2022/10/09茹でガエルか地球のがん細胞でしかない
社会不信の塊です。
地球環境のためにも人類は即刻滅びるべき、としか思えません。
何をしたって気づいた時には全てが手遅れになっている茹でガエルになる未来しか見えないとずっと感じてきました。
自分の力も人間の力も信じていませんし、上位存在がこの世界を調整してくれるわけでもない。つまり、この地球は人間が食い潰して終わるしかありません。それを防ぐために人類滅亡を唱えるべきはずの権力者が、私利私欲の筆頭に立っているのだから始末に追えません。
私自身の人格が終わっているのはもうご承知のことと思います。なので私の人生ももう終わっています。ずっと、「辛いから死にたい」だけでなく「コイツ、いなくなればいいのに」「死ねばいいのに」という、普通の人が他人に対して軽率に向ける殺意を自分自身に向けてきました。自分を大事にすること、自分を満たすことを自分にも他人にも許しません。
生きていることそのものが何かの間違いであり思い上がりとしか感じられません。生き物は本能のために暴力を振るわざるをえない、他者を迫害することに快楽を覚える器官を持って生まれるものですから、生命があることそのものが世界の害悪としか考えられません。
私が他人の話を聞けないのは、私の話が聞かれないことが長い間当たり前すぎて、聞いてもらいたい欲が異常に膨張しているせいです。
そして、聞いてもらえるような話し方も価値のある話も持っていないから、この世界に私が生きて良い場所なんてありません。
この世界がもっと良いものだったら私だってこんな腐った脳みそしてません。けれどこの世界が良いものでないという事実がこうさせるのです。そんなことをいくら言おうが、また他人のせいにして、と私の人格的価値が低いことの証明以外にならない虚しさを繰り返してきました。私が速やかに死んだほうがいい人格をしているのは私が一番知っています。「そうです、私が悪かったです」以外の返事を許されませんでした。納得することを許されませんでした。私よりも世間体の方がずっと大事だという事実を幼い頃から突きつけられて育ちました。個より全が大事だと染み込まされて育ったから、誰もが幸せになろうと苦しむこの世界が理解できません。苦しいなら死ねる世界を作るほうが大事なのではないでしょうか。
人間だろうと動物だろうと苦しみから逃れられないから、私は生命であることを拒否したいのです。
有り難し 18
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