お経を現代語訳にするにあたって
おはようございます。
いつも、質問に答えていただきありがとうございます。
私は趣味でお経を現代語訳していて、般若心経と正信偈から取りかかっています。
最初は親鸞様が人なのか、仏像なのかもわからない所からだったので、初めて知ることばかりで楽しく、ノリノリで現代語訳にしていたのですが、最近スランプというか、行き詰まり気味です。
まず、私の知識が皆無なので一節を読みくだくのにかなり時間がかかるのと、お釈迦様や阿弥陀様を信じていることが前提での言葉が多くて、まだ信じるという境地にはほど遠い私のような者がお経を読みくだいていくというのは申し訳ないというか、身分不相応ではないかとモヤモヤします。
モヤモヤしたまま、取り組んではいるのですが最初のスラスラ出来た時とは違い、毎回「難しい〜💧」と頭を抱えてしまうことが多く、手が遠のきそうになっています。
お経を現代語訳にするにあたって、これは手話で伝えることが出来ないだろうか?という野望もあって、とりあえず今、取り組んでいることは草稿みたいなもので最後まで出来たら、もう一度手話と照らし合わせて読み砕いていこうとは考えているのですが、なにぶん独学であることと、知識のなさで「これで合っているのか?」と日々、悩むことが増えてきました。
こんなにモヤモヤした気持ちでお経と向き合ってもいいのでしょうか?
私の気持ちとしては、続けたいのが本音です。でも、この状態で続けるのは仏教を愚弄しているんじゃないかとも思います。
私の中で答えを出せばいいことなのに、相談してしまってごめんなさい。
よろしくお願いします。
有り難し 7
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