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「死について」を含む問答(Q&A)一覧

死にたいけど死ねない。人間が怖いです

はじめまして。 私は馬鹿なのでうまく言葉が纏められるか分かりませんが、近くの人間にこんな話はできないので、もしお時間があればどなたか聞いてください。 先日、新卒で入った会社を辞めました。職場内でのいじめのターゲットになったことや、上司が業務中に私や誰かの悪口を延々と言い続けている環境の中、嫌いな人間に囲まれてもにこにこと愛想を振りまきながら耐えていました。 ですが数年勤めた後、段々ご飯が喉に通らなくなったり、オタク基質のため趣味に生きてきたのですが、趣味すらおっくうに感じたり、収入を考えず浪費をしてしまったり(当時は今ここでパーッと使って楽しい時間を過ごさなければ心が死ぬと思っていました。)などと自分がコントロール出来なくなっていると気づきました。 このまま病名がついてしまうと思い、逃げるようにして退職をしました。 退職をして、休養と新しい職探しをしようとしているのですが、新しい職場でも同じようにいじめられたり、怒鳴られたりしたら…と考えると怖くて先に進めません。 自分の都合ばかりで、臆病で甘ったれた理由だと笑ってくださって構いません。それでも私は誰かを傷つけ、笑いものにし、貶めるような人間が怖くて、とても嫌いです。 今、私が生きている理由は、飼っている犬が寂しがるからです。甘えん坊なので、置いて逝くことだけはできません。なので死ねません。 家で自殺をしようとタオルで首を締めたとき、偶然、犬と目があって、私がいなくなったらどんなに悲しむだろうと思って、死ぬのをやめることができました。 犬だけは私を馬鹿にすることなく、素直に笑って、甘えて、怒って、悲しんでくれるから大好きです。犬が死んだら私も後を追います。 ですが働かなくてはお金がなくなるので、いつか仕事はしなくてはなりません。 前の職場で辛い思いをしたので、また新しい仕事を初めて、人間と関わって……という一歩を進むことができません。 そもそも馬鹿でのろまでつまらない人間なので、新しい仕事が見つけられるかも分かりません。だから今すぐ死にたくなるのです。 世の中の人はもっと苦しんでいるのに、こんな小さなことで死にたがり、犬のために死ぬのをやめるなんて、中途半端な私はどうしたらいいんでしょうか。

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死にたい 後悔 自己嫌悪

私は今年で21歳になる大学3年生です。最近死にたいと思うことが多くなりました。 私の家庭は一般家庭よりは裕福で家庭環境も良い方だったと思います。家族や親戚は自分にとても良くしてきてくれました。しかし私はこの20年間何かに打ち込んだり自分のためになるようなことをせず、ずっと自分を甘やかしてきました。アルバイトや習い事も大してせずにだらだらとゲームやインターネットにばかり無駄な時間を費やしてきて、現在通っている大学も良い大学でもなければ何か自分が学びたいことがあるというわけでもありません。自分の容姿や身体的特徴に強いコンプレックスがあり人見知りも激しく友達は少なく異性の友達に関してはほぼいません。周りの人達を見ていると、自分の両親は自分を本当に良い環境で育ててくれたのにも関わらず、まるで駄目な人間になってしまった自分が気持ち悪く感じてしょうがないです。 それに加え最近ここには記載出来ないような間違いも犯してしまい、このままだと今まで自分に良くしてくれた両親や親戚、新社会人として働いたり新大学生として目標に向け努力している兄弟達に大きな迷惑をかけてしまいます。いよいよ自分は生きている価値のない人間だと、死んでしまいたい、消えてなくなってしまいたい、と強く思うことが多くなりました。しかし自殺するのが怖く、家族仲も良いので家族を悲しませるのも怖いです。 振り返ってみると後悔ばかりしています。人生をやり直したいと無駄なことを何度考えたか分かりません。こんな自分に対して家族が優しくしてくれるのも申し訳なく思うし、その信頼を裏切りつづけている自分がますます嫌になってしまっています。家族や家庭環境に恵まれなかった人に対して失礼だとは思いますがいっそそういうところに生まれたかったとさえ思うようになってしまいました。毎日孤独で不安で死にたいです。 拙い文章、趣旨の分かりにくい文章で申し訳ありません。

