父親やハスノハのお坊様のご協力もあり死への不安が消えつつありますが、いまだにふと死についてかんがえてしまいます。 このふとした瞬間に死について考えないようにするにはどうしたらいいですか。 回答よろしくお願いします。
昨日、父親に死について質問してみたら、死んだら無になると返ってきました。 僕は、死んだら無になることは誰にも変えられないと思い仕方ないと思いましたが、永眠と言う言葉について不安をいだきました。 死んだら何も考えられなくなり子孫のようすを見たり先に亡くなった親しい人と再会したりできるのでしょうか。 とても不安です。何回も質問していますが、回答よろしくお願いします。
たくさんのお坊様にコメント頂いたように僕は今を大切に生きようと思っています。 僕も死後の世界を信じ命を大切にしていこうと思います。 しかし、ふとした瞬間に、死後の世界は無いのでは、死んだら家族や友達と一生会えないのでは、と恐ろしい想像をしてしまいます。死についての不安を和らげる方法を教えて下さい。
ハスノハのお坊様のご協力もあり、死への恐怖は少しずつ和らいできました。 ですが死について考え始める前より、一日が短く感じられてしまったり、平均寿命を基準にあと何年で死んでしまうのかふと考えてしまったり、僕は長男なので兄弟の中で一番早く死んでしまうんだと思い度々心が辛くなります。それから死について意識しないようにするにはどうしたらいいか教えて下さい。
こんばんは。 もともと仏教に興味があることもあって、死期を悟った時は安らかに終末を迎えたいと思っています。 病気、貧困、痴呆などで孤独死することもあると思いますが、それも受け入れたいと思います。 ですが、その後、腐敗したまま発見されないのではないか?と想像すると怖くてなりません。孤独死した身内を発見して、凄惨な現場を見たトラウマがあります。自分が、夫が、親が、またあの状態になるのではないかと、毎日考えてしまいます。不安がわいたきっかけはコロナウィルスです。高齢の親が遠方にいて、夫とは仕事の関係で離れることがあります。安否確認はとっていますが、間に合わないこともあると思います。また、夫婦もどちらか先に逝くので、遺された方は一人暮らしになります。子供はいません。家庭の事情と仕事の関係で地域との繋がりも薄いです。 例えば、終末期の老人であれば、看取り介護や見守りサービスが受けられます。でも、元気な高齢者や若者の方は一人暮らしが続くため、孤独死の可能性が高いのではないでしょうか。 そこで、ご質問させてください。病気、貧困、痴呆などやむにやまれない事情で、死期を悟り、静かに死にたい人達の看取りホームのようなもがあれば気が楽になると思ったのです。本人が納得したら医療を受けず、最低限の水と塩だけ与えて貰い、誰かに背中をさすって貰い静かに死ぬ施設で生き絶えれば、すぐ火葬もしてもらえると思います。ぎりぎりまで頑張って自殺しようとされる方がそうした施設で最期を迎えるという選択肢もあるのではないでしょうか。イメージしたのはインドの死を待つ家ですが。私も介護年齢になる前に、コロナの治療が受けられないとか、病気で働けない、介護や生活保護は受けられない、でも一人暮らしが難しいとなった時、そうした最後の瞬間には、看取りの施設に入りたいと思いました。 私は人に迷惑をかけたくないという考えが強く、孤独死から近隣に影響を与えることに抵抗を覚えます。孤独死した身内も決して幸せだったと思えませんし。 ですが、私が考えるような終末期の家は、日本では法に触れたり、犯罪の恐れを呼んだりするのでしょうか? もしも許されるなら元気なうちにそこでボランティアしたいとさえ思うのですが。 終末期の家の考えはおかしいでしょうか? だとすれば、地域とつながりのない一人暮らしの人が孤独死を避けるにはどうすれば良いのでしょうか?
