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hasunoha 問答検索結果 : 「私 お経 」
検索結果: 2747件

【高野山真言宗】亡僧位牌の書き方

曹洞宗僧侶です。 真言宗、特に高野山真言宗の先生にお伺いしたいことがございます。 先月、10年以上、日々托鉢と托鉢行で縁のあった方のご法務のみで、如法に生活されていた高野山真言宗の僧侶が遷化されました。(この話でどなたかお分かりの方もおられるかもしれませんが、詮索はされないようお願い致します) 私も現在、お寺に身を置き法務を主軸に生活はしているものの、暇があっては托鉢は極力欠かさぬよう行っておりますが、今日そのように行乞に歩めるのは、その真言宗の先生が、托鉢の先達として現代社会での(道場ではなく個人での)托鉢の在り方を、言葉や姿勢で示して下さったからこそにあると思っております。 件の先生とは、私が托鉢を始めてから間もなくご縁があり、以来、宗派こそ違えど同じ托鉢を行う比丘として垣根なく接して下さりました。 その先生なくしては、私は今日まで托鉢を継続することは出来なかったことでしょう。 その報恩感謝を示したく、遷化より四十九日に当たる日に件の先生が托鉢されていた地にて、ささやかながら亡僧諷経をお勤めさせていただこうと予定してております。 そこでなのですが、当日はその先生のお位牌をご用意し、お経をお勤め致したく考えておるのですが、真言宗の亡僧位牌の書き方が分からず、真言宗の先生方にそのご教示を頂きたいのです。 曹洞宗の場合ですと上から「【〇〇第〇世比丘(住持職の場合)】【道号】【法名】【僧階】」となりますが、今回は【道号】に当たる部分は分からず【僧階】についても、以前僧籍簿の写しは拝見したことがあるのですが、正確な僧階が分からない為(一応、住持職に付ける最低限の僧階とは仰ていました)、遷化された真言宗の先生に対する適宜な尊称にて代えさせて頂ければと思うのですが、どのような尊称が相応しいと思われますでしょうか。 周囲の高野山真言宗の先生方にもお伺いしようと考えておりますが、これは同じ宗派でも地域や法流によって様々であるかと思われますので、ひとつでも多く参考になるご教示があれば幸甚でございます。 何卒宜しくお願い申し上げます。 合掌九拜。

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生老病死

 数年前、願誉浄史ご住職様から「阿含経典」を勧められましたが、驚いたことに此処にすべて仏教の真髄が集約されていました。  ご住職様には、深甚な感謝と共に厚く御礼申し上げます。  そこには、仏教の目的である「輪廻転生からの解脱」が唯一仏教の教えに尽きることが書かれていました。  般若心経に「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、「一切苦厄」の主体が生老病死の事でありましょう。  生老病死は仏教の専売であると思っていましたが、阿含経には仏教に関係なく「自然の摂理」で釈尊以前から定まったものであると述べられています。  「自然の摂理」に対しては、釈尊も手の施しようがなく只管死を待つほかありません。  即ち、生きている総ての生物には生老病死はつきもので、仏教の救いは何もないという事です。  従って仏教の救いは死後にあることになります。  しかし死ねば生老病死は消えますから何も問題はありませんので、仏教の救いは必要ない筈ですが、再び誕生することを釈尊は悟りで明らかにしました(過去世)。  それが輪廻転生です。そこから解脱することが仏教の救いであり、仏教の存在価値です。  そのことを阿含経は下記のように述べています。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑)  前略  その時、世尊はかように仰せられた。  比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。  まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。  後略

