死にたくないです。 最近こう思ったのではなく、いつからこう考え始めたか分からないほど昔から定期的に脳裏に浮かびます。やはり死についてですから暗い話になるのであまり考えたくないのですが... 死ぬ際の痛みや感覚に怯えているのではなく、死んだ後の世界が分からないのが嫌なのです。今起きている国際問題や予測されているあらゆる現象がどうなっているのか、死んだらその後の未来が分からず、この目で確かめることができないのが本当に悔しくてたまりません。しかもこの思考が些細な疑問から始まってしまいます。例えば、2222/02/22に立ち会えないということでも悔しくて負の感情に陥ります。どのように祝われるのか、意外と気にせず過ごしているのだろうか...と考えていくうちに、「でもこの時には死んでるんだ」と気づき猛烈に死にたくないと思います。涙を流し眠れなくなる程にです。 考えることをやめることはできません。なのでこの気持ちをどうにか落とし所をつける他無いと思うのですが、逃れられない死にどのように向き合えばいいのでしょうか?
遺書を初めて書きました。 内容は、もちろん 「不倫父のせいで死にます」と書いたんです。 遺書を見つけてもらえるように、 置く場所と示す方法も決めました。 遺書と共に、不倫父の不倫の証拠が入っている スマホとUSBメモリもあります。 不倫を知ってからずっと毎日泣き続けて 「誰か助けて」なんて願っても誰も助けては くれなかった。 精神面だけでなく、 体調も日々悪化して、父に言っても逆上してさらに酷い状態になって。どんどんどんどんダメな方へ。 なんかもう疲れました。 なのでこの世からおさらば したいと思います。 ハスノハ様、今まで悩みを聞いてくれてありがとうございました。 最期に、話を聞いてくれてありがとう。 さようなら
今朝未明、母が亡くなりました。 もともと弱点のある体質の人ではありましたが、 身体をいたわりながらも私と二人で何度も旅行しており、一緒にいろんなお寺、お宮にお参りしたり、美味しいもの、楽しい事をたくさんしました。 私が実家を離れて一人暮らしをしていましたが、毎週欠かさず電話もして、一度電話すれば何時間も話し続ける仲のいい親子でした。 その母が、去年突然脳梗塞を患い緊急入院、ずっとコロナ禍でお見舞いもいけず、母も身体が思うように動かせなくなったため電話もままならず、それでも来年には退院できるかも?と言う話を聞いた後に亡くなりました。 冷静で博識で頭の良い母でしたが寂しがり屋で、家族に会えない、外出もできない入院生活はどんなに辛かったかと想像するだけで胸が苦しいです。 お揃いで買ったぬいぐるみを差し入れたり、病院のスタッフさんの手厚いサポートで通話したりして、ひょっとして調子戻り始めた?と思った矢先に…でした。 私にとってはこの世で唯一私を愛してくれる人が母で、また私がこの世で唯一愛する人も母でした。恋人など他に愛する人はいません。 私自身、結婚どころか愛する人ができる可能性もなく、 またロスジェネですが底辺世代なりに、なんとか世の中にしがみついてかじりついて生きてきましたが年金を含め自分の将来に希望を持っていません。 そこにきて唯一の愛も失ってしまって、これからどう生きたらいいのか見当もつかなくなりました。 私の残りの寿命を母にあげられたらよかったのに。 なんで生きてても何の希望もない私が生きて、優しい母が亡くならなくてはいけないのか、苦しくて悲しくて、どうしようもないです。
先日、大好きな父が急逝しました。 最近孫が生まれ、とても喜んでおり、 それはそれは溺愛し たくさん可愛がってくれていました。 休暇にあわせて また数日後には会えるはずでした。 また孫を抱っこできるのを 楽しみにしていたはずです。 そんななか急逝してしまい 私自身、とても寂しくて まだまだ気持ちの整理もできておらず 毎日会いたい気持ちでいっぱいで 遺影やこれまでの写真を見ては ずっと泣いています。 ずっと泣いているのは 良くないと思いながらも、 涙が止まりません。 死を悲しみすぎるのは 良くないんですよね、でも悲しいです。 結婚式や孫の顔を見せられたことなど、 良かったねとも言われますが もっともっと一緒にやりたいことは たくさんありました。 そして、きっと父も自分の死に びっくりしているのではないか、 とっても残念に思っているのではないか と父の気持ちを考えると 涙が止まりません。 父ももっと生きたかったのではないか、 孫の成長をもっと近くで 見たかったのではないか、 そう考えてしまいます。 見守ってくれているとは 自分に言い聞かせても、 この場にお父さんがいたらいいのに、 と思ってしまいます。 周りからはお母さんを支えてあげてね、 とも言われますが 自分自身、正直そこまで 余裕がありません。 幼い娘の育児も ちゃんとしないといけないのに 気持ちが落ち込んでしまいます。 母親失格です。 この悲しい気持ちは いつか整理できる日がくるのでしょうか。 父は今何を思っているのでしょうか。
死んだら楽になりますか?