人間は死んだらどうなるか誰も知りません。僕は死後の世界があり、生前親しかった人達と共に死後を過ごすと考えています。 しかし死後の世界があるとは限りません。だからもしかしたら死んだら無で家族や友達と一生会えないだけではなく自分自身、もう地上に戻れないという不安が湧いてしまいます。 僕自身1ヶ月前のように死の怖さを考えることなく生活していきたいです。回答よろしくお願い申し上げます。
最近、死についてよく考えています。僕は死後の世界があると信じています。 でも死んで生まれ変わっても家族や友達と離れてしまう可能性がある、ましてや次は人間にも生まれ変われないんじゃ、さらに死後の世界が無く死んだら同じ魂を持って生まれ変われないのではと とても恐ろしい想像をしてしまいます。 更に今すぐにでも家族や自分が死んでしまうのではと日々その事ばかり考えてしまいます。 どうか僕の不安を和らげて頂ける回答おまちしております。
最近死について考えてしまいます。僕は死後の世界があると信じています。でも死んだらどうなるか誰にもわかりません。 だから僕は死後の世界があると確信できず、死んだら無になり家族や友達と一生会えないのかと思いとても辛くなります。 だけど僕は死後も家族や友達に会いたいです。僕の気持ちを少しでも軽くして頂ける解答をお願いいたします。
初めてご相談させて頂きます。 先日、14年一緒だった最愛の猫を看取りました。 1月に具合が悪そうにしていたので病院に駆け込んだ所 末期の腎臓病と診断されました。 獣医さんからは、 もって2.3日、頑張って1カ月と 診断されました。 治療するよりも、自宅でゆっくりと過ごすか、安楽死の二択だと診断され 家族みんなで相談し合い、自宅療養を選びました。 それからは、 病気の事、これからどう体調の変化があるのか、どの様に過ごさせればベストなのか、最後はどうすれば良いのかと、獣医さんや人に聞いたり相談したり調べたり沢山しました。 変な話し、終活じゃないですが ペット霊園にも話を聞きに行きました。 しかし、お別れの時は来てしまいました。 余命宣告を受けてから、きっちり3カ月目の4月16日、夜中の2時半前 最愛の猫は、号泣する家族みんなに見守られ、沢山声を掛けて名前を呼んで、沢山撫でてもらいながら旅立ちました。 眠る様にとはいきませんでしたが 穏やかに旅立って行ったと思います。 そこからは、散々調べ尽くしたお陰なのか エンジェルケアも、思ったより手際良く済ませ 朝には、お花を買いに行きました。 ペット霊園にも電話をし、 自分で運転し、最後に一緒にドライブしているかの様な気持ちで向かいました。 霊園に到着したら、 お経もあげて頂き、火葬用の炉の中に綺麗に入れてもらい、一緒に持っていった、おもちゃやご飯等を、涙が止まらなく鼻水を垂らしている私に入れさせてくれました。 分骨を希望していたので 数時間後、再度伺うと 遺骨が綺麗に並べてありました。 その姿をみた瞬間 あぁ… 全部終わっちゃったんだなぁ… と、妙に冷静になってました。 自分の性格上 きっと、寂しくて悲しくて 泣いて泣いて仕方ない位に落ち込むと思っていました。 ですが、家族や親友が、後から酷く落ち込むのではないかと心配するくらい落ち着いているんです。 確かに、思い出しては涙も出ます。寂しいし、姿を探してもしまいます。 初めて看取る経験をしたのに 私の心が、おかしいのでしょうか?薄情なのでしょうか?? 周りが言う様に、後から酷く落ち込むのでしょうか?? この様な経験が無いので 何か、お答えやアドバイス頂けると幸いです。
私は死が怖くてたまらないのです。毎日朝から晩まで死のことを考えない日はありません。病気の不安もすごくて、こんなに死が怖いなら、死んだ方がまし。と、自分でも、訳の分からないことを考えてしまいます。死の何が怖いのかもわかりません。主人とか、子供達に聞いても、意外とあっけらかんとしています。生に対する執着が強すぎるのでしょうか?でも、苦しいのは確かなのです。病気のせいでしょうか?死の恐怖心に苛まれている私に、何か救いのあるアドバイスをください。本当に困っています。どうぞ宜しくお願いします。
転職に失敗しました。 仕事に行きたく無いです。 ハードな職場なのはわかっていましたが、改めて業務内容の説明を受けると、とても自分がこなせるものではないと感じ、恐ろしくなりました。 ついていこうともちろん必死で勉強していますが、見通しが立ちません。 年齢等も考えると、人生詰んだ感じがしてなりません。 死のうかと思って早朝出かけましたが、結局死ねずに帰ってきてしまいました。 正直な気持ちを書くと、休職→退職に持っていき、自分の荷物を下ろしたい。 しかし、それをする勇気もない。 死んで全て終わらせたいが、その勇気もない。だが、こっちの方がまだ出来そうな気がする。 何しろ辛い現実を投げ捨てたい。無責任と言われようがもういいです。