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お地蔵様。

こんばんは。 プロフィールにも書かせて頂いたのですが、幼い頃より祖父の隣で読経したりお墓参りやお供えをしたりしていました。 結婚し子供にも恵まれ、祖父が亡くなってしまったこともあり、なんとなく仏教というものと疎遠になっていたのですが、最近になりまた仏教に関心が出てきて、子供の頃なんとなく諳じていたお経の意味やその他諸々を勉強するようになりました。 まだ子供が2人とも小さいこともあり、毎日のお勤めまではなかなか継続して出来そうもないのですが、いずれは祖父のように、ご先祖様や子や人の為を思いながらお経をあげられるようになりたいと思っています。 さてご相談なのですが、無知なのでこれが仏教となにか関わっているのかさえわからなかったのでこのカテゴリーにさせていただきました。 もういつ頃から始めたのかは覚えていないのですが、多分小さい頃から祖父と墓地に並ぶお地蔵様に手を合わせたりしていて、その癖?なのか道にいるいわゆる事故等で亡くなられた方のためにあるお地蔵様にも手を合わせています。 これは結婚してからも子供が産まれてからも、祖父が亡くなってからも続いています。 運転中にも目には入ると、片手ですが手を合わせる真似みたいにして軽くお辞儀をしていて、毎回通る道なんかは、もうすぐあのお地蔵さんのところだな、と覚えてしまいました。 自分的には、もうこんなに毎回手を合わせなくても…と思ったこともあるのですが、一度やりだすと途中で投げ出すみたいで結局続けています。 しかし人に聞いたのですが、事故で亡くなられた方のお地蔵様に手を合わせたりしていると悪い?霊が寄ってきたり、なにか障りが出るんじゃないかと言われてしまい、どうすればよいのだろうかと思案しています。 この一連のわたしの行動は、仏教的にはどうなのでしょうか。 あまりしないほうが良いのであればやめようと思いますし、大丈夫なのであれば続けていこうと思います。 それとも仏教には関係ないのでしょうか。 ちなみに祖父はお寺に建つ石の柱?みたいな所にも名前が載るほど熱心な真言宗の檀家さんで、亡くなった時はお坊さんが泣いてくださるほどでした。 なのでわたしも他の宗派に触れたことはないですが、偏見や拒絶等はございませんので、是非多角的に教えて頂きたいと思います。 稚拙な文章を長々と失礼いたしました。

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信仰宗教ですか?

ある僧侶と知り合いになり、人生相談や毎月家にお経をあげて頂いていました。 その僧侶は自称、在家で得度した髪の毛のある僧侶で、日蓮宗の総本山である身延山で修行してるというのですが、私たちの家系は先祖供養が足りないから、いましなければあとは不幸になるといわれました。 ここ1、2年は「水子の霊を成仏させないと、恨まれて幸せになれない」といわれ、求められる金額も多くなりこの一年のうちに供養料、お曼荼羅の軸購入のため1000万以上渡してしまいました。また、このままでは短命とお告げがきているなどというので不信感を抱くようになりました。 私のために修行に行き、お塔婆を30万円分あげてきたと言われると申し訳なく思ってしまい自分からお金をお渡ししてしまうこともありました。 お寺のことや生き方のヒントなどたくさん教えて下さいました。先祖供養の大切さを知り、これからも供養したいと思っています。しかし、騙されているのではと不信感でいっぱいです。 日蓮宗では、このようなことを行なっているのでしょうか?依頼していないお塔婆をあげたり、お曼荼羅が300万するのでしょうか? 水子が恨んでいるのでしょうか? これは信仰宗教なのでしょうか? 乱文で申し訳ありません。よろしくお願い申し上げます。

