2021/07/30知識や記憶に惑わされ苦しい
「人徳」問題で、釋悠水先生には2度までも、日延上人にもそえぞれ懇篤なお返事を賜り感謝に堪えません。あるがままに生きてゆくほかはないのか、と次第に心定まりつつあります。ありがとうございます。
思えば今生では仏教にも仏教学にも相当に御縁を頂き、まずは深い感謝をささげるべきところ、さまざまな事情からここ10年ほど、要するに人生がしょぼく、差し当たって切迫した事情にはないものの、それでも将来を思うと、焦燥に駆られます。この場をお借りして三度まで発した「人徳」問題も、ひとえにそのことに絡んでおります。
詳しくは書けませんが、いろいろと物心両面でよくして下さった(下さっている)寺族の友に恵まれる一方、さまざまな逆縁から疎遠になった寺族の知人もおります。
そして後者に属する人々は、私が万一ぶざまな死に方をすれば、恐らく喝采するであろうことを思うと、なにくそ!と思いつつも、なかなか好転しない事態に焦りを募らせる一方でございます。
ここでいう「好転した事態」とは何を指すのかと言えば、自分ひとりまあどうにか食べてゆけて、ささやかながら晩年まで調査研究の成果を公にできて、というところでしょうか。今のところまだ、どちらも心もとない状況です。
先般、釋悠水先生がおっしゃったように、「仏様が居て下さったらそれで十分だと」思える姿を目指しとうございますが、そうなれるのも、反対になれぬのも、ひょっとして御縁であり、あるいはそこまでは到達できないのではないか? とも危惧しております。
ほんとに因果なことに、せっかく賜った御教示を素直に胸に落とせぬ自分がおります。悠水先生並びに他の回答僧諸師をがっかりさせてしまい申し訳ございません。御教示を奉じてゆく気持ちだけは捨てませんので、どうか折を見てまた御教示賜りたく、お願い申し上げます。
有り難し 18
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