明日人間ドックに行きます。 一ヶ月も前から怖くてたまらないです…。 6年ほど前に大きな病気をし、もともとの心配性に拍車がかかってしまいました。 あんな怖い思い、痛い思いは二度としたくないという気持ちからなのか、気になるような症状もないのにずっと恐怖がこびりついているような感じがします。 子供の顔を見て、明日異常があったらこの幸せも壊れてしまう…などとばかり考えてしまいます。 ほんの少しでも、考え方を変えるヒントがいただけたら嬉しいです。
タイトルの通りです。 気分が落ち込んできて死にたくなってきたので、恐縮ながら書き込みに来ました。 内容もタイトル通りですが、様々な面から世間・社会的一般からみてまともでないので死んだ方が良いのではと思うのです。 楽しく過ごす友人らに何ら非はないのですが、私だけ忙しくて、楽しいなかに居られるないと密かに嫉妬することも醜い。 適応障害になり、躁鬱病になり、社会の枠から外れたのだって、私が半端で頑張ってやり遂げなかったからだと思うのです。 親には何一つ顔向けも出来ない程脛を齧りっぱなしで、それを病だからと我儘を垂れ流していることも醜い。 国で暮らす以上、同じ国に住む人が作った社会で生きるしかないのに、あれもこれも人並み以下で満足に務め上げられん自分のようなクズがどうしてのうのうと生きているんでしょうね。 明日も明後日も仕事があります。 仕事が止まれば会社に迷惑が掛かりますから、そうならないように取り敢えずやりくりしているだけです。 本当は手元にある薬を飲みほして死んだ方が、誰も彼も汚く醜い存在を認識する必要がなくなるのではと思うのです。 私という存在も肉体が死ねば死んだ心もようやく地獄に逝くんでしょうし。 まとまりがない文章で申し訳ないです。 死ぬ前に可哀想と言われてみたいだけなのかもしれないですね。 このような醜い畜生でも死んだらよくないのですか。
1週間前に母の余命宣告を知りました。 3年前に癌の再発が分かり、今まで治療を続けてきました。現在は同居しています。 治ることはないと言われていたのでいつかはこの日が来ることを覚悟していたことですが、実際に宣告を受けた時から毎日、明日が来るのが怖くて泣いてしまいます。 母とは二人暮らしで、私には父兄弟がおらず親しい親戚もいないため、 私がしっかりして、色々と決ねばならない手続きなどを早めに決めて、余生をどう充実させるかに目を向けないと行けないことは分かっています。 しかし心が着いていかず、近い未来独りぼっちになる恐怖に毎日怯え、自分自身が生きることに後ろ向きになってしまっています。 誰しもがいつか迎える状況だとは理解していますが、早すぎる時と抱える事の重さがつらいです。誰かに胸の内を言うこともできず、つらくて書き込みさせていただきました。 こんな世界が本当に嫌で、もし全て終わったら私も消えてしまおうかなと考えることも多いです。 今後の自分の未来にはもう、楽しいことや嬉しいことなんてないのではないかと強く思います。 今はまだ母は日常生活ができる状態ですが 時間はあまりなく、自分がこんな状態でいる場合ではないのに自分のことでいっぱいになってしまっている自分に嫌気がさして余計に消えたくなります。 患者家族は元気な姿を見せ、サポートに徹さないといけないのですが、こんな状態で母にも申し訳ないです。 未来が怖くてたまりません。 どういう考え方をすれば、受け入れて前を向けるのでしょうか?情けなく弱い自分に喝をいただけませんでしょうか。