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資格試験

国家試験になかなか受からなくて、悩んでいます。 会社の仕事の関係上、色々な資格を受けなくてはなりません。 もう、勉強なんてって、正直思いますが仕事も覚える為にも勉強しなくてはいけません。 分かってはいるのですが、自分の勉強の仕方が悪いと思いますが、中々本当に合格しません。 人並み⁈には努力はしているとは思うのですが(周りや皆さんから見たら努力が全然足りないないと思われるかもしれませんが) 勉強量としましては、試験当日前から約2ヶ月前程からやらなくては、自分が頭が悪く、覚えが悪いので・・・ 去年は後、1問足りなくて・・・ ってことか、2回も続きかなりショックでした。 職場の先輩から後、一歩だったなって、優しいお言葉を頂きましたか、正直、合格しなくては意味がないんです。 会社から受験料(受験前の勉強会、教育料)も支払って頂いていると思うと・・・ 正直自分自身、プレッシャーに弱いです。 試験当日になったりしますと、ど緊張してしまいます。 今度こそは合格しなくては! と言う暗示を自分自身に言い聞かせて! それがいけないのかは、分かりません。 不合格の度に、また会社に迷惑かけてしまった、職場のメンバーに迷惑かけてしまったと思うばかりです。 お坊さまに国家試験を受からないことをお聞きする自体、失礼又は愚痴をお聞きして頂くなんて、どうかと思ったのですが、もし宜しければご返答を宜しくお願い致します。 また、お坊さまも、なにかしらお寺に入るときなど、試験などあったりしますのでしょうか?継がれるときとかでも⁈ 長いお経も暗記したりするんでしょうか? とても、難しいそうなお言葉が一般並んでいます。 長いお経をお読みになられて聞いていますと、良く読めるまたは暗記なさってるな!と感心してしまいます。 失礼なお言葉、質問でしたら、申し訳ありません。

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受精卵(胚)は命でしょうか、なにか供養はできますか。

夫の乏精子症のため不妊治療で顕微授精をし、受精卵をつくりました。 幸いなことに、比較的早い時期に二人の子供を出産する事が出来ました。 しかし、胎児にすらなれなかった胚のことが気にかかっています。 最終的に体に戻せる状態だったのが13個 もっとも状態の良い一つはすぐに着床を試み、残りは凍結して保存することに。 医師は「保存する管が6本だから、二個ずつ保存する」と言いましたが、 「双子はなるべく避けたいので、状態の良いものから6個選んで一つずつ凍結を」とお願いしました。 最終的に、新鮮卵で一人目を妊娠、出産 凍結保存した卵で二人目を妊娠、出産 凍結卵の移植は一回失敗(着床せず)、 また一つは解凍した時点で死滅しており、 残りは医院の方針で施術から二年経過で廃棄するしかありませんでした。 まず凍結保存の段階で「選別」してしまったという後ろめたさがあり 失敗で胎児になれなかったものや お腹に戻せば命になったかもしれないのに廃棄になったもののことを思い 毎年施術した9月になると思いだして落ち込んでしまいます。 私の中では、施術の日を「慰霊の日」として、せめて自分だけは存在を忘れないようにしようと思っています。 主人も最初は同情してくれましたが、最近はすっかり忘れてカレンダーの印を「これは何?」と聞いてきます。 受精卵は命でしょうか?なにかしてあげられることはありませんか。

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興味と愛情

私はいろんな宗教の教えに興味があります。その中でも特に仏教に興味を持っています。 海外では激しい宗教対立がある中で日本では独自の均衡を保っているように思い非常に素晴らしいことだと感じています。 しかし教えを拝聴することも有り難いのですが、等身大で「話し合える」お坊さんとお酒でも飲みながらぶっちゃけトークをしたいと常々思っていました。 ところで、私の両親は敬虔なクリスチャンのはずなのですが、幼い頃から私を殴ったりののしったりして、彼らが思う通りにした時だけ「愛してる」と言われてきたので、「相手の思う「何か」をしないと私はいてはいけないんだ」と思うのが当たり前でした。 そして心身ともに病んでしまい、病院に通うも長年の投薬の副作用でホルモンバランスを崩し体重の激しい増減を繰り返し、免疫力がなくなり肝臓、腎臓、皮膚疾患、病気になりやすく転職を繰り返しています。 そんな私を両親はののしり、私は自分自身の不甲斐なさに落胆しています。 何回も挫折を繰り返してきましたが自分や病気、誰かのせいにするのではなく心の平穏を得たいと前から気になっていたお寺に通い始めました。 最初はただ境内を歩いたりするだけでしたが、本堂でお経を読む会に参加したりお坊さんとお話をするようになりました。 そして少しずつ前向きになり転職先も決まりこれからという時に 檀家さんの派閥争い?の様なものに巻き込まれ、悪口を耳にし凄く悲しい気持ちになっています。 なぜ同じ「仏」「神」を信仰しているはずなのに、他人の行動を批判するのか? 私には解らないのです。 また同年代のお坊さんの考えや展望など率直な意見を交わしたいのです。 そんな思いの中、少し年下のお坊さんでフランクな対応をして下さる方に最初に記述したお酒を飲みながらぶっちゃけトークをこの方なら出来るのではないかと思い連絡先を渡し飲みに行きたい旨をお伝えしました。 今はこれが知的好奇心、興味なのか恋慕なのかわからなくて混乱しています。 そしてそれが相手のご迷惑になっているのか不安です。 皆様からしたらこういう事は迷惑でしょうか?

