそお話しする事が出来るまでになりましたが、私は誰に相談する事もなくこの問題に立ち向かいそれなりのメンタルを得た事は確かです。
しかし、私はその教諭を許す事が出来ません。
もしかしたら、教諭は怒りのままに何気なくその言葉を口にしただけかもしれません。
または、私の将来を案じて敢えてキツイ言葉を仰ったのかもしれません。
しかし、今でもその事が原因で泣く事はかなり難しいです。人前で泣く事をどうしてもはばかってしまいます。
また当時の事を思い出すとどうしてもやりきれない気持ちになりイライラしてしまいます。
誰が正しいのか。そんな事は既に時間切れでありますが、果たして私一人が責められなければならなかったのでしょうか?
小学生の私の理解力が足りなかった為に自ら引き起こした呵責なのでしょうか?
それとも、小学4年生という10歳になるかならないかの子供に対してその様な言葉を浴びせた教諭を悪と断じればいいのでしょうか?
その場合、どう考え方を変えれば自分なりにスッキリとした気持ちになれるのでしょうか?
面倒くさい質問ですが、僧正様方、お坊さま方の徳をお分けいただければと思います。
有り難し 10
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