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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

精神疾患 夫から急かされる 疲れました

7年ほど前から睡眠障害・パニック障害を患い、3年程前に双極性障害と診断されました。 双極性障害と知らないうちは、今思えば躁期が来るたび「自分ならできる」と信じ、会社に求められるがまま、精神より先に体の不調を自覚するまで働きました。 働きすぎる傾向は、親との関係や異性関係から、自己肯定感的なものが低く、自分を肯定する材料を「仕事」に求めがちだからなのだと思います。 転職先でも忙しい部署に配置され、必死に働いていたらまともに通勤できなくなったので諦め、今はお金がないのでアルバイトを掛け持ちしています。 本題ですが、人と同じ部屋ではほぼ眠れないため、一人で寝るようにしています。 しかし夫は「いつ治るのか」「いつまで我慢すればいいのか」と定期的に強い口調で尋ねてきます。 そのたび「体調がこのように芳しくないため、もう少し日数がほしい」と伝えています。 これを数年のうちに10回くらいやりました。 話し合った日の夜は、一人でも、一睡も眠れません。でも翌日は、わたしも朝から夕方まで仕事があります。こうなることもかなり負担です。 先日、事故で利き手を骨折し、かなりまいっていたのがやっと治ってきたところにまた「いつまで待てばいいのか」という話をされ、わたしも「もうこんな人生飽きた」「頑張って治したいということが伝わらないのであれば、しかたないし、あちらの気持ちももっともだし、死ぬ気で頑張って、またグチャグチャになったら考えればいいか」という気持ちになってしまいました。 相手にそこまでは言いませんが「じゃあこれからなるべく一緒に寝よう」と伝えたら、相手は気が済んだようで、話し合いは終わりました。(その後やはり一睡も眠れませんでしたが) もうめんどくさいし、自分も嫌になってきたし、死ぬ気でやろう、 という気持ちと、 どうせ病状悪化してまた繰り返しだし、めんどくさい、死にたい という気持ちが1日の中で何度も、交互に襲ってきます。 それにも疲れました。 悪化して死ぬならまだ(少なくともわたしは)楽かもしれないですが、人間そうそう死なないのでたぶんまた生き地獄です。 でももう急かされるのにも、 自分がいつ元気に生きていけるのかとうんざりするのにも、全部に疲れました。 気の持ちようがわかりません。 死にたいですし死ねば解決しますが、最初は別に死にたかったわけじゃないと思います。

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虫の知らせというのはあるのか知りたいです

私の母は孤独死をしました。死因は気管支喘息の発作でした。 亡くなる数日前に食べ物などを買って母の家に持っていきました。 普段から喧嘩ばかりだったので早く帰りたかったのでさっさと荷物を置いて、帰る支度をしていたら、母がいきなり 「借金の返済の残りを代わりにしておいてくれる?残りは全部あげるから」 と言ってキャッシュカードを渡してきました。 今までお金に対してはうるさかった母がなぜ?と思いましたが、早くとにかく帰りたかったので 「わかったよ」とぶっきらぼうに言ってしまいました。 玄関で靴をはいていたら、 「もう少し一緒にいてよ」 「一緒に焼肉食べに行きたいな」 と言ってきたのですが、いつものことだろうと思って 「人待たせてるから今度ね今度」 と言って出てきてしまいました。 その一週間後に母が亡くなっているのを見つけたのですが、 その日の数時間前に、私の履いていた靴紐が切れたのです。 その時にふと母のことを思い出し、 お金がなくなったり食料がなくなったら何回も連絡してくるのに、ないなと思ったら急に胸騒ぎがして、母の家の近くにある警察署に連絡をして家に見に行ってもらったところ、 母親が亡くなっていたということです。 最期に会った日のあの出来事は、いわゆる虫の知らせだったのでしょうか? 遺体確認のときに日にちが経っていて腐敗していたこともあり、火葬の時の最期のお別れもしませんでした。ショックでしたので。 でも年月が経ってもう少し一緒にいてあげて焼肉を食べに行ってあげればよかったなとか、最期のお別れもきちんとしてあげればよかったなととても後悔しています。 あの日の出来事が虫の知らせだったのかということと、 母親に対していつもどんな気持ちで過ごしていけばいいかを教えてください。 よろしくお願いします。

