得度する前までの僧侶や、受戒について質問です。 仏教の勉強が趣味ですが、お寺の内部のことについてはどうしてもわからない部分が多いので、差し支えない範囲で教えていただけないでしょうか。 ①得度する前までは正式な僧侶としての活動はできないものかと思われますが、得度前の幼い頃から棚経を回られる方はしばしばいらっしゃるかと思います。その場合、何かしらの戒律を受けているかと思いますが、どの戒律を受けていますか? ②もし十戒であるとすれば、受戒の段階で沙弥となるという理解でよろしいでしょうか? ③受戒は何歳以上などの年齢制限はございますか?(宗派による部分はあるのでしょうか。) ④ 大乗戒を受けるためには、声聞戒のいずれかを受ける必要がありますか? ⑤得度前の僧侶が行うことのできるお寺の仕事を教えてください。 ⑥得度前の僧侶は袈裟を着ることができないと理解していますが、有事の際に着るものは僧衣という呼び名であっていますか? 根掘り葉掘りと聞いてしまい大変申し訳ございませんが、 ご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いします。
浄土真宗では仏法僧はどのように解釈されていますか? あるいは採用されていない考え方だったりしますか? 付け焼き刃の知識で申し訳無いですが 仏→お釈迦様 法→御仏の教え、真理そのもの? 僧→サンガの方たちみたいな出家修行僧集団? みたいな理解で良いのでしょうか…? 仏とは阿弥陀如来なども含む?としても浄土真宗では非僧非俗? そもそも浄土真宗では釈迦如来はどういう位置づけ? などの疑問があります。 お教えいただければ幸いです。
毎回、お答えしていただいてありがとうございます。 今回も、お答えいただけると嬉しいです。 今回は、正直自分でも気分はいいものではないですが・・、 お答えいただけると嬉しいです。 悪いことをしたら、地獄へ、いいことをしたら天国へ行くという認識が 世の中にはありますが、実際は良い事しようと悪いことをしようと、 行く場所は天国、極楽浄土とでもいいますが、実際そこに行けるわけではなく みんな地獄へ行くんですね。 仏教において~(ネットの記事等なので見た感じです)なんて言葉も調べたら出てきました。 生まれながらに、私たちは色んな罪を犯しています。 だから、良いことをたくさんしても、まるで意味がないように感じます。 とても気分は悪いです。抱えて生きていかなきゃいけない訳ですから・・。 辛いです。救いようがないです。 とても不安しかありません。どう生きていけばいいんですか。 教えてほしいです。お坊さんの皆さまよろしくお願いします。
義父の自宅に神棚があり、近くの神社でお預かりしている神様を置いてあります。 近々、義父と同居する予定で私達家族は二階に住む予定です。 私は昔から成田山新勝寺、川崎大師様のみ足を運ばせていただいてます。 神棚には色々な神様を置かない方が良いと聞いたことがあり、二階に置く予定ですが、違う神様が入ってきて大丈夫でしょうか? また建て替えの際、神棚と仏壇の場所は変えてはダメと母に言われました。そうなんでしょうか? 回答宜しくお願い致します🤲
私は過去に良いこともしましたが、悪いこともたくさんしました。例えば、人を傷つける言動をしたり、自分の思い出・過去を偽ったり… 今でもそのようなことをした報復が返ってくるのではないかととても恐怖を感じたり、「こんな自分が人から好かれて、家族や恋人に愛されて良いのか」と罪悪感を抱えて日々生きております。 このような気持ちに耐えきれず、先日はじめて私はこのサイトでつぶやきました。そして、私のつぶやきに対して「懺悔文を読みましょう」とアドバイスをくださったお坊さんがいました。 試しに懺悔文などを読経してみたら、なぜかとても心が落ち着きました。 心は落ち着かせることができましたが、罪を悔い改めるためどのような気持ち・心構えで懺悔文を読経すれば良いか、どなたか教えてください。