良く、病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬのだと教えて下さる方がいらっしゃるのですが、本当なのでしょうか? そして、死んだら身体はもちろん、心も無くなってしまうのでしょうか? 私と言う存在は死の瞬間に無になってしまうのですか? どこに行ってしまうのですか? 先に亡くなった方々に会えると信じていましたが、死んだら空気に舞うチリと同じになるのでしょうか? そして、人間にまた、生まれ変わる事はあるのでしょうか? 私は精神障害を持っているので、支離滅裂ですみません。 よろしくお願いします。
こんばんは。いつもお世話になっています。 最近、漠然とした不安、情緒不安定、などで、助けてほしいと思っても頭が働かず、どうハスノハに質問を書いたらよいかわかりませんでした。 やっと不安定の理由がわかりました。 最近のコロナ騒ぎで不安になっていました。私は免疫系の基礎疾患があり、コロナ感染=死です。 感染者が増えてくるに従ってじりじりと自分に死が近づいているとかんじてしまいます。 死ぬのがこわいと心から感じています。死ぬことは怖くないと前は思っていたのに嘘みたいです。 もうじき来るかもしれない死への恐怖、死神が近づいてくるような恐怖、死刑台に立たされているようです。どう恐怖と向き合い受け入れたらよいのでしょう。
身近な人の死が怖く、環境が変化することがとても悲しいです。 人はいずれ老いて亡くなることは、自然なことだと理解はできますが、そのことを考えるだけで辛く悲しく涙が出てしまいます。 今を大切に生き、楽しく生きたいと思いますが、どうしても、いつかいなくなってしまうんだと思う気持ちが強く心を蝕めています。 どうか、少しでも心が軽くなる言葉をいただけたら幸いです。
3月11日震災の日が近く、ある女性の手記を目にしました。その女性はお母さんと一緒にいる時に津波が来て逃げようとしたところ、お母さんは瓦礫に挟まり身動きが取れなかったそうです。 でも津波はどんどん迫ってきて、女性はお母さんを置いて逃げる事しかできなかった。その気お母さんは、「待って!行かないで!助けて!」と、ずっと叫んでいたそうです。女性は「ごめんなさい…ごめんなさい…どうか許して…」と、胸を引き裂かれる思いで避難したとの事でした。そしてお母さんは遺体で見つかったと…。 9年経つ今でも、ずっとお母さんの声が頭から離れず苦しんでいらっしゃいます。一緒にいてあげれば良かったのか、何とかできなかったのか…という思いが何度も押し寄せるそうです。 少し話は違いますが今まで質問させて頂いた通り、まもなく私には赤ちゃんとお別れした日がやってきます。それに加えて震災でのこうした手記などを読み、最近は命や魂が救われているのかをよく考えます。 この世に生まれる事なく空へ帰った赤ちゃん(水子様)は一切の恨みや煩悩は無く、私などが思うより限りなく純粋な魂であり、母が幸せに前を向いて生きていく事を望んでいるとハスノハで学びました。本当に尊いです…。また、煩悩などは生まれてから大人になるにつれて身に付くものだとも学びました。人間には生きたいという本能があると思います。だから女性のお母さんは、そう叫んだのだと思います。 赤ちゃんはこうした気持ちは持っていないかもしれません…。でも女性のお母さんの魂や思いは、仏様に救われているのでしょうか?本能でその瞬間は助かりたいと叫んだのだと思います。でも、娘さんである女性がずっと苦しむ事を望んでいるわけでもないと思うのです…。女性が間違った行動をしたとは思いません。自分の事もお母さんの事も、助けようと必死だったはずです。私なんかがとてもおこがましいですが、自分とリンクして考えてしまいました。赤ちゃんを助けたかった、本当は自分が死んでもいいかは産んであげたかったです…。それができなかった酷く愚かな母です。 でもそんな私を清らかな赤ちゃんは受け止めてくれていると学びました。女性のお母さんも今は救われているのでしょうか?女性を恨んだりなどしていないと信じたいです。 長々とすみません。色んなご意見をお聞きしたいです。
中学生ぐらいの頃から漠然と死の恐怖がありましたが、身近な祖父が亡くなった事で、改めて両親が死ぬこと、自分自身もいつかは死んでしまうと自覚したことで、より一層死ぬことに対して恐怖が強くなってしまいました。 ただ死ぬのは仕方ないとはして、特に孤独死が怖いです。年齢も三十路手前ですが結婚願望はありません。生涯独身でもいいかと個人的には思ってます。 そのため孤独死をしないために結婚というのも何か違う気がします。 働いてる時や動き回ってると忘れてるので気にしないのですが家で一人でいる時や眠る前の静かな時間に、ふと死の恐怖を思い出してしまい泣いてしまいます。どうしたらいいのでしょうか? 死ぬのが避けられないならせめて落ち着く教えや考え方はありますか?死の恐怖と上手く付き合っていく方法が知りたいです
