2022/01/15自分の愛するものを狙って奪われたら?
こんにちは、すごく抽象的なので説明が難しいのですが、質問させて頂きます。
この世には人間にある程度どんな形であれ役目というものがあると最近感じているのですが、時折明らかに役目でないものを誰かの見誤りで受けさせられる人、または誰かがやるべきそれにやたらとなりたがって横から奪う人、など居るのを見ます。
例えば、自分は昔から欲しいと思ったものや大事にしている物を横から根こそぎ奪われる事がどうも多く、そしてそれは大抵その奪った本人が飽きると馬鹿にし、目の前で捨てて寄越したり、大事にされる事はありません。そんな事をされると、例えば仕事、愛する人、愛する何かについて裏で歯を食いしばって誠実に努力している人達は意味が無いのかと感じてしまうし、世の中が諸行無常だとするなら何故私達はまだ望むものについて努力する必要がありますか?
自分の人間の主軸になるような役目、または精神的柱や何かを狙って、または悪気も無く根こそぎ奪われた場合、もうどのように生きていけば良いでしょうか?もはやそれすらも我欲があるという事だから手放して生きていきなさいという啓示でしょうか?特にこの自己顕示欲でオバケになっている人が多いような世の中だと、何かを通して自分を見出すというのは安易にやり過ぎれば毒になるような気もするし、だけど執着が無ければ生命力も無いのが人間で、奪い合いの世の中でただ純粋に愛があるというだけで生きていくのはもう困難に感じます。分では無いものを欲しがり、本来分であり務めるべき人達が殺されていくのを見ると、人間これほど皆認知が違うのなら(物理的な話になりますが)何故何かを目指して頑張る必要がありますか?
それとも奪われたら縁が無いのだと思ってもう辞めるべきでしょうか?それが生き方だとしたら他にどう生きていったら良いか分かりません。奪った方や聴衆も裸の王様を演じ続け、世の中が滅びて行こうとも関係無し、本来の実力者が確信犯に暗で殺されていくのを見ると、役目とはなんなのか、分とはなんなのか、何故何に何処に向かって努力なんてしているのだろうと感じています。
有り難し 7
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