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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

2024/08/14

年老いていく父

2年前に相談させていただき、その時はありがとうございました。 改めてまたご相談させてください。 私は精神疾患の母にずっと翻弄されてきました。その間は心身共にずっとギリギリか限界なところで生きてきました。 そして母からは離婚した父はいかに酷い男かをたくさん聞かされるかと思えば「父」というワードは禁句な環境でした。 でも、私は父が大好きだったので、母に内緒で夏休みに片道数時間かかるのに、日帰りで会ったりしていました。 父も母に相当振り回されて離婚に至っています。 母は私への依存心が強く、非常に傷つきやすいのですが、私を側にいさせるように天然で支配するような人なので、私は父のことを普段は考えないようにもしていて、実際に忘れている日の方が多くありました。 その母がようやく施設に入る形で落ち着き、私も晩婚という形で結婚をしました(子なし)。 するとこれまで蓋をしてきた父への気持ちが溢れ、物理的な距離が大きい中で、会う機会を作ったり、ほぼ毎日メールで連絡ができるようになりました。これは私の中では革命的な出来事と言っていいくらいでした。 ところが、ようやくこのような状況になれたのは、ここ2.3年ですが、すでに父は後期高齢者の年齢になっていました。 何でもひとりでできる父。でも、老いは抗えず、会う度に小さくなくなっている気がして胸が張り裂けそうになります。 本当は父も今までひとりでずっと寂しい思いをしてきたのに、母の世話が大変だからとこれまで放置に近い状態だったことへの罪悪感と申し訳なさでいっぱいになります。 せっかく親孝行が出来たと思っても帰りがけには、お弁当代といって数万円渡され、結局もらってばかりの自分。 新幹線での別れ際はお互いに強烈な寂しさに襲われるけど、平静を装っています。 旅行に連れて行ける状況になったのに、その時には父は長く歩くことはできなくなっていました。 そして父は自分が死んでから、家をどうするかなど優しく語ってくるのです。 残された少ない時間を目いっぱい愛情をかけようと思いながら、物理的な距離の大きさと、これまで何もしてあげられなかったこと、してもらってばかりなことで涙が止まらなくなります。 これまでの何十年と寂しい思いをさせてしまった罪悪感とどう向き合えばいいでしょうか。助言をいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1
2024/08/11

介護で家族に疑念を抱いてしまいました

3月に母が大病にかかり入院。5月に退院をし以降通院をしながら治療継続してますが、長引いた入院から介護状態に入りました。 私には3才下の妹がいますが、介護の捉え方の違いからか疑念と怒りをもってしまいました。入院中私は毎日お見舞いにいき、退院後はフルタイムの仕事と中学受験生の子供のスケジュール調整を必死でしながら実家まで片道1時間半の往復をしながら介護をしてます。妹は実家の近くに住み専業主婦なのに、子供(2歳と5歳)と自分の体調不良を理由にお見舞いも介護 をしません。それでも両親は、妹には負担をかけたくないと特段お願い事はせず、私には無理な調整をお願いしてきます。今は母の治療と回復を優先しなければならないのに、介護の疲れもあるのか両親と、妹への怒りが止まりません。特に妹に関しては両親から特別扱いをされているからと、幼稚な理由からである自分が腹ただしく、それを理解してるからこそ余計苦しいです。このままだと大喧嘩をしてしまいそうなので(軽いのは一回してます)、自分の心を平静に保つため、母の回復に集中するためにどの様に考えればそれを実行できるのか、アドバイスを頂けないでしょうか。

有り難し有り難し 20
回答数回答 1
2024/07/21

15年来の友人の死について

7月20日に友人が突然死しました。 気持ちの折り合いがつきません。 19日に友人とお茶をしたのが最後となりました。 あの時体調が良くないと言っていた友人を襟首掴んで病院に連れて行っていたら、あの日の夜息苦しいと言っていた友人宅に勝手に救急車呼べば、窓ガラス割ってでも室内に入っていたらと自分を責めてしまいます。なんで躊躇ったのか、どうしてできなかったのか、合鍵がないからといって家族に先に連絡しないで私が警察を呼べばよかったのに、苦しいと連絡があった時に終電があったんだから家に押しかければよかったのに。 躊躇わなければまだまだ楽しい時間を彼女は過ごせたはずでした。 街中を歩いても一緒に行ったカフェや次に遊ぶ時行ってみようと言っていたレストランを見ると「自分が彼女の人生の時間を台無しにした」と思ってしまって潰されそうになります。もしかしたらもう潰れているかもしれません。 友人を亡くしたのは初めてです。どうしたら心に折り合いを付けられるか全く分かりません。ご家族からは「貴方のせいじゃない、自分を責めないで」と言われましたが出来たことはあったのにやれていない自分が許せないです。

