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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗教 」
検索結果: 2816件

お供え物おばあさん(おじいさん)について

長文です。21才男。 僕が「お供え物おばあさん(おじいさん)」と呼んでいる方々・事象について、 似た例をご存知の方がいたらお教え頂きたいです。 以下過去の事から書きます。 僕は小2の時に、両親の離婚がきっかけでとある場所に引越しました。 母方の祖父母宅に移住した形であり、 その地域は限界集落に近い田舎です。 そこでは、僕に「お供え物」と称しお菓子なんかをくれる年配の方が屡おられました。 供え物と仰るから、僕はお礼を述べて「家の仏壇に供えさせて頂きますね」と続けるのですが、物を下さった方は 「いーや、あんたの為にあげたんやで!」と大体僕オンリーの使用を促します。 まあ了解ですと貰うのですが、僕からしたら謎です。 ・「お供え物」という表現が方言であるケース ・幼子・若者にお供え物をする地域文化があるケース ・余所者へのかなり遠回しな嫌がらせ 等を考えましたが、現地の同級生は貰っておらず、僕の弟達も出会していないとの事でした。 方言の線は、中学生の時についにお菓子でなくガチの線香セット(お洒落な事にラベンダーの香り)をプレゼントされた際に「普通の意味のお供え物かい!」となり、消えました。 自分で自分に線香あげ、思春期スタートダッシュを切りました。 嫌がらせに関しては、物を下さった方のお葬式に参列した際、 ご遺族の方から「貰ってくれてお話も出来てととても嬉しそうだった」と普通にお礼を言われたりして、成程この線を考えたのは失礼であったという結果です。 そして地域を出た後19才の頃、名古屋のど真ん中で初対面の「お供え物おばあさん」に遭遇しました。 名古屋訛りで「あなたに渡すのにお供え物買ったんだから!」的な事を言われ、 僕はご婦人の落雁をもぐもぐし、そこから新たなお供え物イベント更新はありません。 しかしこの名古屋の一件で、 ・地域特有のムーブ・現象である ・自分の家用に用意したお供え物の消費先に困った方が、僕にプレゼントしてくれる という、2つのケースに当てはまらない可能性が高いという事になってしまいました。 あげるのが僕の為という段階ですらなく、僕の為に買ってくれた訳です。 ああ僕にお供え物してるのか、と気付くのに10年以上かかった事になります。 しかし不思議がってきたものの、これ実は僕が世間知らずなだけで、こういう風習は日本に存在するのでしょうか?

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97歳の祖母の愚痴

  お坊様聞いてください。   祖母は母が怒るのでいえないので私に愚痴を言ってきて   困らせます。   それは20年以上愚痴には付き合ってきましたが   このごろはひどいようです。     母は朝から通院で市内へいっていたので  留守でばばに昼ごはんのおかずを   チンして食べさせていたら   「ご飯が多いねん」とか   朝からしんどいねんとかいいながら   せっせと部屋の掃除をしてました。   そのときは知らん顔して食べやと言ってたべさせたけど、   夕方とうとう私が怒りました。   ばばには感謝の気持ちがないのか?   ご飯が多かったたら自分で調節しいといったら   「ごめんなさい」とおやまってきました。   母がたくさんいれても何にも言わないのに   私が入れると多いとか食べたくないとか愚痴が出て   困り者です。   デーにいくときあまりしんどかったら   ドリンク飲ませていくんですが   ない日まで飲ませることは   お金がかかってパンクします。   97歳だからしんどいのはわかるけど、   毎日しんどいと私にいっては動いているので   それなら寝ててほしいですね。寝るのがきらいなばばです。   しんどくても朝や昼は寝ない祖母でここずっと   しんどいしんどいと聞いてこちらがしんどい思いをします。   母にいうと怒るからかすべて私にいいますが私も自分の病気を   たくさんかかえていて疲れます。   なぜこんなに97歳になった祖母は去年あたりから   愚痴が多くなったのかなと思います。   愚痴がはじまったらどこかへ非難したほうがいいですよね。   それと祖母を看取って少ししたら夢をかなえるために   電話占い師のオーデションうけようと思っています。   そのために父の禅宗から真言宗にしたほうがいいと   霊能者さんに言われたとき金縛りにあってそのご先祖さんを   真言でかえってもらいました。   私だけが最強の真言を唱えて後   なむだいしへんじょうこんごうと3回いって寝ます。

