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hasunoha 問答検索結果 : 「 お経 」
検索結果: 2950件

いじめやパワハラはなくならない?

なぜ、いじめやパワハラがなくならないか考えてみました。 結論は、「なくならない」 ネガティブ感情や言動(不徳?)によって引き起こされるのではないかと考えました。 恐怖、不安、怒り、イライラ、不快感など。 価値観の固執は、他の価値観を受け入れないことになり、不安や怒りに繋がると考えました。 異質者対しては、大多数のものは不安や恐怖の感情を引き起こします。 社会不安は、生存の危機感を生み出します。 これらのことは、動物にも見られることで、個体の生存に関わることだと思います。老若男女、人種、民族に関わらず、互いの人権を尊重することが、いじめやパワハラのない社会に近づくのだと思います。 このようなストレスマネジメントや人権教育は、本来教育が担うべきものだと思いますが、残念ながらできていないように思います。日本のどこかの学校では、カリキュラムに取り入れていると聞いたことがあります。 医療や福祉の分野の方がだいぶ進んでいて、教育で生み出した問題を医療や福祉が引き受けているのが現状のように感じます。 人間は、自分の体を含む自然現象に逆らうことはできません。ライフイベントで、ホルモンバランスが崩れることがあります。そのようなときにどう対応するのか、男女差で体の中のバランスや変化がどのように変わるのか、互いを理解することが大切なのだと思います。互いを理解できなかったり、無理に抗ったりするから、ネガティブな感情が生まれるのだと思います。 楽観的思考でも、否定的思考でもなく、批判的思考ができるようにする。 起こったことをあるがままに受け入れる。 徳を積んでいきたいと思います。 以上のように考えましたが、仏教ではどのように考えますか?

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2022/04/24

ペットを殺してしまいました

私の不注意でペットを殺してしまいました。10年生きれるはずの命をわずか一年で奪ってしまいました。昔から動物が凄く好きで、一目惚れして飼った子だったのに。 最近始めた仕事が自分の気づかない内にキャパオーバーになってしまい、お世話ができなくなっておりお水がずっと空っぽだったことに気づかず脱水症状を起こし、朦朧とした意識の中頭を強く打ってしまい亡くなってしまいました。 凄く甘えん坊な子で亡くなる1週間くらい前からも構って構ってとずっと私に鳴いてきてたのに、疲れ切っていた私は無視し続けて構ってあげることすらもできなくなりました。 きちんと業者にお願いして埋葬する予定です。 こんな酷いことをした自分はもう動物が好き。と名乗る事は一切しないと心に誓っているのですが、この先どうやって生きていけばいいのか分かりません。自分が好きで飼ったはずの子の面倒も見れない私が生きている価値なんてあるのでしょうか。 今回のことが起こる前から希死念慮が強く薬も飲んでいたのですが、「罪を償ってその子の分まで幸せになる」って言葉を受け入れられません。奪ってしまった命はもう戻ってこないのだから...

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死後半年もたって知った義母の死

嫁姑の問題が警察沙汰にまでなり こじれにこじれ、主人は私と共に 姑から離れました。 まさに絶縁状態になりました。 しかし姑は超高齢。 主人は実の息子ですから もしもの時に後悔のないよう 連絡は取るように言っていたのですが、、、取り合ってくれません。 義母と連絡取り合ってた親戚から 「最近連絡取れない」とのことを聞き 主人に連絡とるよう伝えましたが 「何かあれば連絡くるはず」と言われてしまいました。 高齢の義母の側には義姉がいたので 安心はしていたのですが、その義姉が とんでもないことをしたんです。 . 絶縁状態ですから私のことも主人のことも 許せない気持ちだったのかもしれません。 でも、それでも連絡してほしかった、、 しかも親戚にも義母の弟にも、孫にも誰にも内緒にしていました。 あり得ないことです。 . おそらく昨年の5月ごろに入院し、8月に亡くなっていたんです。 あまりに連絡取れないので戸籍謄本を取り寄せて知りました。 . あまりに非道で 怒りというより 許せないというより 気持ちの整理がつきません。 . もう誰のことも恨みたくないのに 気持ちがついていきません。 お墓も某宗教のやりかたで埋葬したようで墓参りもできません。 . それでも御供養がしたいのです。 色々という言葉では片付けられない関係ではありましたが御供養したいのです。 墓にも行かれず、仏壇もない。 どのように御供養したらいいのでしょうか? 主人の後悔の深さを想像すると心配になります。 . 何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
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父の死を受け止めたいです

長い相談で申し訳ありません。 父が昨年の年末に亡くなりました。 父は可愛がっていた犬が亡くなり、その後ペットロスが酷くなり、鬱になりました。 また、鬱のため、弱った足腰を急に使った為に、腰骨を折り、身動きできなくなり、趣味だった射撃も鬱になってからは減りましたが、全くできなくなりそのまま亡くなりました。 私は犬が亡くなってからすぐに妊娠し、出産し、また、子供は産まれてすぐ入院し、病気が見つかった為、実家の問題には全然無関心でした。 子供の身体が元気になって、心に余裕ができたときに父の病気が酷くなっている事を知り、父が鬱で辛い時、話ができる時だけ電話で話をするようになりました。 しかし、鬱の人とお話するのはとても大変で、突き放すような事も言ったこともありました。 父は家で母と姉と暮らしていましたが、父の性格が子供のように我が儘で自分勝手なところがあり、そのせいで最後まで鬱病に関して理解をえられることがありませんでした。 そのことにとても苦しんでいました。 父はそれでもとても頑張り屋で、自殺はせず亡くなりました。 父が亡くなってみて、父の存在の大きさを痛感し、後悔が拭えません。 今になって、買っていた鬱病の本を読み初めて、こうしていればもっと父の気持ちを楽にすることができたかも、とか。 また、心理学の本を読んだとき、私は父を助けると言って、ただ、救世主気取りになり、家族の「特別な存在」になりたかっただけなのだと理解しました。 父は電話代が高くなるから…と言って、電話をかけてることが減っていました。 もしかしたら、私が中途半端に父を助けたいと思ったことで、父に酷いことを言っていたと思っています…というか自覚しております。 今ごろ気づいても仕方ないのですし、自分を責めても仕方ないにせよ、それでも自分を追い込んでしまいます。 父は最後まで鬱で、死ぬときは辛くなかったのでしょうか? 最後は幸せだったのでしょうか? 死んで楽になったのでしょうか? どう父の最後を受けとめていけばいいのでしょうか? 思いのまま書いてしまった為に、まとめきれずに申し訳ありません。

有り難し有り難し 10
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