死んだ方がいいのでしょうか。 生きている意味はあるのでしょうか。 自分が死んだら喜ぶ人がいるから死んだ方がいいと思ってしまいます。
初めまして、死について検索している間にこちらのサイトに辿り着きました。 私の父が今年7月に難病が判明し猛スピードの進行悪化に戸惑い、苦しく追い打ちを掛けるように余命1-3か月と宣告を受けました。 今は目も見えず、寝たきり、認知もあります。 病気が発覚するまでは本当に不仲で、今とは真反対に本当にこの人に死が訪れる事があるのかと思っていました。 いざ、進行の早い難病にあった父を看て堪らなく私自身辛く、もう意思が通じないのかと思うと胸が押し潰されそうになります。 もう時期、訪れる死を受け止められず辛く苦しいです。 アドバイスをお願い致します。
人は死んだらどうなってしまうのでしょうか。死ぬのが怖くてたまりません。 自殺したら地獄に行くというのは本当なのでしょうか。
年下の彼から、「一緒にいても、俺は幸せになれない。」と、一方的に別れを告げられたのが、7月半ばでした。 私が勤めている会社のお客様でもあった彼が、会社に来たのが8月あたま。 彼との別れは本当に辛かったのですが、年上の女を演じて、笑顔で話すようにつとめました。 その時、少し寂しそうに見えたのですが、私に対して気まずい思いをしているのだろうと考えていました。 その後、お盆に車ですれ違った時、お互いに手を振り合いました。 ラインで、「実家の近くのお祭りで、太鼓たたくんよ。」と連絡がきましたが、その文言ですら、妙に寂しそうに思えました。 8月末。 彼が死んだと知らされました。 「一応は病死になってるけど、あまりよろしくない最期だったから。」 と関係者から聞かされました。 自殺未遂2回。 鬱の治療を受けていました。 たぶん自殺だと思います。 何を見ても、どこに行っても、彼との思い出で胸が詰まります。 会社ですら、彼との思い出がいっぱいで、彼を思い出さない空間がありません。 私は振られたのだから、どの道、彼を助けることも、そばにいることもできなかったんだと言い聞かせても、楽しかった時の事が頭を占めて離れません。 ご実家にお焼香に行かせて頂きたいけれど、その勇気も出ず、食事ものどを通らず、夜も眠れず、何を見ても涙がでる日を過ごしています。 「死」というものを、どのように理解し、どのように考えていけば、 幸せだった思い出を、幸せに感じることができるようになるのでしょうか。
生きてしまいました。 まずは、私の質問や悩みがどれだけ愚かであっても常に優しい言葉を掛けて下さること、心より感謝申し上げます。一件一件に御礼を書き込むだけの精神的余裕が得られる見込みがないため、この場にてお許し下さい。誠に申し訳ありません。 自業自得により、生よりも死の方がリアルに感じられる状況にあります。心の弱さや人間不信を理由に、しかるべき時に就職活動を行わなかったことで、自らの将来を閉ざしてしまいました。 元々の社会に対する悲観的な意識や積み重なった上手くいかない経験により、「生きる」「幸せになる」「人並みでいられる」「やるべきことができる」自分の姿よりも、「死ぬ」「失敗する」「落ちこぼれる」「救おうとするふりをして救ってくれない社会きら見離される」自分の方がリアルに見えてしまいます。 私はちょっとしたことで傷付く性質で、家族からもよく「そんなんじゃ生きていけない」と言われて来ました。 今更になって就職活動のようなものを始めてみましたが、しかるべき時にに始めていた方々でも苦労するのに、私のような人間が上手くいくとは思えません。筆記試験、業界研究、面接対策。「就活」「いつかは、なるべく早いうちに正社員に」と思うだけで呼吸が乱れます。 新卒で正社員になれなければ、その後のハードルは大きく上がります。正社員でなければ、という焦りは尽きることがありません。 私は、今の社会や世界では、全員を生かすことは出来ないと考えています。どうしても物質がなければ生きていけない以上、生きられる命には限りがあります。そして今は、その限られた以上の命を抱えてしまったのだと思います。 そして、満たされていた過去を知っていた人々は、今までのように満たされようと他から奪い、奪われた人々がまた他から奪うループであると感じています。 私はいつか、こうして私に優しくして下さった方々のように、苦しみを抱えた方々にに向き合うことをしたいと考えております。しかしそれにはまず私が生きて、しっかり労働生活をしなければなりません。自業自得により、常識のレールから外れた私が、もう一度戻れるでしょうか。そして、この世界に絶えられるでしょうか。社会が受け入れてくれるとは考え難く、自分で自分を追い込んでしまいます。 生きることがこんなに辛く難しいものだとは思っていませんでした。
