4日前に15年間一緒に過ごした愛猫が 亡くなりました。 母と兄が看取ってくれたことが救いです。 しかし、結婚を機に引っ越しをした私は 1年ちょっとコロナの影響で 会いに行けていませんでした。 足の動きが悪くなった、食欲がないと 話は聞いていたのに自分も体調が ずっと優れなかったことやきっと 元気になってくれるだろうと会いに 行ける距離に居たのに、会いに 行きませんでした。 その日は突然来て、早朝亡くなった 聞いてその日のうちに会いに行きました。 その日のうちに行けば会える気がして… 今は愛猫、母共に心配性の私に 心配をかけないよう最小限に してくれたのだろうと後悔は 薄れてきましたが、愛猫のいない 世界を生きていける気がしません。 ここ数ヶ月、職場の人間関係が安定したり 新生活が安定したりと多分その愛猫が 身の回りを整えてくれたのに… 今回実家にすぐ帰れることにも気づけました。 なぜかこちらの家には来たことがないのに 愛猫の気配があります。 ドアをあけたらそこに居るような気がします。 その時は今まで通り名前を呼び 声をかけますが、倦怠感が抜けず 食欲も戻りません。 このままでは愛猫が天国に行けなく なってしまうと分かっていながらも どうしていいのか分かりません。 よかったら、こんな私にお力下さい。 長文、乱文失礼しました。
こんにちは。去年から立て続けに愛情たっぷり注いでた猫が原因不明の病気で3匹続いて死にました こんなに立て続け逝くなんてわたしの行いが悪いからでしょうか? 心の中の黒い感情とか因果応報で猫に行くことあるんですか? 助けられなかった後悔でいっぱいです。 私が全部原因なんでしょうか。 ペットとはご縁がないのでしょうか、
生まれる前に決められた”生きる時間”があるとして、その途中で生きるのを自らやめてしまった人はどうなると思いますか。 病死や老死などの、人生を真っ当に生きた人と、自ら命を絶ってしまった人では魂の行先は違うと思ってます。 自殺したら楽になるとよく言ってる人を見ますが、本当に楽になれると思いますか…?。 私達は私達の世界しかしらないだけで、その後の世界のことを知りません。 ”その後”に何かがあるのかもわかりません。 だからこそ”楽になる”と、なにもわからないのに言います。 自殺をしたら、どのくらい苦しいことが待ち受けていると思いますか…?。
母の自殺から数ヶ月が経ちました。 四十九日を終え緊張の糸が切れたのか、うつ病が悪化してしまいました。 自責・不安・焦り・虚しさに毎日襲われます。気晴らしに…と好きなことをしても、楽しくありません。 また、母の自殺をフラッシュバックしてしまうため、"母が自殺した日"を何度も何度も追体験してしまいます。つらいです。 服薬治療も含め、できることは全てやっています。 でも、3年経った今も改善しません。それどころか悪化したので、「元気になりたい」という気持ちが湧いてこなくなりました。 以前は「元気になる」という目標がありましたが、今はそんなことを思えるほどの気力がありません。ただただ、生きるのに疲れました。自殺未遂をするほどには。 ただ、窓の外をぼんやり眺めながら遺書の内容や死ぬことを考えていると、心が落ち着くのです。 虚しさや不安を忘れ、「死んだら母のところに行けるかもしれない」と希望も湧いてきます。 以前こちらで相談したとき、【先に往かれた親しい方々やご先祖様がお母様をあたたかく優しくお迎えなさって下さいます。】と回答をいただいきました。 ふとそれを思い出し、「わたしが死んだら母が迎えてくれる、死んだら母に会えるんだ」と嬉しくなりました。 嬉しいなんて気持ち、久々に湧きました。だから、ホッとしたのかもしれません。 「死」を考えることで心が穏やかになるなんて、おかしいでしょうか。 また、心身共に疲れ果て気力がなくても、自分に鞭打って生きなければいけないのでしょうか。 わかりません。教えてください。
こんにちは。中学3年生です。 私は今1、2週間位の間、死ぬことについて考えてしまっています。自分が死んでしまうのは嫌だし、親や兄弟、身近な人が死んでしまうのも嫌です。 最近はコロナ禍なので、親がコロナにかかってしまったら、持病があるので不安で胸がいっぱいです。 人は必ず死んでしまうことは分かっていますが、やはり怖いです。 他の方の質問や回答も一通り見させて頂きました。考えていることはみんな同じなのだなと思いました。 でもこれ以上悩んでいたら時間がもったいないので、どうにか心を落ち着かせたいです。そのためにはどうすればいいでしょうか。教えて下さい。
最近歌の歌詞などで、愛する人と一緒にいられる時間には限りがある、という歌詞がありました。私は疑問に思ったことがありました。それは魂が永遠ならばあの世に行ってから愛する人とも限りなく一緒にいられるのではないかと思うのです。皆さんはどう思いますか?
