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検索結果: 435件
2024/04/24

生活環境の変化と母の死が重なり苦しいです

転職・引っ越しによる環境変化と母の死が重なり心身ともに辛いです。 先日、母が癌で亡くなりました。1年前から入退院を繰り返しており、余命が短いことは覚悟していましたが、やはり悲しいです。母が病気の苦しみから解放されたのは救いですが、この先母がいないと思うと人生がつまらなく感じます。まだまだ母とやりたいことがたくさんありました。 母の死は時間が癒してくれるのを待つしかないのですが、ちょうど転職と引っ越しをした直後に母が亡くなったため、新しい仕事を頑張れる気がしません。一人暮らしでホームシックにもなっています。まだ結婚もしておらず、一人っ子でもあるので孤独感が大きいです。 新しい仕事は私が目指していたことで、母も生前応援してくれましたが、母が亡くなった今となっては前向きになれません。これから新しい仕事のためにたくさん勉強しなければならないのに、無気力で頑張れる気がしないです。 母の癌が発覚した1年前から精神的にしんどく、診療内科に通うほど体調も崩しました。そのような状況下で頑張って転職し、これからというときに訪れた母との別れは新生活の不安と二重の苦しみで耐えられる気がしません。これからどうやって日常生活を送り、前向きに人生と向き合えばよいでしょうか。

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昔の彼女の死と今の妻との幸せの共存

僕は今妻帯者です。子供はいません。僕が子供の頃は両親と姉と四人暮らしでした。 ただ、母が仕事上夜勤が多く、父も仕事の帰りが毎日日を跨ぎ、朝日が昇る頃に仕事に向かい、姉は病気で養護学校を卒業するまでは病院生活、と実際は家族がバラバラでした。 やがては両親の離婚に伴い母子家庭となりました。僕が小学生の時、同級生、先生からいじめに遭ったため、人を疑うようになり、冗談も通じなく、笑わない性格です。 社会人となった今は、上司からのパワハラ、過剰労働、休日出勤など、休む体が休めなく、これまで3回の休職、期間にして合計1年半休みました。 一度別れて、もう一度彼女になる予定の人が僕が26歳の時に死にました。それ以来、自分がその人の分までしっかり生きているのか、今の妻を幸せに出来ているのか、立ち止まっています。 孤独な日々を過ごしすぎたのか、それは自分では判りかねますが、多くの大人に裏切られ、ふとした時に、生きることを考えてしまいます。 このまま孤独や裏切りの傷を抱えたまま、今の妻を幸せにできるのか、昔の彼女の死をどう見つめ直すのか。 これから、あと何年彼女のいない日々を過ごせばよいのか、感情が複雑になってしまい、自分が今どうしたら良いのか、わかりません。

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2023/05/20

自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

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2021/10/02

老苦、死苦は未来人にも通用するか?

こんにちは。こちらは私の知的好奇心からの質問になります。少しSFチックになってしまうのですが、このような疑問を他にどこでぶつけていいかわからず、ここに投稿させて頂きました。 近代、人類は科学技術を大幅に発展させています。近未来の人類には、「不老不死」の可能性があると考えられます。 ある研究では、若いマウスの細胞を老いたマウスのものと接続したところ、老マウスの体に一定の若返りが見られたとの結果が出たそうです。 また、AI技術の発達により、故人の人格を「再出現」させる実験も一定の成功を収めたように思います。例えば、AI手塚治虫が描く新作漫画や、AIレンブラントが描く新作油画が発表されました。 私はその道に明るくないので確かなことは言えないのですが、今後の人類の未来に「不老不死」の選択肢が出現することは大いに考えられるものだと思います。細胞技術で、老いない体を手に入れるかも知れませんし、AIに自分の人格を託して、機械の体で生き延びるかも知れません。 そこで疑問に思うのが、「お釈迦様の説かれた老苦・死苦は未来人にも通用するのか」ということです。四苦八苦というと、お釈迦様が定義された、人間誰しも被る苦しみのように思います。 しかし、「老」と「死」に大変革がもたらされつつある今、老苦・死苦の未来についてhasunohaのお坊様方は思うところはお有りでしょうか? 未来人に老苦・死苦を免れる可能性はあるのでしょうか。それとも、お釈迦様の説かれた普遍の真理の通り、いつの時代でも人間は老苦・死苦からは逃れられないのでしょうか。 (誤解などありましたら未熟な私をお許し下さい。)