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夫を亡くしました。

先月、夫が心臓発作で亡くなりました。 私は前日から出かけていて帰宅後すぐに気付かず(夫も出かけていると思ってました)夜になって自室のベッドで冷たくなった夫を発見しました。 検死の結果、その日の明け方に亡くなったようです。 その時の衝撃と別人のような夫の顔は、一生消えないと思います。 「亡くなったことも帰宅後すぐ見つけなかったことも、あなたが悪いんじゃない」と周囲の方は言ってくださいます。 夫とはいろいろありましたが、二人の生活になってから本当に優しくなりました。 なのに私は亡くなって半日以上も放置したのです。 両親のお墓参りもしない人でしたので、戒名は付けませんでした。 私の心の区切りとして、葬送はお坊さんに読経してもらいました。 今も毎日供養の気持ちでお線香は焚いています。 感謝の気持ちと、気付くのが遅れたことを謝り泣いています。 私は夫に施しを受けてばかり、夫は自分のことは後回しにする人で、多くを望みませんでした。 幸せな人生だったのかと思うことがあります。 酒と煙草をやめられず、最後の夜もきっと嗜んでいたと思います。 入院などして好きなこともできず亡くなるのも気の毒だけど、最後まで好きに過ごして突然亡くなる… 本人も未だに自分が死んだことに気付いてないのでは?と思います。 また最近は、私たちが嘆き悲しみ送り、お骨上げをしたのは本当に夫だったのか、それさえ信じられなくなりました。 まだ悲しみに浸っていていいと思いますが、自分のおかしな考えに自分自身呆れることもあります。 私の気持ちと関係なく、周囲は日常を過ごしています。 親しい友人にも、心の内を話すことができなくなりました。 子供たちのことを考え、新しくお寺付き合いをしない私がこちらに相談するのも烏滸がましいことですが、誰かに聞いてほしくて…すみません。

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大切な人ほど側に居てあげられない

大好きな母方の祖父が去年、突然がんになってしまいました。 元気で体力もあって、毎日畑仕事をこなす人だったので今でも信じられないくらいです。 手術後は出来ていた会話も、今はほとんどできず目を開けることも難しいようです。 入院を経て現在介護施設にいますが、先日やっと面会することができました。 1年前とは全く違う状況になってしまったのに、それでも必死で生きようとしている祖父の姿に家族で号泣してしまいました。 反対に同居している父方の祖父は元気で、体の悪いところは何もないようです。 嫁である私の母が食事の世話をしている以外は高齢になった今でも一人で自分のことはできます。 しかし父方の祖父のことは家族みんな大嫌いです。 理由は、昔私が子供だったころからいじわるをされてきたからです。 いわゆる毒祖父です。 孫である私や妹が幼いながらに駄々をこねたり、泣いてかんしゃくを起こすと機嫌が悪くなり、気に入らないことがあると怒鳴られました。 そんな祖父にいつも怯えて生活していました。 子供のころ辛かった経験は、大人になった今でも鮮明に覚えていて本当に苦しくなります。 今は私と妹は離れて暮らしていますが、 父と母は同居しています。 その父と母が大切に育てていた花を勝手に刈り取ったり、干してある洗濯物で掃除をしたり考えられない嫌がらせのようなことを繰り返すようです。 特に母は取り繕って祖父とコミュニケーションを取らなくてはならないのが本当に嫌で離れたいが、仕方なく一緒に暮らしているといった状況です。 「こんなこと思っちゃいけないけどね」と本人は言いますが… 大好きでいつまでも元気でいてほしい人は病気になってしまい側にいてあげることができず、 逆に家族であっても自分に辛い思いをさせた人は元気で近くにいることがどうしても受け入れられません。 考えてもどうしようもない事なのに、辛くて涙が出ます。 母も相当なストレスのようで心配になります。 どのような心持ちで毎日を過ごしたら良いのでしょうか。