プロフィールにも書きましたが病気の事があり、人と接するのが嫌で仕方ありません </br> 唯一私の心を癒やしてくれた稼いだお金で好きな物を買う事を繰り返してついに限界を迎えました <br> 親に相談出来ないので勇気を出して債務整理をお願いして今必死に返済中なのですが、こんな事態を招いた自分が嫌になります </br>昼夜問わず働いて返済すべきなのでしょうが病気の事で虐められた学生時代のトラウマが忘れられなくて恐怖から仕事を増やして人間関係を広げる事を躊躇っています</br> 学生時代のあの時に周りで陰口を叩かれた日々が今の私のやりたい事、なりたい自分を殺しています</br> 弟が2人いるのですが2人共結婚をしてちゃんと生活をしています</br> 私は実家暮らしなのですが、たまに帰ってくる弟家族の姿を見ると自分がいかにダメなのかを突きつけられてしまって辛いです</br> このまま歳を取って親がいなくなったあと、お金も無い、安い給料で生活していけない状態になってしまったらどうしようと思うと怖くて仕方ありません</br> 10代後半〜20代前半にかけて私の心を安定させてくれていたのはパートで稼いだお金を使う事とリストカットでした</br> なので今でも左腕は傷跡だらけです</br> だから制服を着る様な仕事は出来ません</br> もはや普通の人として生きていけません</br> 今、私はどうすればいいのか分かりません</br>毎日頭の中で自殺をシミュレーションしてます</br> 迷惑を掛けない死に方とか</br>この先生きていても絶望しかありません</br> 毎日を凌ぐ様に生きている自分が哀れです</br> もう明るく振る舞う事にも疲れました</br> 相談する人も居ないし、相談したくても喉なのか声なのか詰まって喋れなくなります</br> 何も出来ない、行動も起こせない、死んだ様に生きている状態なら死んでも良いんじゃないかって思うんです
初めまして。28歳の狐狼と申します。 予め言っておくと、質問や相談というより、1人の人間のお話しという事で、自分の人生が誰かの役に立てたらと思い、軌跡として残したいと思い投稿させて頂きました。 1度で書き切れるかは分かりませんので、何回かに分けて書く事を想定しています。感想のような物が頂けたら幸いですが、回答や感想がなくても構わないと思っております。 まず初めにプロフィールにも記載ある通り、自分は双極性障害、二重人格に近いと診断を受けた精神が2つあるという特徴があります。 現在は無職ですが、去年の12月までコールセンターにいました。 趣味はゲームやカラオケ、読書や執筆活動、音楽鑑賞や作詞、コザクラインコと遊ぶ事や勉強する事、風景撮影や性格診断・占いなどです。 今までの略歴は次の通りです。 小学3年でいじめに遭い、4年生から不登校。以来中高大と通わず、高卒認定(旧大検)を取得。 ↓ 19歳から働き初めるも職を転々として、傷病により6年のブランクを経て再度働き始める。 ↓ 12月に仕事を辞めてから人生について色々と考えるようになり、今年の5月に自殺する事を決める。 ↓ 現在終活に向けて色々と片付けたり、相談サイトや投稿サイトで自分の軌跡を残しております。 略歴としては以上となります。 性格は2人分の精神毎に違うため、個別に書きます。 