2024/02/23僧侶として人として
父兄は曹洞宗の住職、副住職の僧侶です。
寺族である母が亡くなりました。
その後四十九日、秋春のお彼岸、一周忌、新盆。
何も連絡がありません。
伯母や従姉妹達にも連絡はありません。
亡き母の誕生日に孫達が実家に集まる事も拒否されました。
理由を教えてくれる事もありません。
こちらからの連絡は直接してはならず弁護士を通すように伝えらています。
法要とは故人を偲び、残された遺族が悲しみをのり越えて生きていくために、心の折り合いをつける大切な仏教行事であると思っています。
その機会を尊敬していた僧侶である父兄に一方的に奪われて
驚きと理不尽さと不安で心がいっぱいです。
今年は三回忌になります。
たぶん連絡は来ないでしょう。
お寺で産まれ、一生をお寺の為に尽力した母があまりにも可哀想で不憫でなりません。
今後、僧侶として檀信徒の方々に何を布教していくのでしょうか。
僧侶も人間です。
間違いも犯すでしょう。
保身に走りたくなる気持ちも分かります。
でも、逃げずに向き合う時は必要です。
やってない。俺じゃない。知らない。覚えていない。分からない。
と逃げ回っていても誰も解決などしてくれません。
誤魔化し、嘘をつき、欺くことをやめて
自分の立場を自覚して誠心誠意、他者に対して心を尽くす事を
人して僧侶として今生を生きて欲しいと思っていますが、
無理な願いでしょうか。
有り難し 23
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