有り難し有り難し 29
回答数回答 3
2024/07/15

考えない方が楽だけどこれで良いのか

いつもお世話になっております。 以前から死の恐怖について相談させていただいておりました。 最近は仕事もプライベートもそれなりに忙しく充実しております。体力的にも時間的にも死の恐怖に囚われている時間は少なくなり、心安らかに過ごしていました。 ですがふと、 やっぱりこの世は諸行無常で、今の幸せや充実もいつか無になり、私は私を自覚できなくなり、死んだあとは未知でしかなく、「死」という未来が待っている以上この先の人生のエンディングは絶対的な絶望なのだ、と 以前と同じ恐怖が強くよみがえりました。 日々の幸せに夢中で死を考えなくなり、「まあでも、これが今の私なりの死への向き合い方なのだろう」と甘く捉えていましたが、 結局、恐怖は忘れていただけで、死ぬ事実も絶望感も変わらずに私の中に存在します。 たくさんのお坊さんにご回答をいただき積極的に「心安らかに死んでいける心持ち」を探し求めても、知識だけが増え頭でっかちなまま、結局は恐怖も絶望感も拭えぬまま、不安な心のままです。 お坊さん方の視点から、私は今後、どのように死と向き合ってゆくのが良いと思われますか。 積極的に怖さに向き合い死を学ぶショック療法のような形か(ただ、もう死の恐怖に面と向かって辛い思いはしたくないという甘えも自分の中に今はあります)、 それとも自然の流れに身を任せて死を忘れたような日々を過ごすのか(そのうち死を自然と受け入れられると信じて)、 はたまた仏様に全てを任せ不安な心持ちのまま生きてゆくならば、まだ心の底から仏様を信じられない愚かな私の、実在する「不安な気持ち」をその都度「大丈夫」と躱していけばそのうち信心が得られるのか、など。 もちろん最終的に何を選択するのかは私が決めるべき問題と思っておりますが、 なんだかもう、自分でもどうしたら良いのか分からなくなってしまったため、アドバイスをいただけたらと思います。 お忙しいところ大変恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 2
2024/07/10

希死念慮

ほぼ愚痴になります。ご容赦ください 私は現在肉体的な持病。元来の気質かうつ病気質でもあり、現在外出すら困難な状態です。所謂引きこもりです。外の世界や新しい経験、そして人の悪意が、10年経っても怖くて堪らないのです 絵を描くことが好きですし、特技であり生きるモチベーションでした。しかし昨年、原因不明の指の症状のせいで、箸もペンも持てなくなりました。生き甲斐や、私の唯一の価値どころか、日常生活すら困難になりました。ですが、当時の私の友人の中に、私が絵を描き精進することを望まないタイプの方がいたようで、その友人の願いが叶ったのかなと、今では思っています。そう思えば、私はいくらか人の役に立てたと思えるからです。でも、本当の私の心は様々な意味で痛く、悲しいです 私の誕生日を覚えてくれるような友達も、いなくなりました 勿論別れには各々異なる理由がありましたが、別れ際「あの人は嘘つきで精神疾患はは偽物」「我儘」「そもそも相性が合わなかった」と言い触らされた事もありました。それらが事実であったのか、短所を誇張された悪口だったのか、当人の私には分かりません 友達だと言っていた筈なのに、途端発せられたこれらはかつての友に対する言葉ではないのでは?と思った時、友達だと思っていたのは私だけだったのだと気付いた時は、本当に消えてなくなりたくなりました もう私には、存在する価値が、目的が、希望や願いが、他人にも自分にも、ないのです なるべく早く、世のため人のため私のため、自然な形で息を引き取りたいと願わない日はありません 心穏やかに、せめて過ごしたいと、今は思っています 上手く言葉にならず申し訳ありませんが、読んで下さりありがとうございました

有り難し有り難し 24
回答数回答 1
2024/07/05

死んだら無になることへの恐怖

もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2
2024/06/23

私は人を見下すクズですか?