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父の死から立ちなおる事ができません

1月末、コロナウイルス感染症により父が亡くなりました。75歳でした。私の家族は子連れ同士の再婚家庭で、私は長年継母からの虐待に耐え、父からの辛い言葉にも耐えながら「きっといつかは分かり合える、家族なんだから」といつか父とまた家族として関われる事を心の拠り所に生きてきました。 大人になり結婚し、漸く人並みの幸せを得て、父と親子として再出発する為始めは実家にこまめに足を運んでいましたが、継母や義妹との関係は変わらず顔を見せても冷たい言葉をかけられるので精神的に参ってしまい、実家に姿を見せるのは年に一度程度になっていました。 年老いた父が私に会えずに寂しそうにしているのは分かっていましたが、長年の虐待や孤立により「私は必要のない人間」という感覚が無意識下で刻み込まれていた為、猜疑心に苛まれていた為に父の寂しそうな顔も無意識に疑う状態になっていましたが、長年の溝を埋める為にもまず父と2人でゆっくり話せる時間を作ろうと模索している最中でのコロナ感染でした。 父の最後はLINE電話で義妹が看取り、喪主も継母の意向で義妹が務め、最後の最後まで私は蚊帳の外のまま、父に会えないまま私は一般席でひっそりと父を見送りましたが、父の死後に自分の中に刻まれていた「私は必要ない」という考えの癖が邪魔をして、父の想いが届かなくなっていた事に気づき、父にとてつもない寂しい思いをさせたまま、父の為に何ひとつできなかった事に苦しんでいます。 どんなに孤独で辛くても、父と分かり合える未来に希望を持ち強く生きてきましたが、寂しそうにしていた父の顔や「お前と話したい」と最後の電話で言っていた父の言葉が頭をよぎり、ここにきて心が折れかけています。笑う事も、幸せを感じる事も、拒む自分がいます。 寂しがり屋な癖に頑固で、どこか弱くて、支えてあげたいと思える、私にとってかけがえのない大事な父でした。 元はお母さん子だった私が父について行く事を選んだのは、家族と離れ1人ぼっちになる父を守ってあげたいと子供ながらに思ったからでした。 でも、私は父の為に結局何もしてあげられませんでした。寂しそうにしていた父の顔があまりに辛く毎日泣き暮らして、後を追いたいと考えてしまいます。 父に会いたい、会って話がしたいです、こんな気持ちを抱えて生きていく自信がありません。

有り難し有り難し 6
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何故私は苦しみを持って生まれたのか