実家の菩提寺は浄土真宗なのですが、私は下記のようなことを体験してから、毎年比叡山延暦寺さまにお詣りをしています。 親世代は付き合いがあり、改宗は難しいと思いますが、私は天台宗に改宗したいと考えております。後継者がいないので、お墓もどのみち両親でおしまいになるかと思います。 しかしながら、近辺で天台宗のお寺にご縁がなく、どのように改宗手続きをすればよいかわからないでおります。 どうかよいお知恵をお貸しくださりますよう、お願い申し上げます。 死んだ祖母が初7日の頃、私と弟の名を呼びながら、実家を彷徨う夢を見ました。 当時所用があり、滋賀県に滞在していたことから、翌朝比叡山延暦寺さまにお詣りし、お薬師さまに祖母をお願いしたところ、翌週、少し若返った祖母が綺麗な服を着て、真新しい桧風呂の前でニコニコしている夢をみました。ちなみに、私は入れないといわれました。 30日位には、紙の戸籍に祖母が死亡したことが載った夢を見たため、行くところに行ったのだ、と認識いたしました。その後は大きなお寺さまで修行をしているような夢を何度か見ました。 死ぬ直前は本人の意に沿わないまま施設に入れられたり、と不遇に過ごしていたため、死んでからとはいえ、お薬師さまに導いていただき、まっとうなところにいけたのでは、と今でも感謝しております。ですので、是非ともお薬師さまとご縁のある天台宗へと改宗したいと考えております。 何卒よろしくお願いいたします。
7月に夫が急死し、49日の法要を済ませました。 浄土真宗では亡くなった人はすぐに成仏する、と聞きました。 お尋ねしたいのは、故人を思い出したり、あたかも、故人がそこにいるように話しかけたりするのは、故人にとって悪いことにならないか、ということです。 家の中のあちこち、外出先の車の中、夫といつも一緒にいたので、どうしても話しかけたりしています。 義実家の仏壇には週に一度、分骨していただいた手元供養の小さい骨壷には毎朝毎晩手を合わせ、話しかけたりしています。 仏壇やお墓以外で故人に話しかけたり、思い出したりすることで、故人が苦しんだりはしないですか? くだらない質問になってしまいますが、ご回答何卒よろしくお願い致します。
今年の2月に母が亡くなり、私は嫁いだ身ですが 私の家に母の位牌と仏壇があります。 (父と兄と主人に頼み、快諾してもらいました) 父は2年前に老人ホームに入居して、母が一人で住んでいました。 母が亡くなり、今実家は誰も住んでいません。 私が1日おきに実家に行き、掃除など風を通しています。 実家には祖父の位牌と祖父の先祖代々の位牌があります。 祖父は真言宗です。 (父方の祖父母は、父が10代の頃に離婚しており、 その後は全く音信不通でしたので、 母も兄も私も、お棺の中の祖父が初対面でした。) 母は浄土宗です。 初盆供養に来て下さるお坊さんに相談させて頂き、 祖父と先祖代々の位牌を私の家に持って来て、先祖供養もして頂きました。 祖父にこのまま私の家に居て貰おうかなと思っていますが、 仏壇には阿弥陀様がいらっしゃいます。 祖父の御本尊はどうすれば良いのでしょうか? そのまま実家の仏壇に居て頂いても良いのでしょうか? 祖父は来年三十三回忌です。 来年閉眼供養をして頂くつもりですが、せめてその時まで 誰もいない実家よりは私の家の方が良いのかなと思っているのですが、 孫とはいえ、生前会った事もない私の家じゃ居心地悪いかなとも思い どうするべきか考えています。
毎年お盆が来ると、仏様が普段どこにいるのかが気になります。 お盆の時のみ迎え火、送り火などをして仏様を迎え送りますが、その他の日はどこにいるのでしょうか?? 宜しくお願い致します。
仏教について調べていると、葬式とその後の供養が最重要トピックの用に扱われているのが不思議です。 親や先祖の供養ってそこまで大事なのですか? 血縁ってそこまで重要なのかしら? 先祖供養は儒教ではないのかしら? いえ、私も木の股から生まれたわけではないので、縁なり因果なり何かしらあるのだろうとは理解はしていますが。 この世に産み落としてくれたことは有り難いのですが。 血のつながりばかり大事にしなくてもそこかしこに縁はあると思うのです。 個人的に家族の縁が薄いこともあり、 親や先祖のことはよく知らず供養もしていません。 私の死後供養してくれるものもおりません。 しかしそんな私が死んだ時も 仏さまなら何とかお慈悲をくださるのではなかろうか というのが信仰を持ちたいと思った動機なのです。 「私と仏さま」の話ならわかる気もするのですが「私と先祖と仏さま」の話がよくわかりません。 先祖供養が必須なら、親のない人間は仏さまに救っていただけないのでしょうか。 そもそも私の理解が間違ってるのかもしれませんが、 苦しみの多い輪廻の輪から解脱するため修行をしよう、また大乗仏教においてはいろいろな仏さまの力を借りたりおすがりして解脱にいたろう、 というように仏教的な死生観を解釈しています。 修行が足りず仏さまとの縁も結べなければ輪廻の次の段階に進むでしょうし、 宗派によっては生前から成仏しているわけですし 浄土系の宗派では阿弥陀さまのお慈悲によって極楽往生できるでしょうし…。 死後、死者の行く末に関して、生者はどれだけの干渉ができるのだろうか、というのが疑問です。 それは死者本人と仏さまの間の話ではないのかと思います。 そうすると供養とは何のためにするのでしょうか。 お教えをいただければ幸いです。