大好きだった祖母が90歳で亡くなりました。 祖母はわたしの家の近くに住んでいました。 幼き頃風邪をひいた時に預けられたり、学校が早く終わったら祖母の家に帰ったり、祖母の家に電話をかけたり、祖母の作った野菜をもらったり…成人してからも祖母の家に行き他愛もない話をしてコタツで祖父母とお昼寝をしたりしていました。 いつでも祖母に会える安心できる心地の良い場所、それが祖母の家でした。 祖母は数年前から認知症のような症状が出てしまい体調を崩していました。 祖母の家に行きおむつを交換したこともありました。 その後、症状が悪くなり病院に入院したときにはお見舞いに行きました。 さらにその後、祖母は病院から退院して施設に行きました。しかしコロナ禍でお見舞いに行けたのは数回でした。 施設に入所した時には認知症の症状も進み、元気だった頃のように話せなくなっていました。 でも生きてさえいてくれれば、またいつか元気になってあの頃のように笑い合える、話せるのではと思っていたのかもしれません。 しかし数日前祖母が亡くなってしまいました。今は葬儀を終えたところです。 施設から家に帰ってきた、亡くなった祖母を見て、あまりに穏やかな顔だったのでまだ眠っているだけなのではないかと思ってしまいました。 納棺で体を拭くときも、葬儀でお別れをいうときも祖母はまだここにいる、と思っていました。 しかし、火葬場で焼かれ骨だけになった祖母を見て、もう会えないんだと思いました。 この世界のどこに行っても、大好きだった祖母の家に行っても、祖母に会えないと思うと悲しくて涙が出てきてしまいます。 祖母の声、笑顔、全てが忘れられません。 わたしは、何かを後悔してるとか何かをしてあげればよかったとかそういう思いやりのあることを考えているのではなく、ただただ自分が寂しくて、わがままに、祖母に会いたいと願ってしまっています。 祖母にもう会えないというのが寂しくて、祖母の死を受け止められません。 どこに行けば祖母に会えますか。 祖母に会いたいという気持ちはどうしたらなくせますか。 何かお言葉をください。
18日に愛犬が亡くなりました。 あと1週間で15歳を迎えるはずでした 元々色々病気を持っている子でしたが薬などを飲んで何度も何度も乗り越えて約15年間生きてきました。 私が小学2年生の時から23歳のいままでずっと一緒でずっと傍で支えてきてくれました。 亡くなってから、あの時ああしてればよかったなど後悔も襲ってきますし、朝いつも下で待っていてくれるのに居ないこと。朝起きるのが本当に辛いです。 最後は心臓が弱ってしまっていて亡くなりましたが、いつか別れが来ることも全部理解はしてるのですが、愛犬を安心させる為とはいえ やはりどうしても辛く受け入れられません。 このどこにもやれない気持ちはどうしたらいいのでしょうか。
先程親戚(90代)が入居先の老人ホームで亡くなったと電話がありました。容態は数日前からかなり危なかったため覚悟はできていたのですが、小さい頃から本当に可愛がってもらっていたので、かなりショックを受けています。 また、未だ僕は学生なのでこの不安な気持ちのやり場が見つからず、どうしても落ち着くことができません。 さらに、お通夜やお葬式の独特な雰囲気が花や線香の匂いも相まって苦手です。 どなたか、相談に乗って頂けないでしょうか?