男性長所:真面目、大人しい、感受性豊か、活字好きなど 男性短所:消極的、精神不安定、優柔不断、希死念慮持ちなど 女性長所:好奇心旺盛、頭の回転が速い、策士など 女性短所:移り気、計算高い、理屈っぽいなど 性格は以上です。 夢や目標の変遷:エンジニア・プログラマー→小説家→普通の暮らし→家族への恩返し→小説家→普通の暮らし→死ぬ事 自殺までに思い残した事:家族への恩返し、コザクラインコのお世話、遺される家族の事。 人生の宝物:ゲームをした時間、勉強して知見を広げられた時間、動物達との時間、少しでも社会を見られた事。 1番の宝物:家族(自身は独身)との時間。 簡単な自己紹介的な物は以上となります。 ※文字数に限界が来たので、詳細はやはり小分けにしたいと思います。 次回も投稿します。宜しくお願い致します。
15歳の頃からキリスト教会に通っていましたが、30半ばで鬱を患い「天国を目指して迫害にも耐える信仰を持つ」というあり方についていけなくなり、仏教に心の平安を求めました。 高野山の宿坊に泊まったり、近所のお寺で座禅を組むうちに、それまでひどいときは数分ごとに波のように押し寄せてきていた攻撃的な苦しみが和らいできました。 それからも落ち込んだり、辛いことは多々ありましたが、苦しみが襲ってきて一晩中眠れないようなことはなくなりました。 相談というのは、思春期に受けた洗脳のような教えがまだ恐怖として根深く残っていることです。 ほとんどは健全なキリスト教会なのかもしれませんが、私の通っていたところでは、「伝道しないことは人殺しに等しい」「教会に来ないと悪い事が起こる」と、今思えば子供だましのようなことでも、当時の私にとってはありありと描写される死後の裁きの事や、来るべき世の終わりに大きな艱難が起こり、迫害を受けるのだという恐怖がしっかり植え付けられてしまいました。 それでいまだに教会に行かなくてはならないという強迫観念から抜けられないのです。本当に行きたくて行くのなら問題はありませんが、根底に恐怖があるのです。 実際にまた教会に行き始めたところ、また心がざわついて、イライラしたり、不安で眠れなくなったりしてしまうのです。 教会自体には問題はなくても私の抱えているトラウマが重くて、まともなメッセージも恐怖のフィルターを通して見てしまうのかもしれません。 教会に行くにせよやめるにせよ、恐怖から解放されて正しい判断をしたいのです。座禅をして心に平安を得ても、これでいいのかと罪悪感のようなものを覚えてしまいます。 仏教にしろ、キリスト教にしろ、どちらが正しいとか、教義的な事とかはわかりません。どちらにしても心がざわついたままでは一生迷いを抱えて生きていくことになりそうです。 とりとめのない質問になり申し訳ありません。 恐怖から解放され冷静な判断ができるアドバイスをいただきたいのです。 よろしくお願いいたします。
タイトルの通り、身近な人の死が怖いです。 数年前に、仲の良かった先輩を亡くしてから身近な人に対する死がとても怖いです。 自分の死に対する恐怖は無く、むしろ自分の事に関して無感情と言うか、無関心で、死のうがなんだろうが何とも思っていないのですが、 親や友達など、自分に親しい人の死がとても怖いです。 生物として生まれてきた以上、死というのは必ず来るし、受け入れなければならないのは分かっているのですが、何故か意味もなく怖いと思ってしまいます。 乗り切る方法などはありますか?
