2022/12/20「推し」の追っかけをやめた後の生き方
「推し」を追っかけるのをのを辞めようと思っています。
私はここ1年ほどYouTubeで活動している配信者さんというものを追っかけていました。本当に大好きで、相当な熱量を持って追いかけていました。毎日動画を見たり、感想をSNSに書き込んだりしていました。しかし、ここ1ヶ月ほどその熱量が冷めてしまい、好きなはずなのに、好きという気持ちがわかない、追いたいけど追えない、というとても辛い状態でした。なので、もうここで追うのをキッパリやめようという決断にいたりました。
しかし、その推しに対する罪悪感が消えないのと、毎日熱量を注いでいたものが消えてしまい虚無感があることに悩んでいます。
嫌いになった訳ではないのでたまに動画を見てちょっとだけでも応援する、という状態に戻りたいです。好きなので、少しでも動画を見たりして、少しでも応援はしたいのです。しかし、推しに関するものを見ると情報を全て見ていないという罪悪感で心臓が苦しくなり、何も出来なくなってしまいます。罪悪感を持つ必要がない、自分が見たければ見ればいいと頭では理解していても、苦しくなってしまいます。
そして、熱量を注いでいたものがなくなり、毎日が虚無です。自分のアイデンティティがなくなってしまったように感じます。この推しこそが生きがいでした。何を楽しみにしたらよいのかわからなくなっており、勉強などにも身が入りません。もちろん、漫画やゲームなど他に好きなものはあります。しかし、「ずっと大好きだ!」といえるほどのものはなく辛いです。また、私は昔から絵を描くことが好きで、ファンアートもよく描いていました。しかし、推しへの気持ちが冷めてからは絵を描くということにもモチベーションがわかず、クリエイティブな趣味を見失ってしまったことで自分のアイデンティティを見失っています。全く新しいことをやればいいのはわかっています。しかしそれも一時的なブームで終わるのではないか、「自分はこれが趣味だ!これが好きだ!」と誰かに言い続けられるものはできないのではないかと不安です。
まとめると
「推し」への罪悪感を持たないようにするにはどう行動すればよいか
推しがいなくなったときのアイデンティティの形成の仕方
をお答え頂きたいです。
たかが趣味なのですが、自分にとってはとても大切なもので、生きがいだったので悩んでおります。長文失礼いたしました。
有り難し 14
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