 いつもお世話になっております。私は自分も発達障害を持ちながら、 他の障害者が大嫌いです。  なぜなら、彼ら彼女らは ・感謝をしない ・健常者を敵対視し、尻に敷こうとする ・モラルがない ・病院を怠けるための錦の御旗にし、社会貢献意識がない ・人が嫌がる事を喜んでする(特に健常者または健常者サイドの  障害者に対し) ・頑張っている人を見下す など、迷惑千万な輩が多いからです。色んな方から、「そんな人 ばかりじゃないよ」と言われますが、慎ましい障害者を見たことが ありません。  差別や偏見がなくならないのは、こういった輩のせいが大きいと 思っています。  私は、デイケアの担当指導員さんや主治医の先生と、このような お約束を交わしています。 ・乱暴な言葉を使わない  →乱暴な言葉は怒りの言葉。怒りは、自分の脳にも負担をかける   から、使わない。乱暴な事が言いたくなったら、言い換えるか、   楽しく建設的なことをする ・人を見下さない  →どんな時でも、人を見下してはいけない。人を見下すのが癖に   なってしまい、普通の人と話しているときも、発言等にぽろりと   出て、結果的に「あの人は人を馬鹿にする」と言われ孤立するから  私の原動力は、「他の最低な障害者と一緒にされたくない」が7割、 「社会と医療福祉への感謝」が3割です。その原動力で、勉強を 頑張ったり、道や電車の中で人助けに勤しんでいます。  同時に、私は、自分が障害者であることで、周囲の人を怖がらせて いないか不安です。  私が尊敬する、生化学研究者の「くられ先生」という方は、 「人は、不健康な存在を見ると恐怖を感じるように進化した。 なので、障害を負う人たちを見ると、当然違和感を感じる」 とおっしゃっています。 「しかし、障害について勉強している人や知っている人は、 『この人はこういう障害なんだ』と理解してくれる」 ともおっしゃいます。  なので、私は少々ご協力が必要なため、鞄にヘルプマークを 付けています。それだけだと下品な印象を与えかねないと思い、 ヘルプマークの脇に「感謝」とプリントした、手製の大きなキー ホルダーをつけています。服装やメイクも気を付けています。  私は、先生方との「人を見下すな」というお約束を破っている のでしょうか?

有り難し有り難し 22
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2024/06/12

自死した母は今苦しんでいるの?

母が亡くなって11年経ちました。 母の魂は今苦しんでいるのでしょうか? 重い肺炎を患い、私たちきょうだいに迷惑をかけまいと死を選んだ母。 母は無宗教で戒名つけてほしくない、菩提寺もない、お葬式は好きだった曲を流して親戚だけでお別れ会のように執り行いました。 その後お坊さんとの御縁があり、自殺した人の魂は自然死の魂と違って成仏するのに修行がいったり時間がかかったたりするとお坊さんから聞きました。 そこで高野山に行って母の回向をしていただいてきました。 去年は10年の節目なので、ペット供養でお世話になっている市内のお寺で、母の供養をしていただき、13回忌とのことでそのお経もあげていただきました。 私は母の魂は存在すると思っていますが、宗教に関して全く無知です。もちろん仏壇はありますが、一般的なお線香をあげて祈るくらいのことしかしません。 母の魂は今苦しんでいるのでしょうか? 生きてるときに私たちや他人のために人生を捧げてきた人です。 たくさんの苦しみがあった人です。小さい頃からとてもたくさんの苦労をしてきた母が、死の選択をしてもまだ苦しんでいるのかな…と思うと、今生きている自分に何かできないかなと思っています。お金がないので、お線香をあげたりご飯やお水をあげるだけなんですが、何か母のために今の私ができることがあるんでしょうか? 前に質問させていただいたのを見ていただくとわかるのですが、私自身今気持ちの病のような症状が出ていて、母はこんなときにどうしていたんだろう、こんなに病んでしまった私を見て悲しんでいるのだろうかと思ったり…。 たくさん苦労して、たくさん自分を犠牲にして、そうやって私を育ててくれました。 私も今は辛くて辛くて死にたいときもあります。でも母のおかげでこうして主人と小さな幸せを毎日どうにか見つけているんだと思います。 苦しくて死んでいった母にもう苦労させたくないです。 何か私みたいなのでもできることがありますか? 母は今苦しいですか?

有り難し有り難し 5
回答数回答 1