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天部の神様は怖いのでしょうか?

三面大黒天さまをお祀りしている者です。 ご本尊(阿弥陀さま)、個人的な念持仏のお不動さまと共に、毎日お勤めをしております。 大黒様のお祀りの仕方を読んだ本には書いていなかったのですが、人づてに「天部の神様は怖い」と聞きました。 (聖天さまやダキニ天さまの噂は聞いていたので、遠慮しました。) 大黒様には怖い噂は当初は聞いていなかったので、大丈夫だと思っていたのですが。 しかし何人かの方々から、総じて「天部」の神様は、人間に近く感情をお持ちなので、気をつけなければならないと聞きました。 聞いたところによりますと、 ・粗末に扱う、罰当たりなことをしゃべる ・礼拝をさぼる ・信仰をやめる ・お祀りの作法を間違える ・お坊さんの真似をして、在家が本格的な祈祷をやる これらが要注意だと聞きました。 その後、いろんな人の意見を聞いたのですが、「怖い」、「いや怖くない」と意見はバラバラでした。 いずれも在家の人々です。 (開眼は大きな寺院で集団で行いましたので、そのお寺のお坊さんとは連絡しずらい状況です・・・) そこでお坊さまがたのご意見を伺いたくて、ご質問をした次第です。 よろしくお願い致します。

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納骨への迷い

納骨についてご相談させていただきます。 昨年の夏に配偶者を亡くし、現在遺骨を自宅の仏壇に安置しております。 昨年の葬儀の際、突然であったこと、郊外の自宅近くで葬儀を行ったこと、コロナ禍でもあったことから、家族葬で簡素に行いました。その際に、少し様子を見たいので、納骨は一周忌の時にとしました。その後、四十九日、百箇日は、お経を読むことができる親族に来てもらい、これまた簡素に自宅でお経をあげていただきました。 一周忌まで一か月となったのですが、墓のある霊園の法要室はコロナのため使用不可、おそらく導師の方も来ることはできそうにありません。一周忌、納骨法要はきちんと行いたいと思っていましたが、難しい状況です。霊園の方では、法要を行わず納骨だけはできるようです。 納骨に関して調べてみると、時期等には特に決まりはなく、遺骨にもあまり執着しないようにした方がよいという記載が多かったように思います。 きちんとした法要等を行って納骨したいという気持ちと、いたずらに納骨を遅くすることへの抵抗の間で悩んでいます。 納骨を行いたい気持ちとして、今は在宅勤務ですが、コロナ禍の状況が変われば、元々出張族であるため自宅を離れることも多くなりますし、故人との思い出の地を訪ねたりといったことも行っていきたいと思っています。 納骨を遅らせる気持ちとして、簡素な葬儀であったため、納骨法要はきちんと 行いたいこと。このような状況が、「納骨はまだ待って」と故人に言われている ような気持ちにもなることがあります。 僧侶の皆様のお考えを教えていただければと思います。 ------------------------------ 以前に「義父、義母の菩提寺へのご供養依頼」という質問を行い、和田隆恩さま、日延さまにご回答いただきました。義父母の菩提寺と連絡を取り、追善のご供養が無事できました。田舎に伺うことができなかったのですが、ご住職さまが 読経、塔婆を立て、その画像をメールでお送りいただきました。また、墓地のお世話をしてくださっている本家の方にもお話をしていただいたようです。 こちらでの回答をいただき、追善供養を行ってよかったと思っています。 ありがとうございました。

有り難し有り難し 21
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