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問答一覧

やる、とやらない、ということ。 個性と自我について

こんにちは。 いつもHasunoha問答を読ませていただき、勉強になります。 やる、とやらない ことと、個性は邪魔になるのか、の問題にはまっています...。上手く説明できないかもしれませんが、よろしくお願いいたします。 私は自我が強いです。 そして悟りの境地までは至れずとも、煩悩や自分の、物事を苦しくしてしまう思いを改善したいと切に願っています。 これまで、自分の性格特質や内的向上として、心理的アプローチからの療法を受けていますが、やはり前にはだかるのは“手放す”ことの難しさです。 これは、やらない ことなんだとわかります。何とかしようとしない。私にとっても、ここはとても肝心な部分だと思います。(この質問書いていること自体、もうおかしいでしょうか...。)でも、やらないと、前進もない気もします。 相手も自分もない、真ん中の部分。これは、瞑想などで一体感が得られるので、何となくわかるんです。ですが、ずっとこれでいるということは、自分を捨てて(なくして)生きるということでしょうか。 自分の個性や特徴を見出し、広げ、自己肯定できるようになり、自分の人生を生きていく、ということそのものは、むしろ真ん中でいようとすることには邪魔なものなのでしょうか。相反しますか? できれば私は、どちらでもありたいのですが、これでは欲が強すぎますか? よろしくお願いします。

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自分の生き方・社会について

よろしくお願いいたします。 最近、私の周りでご不幸が会った方や離婚をなさった方、難病が見つかった方そのほかにもいろいろな方がいらっしゃいました。また、そのとき私自身も濡れ衣を着せられたため、親友だと思っていた人に裏切られるなどの悲しい体験を立て続けに経験しました。 それまで私は親の庇護の元にぬくぬくとなに不自由なく過ごしており、また今もそうですが、世間の厳しさや醜さをまじまじと見る機会がありませんでした。 そのため上の経験をして、世の中というのがどんなに危険な場所なのか。 世界は平和で、夢と希望にあふれていて、救いに満ちていて、 人と人は愛し合うために生まれてきて、仲良くするべきで、子供は幸せになる義務があるなんていう甘いことを言うと簡単に足元をすくわれてしまうかを学びました。 二つ質問をさせて頂きます。 一つ目 なぜ世の中は負のもののほうが強いのでしょうか。 喜びや楽しみは後々まで続かず、悲しみや苦しみや恨みは続き、 美しいものを作る力と保つ力は壊す力にいとも簡単に押し負け、 善意は悪意に利用され、悪貨は良貨を駆逐して止まず、 真実と真相は必ずしも同じではないというのはなぜなのでしょうか。 二つ目 上のことを思いながらも自分自身が怒りや恨み嫉みが心の中で渦巻くことがあります。そんな自分が上のことと同じであると考えるだけで吐き気がします。 私自身は笑顔を人に振りまける、自分の周囲が幸せに笑ってくれるような人になりたいです。どうしたらよいでしょうか。 二つも質問をしたうえに長々と書かせていただきました。 もしお目に留まったのならば、よろしければ未熟者である私が歩く道をご教授ください。 失礼いたしました。

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戒名の意味

こちらで戒名を載せていいものか悩みましたが、どなたかアドバイス頂けますでしょうか。 先日、最愛の実母が亡くなりました。長い長い闘病生活、長くはない命と分かっていながらも素直になれず困らせたり、もっと何かをしてあげればよかった、の後悔ばかりの日々を送っています。 私達(姉がいます)に父親はいません。母の葬儀が人生初の葬儀(幼少期に祖母がなくなりましたが記憶に薄いです)となり、姉が喪主となり2人で右も左も分からないまま、ただ母の旅立ちをしっかりととの思いで通夜告別式を執り行いました。 準備段階での事です。母に戒名を頂くために、母の両親を連れ、ご先祖様のお墓のあるお寺の住職さんに戒名のお願いしました。しかし、住職さんはお年を召してるのか全くこちらの話を聞いて下さらず、ただただ同じ事を繰り返し言うのみ。遠方だったので、一度戒名をつけて頂きたいと電話で伝えた際に姉がうまく伝わっていないと思う、と言うので心配になりいざ出向いてみるとすでに戒名が決まっていました。電話で伝えたのは名前と歳のみです。 私達はお恥ずかしながらあまり知識がなくネットなどで調べるのが精一杯です。戒名とは、俗名から一字、人柄から一字、というのは間違った情報でしょうか? 母の戒名は、瑞雲蓮花妙○○大姉霊位、です。○○の部分には母の俗名がそのまま入っています。意味を伺っても、読み方しか教えてくれず、母の両親に訴えても、もう決まったみたいだから、と。 もちろん、頂いた戒名に不満があるわけではありません。ただ、人柄なくして戒名がつくのか、どういった意味合いなのかが知りたくて投稿させて頂きました。 よろしくお願いします。