最近、自分のやったことが恐ろしいです。 例えば、人の悪口を言っていたり、嘘をついたり、人のものを壊してしまったりことがありました。本当に自分が迷惑をかけた人々には本当に申し訳ない気持ちで一杯です。こんな自分は地獄に落ちてしまうのか毎日不安です。こんな人間でも地獄に落ちない方法はあるのか知りたいです。
現在高校3年生です 受験を一通り終え人生の節目に立ったことと、時間がとても余っていて暇なこともあってか、ここ数日死について考えてしまいます。受験とコロナという状況も相まって自室という閉塞的な場所に長期間いて家族以外とあまり会えず精神状態が不安定なのかもしれません。 僕は今までとても幸せな生活を送ってきてこれまでの人生に後悔はありません。 だからこそ、いつか来る終わりが怖くて仕方ありません。 死については科学や宗教など色んな立場の人が色んな意見を出し合っていると思います。 今この世に生きている以上結局死後のことは何も分からないことも分かっています。 けれどあれこれ考えてしまいます。 もう大学生ですし結婚願望もあるので親と一緒に過ごせる時間やそして必ず来る親の死、自分の寿命が尽きた時の自我の消滅などを考えると怖くて仕方ありません。 僕としては自分が死んだら、親や兄弟、ペットとまた幸せに暮らしながら、自分の子孫などを見守り、時が来たらその子とも暮らしたりという、あの世での永遠を望んでいます。 これはとても都合のいい考えだと分かっていますが、こうでも考えないとおかしくなってしまいそうです。 もちろん死ぬまでは精一杯生きるつもりですが皆さんの考えを是非お聞かせ頂きたいです。
実家の愛犬が老衰で死んでしまいました。外飼いだったので寒い中独りで辛かったんじゃないかと思うと本当に申し訳ないことしたと後悔してます。 コロナ渦で実家には帰れないので、近くのお寺に行って愛犬に謝り、あっちの世界でも元気で過ごしてねと伝えたいです。直接墓参りできなくても問題ないのでしょうか?愛犬も許してくれるのか気がかりです。
こんばんわ。 今現在38歳なのですが、余命は60歳程、あと20年の人生と知りました。 約40年生きて来た感覚では、20年はあまり長くないです。突然で、呆けています。 何をしよう、どう生きよう。 本来の性格から言っても僕は無欲で、特にやりたい事も正直ありません。 全くの白紙のあと20年。 本当なら自分に訊くのが一番ですが、これから先、僕はどう生きれば良いのでしょうか。
長文失礼いたします。 私は以前がんの治療を行い、現在経過観察中です。 治療をしていた時は死にたくないと思っていたし、治療も前向きに考えて取り組んでいましたが、治療が無事に終わってからは生きることが辛くて死にたい思いがどうしても消えません。 こんなことを言うとせっかく治療を乗り越えたのにと色々な人から怒られますが、できることなら生きたいと思っている人たちに自分の寿命を分けて自分は消えてしまいたいです。 死にたい気持ちが消えない理由はわかっていて、治療の関係で足に障害が残ったこと、友人達は働いているのに自分はまだ働けていないこと、病気が理由で付き合っていた人からふられたことなど、周りは先に進めているのに自分はなりたくなかった病気のせいで取り残されていると感じて、未だに自分の現状を受け入れられていないからだと思っています。 また、最近は仲の良い友人が鬱になり、病気の辛さでマウントを取られるようになって、余計に死にたくなるようになりました。 せっかく治療を終えて生きているのに死にたいと考えてしまう私が生きていることが、今頑張っている人や亡くなった人に申し訳なくて、余計に死にたくなる悪循環を繰り返してしまいます。 このような考えをなくすためにはどうしたら良いでしょうか。 アドバイスをいただけたら幸いです。 よろしくお願いいたします。
投稿を見ていただきありがとうございます。 仕事が辛く、プライベートも持病の影響で上手くいかず、ふとすると自殺を考えてしまっています。 生きるのが辛くて自殺しても、地獄に行ったり、地縛霊になって、さらに辛い思いをするというのは本当ですか? 本当に辛いことから解放されて存在ごと消えられるのなら死にたいです…
なんでこんなしんどい思いをしてまで生きなきゃいけないのかもう分かんなくなりました。将来は不安だし人間関係も上手く行かないし、生きてて苦しいからもう死んで全部終わらせたいです。ずっと「自殺したら親が悲しむから」という理由だけで生きてましたがもう無理です。