以前から「死にたい」と考えていましたが、年々その頻度が多くなっています。以前は「死にたい」と思っても「でも数カ月後はいいことがあるかも、1年後は変わっているだろう」と気持ちを切り替えていましたが、年を重ねるごとに「どうせこのままなんだ」と未来に期待することができなくなってきています。 今まで告白されたことがありません。 私から告白しても全て振られました。 両親のことは好きではありません。 女友達はいますが、年々一緒にいると辛くなり、今は最低限の付き合いしかしていません。 女友達といると「この子は彼氏がいる、旦那さんがいる、今はフリーでも過去に付き合っていた人がいる」と思うと、「愛してくれる人がいるなんて羨ましい。私は時々会うくらいには丁度いいけれど、彼女にしたい結婚したいと思ってもらえるほどではないんだろうな」と負の感情が出てきてしまうからです。 男友達とは食事や遊びに行くこともありますが(身体の関係はありません)、どんどん彼女ができたり結婚したりで会いづらくなってしまいました。 会いづらいことも寂しいですが、「一緒にいて楽しそうだったのに、私を選んでくれなかったな」という寂しさもあります。 仕事は頑張っています。認められているし、求められています。私の居場所になっています。でも、それは頑張っているからであり、ちょっと無理している私を愛してくださっているので結構疲れます。 友達として愛されている感覚、仕事仲間として愛されている感覚はありますが、「彼女として、奥さんとして」「永遠を見据えて」愛される経験がないことが悲しいです。 自分がそうした領域に入れない、欠陥品のように感じます。 やりたいこともなく(仕事も本当はやりたくない)、愛されることもなく、ただ仕事を頑張る人として生きていくことが辛いです。 だれかに自然体の私を愛してもらいたいです。「ありのままでいい」「そのままでいいよ」という言葉を耳にしますが、友達止まりになってしまうのは、このままの私だと受け入れてもらえないからだと思います。 でも自分を変えようと頑張ることももう疲れました。早く永遠の眠りにつきたいです。痛いのも怖いのも苦しいのも嫌なので、自殺未遂は起こしたことありません。なのでなんとか生きてます。安らかに死にたいです。
母は認知症が若干入っていましたが、とても元気でした。 3月23日に玄関で転んだ時も、10日も我慢していて、実は膝のお皿の骨が割れていました。 それから、1ヶ月、母の足が良くなったら、ここに行こう、あそこに行こうと考えていました。 骨折の具合を診てもらう為にお医者さんに行く為にお風呂に入りたいと言うので、お風呂の準備をして、お風呂に向かった後ろ姿を最後に母は、お風呂で急逝していました。 お風呂が長い事にもっと早く自分が気付いていれば、助かったのではないかと自分を責めてしまいます。 僕は心の病で病気療養で10ヶ月以上、母と四六時中一緒でした。 でも病気のせいか、母との思い出が思い出せず、幼い頃の一緒の写真を見ても、若い頃の母の顔を覚えていなくて、こんな顔だったんだと思ってしまいます。 母は、僕の病気が治ること、職場に戻れること、そして結婚出来ないことを、生前とても心配していました。 母には苦労や心配をかけっぱなしで、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 突然亡くなった母の死を受け入れられず、 今でも苦しんでいます。 母は私を許してくれるでしょうか? 母は幸せだったでしょうか? 母はあの世で幸せでしょうか? どうか、お助けください。