有り難し有り難し 30
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死の恐怖への対処法

いつもお世話になっております。 死への恐怖が強く、以前よりご相談させて頂いております。 私は、本当に死ぬのが怖いです。 なぜなら、死んだ後どうなるか分からないからです。 仏教の中には、死後について細かく書かれている本や考えもあるとご教示頂き、いくつか拝読致しました。しかし、大変申し訳ないのですが、信じることができませんでした。 死んだ後帰ってきた人は居ません。ということは、少なくとも私の今生きている世界では、死んだあと私の意識がどうなるかについて明確な根拠と理論を持って説明できる人は、いらっしゃらないのではないかと考えてしまい、信じられませんでした。 次に発想を変えて、恐怖心を消すことを考えました。死ぬことは変えられなくても、死の恐怖さえどうにかなればいいと思い、怖くなったらお念仏を唱えるように致しました。仏様にすべておまかせするという考えです。しかし、これは一時凌ぎで、恐怖が何度もぶり返すようになってしまいました。死が「自分ごと」だと認識すると怖いのです。お念仏を唱えている間は、死が「他人事」のように感じられて、死が遠くにあるような感じになり、一時的に怖くなくなります。きっと、私のお念仏のやり方に、何か間違いがあるのだと思います。 私は今、なぜか、ここに生きてしまっています。生きているから、いつか死ななければなりません。 どうしようもなく恐ろしいです。 いつかくる死に怯えて、気が狂う程の恐怖に、毎晩叫んで、ジタバタしてしまいます。もう、本当に、生きているのがつらいのです。矛盾していますが、この恐怖が本当に本当に耐え難く、こんなに恐ろしいなら死んでしまいたいと思う毎日です。 今回の質問が、仏教に対して失礼でしたら、本当に申し訳ありません。私は仏教が好きです。出会えて良かったと思っています。また、今までご回答頂いたお坊様方、本当に感謝しております。ご回答頂いたのに、前進できない愚かな私で申し訳ありません。 支離滅裂な文章ですみません。ここまで読んで頂き、ありがとうございます。 私はこれから、どうしたらいいでしょうか。 毎日「この世界に生きている」と実感するたびに、「いつか死ぬ」と恐怖で発狂するこの状況を解決する方法を、どうか教えてください。ここから私は、次に、何をしたらいいのでしょうか。

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安楽死と怖い気持ちがあります

大事な人や家族の動物が、病気になったり苦しそうだったりすると、とても辛いです。 辛そうなのを見たくないから離れるという話を聞いて、なんてひどいことをと思います。 ただ、やっぱり辛いから怖いし、みんないつかは死ぬのだから、それならどうすれば楽に死ねるかを考えてしまいます。 たとえば、処置するのに麻酔をかけないといけなくて、麻酔にリスクがあってそれきりになるかもしれないと言われた時、麻酔をかけてそのままいけるなら苦しくないからその方が良いのではないかと思ってしまいました。 精一杯生きるべき、というのはわかるんです。 でも充分頑張ったと思うし、一緒にいたいと思うのは私のエゴも多いと思います。 うまくまとめられなくてごめんなさい。 どうして、大切な存在が弱ったり去ることを思うと怖くてつらくて離れたくなったり、そこから早く解放されたいと思う気持ちとずっといたいと思う気持ちと、ひどくて矛盾した気持ちになるのでしょうか。 また、極端な言い方になってしまいますが、楽に眠るように殺してあげる人は、相手のためになら良いことをしてあげていると思ってしまうのはおかしいでしょうか。 生きる中でさまざまな経験をするし、中には良いことや楽しいこともたくさんあります。 辛い経験をすることで幸せをより鮮やかに感じられることもあると思います。 でも、もし本人がもう終わりたい、楽になりたいと望む場合、それを叶えてあげるのは悪いことなのでしょうか。

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謝罪拒否している加害者からの申し出

交通事故で母を亡くしました。 弁護士を通して加害者から謝罪の申し出がありましたが 受け入れることができず、お墓への参拝であればと お寺の所在地をお伝えしました。 後日お墓へ行った際、住職から加害者が お墓参りに来られたことを聞かされましたが、その際、 住職が受け取ったものがあるということ。 それは、加害者が事件後、車を洗ったときに気づいたという 車体についていた髪の毛でした。 住職は、それをどうしますか?と私に聞きました。 私は言葉を失い、答えることができませんでした。 生前の母はとても美人でした。 私は、事件の知らせを受けたときに最初に駆けつけ、 銀色の台に横たわる母の姿を見ました。 もう再び起き上がることはできないとわかりました。 致命傷なのであろう額は大きく腫れていて、あまりに残酷な現実でした。 家に帰ったときには腫れがひいたそこは黒い大きな痣に変わっていて、 化粧担当の方が上手に隠してくださいました。 遺影も良いものを選ぶことができ、 お葬式のときには参列の方々へ生前のような姿でお別れすることができました。 警察から検分の済んだ持ち物を返品しますと連絡が来ましたが、 事故の痕跡が残っているであろう衣類だけはどうしても向き合えず、 処分してほしいと頼みました。 数ヶ月は目の前の用事をこなすことで精一杯でした。 仏壇の母の写真はいつも綺麗に機嫌よく微笑んでいて、 私はその姿に日々救われていました。 ようやく諸々が片付きつつある今、気づけばもう8ヶ月が過ぎていますが、 私はあの銀色の台に横たわる母の姿に蓋をして、過ごしているんだとわかっています。 受け取れないなんて酷い娘でしょうか。 衣類を処分したことも、私は間違っていたのでしょうか。