おはようございます ある宗派のお寺で 行事ごとに度々参加してましたところ 僧侶の方から 在家得度しないかと言われました 行者となり 行事をする側にこないかと言われました 戒名もしてやると言われました 私もそういう行事ごと大変関心があるのですが できれば行者としてやりたいのですが 私は曹洞宗の檀信徒で 納骨堂も生前に 結構な金額を出して 既に買い 死んだら、 その曹洞宗のお寺で 戒名してもらうつもりです しかし、その度々言っているお寺で 祈祷行事をしたいという気持ちが同じくらいあり それをするには、そこのお寺で得度戒名しなくてはいけません 生きているうちは 祈祷行のお寺で得度戒名し 死んだら、曹洞宗のお寺で戒名を変更することなどできるのでしょうか? また、戒名というのを二重に持つことはできるのでしょうか? 戒名という意味自体あまり分からないのですが 戒名しろ、簡単に言われるものなので どうしたら良いのか分からなくてご相談をいたしました よろしくお願いいたします
精神病を長年患っており死ぬ事ばかり考えています。病苦も有ってか嫌な事に対して敏感で過剰反応します。特に人間の醜い所を見聞きするのがウンザリです。早く解放されたいです。 方法は死ぬ事でも良いのですが、輪廻してしまっては苦しみの繰り返しになるので輪廻から解脱したいです。この事は消滅する事と同じなのでしょうか? 私は仏様になって誰かを救いたいという気持ちよりも、早く苦しみから逃れたいという気持ちから消滅したいと考えています。 精神科医には「肉体があるから消滅は出来ない」と言われました。死ねば消滅するのでしょうか?どうしたら消滅出来るのでしょうか? 痛いのも苦しいのも醜いのも…全て嫌です。完全消滅して、1秒でも早く全てから解放されたいです。 上座仏教やチベット密教の記事を読むと「輪廻から解脱=消滅」と捉えられるような記述がありました。 輪廻から解脱する事と消滅する事の違いは何でしょうか? どうしたら輪廻から解脱(消滅)する事が出来るのでしょうか? 1秒でも早く人間を辞めたいです。なるべく簡単な方法を探しています。 助けてください。これ以上、人間の醜さに触れたくありません。 早く死にたい、消滅したい、輪廻から解脱したい。
はじめまして。唐突ですがほぼ無宗教の人間が仏像を作る事は罰当たり、または仏様への失礼にあたりますか? 海外でアート関係の仕事をしており、締め切りやミスなどによってストレスを感じる事が多く、最近ふと机に仏様の優しいお顔があれば落ち着いて作業ができるのではと思いました。 ただ現地で購入できるのはア◯ゾンや得体のしれないウェブサイトでの仏様ばかりで、ほとんど信仰心のない私としても不安です。 それならばアーティストである自分で制作すればいいのではと思ったのですが、文頭の通り勝手に作るのは大丈夫なのだろうかと気がかりです。しかも素材が木ではなくプラスチックのような物になってしまいます。 また仏教や仏像がほぼ無知識だったため色々とハスノハを含めて調べさせていただいたところ、開眼の儀やそもそも偶像崇拝ではない事などを知り余計に「落ち着きのある顔」を求めて側に置くのはよくないのかなとも思っております。 また完全に無宗教とは言えないので亡くなった父や祖父を思ってたまに開眼供養していないのに拝んでしまうかもしれません。インテリアとして割り切る事は難しいと思います。 日本にいつか帰国した時にちゃんとした仏像を購入できるかもしれませんが、それはそれで魂の入った仏像をあまり拝まないのは申し訳ないです。 この質問が仏様や僧侶の方、仏教徒の方への失礼にあたらないといいのですが、もしそうでしたら申し訳ありません。 よろしくお願いします。
以前にも臨終の相と来迎に関しての弁長上人の言葉が納得できなくて質問させていただきました。 それ以外にも例えば弁長上人は聖浄兼学しなきゃ念仏のありがたみはわからないと言っていますが、これは法然上人が否定した「学問をして念のこころを悟りて申す念仏」ではないでしょうか。 どうも僕の目には弁長上人は法然上人の教えを歪めまくっているような気がするのですが、浄土宗のお坊さんはこの矛盾を心の中でどう消化しているのでしょうか?