夜寝る時に、急に死に対する恐怖を感じます。大学生ですが、これから先の人生はどうなるのか。死んだ後はどうなるのかと考えてしまい、息がうまくできなくなってしまいます。
2月23日に父が突然亡くなりました。 以前から息苦しいとはいっており3軒の病院で検査しても特に異常がありませんでした。 4年前に兄が東京で亡くなり、両親がいる鹿児島へ遺骨を持って帰りました。 その際に父の肺癌が見つかり、治療後の約2年前に私の家近くにマンションを借りて生活を始めました。 肺癌は放射線治療で完治していました。 1年目は、大好きな父に出社前に作ったお昼のお弁当、夕飯のおかずを持って行くのが日課でしたので、家事をしながら話すのが、とても楽しかった。 私が出かける時は、必ず玄関まで見送りしてくれました。 行きたがっていた北海道にも一緒に行きました。 旅行もたくさん行きました。 病院への通院も月に一度行きました。帰り道に外食するのも楽しかった。 しかし昨年の8月から、言っている事がおかしかったり、物忘れがひどくなっていきました。 11月には昼夜逆転となり、夜中も電話をしてきたり、母に対して暴言を吐くようになりました。 あんなに穏やかで優しい父だったのに…。 その頃から着替えも1人じゃしない。お風呂も入らない。 ご飯も食べない。体重は37キロまでに痩せてしまいました。 MRIで検査したところ認知症でした。 週3回デイサービスに行かせる事にしましました。 痩せないように大好物のヤクルトやお煎餅、果物を持って行くと1日で全て食べてしまいます。 しかし最後は35キロ。 私も父のイメージが崩れていくにつれ足は遠のき、あまり会話する事もなく家事をこなし 「早く」「早く」と言い、着替えさせて出社する生活になりました。父も私の態度が悪いからか無口になっていきました。 そして老人ホームへ行きたい…と言い出し、審査が通り4月から新築の老人ホームに入る事が決まっていました。 紙に「老人ホームへ4月から入る事が決定」と書きテーブルに貼って喜んでいました。 それなのに自宅で倒れ、そのまま逝ってしまいました。死目にも会えませんでした。86歳でした。 何で私は最後まで優しく出来なかったのか後悔でいっぱいです。 あんなに大好きな父だったはずなのに…。認知症が出てからは避けるようにして。最低です。 父の死目にも会えなかったのは罰です。 夢枕にも立ってくれません。 荼毘にふされた今も会いたいです。会いたくてたまりません。 この気持ちをどのように持っていったら良いでしょうか。
私は、小学生の頃から死にたいとおもっていました。おとなしい子供でしたが、他の子供に比べ個性がなく、特筆した特技もありませんでした。 そればかりが、愚鈍で頭も悪く、いつも教師に怒られていました。 五年前にうつ病を患ってから、発作のように死にたい感情が強くなるときがあります。そのときは、黙って耐えるしかありません。 そんなおり、体の不調で薬を買いに行きました。 しかし、なんで死にたいのに、元気になろうとしてるんだろう? 矛盾していて、胸がざわざわしました。 倒れない程度に瀉血をし、薬をのみ、家族のなかに居場所を作るために、家事や介護をする。 私がいなくても、母が全てまかなってくれるでしょう。私がいなくても、家族も社会も大丈夫です。 それなのに、自分の体を治そうとするなんて。死にたいと思っているはずなのに。 何度か、睡眠薬や頭痛薬を大量にのみましたが、丈夫だったせいで生きてしまいました。 私は、自分の脳ミソが腐っていて、生まれてからずっと、他人のいうことがまともにできなかったのだと思います。 銃社会であれば、とっくに自分の頭を吹き飛ばしていると思います。 首吊りも、中途半端で、完遂できませんでした。 こんなに死にたいのに、生きている自分を殺してしまいたいです。 できることなら、自分の命を、生きたい人に差し上げたいです。 ただ、気がかりがあって。 それは、残される家族と、私を診察してくださった先生です。 できることなら、自分の人生をなかったことにしてしまいたいです。 思い付くのは、身辺整理くらいしかありません。 他人の心から自分を消すには 、忘れたくなるような罪を犯すことが最善でしょうか。 それとも、富士の樹海のようなところで、ひっそり逝くべきでしょうか。 自分を自分でどうにもできません。 苦しいです。
私は死にたいです。生きていても何もできないので。病気がちで、周りには迷惑かけてばかり。心の病もあり、せっかく良くなったのに再発してしまいました。仕事も頑張っていたのに行けなくなってしまいました。もう、いいです。 私が死んだら夫と親は悲しむと思います。でも、悲しみは乗り越えられますよね? このまま迷惑かけ続けるより、死んで乗り越えてもらった方がいいと思うのです。 大切な人の死も、人は乗り越えられますよね?