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死にたい想いが取れません

何度も同じような質問で申し訳ないのですが、苦しくてたまりません。 台風のお陰で自殺決行は出来ませんでした。 どうしても苦しくて、処方された薬を限度を守りながら飲んで、寝逃げしてます。 薬を飲むと食欲が増してしまい、苦しくて自己嫌悪。食べ過ぎでぎっくり腰一歩手前で困ります。 家族はそっとしておいてくれます。 3人で楽しそうにTVを見て笑う声が聞こえます。元々、TVが苦手だったのですが、鬱になる2年前くらいから本当に見れなくなり、今もそんな感じです。朝、時計がわりにTVをつけられるのも嫌ですが我慢してます。 趣味もなくなり、本も読めなくなり、ベットで出来る事は自殺や病気の事を調べたり、無料で掲載されている漫画(虐待ものが多い)位です。 寝ても虐待されてる夢や虐待していた母が出てくる夢を見てうなされて飛び起きます。 薬はぼーっとさせてくれるものの楽しい気分になれる訳でもなく、眠たくなる事だけが救いです。 唯一、仕事をしてる3時間だけが、死や苦しみから逃げていられる時間です。通勤途中は電車や車に飛び込まないように泣きながら歩いている現状です。 医師にも「薬が治す訳じゃない。薬は助けるだけ。やっぱり自分なんだよ」と言われます。治したいと思っても治らない。一生こんな気持ちで生きていくんだなと諦めても、人間ってストレスで色んな病気になれるのに私は何で鬱だけなんだろう。癌でも心筋梗塞でも脳卒中でも何でも良いから病気になれないんだろう。 家族にはしんどいとは伝えますが、家族は家族でやる事があります。寝てるふりして1日が過ぎるのを待つのが辛いです。 「楽しいことを見つけたら?」と言われても楽しい事などないんです。なにせ動きたくないんです。ご飯だって食べたくないのにお腹が空くんです。空腹をほっておくと反動で無茶食いするんです。食べても死にたい、食べなくても死にたい。 家族には迷惑をかけないように、出来る家事だけこなし、仕事に行って、辛くなったら薬を多量に飲んで息を殺して泣くので良いですか? 私ならこんな嫁(母親)要りません。 どうして神様や仏様は死にたい人間を生かすんですか?「殺してくれ」「死にたい」と叫ぶのも疲れました。後何年耐えたら許してもらえますか?

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近いうち死のうかと思います。

こんにちは。初めて投稿致します。 私は近いうちに死のうかと考えています。まだ死ぬ方法は決まってませんが色々調べて検討中です。 まだ学生という身分で言うのも烏滸がましい気もしますが、何だか生きる希望が持てなくなりました。 1年から3年までは真面目に大学に通い、サークル活動に励んでいましたが4年になって行く気が失せ最近はサボりがちです。スケジュール管理も最近はダメダメで周りに迷惑をかけまくっています。せめて迷惑をかけた人たちには謝ってから死ぬつもりです。 最近は自分が好きな趣味もあまり楽しめなくなってしまいました。 私は小中高で軽いいじめ(陰口を言われる、容姿を貶される、笑われる)を受けていました。気が弱くそれでいて空気が読めない私が目に余ったのかもしれません。大学に入って友達も出来、ようやく人生楽しくなってきたぞと思ったのですが、ふとした瞬間にいじめの事を思い出したり今の行動に大きく影響を与えていたりと中々逃げ切ることはできないのだなと悟りました。 気にするのをやめろ、そんなに囚われていて悔しくないのかと言われましたが正直悔しいです。ですがもう疲れ果ててしまいました。自分がいつしか先日起きた通り魔殺人の犯人のようになってしまうのではないかという恐れが募るばかりです。 レールから外れたものに厳しいこの世界にもう生きていたくないです。死ぬ事が最近はとても魅力的に思えますし、一度死ぬ事を決めたら心が軽くなりました。 でも結局こういう返信が来るツールに書き込んでいる時点でかまってちゃんなのだと思います。 でも死ぬ前に誰かに読んで欲しくて書き込みした。ありがとうございました。

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死への恐怖

母は私が幼いころに癌を患い、その後治療を続けていたものの半年ほど前に再発しました。今すぐに命に関わるという病状ではないのですが、身近な人間の死に関わりうる病気を通して死というものを考えることが増え、もうどうしていいかわかりません。 私と母とは30ほど歳が離れています。つまり、一般的な寿命を迎えることができても、私はいつか母がいない時間を30年も過ごさなければいけない。そのことが私には耐えられないことに思えます。私には妹弟はおりませんので、私は家族の中で最も長く生きる可能性が高いわけですが、自分の大切な人が皆亡くなってもなお生きていかなくてはいけないのでしょうか。頭ではそんなことわかっているのです。死は避けられない、身近な人の死も受け入れなくてはいけないし、皆そうやって受け入れて乗り越えて生きていると思うのですが、わたしにはそのことができないように思えます。親不孝の極みですが、母が死ぬ前に死ねたら幸せだなとすら思ってしまいます。 私が中学3年の時に祖父が亡くなった時のことを未だに忘れることができません。少し前まで生きていた、人が、生きてはいないということが受け入れられず、その恐怖を忘れることができません。昔見たドラマで、大量殺人を犯した犯人が、人をモノにするのが好きなんだと言っているものがありました。祖父の葬式の時に感じた、人がモノになったということが、私の中に恐ろしい記憶として残っています。祖父の死以来、刑事ドラマも不愉快で見ることができません。人の死を面白がって作っているように思えてしまうのです。私はどうしたらいいのでしょうか。受験期に入り、ストレスや疲れもも溜まっているのか、死ぬこと、母のこと、いつか大切な人が皆亡くなってしまった時のことなどばかりかんがえてしまいます。