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仏教について知りたいです

私は、高校生の時に父の母(日本のお祖母ちゃん)のお墓参りをしたいと思い立ち、バイトで旅費を貯め、産まれて始めて国内一人旅をしました。 それまで、キリスト教の母親の母国で生活をしていたため日本の文化や風習など、わからない事がいっぱいありました。日本に帰国したのは私が中学三年になったばかりの頃で、帰国子女で日系人だったこともあり、イジメの的になりました。そこから私は明るさと本当の笑顔を失いました。鏡や写真に映る自分を見るのが嫌になりました。自分の話す日本語にも不安を覚えてしまい、黙り込むようになりました。 あるとき、父親から日本のお祖母ちゃんはお寺の娘さんだった事を知り、お祖母ちゃんのお墓参りをしたくなりました。 そして、父親が教えてくれたお寺を目指して京都の福知山市にまで行きました。道中、兵庫県の無人駅で降りてしまい、徒歩で京都の県境まで歩くなどいろいろありました。三時間以上歩き続けてやっとの事でお寺に着きました。そしてお寺の方が自分の遠い親戚にあたることを知りビックリしました。いままで、日本の親族に会ったこともなかったのですごく嬉しくなりました。 しかし、残念ながらお祖母ちゃんのお墓が松江市と千葉県に分骨してあると知りお墓参り出来ませんでした。 私がお寺に行った事によって、その後は父親の家族(7人兄弟)から連絡が来るようになり、絶縁だった父親の兄弟の和を復縁させるきっかけになりました。そして、半年後にお祖母ちゃんのお墓参りができました。 私が仏教に関する事に触れると、なにか良いことが起きるみたいに感じます。もっと仏教について知りたいです。こんな私でも、仏教について学んでもいいでしょうか? あと、ひとつだけずっと気になる事があります。 当時お寺に行って一晩だけお寺に泊めてもらえました。その翌朝お手洗いに行く途中、足の指先を蜂に刺されました。これは何かしらのお告げだったのでしょうか? 長文になり申し訳ありませんが回答の方をよろしくお願いします。日本語間違っていたらすみません。

有り難し有り難し 38
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宗派にこだわるべきでしょうか?

お世話になります。 先月父が亡くなりました。 父の実家は真言宗のお寺の檀家ですが、父は長男ではなくまた飛行機の距離に住んでおり、お寺との関わりはほとんどありません。 そのため今の住まいの周辺でお墓を探すことになりました。 母と姉と姉家族、そして私で近所の民間霊園と寺院霊園(浄土宗)の見学に行きました。 私たちは寺院霊園の印象が良く、そちらに決めようとしました。 しかし管理寺院の住職の方に「焦らなくても良い」と熟慮することを薦められ、契約には至っておりません。 そんな中母がやはり今後の法要のことを考えて、真言宗ではない寺院霊園は止めるべきでは、と悩み始めました。 ちなみに母の実家は浄土真宗の檀家だったため、あまり熱心ではありませんが「南無阿弥陀仏」が落ち着くと言っております。 寺院霊園は宗派は問わない、檀家になる必要はない、但し寺院で法要等を行う場合は他宗派では行わない、とのことでした。 このような状況ですので私としては寺院霊園が良いと思っているのですが、母の気持ちを考えると押し切るのは良くないと思います。 ただ生前の父はお経を唱えることもなくまた初詣やお祭りくらいにしかお寺に足を運ばなかったため、信仰や宗派にこだわっているようには見えませんでした。(一度尋ねたことがありますが、こだわっていないとの回答でした。) そのため真言宗にこだわって民間霊園にしようという母の意向に従えない思いもあります。 真言宗にこだわるべきか? 気にしなくても良いのか? 出来れば心の持ち方の御指南をいただきたくお願いいたします。