私は強迫神経症を持ってこの世に生まれました。強迫神経症とは、強迫観念に囚われ特定行動をしなけれいけないと自身で思い込んでしまう病です。家族と医者のおかげでなんとか症状を大幅に改善でき、日常生活はおくれるようになりました。それまでの人生は業苦でしかありませんでした。 しかし、悲しいことに完治にまでは至りませんでした。まだ頭の中で無性に強迫観念囚われます。常に起きるものなので逃げられません。医者に説明しようにも言葉で表せないので理解して頂けません。おそらく、完治はもう望めないのだと思います。 私には絶望しかありません。この苦しみにずっと付き合わないといけないのだと。誰にも理解されず、ただ1人で悲しく抱え込むしかなく、もがき苦しみ続けて、死ぬだけ。 母は私に言います。「人の苦しみはそれぞれ。あなたもその病気と付き合い方を探せ。」と。世間一般でいう苦しみとは「自分が何に苦しんでいるかわかる」、「人生の一部分に過ぎない」ものですよね?苦しんでる時間もあるかもしれないですけど意識しなくてもいい時間もありますでしょう?その反面私は「思考なので常につきまとい逃げられない」、「苦しみは人生の全部」、「何に苦しんでいるのか具体的に掴めない」、「他者に伝えられない」のです。付き合えという方が無理でしょう。 そんな業苦の中でも私が今生きているのは「苦しみは生きている時だけ。耐えられなくなった時は最悪自殺すれば終わる」という考えがあるからです。1度ナイフで腕を切り、神経を切ってしまったこともありました。何故か助かってしまいました。あそこで死ねれば楽だったかも知れません。 しかし、「自殺すれば地獄以上の苦しみがある」、「全く同じ人生を繰り返す」という話を見ます。これは本当なのでしょうか。私は…苦しみ抜いて死に絶えること以外許されないのでしょうか? 自殺せず全うに生きた場合、私のこの苦しみは現世だけで終えられるのでしょうか?それとも意識として残ってしまうのでしょうか? そして、なぜ私だけこんな目にあって生まれて来なくてはならなかったのでしょうか。人は平等と言いますが私はそうは思いません。そんなものは人を破壊しつくすような苦しみを知らない人の意見。私は人並みに悩み、苦しむ、そんな人生が欲しかった。 神がいるとしたら、何故こんなにも残酷なことを私に強いるのでしょうか。

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2024/03/17

母の死に冷静すぎる自分が嫌になる

昨日母が亡くなりました。いわゆる孤独死みたいな状況でした。きっと最後は辛かったと思います。かわいそうです とはいえ、私は仕事の日程とか諸費用とか手続きとかそんなことばかり考えています。あと趣味の大会の日程調整とか。 それなりには悲しいけどそれなりです。母の身になって考えればかわいそう、というだけで、私自身の悲しみとは違う気がします。もともとあまり関係が良好ではなく成人してからは不仲でした。しかし子供の頃には良い思い出もあるというのに。 自分自身にがっかりしてます。何でこんなに冷たいんでしょう。我ながらなんかおかしいんじゃないかと思ってます。 母の生前は苦しかったろうし寂しかったろうと思いますが、死んだらそれまでだなあと思うのが本音です。 浄土真宗の人だったので、仏様がいるとすれば阿弥陀仏が死後のことはなんとかしてくれるでしょ、みたいななげやりな気持ちもあります。母は駄目な人でしたが、そういう人でも、家族にろくに供養されなくても、阿弥陀仏はなんとかしてくれるって聞いてます。生前一度でも南無阿弥陀仏と唱えれば仏様との縁が結ばれて、すべての衆生を救いたい阿弥陀仏の本願によって西方浄土につれてってもらえるんですよね? もう私は供養とか関わり合いになるの嫌だ。 私もきっと一人で苦しい思いをしてのたれ死ぬんだろうなあと思います。

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2023/07/07

親の二の舞(続・安楽死所望)

前回と似た内容で、申し訳ありません。 親の二の舞を演じるのが明白なのに、生きていく意味があるのでしょうか? 生まれてから今日に至るまでの現実体験を踏まえれば、DNA(遺伝子)の問題であるのは、間違いありません。 具体例を1つ。 「歯茎が、お父ちゃんと同じやなぁ・・・」 初診時に、現在も通院しているかかりつけの歯科医から、言われたセリフです。父も診てもらっていたので、事実なのでしょう。 今、上の前歯がぐらついて、いつ抜けるかわからない状態です。私の歯と歯茎の状態は、その歯科医の「予想した通り」の経過をたどっています。 その他、親の二の舞の具体例には、枚挙にいとまがありません。 ところで、2019年の参議院議員選挙(比例代表)で、政治団体「安楽死を考える日本の会(安楽会)」が、候補者を立てていました。 結果は、得票数26万9,051票(得票率0.54%)で、議席獲得はなりませんでした。昨年(2022年)の同選挙では、安楽会は候補者を立てていませんでした。 日本では、安楽死の問題を議論する雰囲気は、「微塵もない」ようです。 生き方を熱く語る著名人・有識者は、星の数ほどいますが、「死に方」を論じる著名人・有識者は、私の知る限りでは「皆無」ですね。人は、いつか必ず死ぬというのに・・・。 前回の質問文中にも書きましたが、読売新聞社あてに出した投書は、ことごとく「無視」されました。 とっくの昔に、心は折れてます。 体が思うように動きません。 体のあちこちが痛みます。 もともと弱かった心臓も、さらに悪化しています。 身も心もボロボロです。 お金もありません。 何かあった時に、助けてくれる人もいません。 死んでも、白骨化するまで、誰にも発見されないでしょう。 父の七回忌までは、まだ生きている意味もありますが、それが済めば、本当に終わりです。これらを踏まえれば、やはり「安楽死所望」です。 今後の予測がついているのに、それでも、生き続けなければならないのでしょうか?