弟が自殺してから二ヶ月が経ちました。事件後の家庭での振る舞い方について悩んでいます。 私自身も、小学生の時から自殺を意識するような陰鬱な人間で、「あなたの欠点は暗いところ」と複数の人に指摘されてきました。 弟が自殺した直後はアドレナリンが出たように"家族を支える気持ち"や"新しい人生に向けた希望"などがあったのですが、少し時間が経った今は虚無感と絶望が濃くなってきました。 私自身、自殺に共鳴するところがあり、弟がなぜ自殺したかったのか共感できるし、弟が亡くなった当日、首を吊って病院に搬送されたと聞いた時も”中途半端に救命されるよりは逝かせてあげたほうが本人の為になるのでは”とすら思いました。 結局、似てるんです。人間関係、社会進出がうまく出来ず、うまく生きられず、絶望する性格が。 弟が亡くなり、家族が深い哀しみを抱えている中、唯一子供として残った自分が家族を支えなければならない、家族の希望にならなければならない、と分かっているのですが、私には命や人間の営みが良いことだと受け入れられません。 最近、長年情熱を注いできたことで挫折したことも重なり、自分の人生を前向きに考える余裕がありません。昔からの癖ですが、どうしても人生を終わらせる方向、または生まれてきたくなかったという願いに収束してしまいます。 家庭が暗いと、上手くいくものも上手くいかなくなる気がするし、前向きな考えや人に憧れるのですが、自分には性質的に向いていない、生きることにも向いていないように感じます。 これからの生き方について、私には助けが必要だと思い質問させていただきました。
先日99歳で祖母が亡くなりました。 7年前より、祖父母の介護のため、祖父との同居を始め、近所に住む両親と私の夫との3人で祖父母の介護をしていました。1年半前に祖父を自宅で看取りました。祖母も入院や施設入所は嫌だと最後まで自宅で過ごすことを希望していました。 祖母も2年ほど前から脳梗塞を繰り返しており、後遺症で失語、嚥下障害となり、意思疎通が難しく、麻痺もあり寝たきりの状態でした。 私は看護師として働いていた事もあり、仕事以外の時間は、私がメインで介護をして来ました。現在妊娠中で、産休に入った事もあり、その日は私一人で介護をしていました。 祖母は、ケアに対しての協力動作はなく、むしろ拒否的な行動をする事も多く、イライラしながら介護をする事も多くありました。 この時も昼食後に、体を横に向けようとすると、上向きに戻って来てしまい、イライラして乱暴に横向きを介助してしてしまいました。 1時間後、上を向けようと祖母のもとに戻ると、顔が枕に埋もれており、窒息している状態でした。慌てて起こし、刺激をしたのですが、すでに息は止まっていました。 以前から、本人も含め、何かあった時は、延命はしないと決めていたので、蘇生措置は行いませんでした。 その後祖母は亡くなりました。 私は看護師であるにも関わらず、体の不自由な祖母の体位をきちんと整える事を怠り、殺してしまった…という思いが消えず、自分が許せません。 もうすぐ出産を控えているのに、ひ孫も見せてあげられなかった。ここまで生きて来た祖母の最後に苦しみを与えてしまった。と考えると涙が止まらず、祖母に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 家族は、私のせいではない、むしろ今までありがとう、祖母も幸せだったと言ってくれますが、祖母の最後の顔が頭から離れず、自分を許せません。 なぜあの時、祖母の状態を確認しないまま離れてしまったのか。と後悔の思いがどんどん湧いてきます。 こんな私がこの先、子供を産み幸せに暮らしてもいいのでしょうか。
いつもお世話になっております。主治医から、境界性人格障害 だと言われました。 この病気は、神経症のように感情が高ぶったり落ち込んだりし、 統合失調症のように激しい思い込みをする…神経症と統合失調症 の境目の症状が出ることが、名前の由来です。 元々、前通っていた訓練所の人からこの病気を疑われ、自分でも、 もしや?と思い、主治医に告げました。 「僕も、訓練所の人から言われたよ。ただ、この病名は世間で一人 歩きをしていて、みんな、いい印象を持っていない。心が揺らぐ ような事を言われるとすぐに真に受けてしまうロータスさんに この病名を告げてしまうと、あなたを傷つけることになるから、 あえて診断しなかったんだよ」 とのこと。しかし、カウンセリング、や保健師との面談など、 個別支援で治療していく、という方針になりました。 今でも支援者さんたちとやっていく中で、前任の心理士と 主治医に突如裏切られたことが忘れられず、少しでも発言に齟齬や 捉え違いがあったり、身振り手振りが気になったりすると、 「私をばかにしている、わざと悪化させて、金づるにしようと している」 と思い込み、暴言を吐いてしまうこともあります。 