有り難し有り難し 68
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僧侶の威厳と戒律

毎回、私のは質問というよりイチャモンと言った方がよいかもしれませんが、今回もよろしくお願いします。 私(S40年代生まれ)の子供の頃は、現在よりもずっとお坊さんは尊敬される存在であった気がしますが、現在の僧侶の威厳の低下(私にはそうみえる)はどこに原因があるのでしょうか? それは、現在の僧侶の大半に、戒律を厳守して生活している印象が全く無い、というところが大きいのでないか(あくまで部外者の印象で、実際のところはわかりませんが)と私は考えます。 「威厳なんていりません」とおっしゃるかもしれませんが、毎日、朝夕「三宝に帰依します」と唱えている側にしてみれば、やはり僧侶には、仰ぎ見る存在であってほしいのです。 現在、僧侶(日本仏教界)にとって戒律はどのようなもので、どれくらい重要視されているのでしょうか? ぜひ、ご意見をお聞かせください。 ちなみに、私は仏教徒であることを強く意識するようになって、五戒のうち、せめて不飲酒戒の一つだけでも、死ぬまで守り通そうと決めて、十四年間一滴も飲んでいません。それ以前は、ひどいもんでした...。       私は本当に仏教に救われたと思っています。

有り難し有り難し 102
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心が壊れてしまう

混沌とした世の中で暮らしていくのが辛く苦しい、この閉塞感の中で平和でもない中オリンピックなど開催しウイグル地区の人達への人権侵害で政府関係者のボイコットなどしても何の意味もなく国の威信をかけての見せかけの平和の祭典に連日お祭りのように報道するマスコミにもコロナ禍とし場当たり的な対応する政府にも嘘が見え隠れし心を保って生活するのが難しく感じています。  ミャンマーのロヒンギャ難民の人達の悲惨さも軍事政権の横暴さにも胸が痛くなります。ミャンマーの人達の解放のためにNPO法人などで助けになろうとされている知人もいます。私も自分の出来ることはと寄付や募金などしていますが、出来ることは少なく苦しい思いです。自分が今あるところで自分の出来ることをして日々生活していくしかないと思いますが、理不尽なことがいつまでまかり通るのかと心が壊れそうです。 都市部は情報が多く心が惑わされることが多いのかもしれません、都市部で働いて都市部で生活するのに疲れました。都市部から離れて自然と共に生活して自給自足までは難しいとしても自然の営みの中での生活をしたいと思います。報道番組はなるべく見ないようにしていますが、連日のコロナ騒動の話題が辛いです。自分の与えられている環境に家族もいて仕事もあることに感謝はしていますが、心のざわめきが抑えられません。どうしたら心を整えて生活していくことが出来るでしょうか、このままでは心が壊れてしまいそうです。

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「宗派にこだわらない信仰」についてどう思われますか?

例えば浄土宗の檀家で、普段は念仏を唱えているけれど、ときどき座禅や阿字観に参加したり、お護摩に参加する。 そう言う人が知人に居ます。 私の場合、浄土宗で冠婚葬祭も勤行も、阿弥陀様メインではありますが、同時にお不動様と大黒天様に惹かれ、こちらも勤行しています。 (浄土宗のお寺にも多くは無いですがお不動様をお祀りしている所があるので、大きな軋轢は無いだろうと思いました) 最近、一般向けの仏教の啓蒙書でも、そうした「宗派にこだわらない」立ち居地から仏教を紹介している本も少なくないように思います。 私も、とある有名な仏教解説者の影響を受けて、こうした立ち居地が、個人的に合うように思い、そうしてきました。 ただ、色々と仏教を勉強していると、「そうした信仰はよくない、宗派は1つに絞るべき」と言う意見にも、しばしばぶつかります。 最近では、浄土宗の檀家の私が、護摩に参加するぐらいならともかく、結縁灌頂まで受けるのはやり過ぎかな? と悩んだりもしています。 お坊様は「宗派にこだわらない信仰」についてどう思われますか? この質問は聞きずらいですし、お坊様がたもお答えしずらいかもしれませんが、「宗派にこだわらない」一般仏教啓蒙の影響を受けた者には、けっこう切実な悩みです。 よろしければ、ご意見を伺えたら幸いです。

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