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2021/11/21

母の自死・これまでの母への態度を深く後悔

母が自死し、これまでの自分の態度を深く後悔しております。何かアドバイスをいただきたく投稿しました。 母は私のことを大切に育ててくれました。それなのに私は思春期をグズらせたような感じで、いつまでも母に素直になれず、ぶっきらぼうな付き合い方を続けてきてしまいました。 母は、「娘に気遣ってもらえるのが何よりも嬉しい」と以前言っていました。私を頼りにしていることも分かっていました。母から精神を患っていることも聞いていて、ずっと「寂しい」「辛い」「寄り添ってほしい」と言われていました。 それなのに私は、母に対して、ずっと冷たい態度ばかり取ってしまいました。 「もっと連絡が欲しい」と言われていたのに、つまらぬ意地を張って、基本的には母からの連絡を待つというような受け身な態度でいました。 いつか私の心の蟠りがなくなり、母に素直になれる日がくるかもしれない、それまではこのままでいいや、そんな心構えでいました。母からの要望を負担に感じていたことや母から感情をぶつけられて疲弊しいたことも否定できません。 「連絡しよう」と思い立ったものの、「明日でいいや」と先伸ばしになっていた。そうした中、母は自宅で一人首を吊って亡くなってしまいました。 元気で明るく前向きで、自死なんて考えられない人だったのに...。 自宅に残されたメモには「寂しかった」「もっと寄り添ってほしかった」「連絡待ってた」、そう記されていました。 もっと私が寄り添っていれば...素直になれていたら...あのときぎゅっと抱きしめていたら...面倒くさがらず会いに行っていたら...連絡していれば...母が一人寂しくあの世へ旅立つことはなかったのではないか。そう思えてならず、後悔の気持ちでいっぱいです。 過去の写真を見返していて、母がどれほど私を大切に育ててくれていたのか今更強く感じ、涙が止まりません。 過去を変えられないことはわかっているのですが、それでも「あのときこうしていれば」という後悔の念が絶えません。 私は、母のお葬式にどのように臨めばよいのでしょうか。これからどのような心構えで生きていけばいいのでしょうか。今から母のためにできることは何でしょうか。 母は「楽しく生きて欲しい」と言いそうな気もしますが、「こんな薄情なことしておきながら?」と自分では思ってしまいます。 何かアドバイスいただければ幸いです。