死にたくないのに死にたいと思ってしまいます 助けてください 私は恵まれていると思います。家族にも学校にも問題はなく、アルバイトにはやりがいを感じています。勉強も好きですし、打ち込める趣味もあります。体調がすぐれない日が多いことは悩みですが、それが原因で死にたいと思う程ではありません。自分のことがどうしようも無く嫌いなわけでも、死んだほうがマシな人間だとも思いません。 けれど頻繁に、全てがどうでも良くなり、どうしても今すぐに消えたい、死んでしまいたいと思ってしまいます。そのような状態になるとものすごくイライラして、涙が止まらなくなり、何も手につかなくなってしまいます。最近では夜中目が冴えて眠れないことも多くなり、精神科で処方してもらったお薬を飲んで無理矢理眠っています。 死にたくなるタイミングを手帳につけたところ、生理が関係しているかもしれないと思い、婦人科や精神科に行ってお薬をもらっていますが、どうにも良くなりません。運動してみたり、食事を改善してみたり、カウンセリングを受けてみたこともありますが、死にたいという気持ちを抑えることはできませんでした。 もう死にたい思いに支配されたくありません。思いつく手は全て打ちました。もうこれ以上、どうしたら良いのかわかりません。
最近死ぬことがとても怖いです。今私は20代でまだまだ先の人生があると周りに言われます。死ぬ時よりも死んだ後無になるのだと思うと怖くてたまらなくなり涙が出てきます。今は祖父母も両親も夫も健在で幸せな生活を送ることができています。だからこそこの幸せがいつか無になることが怖いです。また、時間には逆らえないので祖父母、両親が先に亡くなるのだと思いますが、自分が死んでから会えますか?お母さんは必ず迎えにくると約束してくれました。夫も死ぬからといって離れ離れにはならないし、ずっと一緒だと言ってくれています。ただ、死んだら怖いとか迎えにきてくれるとか、そのようなことも思うことすらできなくなくなるのでしょうか。意識が無くなり、思いや感情や記憶も全て無くなってしまうのでしょうか。怖くて仕方ありません。自分が数十年前はこの世に存在しなかったというのも不思議でなりません。死んでも幸せな時間が続くという保証があればきっと怖くなくなるのだと思いますが、そんなことは誰にも分からないし、だからこそ怖いという思いが無くなりません。これまで亡くなってこられた方々も生前にこのような気持ちを持ちながら生活し、気づかないうちに亡くなっていたのでしょうか。文章がまとまらずすみません。辛く、怖いです。
以前、死ぬのが怖い、そしてこの世界はなんなのかという質問をさせて頂いた者です。その度に暖かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 ご回答や仏教について、素人ながら自分で調べたり考えたりしております。その中で、やはりお釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました。 しかし、この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています。例えば、今日も家族と暮らせたこと。友人と話したこと。ご飯が美味しかったこと。素敵な景色を見たこと。そのような日常の幸せを噛み締めるたびに、大切な人たちと離れたく無い、なぜ永遠に一緒にいられないのか、こんなに綺麗な景色を死んだら見られない、死んだら「今ある幸せ」が消えてしまうのだ…と、死によってそれを失うという恐怖にかられます。魂を信じてみても、自分の肉体さえ今は愛おしく、離れがたく思ってしまいます。 この世への執着を手放すことと、幸せを感じることは共存できるのでしょうか?死という自己意識の消滅の恐怖は、どういう考え方をすれば克服することができるのでしょうか? 今はまだ、死ぬのが怖すぎて生まれてきたくなかったと思ってしまうことが多いのですが、願わくば、それでも生まれてきてよかったと思いたいです。いつも、どうせ死ぬのに生まれた、最悪だ、と思ってしまうので、恐怖を克服することで、本当に心から幸せだと思いたいです。 乱文で申し訳ありません。御助言を頂けると幸いです。