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hasunoha 問答検索結果 : 「私 お経 」
検索結果: 2747件

人は変わることができるのでしょうか。

実感を感じたいです。 何を見ても、心から感動することがなく、いつも頭で判断して動いている感覚があります。 何故か怒りだけ感じることはできるのに、それ以外の感情は作りもののように感じます。普通に生活をしていて笑ったり泣いたりしますが、同時に自分に向けて演技をしているような気持ちになります。 夢を見ている時にだけ、心から喜んだり、悲しんだりできるので、目が覚めるとがっかりし、目覚めなけれよかったという気分になります。 実感を得たいというこの欲のために、いろんな場所に出かけたり、人とあったり恋愛もどきをしたり、旅をしたり、本を読んだり、スポーツをしたり、芸術に触れたり、ものを作ったり、ただ何もしないでいたりと、試行錯誤してみましたが、それでも心が動かない自分にゆっくりと失望しました。いまは欠落人間の私は、結婚や子供を持つことも諦めたほうが良いと考え、かといって残りの人生の長さに虚しさを感じずにはいられないです。他人のために時間を使おうと、余暇にボランティアとかもやっています。それでも虚しさは埋まらないです。 私に信仰があればなと強く思う時もありますが、神や仏を信じることすら、頭でっかちの自分には無理なのかなと諦め、残された生の時間が恐ろしく、かといって死ぬことも恐ろしく(試したけどできませんでした)、毎日を宙に浮いたまま過ごしています。 寿命が尽きるまで、私はこのままなのでしょうか。

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2023/02/19

ペットの死後の世界は

とても懐こくて家族で可愛がっていたハムスターの福ちゃん(1歳4ヶ月女の子)が一昨日旅立ちました。 年末に脇の下に小さなしこりを見つけ、呼吸も少し早くなり動物病院へ行こうとした日に家族全員がコロナ感染。療養中も気にしてうつさない様に気を付けながらお世話をし、療養期間が空けて直ぐ動物病院へ駆け込みました。 超音波とレントゲン検査をした所、皮下腫瘍の他に内臓腫瘍が幾つも見つかり、呼吸は胸水によるもので手術は逆に危険なので不可。残された日を一緒に大切に過ごして下さいとの事でした。 出来る事ならば痛みや苦しみを最小限にしてあげたい訴え、病院から内服薬を貰って毎日お世話をする中、眼球突出して両目を失明…福にとっては壮絶な闘病生活だったと思います。 安楽死も頭に浮かびましたが、それは全て自分の都合だと思い、福が命を全うするまで寄り添う覚悟を決めました。 それでも自分が決めた選択は正しいのか?どうしてこんな事に?コロナに罹らないでもっと早くに病院へ行っていれば助かったのでは?と自問自答して気持ちが揺らぐ毎日でした。 満足に動けない中、撫でて欲しいと近寄って来ては「いい子ね」と抱き上げ、お腹が空いていないか?喉は乾いていないか?と常に気にかけていましたが、どうしても出掛けなければならない用事があり、ほんの少し娘に託している最中に「福が逝ってしまった」と電話が掛かって来て、急いで帰宅すると眠ったままの体勢で息を引き取っていました。 安らかに逝けたかな?と想像する事しか出来ませんが、その瞬間を看取ってあげられなかった悲しみや後悔の他に「これで痛みや不自由さから解放されたね、楽になれたね、頑張ったね。」といった安堵の様な気持ちもあります。 昨日家族皆で立ち会い火葬をして貰い、骨も拾い上げました。全ての骨が崩れる事なくしっかり残っていました。まだ気持ちの整理がつかずに片付ける事が出来ないゲージの中に骨壷を置き、お花とご飯、おやつをたっぷり供え、福は静かに眠っています。 (暖かくなったら遺骨を樹木葬にしてあげたいと思っています。) あの子と一緒に過ごせた日々はとても愛おしくて幸せな時間でしたが、福も同じ様に幸せだったのでしょうか?無事に向こうへ辿り着けたでしょうか?腫瘍による多臓器不全や浮腫で満足に動けず、視力も失って逝ってしまった福はあちらの世界でも不自由なままなのでしょうか?