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親の幸せと私の幸せどちらを優先すべきですか

私の幸せはこのまま東京でデザインの仕事を続けて、最終的には海外でデザインの仕事がしたいと思っています。 一方、父の幸せは私と北海道で暮らすことです。 私と父は二人家族です。 父は仕事一筋の人でしたので、私が高校生になって家族がバラバラになるまでまともに話したこともありませんでした。 しかしながら、実は私が高校生になるまで 兄と母が多額の借金をしていて、 それを父は1人で完済してくれました。 そのあと離婚し家族がバラバラになりました。 今の私があるのは間違いなく父のおかげです。 そんな父は頑固で短気で誰にでも説教口調であまり人に好かれる人ではありません。 父は家族とも縁が切れており、 友人も家族もなく今は賃貸で1人暮らしです。 ここ数年、帰省をすると寂しさを口にするようになりました。 そして父が還暦になり、病気も持っているので 今年私は北海道に帰ることを決めました。 しかしながら本当は嫌な思い出が沢山ある 北海道が嫌いであまり帰りたくありません。 北海道へいくと当時の辛い思い出や孤独感がリアルに心に甦るからです。 人間関係の距離も近く生きにくいと感じます。 正直父と暮らすことにも自信がありません。 でも私がやりたいことを続けて、父が孤独に老後を過ごすのも心が痛みます。 一応毎週末電話はしてるのですが、 することがなく寂しいとあれほど頑固だった父が弱音を吐きます。 病気もあるので孤独死でもされたら、、、と考えると涙がでてきます。 今までの父の人生が多難でしたので、私が近くに住むことで報ってあげたい気持ちもあります。 東京に呼ぶことも考えたのですが、慣れてない土地に行くのは嫌だと断られました。 わかりにくい文章で申し訳ありません。 初めて自分の気持ちを外に出したので 上手くまとめられませんでした。 私の幸せと父の幸せ、 どちらを選ぶことがベストなのでしょうか。 なにか答えではなくても支えになるような お言葉を頂けると幸いです。

有り難し有り難し 29
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愛猫の死から続く不幸、毎日が辛いです

昨年12月に13年一緒に過ごした愛猫が急逝しました。 原因不明で、予兆もなく本当に突然の別れだったので本当に悲しく苦しく辛く、まだ立ち直れていません。 もう一匹飼っている猫がいます。 こちらは15歳で、もともと具合が悪く 昨年10月頃から病院にかかっていました。 13歳猫が先に逝ってしまう少し前からなぜか元気になり そちらに対する心配がなくなったこともあり、わたしも立ち直らねばと正月をあけたころには少し健やかに過ごせるようになりました。 ふたり(私と猫)の生活にも明るい兆しがみえてきたのも束の間、 15歳の猫が最近また具合が悪くなってきました。 また病院にかかっていますが、あまり回復する様子がなく また愛猫との別れが迫ってきている気がして、苦しく悲しく辛い日々を過ごしています。 なんでこんなに悪いことが続くのか。 大切な存在が、急に連続してふたつも失われてしまうのか わたしばっかり、なんで? と思って毎晩寝るときにとてつもなく死にたくなります。 コロナで親にも会えません。 会って辛いと言いたいのに会えません。 コロナで友達にもあまり会えていなく、 話したいけど久しぶりに話すことがこんなに辛い話というのも気がひけて話せません。 パートナーはいません。 恋愛もしたいのですが、愛猫を亡くして毎日死にたいと思ってしまう自分は重すぎるので 誰かに支えてもらうだなんて申し訳なくて今は出会いの場には行く気になりません。 15歳の猫が衰えていくのをひとりで毎日見届け続けるのが辛いです。 誰かに支えてほしい、誰かにそばにいてほしいと思うのに そういう存在がいないことにすごく孤独感を感じて辛いです。 まわりの幸せや楽しい話題が、皆は楽しそうなのにどうして自分は、と感じてしまって辛いです。 死ぬ勇気はないので死ぬことはないです。 でも苦しい思いをしながら生きること、毎日を生きることが辛いです。 どうしたら自分の心を落ち着け、幸せになることができるのでしょうか。