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身体的弱者と仏教

キリスト教では体が不自由でも障害をもっていても、また病気などによる身体的な理由で体力がなく例えば車いすが必要なひとでも、精神的に思考する能力がある場合、信仰を持ち研鑽を積み牧師になることができます。 仏教の場合、出家をした後の修行が厳しいようですが、仏教僧になるという道はそういった修行ができない身体的弱者には開かれていないということなのでしょうか。 1.例えば麻痺で体の一部がゆっくりしか動かせないひとや、生まれ持って歩けないひとや腕がないひと、声帯に問題があり機械でしか話せないひと、聴覚に問題があるひとなどは、どんなに頭が正常で思考する能力があっても掃除や行ができないため仏教の僧になることはできないのでしょうか? またはがんなどの病気をしたため体力的に限界があり一般にその行をしなければ僧としてみとめられないとされるもの(例えば天台宗なら比叡山での修行など)が体力的な理由でできない場合、それでも出家したいと願う場合、そのひとにはまるで仏教僧になる道は開かれていないのでしょうか。 2.その場合その理由というのは単純に物理的にできないということだけで判断されてしまうのでしょうか?もしもそうならば、それはどう正当化されているのでしょうか?そして、それをかえる動きはあるのでしょうか? よろしくお願いいたします。

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生きている意味が見つけられません。

20代でニートと引きこもりを続けています。 この状況から脱出しなきゃと思っても気だるく頭が重く、何から始めていいかもさっぱり分からず、また家族と揉めてばかりで気力が全くなくなってしまいました。罵倒ばかりで気分が落ち込んで、なぜそんな事ばかり言うのかと聞いたら「お前を励ましている」と言われ愕然としました。 「育てたのだからその分の金はちゃんと返せ」 そう言われて最もだとは思っているけれど、どうしても「違う」という気持ちも出てきてしまいます。 母親とは長年、幼稚園児の頃から何かあれば「あんたはごはん抜き」だと言われ、空腹に耐えるのが嫌で嫌で、そのせいか特に母親にはもう逆らうのも気だるく、今現在は家族を無視している日々が続いています。 昔から頭が悪く、今もまともな就職にも就けてません。バイトも苛めとクレームの嵐に耐え切れず辞めてしまいました。 早く離脱したい、一人で稼いで出て行きたい、そう思っても「でもどうやって?」と調べては「私なんかに出来るのだろうか?」と悩む毎日です。 もしそれが上手く行ったとして、そうやって生きていても社会で怒鳴られてバイトすら辞めた私が上手く生きていける自信もなくなってきました。 親不孝だと十分承知もしているのですが、こんな私が生きる意味とは何なのでしょうか? よろしければアドバイスをお願いいたします。

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結婚とは

昨年末に結婚しました。 結婚するまでは、夫は私の母親ごと大事にすると約束してくれ、私の実家から徒歩5分の場所に新居を構えました 現実結婚から半年、入籍直後に 『僕からは○○(私の名)の母親とは一切関わらない、でも仲良くしないといけないからお義母さんから誘われたら顔は見に行くよ。 家の事と僕の実家の事をキチンとするのであれば○○がお義母さんのことを構うのは全然いいからね』 と言われました。それからそれぞれの親の誕生日、母の日、父の日と過ぎましたが私は夫の両親に全てしましたが夫からは一言も触れませんでした。 こんなに近いのに数ヶ月顔を見ない義理の息子。私の母も避けられている事は感じていて夫の事を会話に出すのも段々不自然になってきて、今や私と母親もなんだか空気が悪いのです。 先日、寂しいけれど離れた方が心が穏やかになる。もう連絡も何もしないで下さい。家庭の事を頑張りなさい。私は1人で死んでいきます。 と母親から絶縁を言い渡されました。 今思えば最初に私が夫に言い返せれば良かったのでしょうが本音が口に出せないのです… 言われたのが入籍前なら良かったのに、とか今や後悔しかなく毎日時間が戻ることだけを望んで生きています。 結婚とはなんの意味があったんでしょうか。 男側は新しい家族(義理の娘)が増えた。 女側は家族が1人いなくなった。 母親の所に帰りたい。どう考えれば頭の中が前向きになれますか

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悟りとあきらめは何が違うんでしょうか?

 悟りって結局、あきらめなんじゃないでしょうか?  昨今の悟りブームで「今ここ」「ありのままの自分」を許容することが悟りであるとよく色んな本で言われていますし、釈迦も「むさぼるな、足るを知れ」なんておっしゃっておりますよね。  でも、これって結局、あきらめなんじゃないでしょうか?  釈迦が「むさぼるな、欲望とは空しいものである」なんて言えたのは釈迦が貴族に生まれて若いころに金だの酒だの女だのって遊びつくしたからこそ気づけたものですよね?  贅をつくしたことがある人が、贅をつくしたことがない人に欲望とはむなしいと言っても伝わらないと思うのですが・・・。そりゃあ、誰だって金だの酒だの女だのって遊び尽くせば、つまらなくはなるでしょうって感じです。  よって、欲望はつきることはないので今の自分を許容しましょうというのはただ単に、  お前は金がないんだから、あきらめろ  お前はブスだから結婚できない、あきらめろ  お前なんかに将来は見込めない、あきらめろ  ということを、ものすごくきれいな言葉で言っているようにしか聞こえません。  確かに今の自分や状況を受け入れてしまえば、一時だけは「このままでいいんだ!」なんて楽になりますが、後から反動で満ち足りた人とは違う惨めな自分にフォーカスがいき、ネガティブの渦に巻き込まれてしまいます。  結局、悟りなんてものは、上手く自分の不幸な状況から脳をだませた状態、きれいにあきらめた状態というものではないでしょうか?  乱雑な長文を失礼しました。たくさんの回答をお待ちしております。

有り難し有り難し 209
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