hasunohaのお坊様のお言葉と新しいお医者様のおかげで精神が安定して精神安定剤を服用しなくても大丈夫な体になり、資格を独学で3種類取ってIT関係の職種で会社に勤め、奴隷根性で働いてお金をいただき、生活保護からも抜け出せましたが、仕事が忙しくて毎日3時間程度しか寝れず、食事を作る時間もなく、栄養補助食品に頼り、お給料もギリギリ生活できるだけくらいなので、女性と親しくなっても食事代を払うこともできません。ただ、働くためだけに生きています。 仮にいくら能力があったとしても高卒なので昇給も見込めません。おそらくあと数年働けば新しい技術についていけなくなり、使い捨てられるのでしょう。 自分で選べる唯一の道を自分で決めて全力で頑張った結果がこれですから自分でけじめをつけようと思います。もういい年ですし。 ①そこで自殺の作法のようなものがありましたら教えてください。 方法は首吊りを考えています。登山用ロープとぶら下がり健康器は買いました。書籍等は探したのですがそれよりもhasunohaで回答が欲しかったので質問させていただきました。 何も自分で選べない人生の中で一つでも選ぶことができたので晴れやかな気分です。
知り合いの赤ちゃんが去年の6月頃亡くなりました。亡くなる3日前のお祭りには元気でお神輿を見ながら楽しそうにしていて、私も抱っこしたりしました。生まれた当時から内蔵が悪く顔色もいつも悪くて、でもやっと元気で1歳になったばかりのことでした。 私は悲しくて悲しくて仕方がなくて、お葬式でもずっと泣いていました。今でもふとその子を思い出して悲しさと涙が出てきます。 知り合いはもうすぐ新たな赤ちゃんが生まれるそうです。私も悲しさを受け止めて心からおめでとうと言いたいです。でも一度思い出すと悲しさがどんどん溢れてしまいます。どうすれば悲しさを受け止められますか。
ある日突然、不慮の事故やアクシデントであっけなく死んでしまう命と、老衰や闘病の末の病死と、命の重さは一緒ですか? あっけなく死んでしまう事は、命がとても軽く感じられます。 ほんの少し状況が変わっていれば死ななかったり、その危険さえ気づかずにすぎる事があるのに。 命は尊いと言いますが、尊いものがこんなに簡単に左右されるなんて理不尽に思います。 生前幸せならどんな最期でも幸せな一生といえるのでしょうか? それとも、悲しい一生になってしまうのでしょうか?
死にたいときどうすればいいですか
難病を患い、あまり生きられないかもと一年前に相談した者です。 あれから多少悪化し、実は今、入院中ですが、まあ穏やかに過ごしています。 あれから僧侶の方が書かれた本を何冊か読みました。 解釈の仕方を間違っているかもしれませんが、 この世は全て「諸行無常」で常に変化するから、私が亡くなるのも仕方ないと。 8割納得しました。 でも私を看取るであろう主人に言ったとて納得しません。 主人は今、日々の大半を私の為に過ごしています。 どうしても言うこと聞かないので「毎日同じ顔見たくないから遊びに行って」 とも言いました。 自宅の仕事もあるので、本当に世間との交流を断ってしまってます。 私が死んだら、主人は孤独です。 自分の死より怖いです。 一昨日、小林麻央さんがお亡くなりになられました。 勿論、麻央さんが一番おつらいと思いますが、看病したり 悪化していく様子を見ていた海老蔵さんもつらかったと思うのです。 なのに海老蔵さんのあれだけ号泣する姿を見て、 「私はまだ死ねない」「旦那を泣かせられない」と思いました。 けどそれは現実に逆らうことですけどね。 まずは私は体調に気をつけることだと思います。 そこでお伺いしたいのは、 それでも私が今から迎える「病状の悪化」「死」について 主人の心身のダメージを最小限にできる方法ってありますか? お忙しいところ申しわけありませんが教えて下さい。
先日、母が交通事故にあいました。脳の損傷が激しく命も危ない状態です。真面目に努力して生きた人なのに何で母がという無念の気持ちでいっぱいです。私と母は4月にお互い一人で暮らしはじめたところでした。これから、新たに生活し始めたばかりでした。意識不明で数日が経ち医師の話では目を開けるかどうかもわからないとのはなしで、私はいままで母に親不孝な事をしてきたので、私にあたる罰が母に当たったのだと思いました、後悔はしてもしきれません。悲しくて病院から帰ってきては何も飲食できずにただ泣き続け朝も起きてから泣いてまた病院にいく日々をすごしています。母を亡くす覚悟っていつ、とうやったら持てるのでしょうか。また相手の加害者を憎むのは間違った感情なのでしょうか。
ただただ死にたいです。なんかつらい事こととかいっぱい重なって」いっそ消えてなくなりたいと思うんです。身体がすっごい重たいです
2ヶ月前に北朝鮮情勢が緊迫してから将来に不安を抱くようになりました。当初は北朝鮮の核ミサイルのみを恐れていましたが、それをきっかけに、北朝鮮情勢が少し落ち着いてくると今度は「自分が生きているうちにいずれ戦争が起きるのではないか?核兵器が使われてしまうのではないか?」などの理由から、自分が戦争のせいで天寿を全うできないのではないか、という杞憂といえるような恐怖を常に感じるようになってしまいました。 そのことばかりに気を取られている事も多く、浪人生であるためこのままではいけないと思っていますし、何より苦しいです。 医師にかかる事も考えていますが、仏教に死の恐怖から逃れる事が教えとしてあると知り、自分が今抱えている恐怖から逃れる考え方を教えていただきたいと思い、投稿させていただきました。 答えにくい質問と稚拙な文章で申し訳ないですが、よろしくお願いいたします