有り難し有り難し 11
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友人の自死、自身の自殺願望

今回、本当にどうしたらいいのかわからず毎日不安と恐怖で仕方がなかったので「ハスノハ」に質問させて頂きます。 つい先日、とても仲の良い男性が自死しました。彼は一年程前に「結婚前提にお付き合いしたい」と私におっしゃってくださり私は「あなたの事を信じられるようになったら是非」とお答えしていました。 彼は私に信じてもらえるよう沢山努力していたと思うのですが、私は過去の経験から人間不信になってしまっていてなかなか信じられず泣いたり怒ったりしてしまいました。 そんな彼も半年程前から私への気持ちが諦めが見え隠れして来ました。私がプロポーズを断った後、鬱病にもなり仕事を辞めてしまいました。 仕事を辞め、彼は「退職金で君の好きなところへ婚前旅行しよう」と私の大好きな海外へ連れて行ってくださったりましたが私は相変わらず心底信じられることができず……。 遂に彼は私に「幸せにできず、いつも泣かせたり怒らせてしまってごめん」と遺書を残し、自殺サイトで知り合った見ず知らずの他の女性と自殺をしてしまいました。 自殺をするための道具などを購入したのは私が最後にお会いした日(1ヶ月前)でした。何故私はあの時気付かなかったのだろう。何故私はあんなに想ってくれた彼を信じられなかったのだろう。彼が亡くなってからずっと考えて毎日過呼吸になってしまいます。 私はこれから先どうしたらいいのか、もう分かりません。 元彼2人も自殺未遂をしているので、今回本当に死に追いやってしまった自分のことが怖いです。 私は何故生まれてしまったのでしょうか、なんて考えてしまいます。言葉で言い表せない自分への自己嫌悪や恐怖、孤独感…これらをどうしたら少しでも拭えるのでしょうか。

有り難し有り難し 6
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2021/12/26

[母の自死]1人の時間の過ごし方

こんにちは。3年ほど前でしょうか。とても辛い時にお世話になりました。あの時はありがとうございます。 —————————— 今回のご相談はタイトルの通りです。母が自死しました。 私は父に引き取られて、大きくなって母と再会してからも母には疎まれていましたからあまり良い思い出はありません。あからさまな差別も受けました。成人式以来会ってもいません。 だから嫌いなはずなのに、連れて行ってほしかったと思ってしまいます。 愛してほしかったです。でももう無理です。死なれたらかないません。 ———————— 1人でいると気が狂っておかしくなりそうです。 職場の人は詳しくは知りませんから「あなたはお母さんとすれ違いがあったはずだけど親を悪く言うのは良くない。自分に返ってくるよ」なんて言ってきます。 正直とても傷付きます。私が何されたかも知らないくせに…。それに、私が悪魔みたいな女から生まれた人でなしだってこと私だってよく分かってます。親を悪く言う私も悪いのです。知ってます。 1人でいると、↑こんな風にマイナスな事ばかり考えてしまいます。多趣味なので色々逃げ道はあるのに今回ばかりは手につきません。 ———————— コロナもありますし、一人暮らしなのでいくら友達を頼っても1人の時間ができてしまいます。その1人の時間の過ごし方や、楽になる考え方を教えてください。 どうかよろしくお願いします。

有り難し有り難し 9
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離別の苦しみに耐えられません。

はじめまして。どう気持ちを落ち着かせればいいか分からなくなり、誰かの意見を聞きたいです。 私が悩んでいる問題は元彼と父親の存在です。離別の苦しみに耐えられません。 1年前に3歳年下の彼に振られました。 私は彼に執着していました。 当時、このままではいけないと思いながら付き合っていた状態です。お互い自立できない関係でした。そんな状態でも、彼と何とか関係を修復しようと、「会話がしたい」と何度もお願いしましたが、気持ちが通いませんでした。私は泣き虫でした。気持ちの表現の仕方が不器用でした。彼にとって負担だったろうと思います。結果、彼は私と別れて1年間留学をしました。都合のいいタイミングだったのかなと思います。 この1年、じっくりと自分を見つめ直しました。連絡は一切しません。しかし、もう二度と会わないと心に決めながら、どこか期待してしまう、とてもとても弱い私がいます。 どうして、ここまで他人に執着してしまうのか。原因は寂しさからです。慣れない孤独からです。 小学2年生の頃、父親がある日突然いなくなりました。 母は仕事で海外にいると言っていましたが、死んだのだろうと気付き始めました。 20歳の頃、母と大ゲンカの際、父は病気で死んだと言われました。 しかし、今年、母とふとした会話から、父親の本当の死の原因は自殺だと知りました。 家族の中で私だけが知らずに26年間生きてきました。 私の心のわだかまりは、この真実だったかもしれません。不器用でも、優しくて、活発だった父親。大好きでした。父は自ら命を断つくらい、とても寂しかったのでしょうか。 また、私自身、寂しさから男性を望んでしまいます。誰かが自分の元を去ることに、とても抵抗があります。 けれど、このままではいけないと。1人で生きることを決意しなければと、孤独がドクドクと心臓を打つのを感じています。 1年後、留学から帰ってきた元彼は、他の女性と楽しそうに一緒に歩いていました。親密そうに見えて、 心が張り裂けました。どうしようと、思うままに、1人で泣くしかありません。 二度と一緒になれない、なってはいけないと肝に命じているのですが。 後少しで卒業です。勉強に集中できません。 どうか、孤独と一緒に上手く生きていくために、何か、言葉を拝見したく思います。生き抜きたいと思っています。 長文申し訳ありません。