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祖母のことが憎いです。

私の父方の祖母について御相談があります。 家は別々ですが同じ敷地内にあり、廊下でつながってるので簡単に行き来出来る状態なのでほぼ同居状態です。 母が3年前に病気で亡くなり、遺品整理時、日記帳を見つけました。そこには『義母が言ったことは一生傷、忘れない』、『祖母とお墓を別にしてほしい』と書かれていました。 何を言われたかは書かれていませんでした。 母は病気であることを父、私、弟、母方の祖母、母の姉弟にしか話していませんでした。 父方の祖母には亡くなるまで何も言わず隠していました。 理由は祖母が騒いで親戚、近所の人にあることないこと話してしまう為。 母の葬儀が終わり、すぐに、『お母さんに預けてあったお金はどうした?返せ』と… 今?言う話?母が亡くなったことよりお金のこと?と思い…不信感を持ち始めました。 お金は祖父が亡くなった時に葬儀、法事などですべて使いきっています。祖母に渡すと使ってしまうために叔母に預かっていました。 思えば母が亡くなった時、泣きもせず、母が自分(祖母)に病気のことを言わなかったことを根に持っていて会うたびに嫌味言を言い、高齢だからという理由で通夜、葬儀にも出ずにいた祖母。当たり前のように1周忌、3回忌も参加していません。 自分のことが1番で、他人のことを平気で傷つける人なんだと…私は祖母を嫌いになりました。 私にとって“母”は尊敬する人であり、目標にしてる母親でした。 いまだに母を亡くしたことはショックで、生きていることが辛いと思うことが多々あります。 母が亡くなり、毎日のように母に対する嫌味を聞かされ…最初は何も言わずグっと我慢していましたが、私に対しても祖母は『散々面倒見てやったのにかわいくない、憎たらしい』など言うことが増え… まだ私のことなら我慢出来ましたが、亡くなってまで母を傷つけるのかと私もついに頭に来てしまい…『お母さんのこともこうやって傷つけて、長い間ストレスを与え続けて、最後は病気にした、おまえが殺したんだ』と…言ってしまいました。 ドアに付いてるガラスが割れるんじゃないのか?と思うぐらいまでドンドン叩かれ、大声で『居ねえのか、開けろ』と叫ばれ…私の子供はその音でびっくりして泣き出します。 もう毎日がストレスでおかしくなってしまいそうです。 祖母はこれからも自分の言いたいことだけを言って傷つけます。私はどうしたら…

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ヌミノース体験について

私は、今スペインの大学院で、宗教学について学んでおります。 お恥ずかしい事に、日本に住んでいるときはあまり仏教について考えた事がなかったのですが、今自分が海外にいる事で、改めて日本が仏教国であり、数々の素晴らしい文化、そしてそれにともなう言語・思想等を生み出してきたという事に気付きました。 そこで、今仏教について、スペインで本格的に研究しているのですが、どうしてもスペインにある仏教に関する本ではわからない事がございまして、ぜひお坊さんたちに答えて頂きたい質問がございます。 ドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが、「ヌミノース」という言葉で表している、言葉では言い表す事のできない他者では経験不可能な不思議体験・神秘体験(?)が一体どのようなものであるのかを、教えて頂きたいのです。 恐らく日本語で表すと、『見性体験』というものだと思います。ルドルフ・オットーも「聖なるもの」という著書の中で、この経験の内容に関しては体験者の唇は固く閉ざされると言っておりますが、仏教を研究している以上、私はどうしてもこの体験がどのような物なのかが知りたいのです。 もし言葉で深く説明できないのであれば、本当にキーワードだけでも良いので、どのようなものなのかを教えて頂きたいです。 難しい質問かもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します。

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父の死を受け止めたいです

長い相談で申し訳ありません。 父が昨年の年末に亡くなりました。 父は可愛がっていた犬が亡くなり、その後ペットロスが酷くなり、鬱になりました。 また、鬱のため、弱った足腰を急に使った為に、腰骨を折り、身動きできなくなり、趣味だった射撃も鬱になってからは減りましたが、全くできなくなりそのまま亡くなりました。 私は犬が亡くなってからすぐに妊娠し、出産し、また、子供は産まれてすぐ入院し、病気が見つかった為、実家の問題には全然無関心でした。 子供の身体が元気になって、心に余裕ができたときに父の病気が酷くなっている事を知り、父が鬱で辛い時、話ができる時だけ電話で話をするようになりました。 しかし、鬱の人とお話するのはとても大変で、突き放すような事も言ったこともありました。 父は家で母と姉と暮らしていましたが、父の性格が子供のように我が儘で自分勝手なところがあり、そのせいで最後まで鬱病に関して理解をえられることがありませんでした。 そのことにとても苦しんでいました。 父はそれでもとても頑張り屋で、自殺はせず亡くなりました。 父が亡くなってみて、父の存在の大きさを痛感し、後悔が拭えません。 今になって、買っていた鬱病の本を読み初めて、こうしていればもっと父の気持ちを楽にすることができたかも、とか。 また、心理学の本を読んだとき、私は父を助けると言って、ただ、救世主気取りになり、家族の「特別な存在」になりたかっただけなのだと理解しました。 父は電話代が高くなるから…と言って、電話をかけてることが減っていました。 もしかしたら、私が中途半端に父を助けたいと思ったことで、父に酷いことを言っていたと思っています…というか自覚しております。 今ごろ気づいても仕方ないのですし、自分を責めても仕方ないにせよ、それでも自分を追い込んでしまいます。 父は最後まで鬱で、死ぬときは辛くなかったのでしょうか? 最後は幸せだったのでしょうか? 死んで楽になったのでしょうか? どう父の最後を受けとめていけばいいのでしょうか? 思いのまま書いてしまった為に、まとめきれずに申し訳ありません。