こんにちは。趣味で仏教を勉強しているものです。 最近「愛着慈悲心(愛見の大悲)」という仏語があると知ったのですが、仏語辞典などを引いてもよく意味がわかりません。 愛着から慈悲が生まれるものなのでしょうか…?どういう状況だと愛着から慈悲が生まれるのですか? そして仏教では慈悲が良いことだとされていますが、なぜ愛着慈悲心はいけないのでしょうか。 例え話などがありましたらわかりやすく教えていただきたいです。
而今とは今を生きることだと認識しています。 しかし、どんな人でも何かを思い出したり、予定を立てたりすると思います。 そして、記憶や予定は、過去や未来そのものだと思います。 刹那に生きることと上記のことが矛盾しているように感じます。 この矛盾はどう解いたら良いのでしょうか? よろしくお願いいたします。
お世話になっております。 この質問と関連があるかもしれませんが https://hasunoha.jp/questions/34134 以前、修験者の方が行う護摩行に参加し、手持ちの数珠(108玉のもの)をお加持してもらったところ、数珠を結び、真ん中に大きな結び目をつくり、その結び目の左右から蝶の羽のように数珠が出る(独鈷杵のような?)形の結び方をしていただいたことがあります。 行者曰く、如何なる穢れからも守る最強の結び方といっていました。 その後、数珠はほどいて使っていましたが、結び方がわかりません。 ・この結び方の名前や意味 ・結び方 がわかれば教えてください。 よろしくお願いいたします。
以前、仏教とは?と質問させていただいたものです。沢山の回答がありまして、その中に仏教とは善い行いをするためにする事とあったので、善い行いを心がけてますが、毎日仕事をしていて、雑草を抜いたり、害虫を殺したりしています。お客様や職場の人は喜びますが、これって仏様からみたら善い行いなんでしょうか?また、私の友人の住職は善い行いをするのではなく慈悲の心でする事瞑想をとうして、仏様が私の心になる。とおっしゃっていました。心が瞑想すると第4図という好き嫌いの心から、慈悲の心になるそうで、例えば誰かに刺されたとしても心は穏やかなままになるそうです。その方は曹洞宗です。友人にさそわれ私が信仰していた日蓮宗系なので、お経を毎日あげる事で先祖が喜んで力をかしてくれるという教えでした。わたしは今はお金がかからないので曹洞宗のお寺に行ってますが、日蓮宗が間違えではないと思うので、曹洞宗のお坊さんが読んでる般若心経を譲ってもらったのでそれを毎日よんでます。日蓮宗が間違ってるとは言わないですが、その団体の独自の解釈で抜粋されたお経はスッタニパータ読む限りではずれているので。本物の日蓮宗のお坊さんとは出会った事がないので、自動的に私は曹洞宗になってしまったというか檀家なのでお墓は曹洞宗のお寺なので、わざわざ、変える必要もないというか、遠くてお墓参りにいけないんならいくら日蓮宗のお寺さんにしたいといっても先祖も自分も喜ばないと思います。うちの近くの曹洞宗のお坊さんいいかたですが、日中ずーっと瞑想して座ってるだけの日もあるんそうなんですが、日蓮宗系のお坊さんからしたらお経も読まないで何してんだ感じだろうけど、そのプロセスの違いだけなんだと思います。何を信じたらいいかわからなくなる時もありますが、慈悲の心になればいいし、先祖も大切に生きていきたいです。
自殺をしたらどういうところに行きますか?やはり地獄なのでしょうか、