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自己愛が強い人はいいですよね。

恋愛していて、相手が自己愛が強く家庭的にも恵まれていると羨ましくて消えたくなります。私は家族以外の他人から愛を貰わないと生きている気がしない。でも、他人はそんなに私に愛をくれない。 私は最低に成り下がり、卑屈になって、また孤独になり愛を彷徨い歩きます。 そして他人がいま信用できません。誰一人。心の底から笑うことも愛することも敬うこともできません。ドキドキもしません。 誰にも愛されず認められていない私に居場所はありません。自殺する人は「死」に居場所を見出していると思います。 私は自分を愛せず誇りにも思えません。そして人間が嫌いで憎いです。正確には私を裏切り大切にしない人間が憎いです。 そして相手が嫌いになってまた私は悪者。孤独になります。 特にSNSは余計孤独を感じます。メールやTwitter、そんなものでしか繋がりを感じません。でも、それすら私には誰も興味を示さず、私は孤独です。 きっと皆私のことが嫌いなんです。どうしてこうなったのか私は理解ができません。 何故人にやさしくしても、親切にしても嫌われるのか。 愛情が全く分からなくなりました。私は安息を求めて死にたいです。教えて下さい。孤独でも幸せなのでしょうか? 愛がなくても人は生きていけるのでしょうか?

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死ぬとは何ぞや

タイトル、不躾に失礼します。 私は20代前半に一人、最近また一人と二人の親友と勝手に呼んでいた友人を亡くしました。 最初の一人は自宅で孤独死、死後数日経っていた為死因は不明。 もう一人はニュースにもなりましたが、同居する彼氏に睡眠中に殺されました。 当然の事ながらショックでした。 どちらの二人も何となく連絡が途絶えていたからです。(後者は何年もですが) ですが…あまり他人には話せることではないのですが、彼女達は自分で決めてきた死去の日を迎え、また現世での問題はクリアされたから去っていったのでは…とも考えるのです。 実際、前者の友人の死を聞いたときは直感的に『これで良かったんだ、頑張ったよね』と思いました。 彼女は病気を抱えていましたがお互い特にそれについて話すことも何故かありませんでした。 私自身は死後の世界は知りません。 でも生まれて生きて、苦しいことを乗り越えるまで同じ問題にぶつかるのには意味があるんだと思います。 じゃあその山積みの問題をクリアできたら…?? そう考えると、彼女達の残された家族の事を考えたら私のこの考えは不謹慎な気がして…。 正直、この考えがある意味本当なら彼女達を羨ましく思ってしまう自分が近くにいるのです。 もしかしたらそう考えるのはある種の逃避なのか、とも。 うまく説明が出来ないのですが、この世から旅立った友人達の死は悲しいです。 だけど羨ましい。 けど死ねばこの世の苦しみから逃れられるとは思わない。 自分の課題が見つけられないからの嫉妬なのか何なのか…。 不謹慎過ぎて深く話が出来ないのでこちらで質問させて頂きます。 まとまりがなくて本当に申し訳ないのですが…。

有り難し有り難し 10
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