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今後生きていくために

初めまして。 ずっと悩んできたことを相談させてください。 30代前半の女です。 私は、20代前半に2人とお付き合いしました。ですが、私のこと好きなのかなと思ったり、既婚者であることを隠されただの遊びにされかけたこともあり、キス以上の関係にはなりませんでした。 元々自己肯定感が低いことや、男性を見る目がないこと、恋愛経験がほぼないことがあり、それ以降誰ともお付き合いしていません。 年齢のこともあり、周りの友人は結婚や出産をし、環境がどんどん変わっています。 友人の幸せにも不幸にも正直興味がないのですが、私は何も環境が変わらず、家族以外から必要とされない自分が惨めでしかありません。 どんどん性格も歪んでいますし、友人の幸せ話を聞くことで自分が惨めになることが辛くて友人に会うことさえも渋り、ドタキャンをしたこともあります。 幸せは人によると思いますし、独身者は結婚がしたくて(勿論全員ではないと思います)、既婚者や母親は自由時間や1人の時間が欲しいと感じたり、自分だけでなく家族間や夫婦間のことで悩むこともあり、人は無い物ねだりなんだと思います。 ただ、私は両親が仲が良いこともあり、結婚が幸せだという固定観念に縛られています。 私は性格が歪んでおり、外見にもコンプレックスが強く、この先一生一人で生きていくこと、希望がないまま生きていくのは辛いと感じることがあります。 それでも、死ぬ勇気はないですし、死んで親を悲しませることはしたくないため、この先も生きていかなければなりません。 私はどうしたら自分の性格と外見を受け入れて、自己肯定感を高めることが出来るのでしょうか。 内容が長く、稚拙で申し訳ありません。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 7
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猫の死への後悔

こんにちは。 初めての相談です。 私の母は一人暮らしで、17歳の猫を飼っていましたが今年の初めのほうに自宅で突然死しました。 猫は発見までの数日寒い中空腹に耐え元気でいてくれました。 私には重度の猫アレルギーの子がいて、引き取ることはできませんでした。 里親も考えましたが17歳のため見つかりにくいことが予想されましたし、「猫は家につく」というので、住み慣れた母のにおいが残る家で生活させ、私が毎日通って世話をすることに決めました。 春夏秋と高齢のため寝て過ごす時間が長いですがマイペースに過ごしたようです。 しかし晩秋になり食事量が極端に減ってきました。 寒さのせいかもとおもい、タイマーで部屋を暖めたり、湯たんぽを複数用意したり、毛布を増やしたり、食事をお気に入りの部屋に移動させたりもしましたが、10日ほどで母の迎えがきたようで、ある日いつものように訪問すると固くなっていました。 寒さが強くなってきていたのでペット用のカーペットを選んだり、こたつを買おうかと調べている矢先でした。 亡くなったことについては高齢ですし、本格的に寒くなる前に母が迎えにきてくれ、もう寒い思いをしなくてもいいのだと思っています。 しかしエアコンがタイマーだったので寒い中で我慢して旅立ったのか、誰もいない暗い部屋で旅立ったのかと悔やんでなりません。 もっと暖かい部屋でせめて母を待たせてやればよかった。 それよりずっと人がいるような里親を探してやればよかったのじゃないか。 そんなことをぐるぐる考えています。 私が夫の実家に帰省するときは2回ペットシッターさんにお願いしましたが、「里親を探さず、お母さんの思い出のある慣れた部屋で気ままに過ごすほうがいい」と言われ、自分の決断にその時は納得していました。 しかし今となれば、もっと環境的にも気持ち的にも暖かく見送ってやれたのじゃないかと思うのです。 そして私は猫が亡くなってから気が回らず、すぐに葬儀の予約をし、遺体を安置させてしまいました。 あとになり、体を拭いてやればよかった、ブラッシングしてやればよかったとおもっても遅かった。 そのことも悔やんでいます。 猫は葬儀・火葬後家の近くの霊園で眠る予定です。 どうしたらあの子と私は救われますか? よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 12
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