前任のカウンセラーから何をされたのかというと、 ・ついこの前まで私の知人(士業が多い)のことを褒めていた のに、「悪徳だったらどうするの」と笑いながら言われた ・ナチスドイツの政策(障害者虐殺)を例に出し、「歴史を見ても、 あなたたちは、排除されても仕方がない」と発言 ・カウンセリング中に防犯ベルを机に置く 前任の医師は、 ・体調不良を訪問看護師のせいにして、看護師を責める。責めた ことを、私にも言う ・体調不良でデイケアに通えなくなったら、「デイケアも通えない なんてね」と発言 人格障害は多くの精神疾患と違い、自分ではなく周囲を苦しめる 病気です。そして周囲から怖がられ、孤立して、誰も助けてくれ なくなるという真の苦しみが訪れます。 しかし、気が付くことで治る病気です。主治医から、あなたは 真面目過ぎるほど真面目に向き合っている、と言われました。 ですが、私は向き合えている気がしません。気が付いているなら、 どうして暴言を吐くのでしょう? どうしたら、このトラウマがなくなり、暴言を吐かなくなり ますか?ご高見、お待ちしております。
ペットロスから老い、病い、死について延々と考えてしまう時間が長くなっています。 こちらでいただいた回答を読み返し、少しずつ考えが変わってきたような気もするのですが、死ぬまでの過程で病や老いも避けられないと思いまた怖くなってきてしまいました。 (若くして事故なんかで死ぬのは絶対嫌です…) テレビを見ていても医療保険のCMでウッとなってしまうのですが、そこで疑問が浮かびました。 保険に入っている人はたくさんいますが、全員使っていたら商売が成り立たないのでは? もしかして別にそんなに病気で苦しまずまあ寿命といった形で亡くなる方もそこそこいるのではないかと思いました。 お坊さんは色々な方の死に触れていると思いますが、高齢、そんなにひどい病気でもなく割と明るいお葬式だったみたいなパターンもあるのでしょうか? 高齢で亡くなるとそこまで悲しみに暮れず和やかだったというような話も聞くのですが、身近でそういった例がありません。 そんなに病み苦しむこともなく天寿を全うされたような方の死は珍しいのでしょうか?
何度か相談させていただいております。 妻が自死してからもうすぐ2ヶ月となります。 仕事に復帰し、日常生活に戻ろうとしていますが、やはり妻の事を思い出して集中できず、夜も睡眠薬を飲んでなんとか眠っています。 こんなにも苦しい思いをするのがわかっていれば、もっと全力で助けようとすることができたのに。妻の調子が悪かったとき、自分の生活や気持ちを優先して100%の対応をしなかったこと。とても申し訳なく、どこまでいっても自分がかわいいのだな。と気付きました。 この苦しみはそんな自分に対しての罰なのかなと思っています。 今は、毎朝毎晩仏壇と妻の遺影に念仏をとなえています。 私も妻の実家も宗派は浄土真宗とのことでした。 妻が亡くなるまで、自分の宗派は知ってはいましたが、その教えなどは知りませんでした。妻も、知らなかったと思いますし、もしかしたら自分の宗派すら知らなかったかもしれません。 そんな妻も、亡くなってから成仏できるのでしょうか? 浄土真宗は、南無阿弥陀仏の心をもっていれば成仏できるというものだと理解しています。 妻は亡くなったときその心をもってなかったかもしれません。 残された者たちが、お祈りをすることで成仏できるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。