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母の脳梗塞その後

以前母が脳梗塞に倒れ、入院した際に相談させていただきました。 あれから2か月たち、最初の病院から転院をしてリハビリを始めることとなったのですが、大腸の潰瘍が見つかり、そこからの出血。 また、膀胱炎なのか、血尿がひどく、重度の貧血状態となりました 輸血と酸素吸入で今は持ち直したのか容体は安定しているように見えます ただ、主治医からは今回の血尿の原因がわからず、詳しい検査・治療をするなら転院をしなければならないと言われています。 主治医の意見としては転院や検査の負担に体がもつかわからない 治療するにしても全身の状態が良くないため、転院先の病院で受け入れてくれるかわからないと言われております。 またいつ急変するかわからないとも告知されました 本人は生きることには前向きで、私の娘がいま妊娠中なのですが、赤ちゃんを抱っこするのだと、言っております また帰りたい、帰りたいと言っております そのたび、頑張って家に帰って、赤ちゃんを抱っこするんだよと母にはいっておりますが、そんなことを望めない状態なのに母に言うのがつらいです。 本心など母には言えないのはわかっていますが、母に自分の本心を偽っているのがつらいです。 これから先、母が急変した際には無理な延命治療を望まないと主治医には伝えておりますが、自分が本当にその時受け入れられるのかいまから不安です。 支離滅裂な文章になっておりますが、その時までどのようにして、自分を保っていけばよいのか教えてくださいませんか。 皆様のお言葉を頂き、自分の心構えとしたいと思います よろしくお願い申し上げます

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早く死んで救われたい

母は浄土真宗門徒で議員の娘、父は士族の跡取りで公務員でしたが私の年齢と誕生日を知らないまま13年前に父は死亡、別居ではありません 5歳の時に母から三田線に突き落とされ、その後も一緒に死ぬ?父からも早く死んでくれと言われ続けました。父の死後裁判とその過程で夜中に伯母から首を絞められても警察は来なかった 中学生から母親にあなたは三十歳過ぎたら二人の男子を産むと毎日言われて今43歳で独身です。 小学校から高校卒業までいじめ、高校で性犯罪被害、大学生の時に出かけた先で知らない人に監禁された。 いとこは全員医療従事者で結婚して幸せに暮しているそうです、彼らは障害者を招きたくなかったので私は結婚式に招かれなかった。 武蔵野女子を卒業後にカトリック学校に進学、宗教的な環境でしたが私自身は神道が根付いているのでキリスト教も仏教も学問でした。武蔵野で覚えているのは現世利益や占いは宗教として正しくない、これはとても納得できます。 大学卒業後の障害と病気のために外出は難しく死ぬ事が救いと思い毎日が過ぎていきます、誰かに痛い思いをさせた事はありませんが選ばれなかった人生に意味はなく、70すぎて生きるのは罪という考えを一族全員が持ち曽祖父も祖父も父も65になる前に死んだので死に方は尊敬しています。 私の名前は改名をしたもので他人がつけたものではありません、私は他人から贈り物をされた事がありません家は相続ですが獲得するまでに裁判をし時間とお金を多く支払い伯母から首を絞められ髪を切られて得た物です。誕生日を祝われた事がありません、何も得ず何も残せませんでした、事件と事故でご遺体を六回見ましたが何も感じません。親が子供に言う暴言は全部聞き、詐欺以外の犯罪は大体遭いました。 母の姉は拝み屋ですが私は目的のために祈ることが嫌いです占いやまじないは信じません、十分耐えたのでそろそろ死んで救われたいです。 周りが安全で幸せに暮らすのが理解できません私をいじめた人が結婚し子供を産んで幸せに暮らしているのを見るとあの時彼らの目を抉れば私は虐められなかったと思い、力で押さえつけられた時の解決策は相手よりも強い力だと知りました、忍耐は解決策ではありません。ここで先生と言われる方は小さい頃から大事にされて職業の選択肢に宗教家があったのですが同じ日本でこれだけ違うなら生きる意味がわかりません。

有り難し有り難し 5
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