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検索結果: 932件

人の命の重さは平等なのですか?

現在看護師として透析患者さんを治療するスタッフとして働いています。 2年ほど前まで産婦人科で助産師として働いていました。 前の職場では産科で助産師としてお産に関わることもあれば婦人科で看護師として婦人科系のガン患者さんを看る日もありました。 新たにこの世に誕生する命を取り上げ感動する日や、この世に生まれてくることができなかった死産の子を取り上げる悲しい場面に直面する日もあれば、若くしてガンで亡くなられ、看取りをする日など人の生と死に身近で関わることができ命の尊さを学ぶ日々でした。 しかし、今の透析の施設では自身の不摂生が原因での糖尿病、きっと透析になるまで色んな人から生活を見直すよう助言をもらっていたにもかかわらず、透析まで辿り着き、『俺のやり方が正しい、お前らは口出しをするな』というような患者さんがたくさんいます。 看護師に暴言を吐く患者やクレーマーもいます。 生活保護の方も半数ほどいます。私たちが一生懸命働いて納めている税金が、働こうとする努力もせずパチンコやタバコ、ゲームに費やし、今受けている医療や薬をもらえることが当たり前だというような態度です。 もちろん、糖尿病以外で元々腎臓が悪く透析になられた方や、とても大変な透析をしながらも一生懸命働いていて、尊敬する患者さんもいらっしゃいます。 最近は、生活保護で恵まれていることが当たり前だと思っている患者、透析をしながらも頑張って働いて生きている患者、新たに産まれてくる命、若くしてこの世を去る命、これらの命の重さは平等なんかじゃ無いと思うようになりました。 正直税金で生きるのが当たり前、自分で身銭を切らないから欲しい薬や治療を受けてもらって当たり前、看護師や医者は自分の言うことを聞いて当たり前というような患者に『税金の無駄だ。はやく死ねばいいのに』と思ってしまう私がいます。その度にこんなこと思ったら医療従事者として失格だ、人としてダメだと思うのです。 まとまりのない長い文章になってしまって申し訳ありません。

有り難し有り難し 94
回答数回答 4

死にたい

前回質問した時 生きがいは後から見つけるものと教えてもらったのですが結局見つかりませんでした まだ若いからそんなに早く見つかるわけないと思うかもしれませんが、今生きている理由が欲しいです というのも自分は周りにお道化て接していて 知らないうちに本当の自分ではない 所謂もう1人の自分のようなものが生まれました 前までは特に気にならなかったのですが 高校に入り、彼女ができ、 一年過ごし、今、彼女と別れそうになっていて お互い精神が不安定で、相手はいいですが 僕はもう生きている理由が見つからず どんな趣味より死んだ方がずっと楽だと思います 死ぬことが芸術のように美しいとおもいます 人の血を見ると性的に興奮するほどです 自分の人格が壊れていく事が怖いです 周りの目が怖いです 完全なる第三者以外信用できないです 親にも本当の自分をみせられないです 自分でも本当の自分がどっちなのかわからなくなってきました。 もはや生きていないといけないとか、生きてさえいればどうにかなるとか、全然響きません。 でも心の何処かにまだ生きていたいと思うのかもしれません。こうやって質問する事で少しでも生きてみようとしてるのかもしれません。 もう生きるのに疲れました。 このまま苦しい人生を送るなら 死んだ方がましです 最近は自傷をしそうになり、 結局やめました しかし、自傷したい衝動が抑えられません。 ただ死にたいという感情だけが頭の中にあります。 寝ても覚めても死ぬことを考えています。 頑張れとか期待されると苦しくなります。 優しくされると死にたくなくなります でも優しくしてくれるのは かりそめの自分に対してで本当の自分ではありません。 そうしてかりそめの自分に触れた時死にたいとおもいます。そうすれば僕に関係した人の中にはかりそめの自分だけが残り、本当の自分になるからです そうして本当の自分を消してしまいたくなります。 無意識に嘘をついてしまって 直せません。 何度も直そうとしても そのたびに嘘を重ね、自分の首を締めています。 生きている事がそんなに偉い事なのでしょうか 死ぬのは本当に悲しいことなのでしょうか じぶんには死ぬことは名誉だと思えてなりません この悩みについてお坊さんの意見が聞きたいです。 めんどくさい人間ですいません。 こんな質問困りますよね…

有り難し有り難し 95
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亡き母が夢に出てきました

以前お墓のご相談にのっていただきましたものです。 その節はありがとうございました。 結局、以前よりお世話になっているお寺様の合祀墓に両親共入れさせて頂きました。 きっと両親も喜んでいると思いたいです。 そんなある日、初めて母が夢に出てきました。私は嬉しくて お母さん!と走り寄りました。 母はちょっと困った顔をしてため息をつきながら お母さんね、今はもうどこも痛くないし辛くないんだ。もう辛いことは思い出したくないんだ、わかるよね? というようなニュアンスの話をしました。私は そうだよね、ごめんね と母の元を離れました。 (私の顔を見ると現世で辛かっだことを思い出すから嫌だ と捉えました。) それから何度も母がいる設定の町や家(夢の中でいつも同じ)に行き、街中を探し、家の中を覗くのですが母は居なくて。 その夢を見てからどうしても仏壇に手を合わせる気が無くなってしまいました。 生前、母はなぜか私のことを全く信用せず、いつも頭から叱りつけるような人でした。自分で言うのもなんですが真面目でいい付けは守る学級委員タイプの子でした。 好かれたい一心で、母のところに行き、生活の手配をしたり、お金を渡したりしてきました。入院した時は片道一時間かけて見舞い、死後の片付けも一人でやりぬきました。 で、こんな夢を見てしまい、母の本質を見た気がしてならないのです。 生きていても、私がいかにダメか語ることしかしなかったとは思いますが、死んでもなお 母は私が嫌いなんだろうか?だとしたら 私の家に仏壇があるのは嫌なのか?とか色々考えてしまいます。 母が好きなお菓子や花を見つけると、つい仏壇にと持ってきて、はと気がつくのです。嫌なのかなと。 たかが夢、されど夢で辛いです。 母と娘という関係性に自信がなく怖くて、自分の娘が今反抗期ということもあり 親として全く自信がなくなっている状態です。

有り難し有り難し 15
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ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 69
回答数回答 4

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