いつもお世話になっております。 お寺で働きたい、と年末年始の奉仕員をしてから、ご縁のあった介護福祉関係の仕事に就いて、約2年半ほどになります。その他にも副業をいくつか持っているので、週5と週2と週2と週1の仕事をしながら、介護と子育てをしています。 転職回数が多いので、今ある仕事も仏様のお導きと、ようやく「お声のかかる社会人一人前」になれたかと毎日修行のつもりで勤しんでいます。 「大変ね、休まなくて良いの?」とよく言われます。しかし私にとっては、どの仕事も楽しみで、特に今の所体調も影響なく、自分に合った無理のない毎日です。 むしろ、少し前に合わない人間関係だった頃のほうが、ストレスと過労で危なかった時期でした。今では転職先の仕事先の人間関係に恵まれ、それぞれのやりがいある仕事を無理なく楽しめています。 ただし家事は苦手です。その分、外の仕事に精を出しています。 娘は、反抗期真っ盛り、父親にはとても慣れ親しんでおり、反面、私の言うことには「別に。」と、まるで父親の恋敵のようです。 前置きが長くなりました。 夏の終わりに母が彼岸へ旅立ち、一人暮らしの父は傷心中で、自転車で転び腕を骨折しました。 整骨院や整形外科、病院をまわりましたが、もはや一人で受診も難しいほどに認知症の度合いが進んだ様子です。 私は、週休0日で仕事をしながらも、ごくたまの振替休日に父の受診に付き添ったり、必要とあらば早退して今日も通院に寄り添いました。実家に行った時は、掃除も手伝います。 当たり前のことですが、今後も続く親の介護は…いろいろと考えさせられます。 妻や嫁の立場では、見返りがない家事に、嫌嫌だった私ですが、今は報酬も何もなくとも、父のそばにいて、父がほっとして、ありがとうと言われることをすること自体は、苦にはなりません。 反抗的な一人娘は将来私に、ここまでしてくれるのかなぁ、と遠い目になったり、自分は介護のいらない、将来ヘルパーさんなどのお世話にならないような老後を送りたい、など、考えても仕方ないことが頭に浮かびます。 そんな傍らで、アイドルに夢中の10代の娘を見ると…自分はヤングケアラーで、母親は寝たきりでしたので、ますますため息です。 恵まれた彼女に比べ、それは親の私の休み無しの労働プラス、ダブルケアの賜物…なのに苦労知らず。 私は私、娘は娘。 仏様はどう見守ってくださるのでしょうか。
死、時間が過ぎゆくこと、全てのものとやがて別れなければならないことが怖くてたまりません。 立て続けに可愛がっていた愛猫を亡くしました。 二匹とも老齢で死ぬことは当たり前の年齢、特に苦しむこともなく穏やかな最後でした。 ペットロスなんだと思いますが、猫達がいなくなった哀しみや寂しさの他に漠然とした不安、恐れが湧き上がりしんどいです。 今は一緒に嘆き哀しんでいる家族ともやがて別れがくる、こうしている間も1秒1秒それまでの時間が短くなっている。 その次の別れの瞬間に今のことを思い返しているような、あっという間に来るべき時が来てしまうような気がしていてとても怖いです。 気分転換に外に出ても葬儀場やお墓の看板ばかりが目につき、世界が裏返ってしまったような気になります。 これまでは遠く空の上にそういうものがあって、今生きている世界はしっかり地にあるイメージだったのが、海の上にある小さな小島にいて、すぐ足元に深くて暗い海の底が広がっている、自分が生きている世界はとても心許ないものですぐに溺れてしまうのではないかというような気持ちになります。 在宅勤務でずっとつきっきりだった為か、死を真正面から受け止めすぎた気がしています。 どこに行こうが逃れられないことに気付いてしまいました。 昔の偉いお坊さんが、死ぬ間際に一筆と頼まれた時に死にたくないと書かれたという話を見かけ、偉いお坊さんでも怖いのかとどうしていいか分かりません。 自分が死ぬ前の晩はどんな気持ちか、親が死ぬ前の晩はと、そんなことばかり考えてしまいます。 さっきコンビニへ行ったことも10年前の旅行のことも思い出すとどちらも一緒で、全部の物事がどんどん過ぎ去っていくような、時間が圧縮されてしまってあっという間に全てが終わるような気持ちになってしまいます。 過去が全部一かたまりになっているというか…。 時間がすごいスピードで自分を削り取って過去のかたまりに押し込めていくような感覚があります。 とても怖いです。 仕方ないことを考えるのをやめたいです。 どうしたら今のことだけ考えられるようになるでしょうか。 偉いお坊さんでも死にたくないのに私のような人間が怖くなくなるなんてありえるのでしょうか。 どうしてこんなに寂しく悲しく辛い死や別れが避けられないこととして存在しているのでしょうか。