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日本、自然死を知らない医師

いろいろ、いろいろ、思うことがあって、思うことがあり過ぎて溢れて、うまく文章に出来ないです。 死とは何か…医者は自然死を知らない 「延命治療」蔓延する日本と「自然死」選ぶ欧米 夕刊◯ジの記事は、良くも悪くも、日本人の「自然死」に対する考え、気持ち、心について、考えるきっかけを与えてくれているように感じました。 良いとか悪いとかじゃなくてです。 いろんな意見があります。 どの方の意見も分かります。 そうだね、そうだよね、と思います。 ただ記事にすると、意見の押し付けや行き過ぎた言葉が並んでしまいがちで… でも、それも仕方がないことで… 何せ人間が書いた記事ですからね… 意見の押し売りさえなければ、それも良しとするしかありませんよね。 私も自然死賛成、いや、自然死なんて嫌だ、延命治療はしたくない、いや、延命治療だって必要だ… どれも、そうだよね、と思います。 医療者の側からすると、治療拒否→治療しない、とは出来ない事情もあります。 それも仕方がないこと。 最近、腎臓の病気を患う患者さんに対して、人工透析をせず死なせた!という事件(?)が世間を騒がせたけれど… じゃあ…ただ人工透析を続けるのみ、人工透析の拒否を受け入れない医師が、良い医師、正しい医師、と言えるのか… 私がよく経験した話になります。 タクシーに乗った時に「◯◯大学病院までお願いします」と言うと、私がまさか職員とは知らず、見舞い客か何かと思って、こんな話をされたりするのです… 「僕の兄貴も腎臓悪して、ずっと◯◯大学病院で透析うけとったんや。でもな、しんどうてしんどうて、もうええ、透析はやめる言うてな、ホンマにやめて、死んでんけどな、やめて良かったわ、医者は反対してたけどな、やめて良かった…」 だから、透析どうこうは、そんな単純な話ではないと私は思うのです。 じゃあ、ケースバイケースだ!という人が正しいかと言えば、そんなこともないし、それだって言ってしまえば綺麗事であり他人事のように聞こえます。 正しい答えなんて、ない。 じゃあ、どうしら…? お坊さまたちは、人が人としとある最後の姿、亡くなった姿をたくさん見ている貴重な方々です。 自然死、延命治療、その他いろいろ… お坊さまの意見…?というか…お坊さまの心の中にある想いをお聞かせ願えませんか?

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死は存在しない

もう10年以上も前になりますが、母の命日が近付くと、色々と考えます。 不治の病を宣告された母。いわゆる「手かざし系宗教」の信者である叔母(母の妹)から勧誘され、藁にもすがる思いで行った本山で「あなたには助からない相が出ている」などと訳知り顔で告げられた母。 同行した父親も勧誘されましたが、断ったとの事。 (父も母も、元々は徹底した無宗教、無神論の人でした) 母は闘病中も死の間際も、「私が死んだら○○を宜しく」 なんて言葉は一言も言いませんでした。 私は、人の思考は死を思う為には出来ていないと考えます。 脳はあくまで、身体を効率よく動かし合理的に生き延びる為に、進化の過程で生物が獲得した器官であり、「死」なんて抽象的な思考を弄ぶ為のものではないと思うんです。 死んで肉体の機能が停止すれば、感覚器官(眼や耳、肌など)も停止し、仮に死後が存在するにしても、想像を絶する世界を見て、感じるはずです。軽々と「死後の世界」なんて言えるはずが無いです。 生物の脳も身体も、ひたすら生きる為に作られています。死ぬためにつくられてる訳じゃないです。だからこの脳、この身体で死について考えること自体ナンセンスで、飛ぶ為に作られていない私の手で、鳥のように空を飛ぼうとするようなものです。 お釈迦さまが死後を無記とした真意は… 私は、死後が浄土であれ輪廻であれ、あるいは本当に恐ろしい事ですが正真正銘の「無」であっても、仏教の救いに変わりはないと言う事ではないかと考えます。 人は死なないです。死の間際でも、風邪をひいたように、一晩明ければケロリと治ってると心の奥底では信じて最後の日まで生き続けるのではないでしょうか。 母は死の間際まで死を考えませんでした。少なくとも、口には全く出しませんでした。何かを悟っていたのか、一片の悟りもなく生にしがみついていたのか今では分かりません。 ただ、母の姿を思うと私も生の続く限り全力で生きたいと思うばかりです。 「生きてる時は死んでいない、死んだら生は無い、だから死は存在しない。死を恐れず、生を全うせよ」と言ったギリシアの哲人に、私は賛成です。 こーゆー考えもまた、妄想でしょうか? 「これだけ問答を重ねて、君はまだ何も分かってない」とお叱りは覚悟の上です。 日々、人の死と向き合っているお坊様方の実感を聞かせて頂ければ嬉しいです。

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