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「死について」を含む問答(Q&A)一覧

生きる術または自死を肯定するお言葉を頂きたい

40代男性、身内とは疎遠で友人知人は皆無の一人暮らしです。 多々の病歴及び現在も複数の病気や後遺症があり、体調は芳しくない日々。 持病が発端で不安障害を煩い、安定剤と睡眠剤も服用しています。 30代までは身体も無理が利き、仕事を掛け持ちして仕事もこなせました。 40代に入り、一気にガタが来て心身共に持たず、その後は在宅でPC等を使い、なんとか生活費を稼いで生きています。 若い頃は身内の借金を返す為に働き、その後は癌を患った母の面倒を見て、数年前までは多忙な兄夫婦の子供達の面倒を見たり、忙しく苦しくも充実した日々でした。 今となっては唯一の味方だった母は5年以上頑張り、安らかに逝きました。 精神が不調になると空気が悪くなるのか、それなりに上手くいっていた兄夫婦からも退去をお願いされ、一人暮らしとなりました。 幸か不幸か、学がない馬鹿だった為、今まで何も考えず、考える暇も無かった為、日々苦しくも、今考えれば楽しく生きてこられました。 いきなり誰の心配も何の役割も無い状況、独り気ままに過ごせと言われても、持病ゆえ出来る事は限られ、心身共に凹む日々。 ここ一年程、強い希死念慮と戦っています。 身内に迷惑をかけない様、葬儀関係をすべて先方で済ませてくれる業者と契約したし、自死の為の道具も揃えました。 色々ありましたが、身体が動き充実した時期もあり、目一杯仕事をしたり、苦楽満載も、現在の状況に至るまでに、自分なりに満足いく人生でした。 気分が凹んでる時はただ死にたい、と思うし、たまに安定している時は、十分頑張ったし、やりたい事もやるべき事も概ね済ませてもう満足、笑って逝ける、と、結局、行き着く先は自死という結論になります。 自死に関する和尚様のお答えを沢山読ませて頂きました。 私をを苦しめる私を労わり、阿弥陀様に南無阿弥陀仏を唱え、禅の真似事で、心を無にして精神を落ち着けたり... やる事もやれる事もやり、先が見えた状況で、今なら笑って満足して逝けます。 こんな状況でも生き続けなければいけないのでしょうか? もう休んでいいのでは? 今は、励ましてくれる者も、叱咤、激励してくれる者も居ません。 会いたい人々の多くはあちらに逝ってしまいました。 彼等に会いたいです。 何かほんの欠片でも道筋を示してくれるお言葉、自死を肯定して下さるお言葉、頂けたら幸いです。

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自殺って最高の救いではないか?

全ての苦しみから逃れることが出来、生きるという動から離れることができる。 自殺に対して迷惑!とか好きに死んでもいいけど、他人に迷惑かけるクズは死ぬべき!とかいっちゃう世の中の大半の利己主義な人達からも離れることが出来ます。 自殺は迷惑というのは=自分が損したくない、もしくは自分が死ぬ時に社会の迷惑になってないと思ってるお花畑。老人になって大量の国家予算のかなりの占める医療費を国が払い沢山のワーカーの働きにより初めて死ぬことができる。 しかし自殺は家で首をつれば終わり。アマゾンですぐ買える。 死ぬ前に警察でも業者でも呼んでおけばいい、もちろん死体の横に迷惑料数十万とか置いて掃除代金や葬式代にして貰えばいい。首吊る場所も山の中とかにすればいい。 本来ならマグマに落ちるとかそういうのが完全に死ぬ方法としては最高だと思うけど、そもそもマグマには行けないし遠い。 家族も悲しむけど、それだけ、遺書も70年分くらい書いたりしておけばオッケー。 でも生きてて変な苦しい生き方をしてて親も苦しんでるなら自殺した方が良くないか?と思うのです。 どうせこれから生きててもいい事はないし、小さなくだらん事で幸せを、噛み締めて生きるよりは安楽死した方がマシだろう。 いや実際こわいと思う、死刑囚と同じ死に方だし、何千億年も経っても目覚めないってのが壮大に怖い。 でもおそらく大半の自殺者はそれよりも今が苦しかった、あんまり考えてない小学生とかでも自殺してておそらくその場の雰囲気が大事。 輪廻転生とかいうけど本気で信じてるなら死も怖くないはずだよな。 生まれてきて知的障がいとか植物状態とかに生まれたらそもそも生きてる私という認識すら持てない認知症もそう。俺たちは結局は脳で動く電気信号にしか過ぎないって。 ISISとかの動画とか見たことあります?頭打たれて顔がそもそも原型をとどめていない。そんな人達が意識を残してると思う? 首切られた人は叫んでいて、ある一定に達したら半目になって徐々に意識を失う。 彼らの輪廻は?意識は?沢山殺した人はどうなるの? 結局チリになるだけだろう、魂なんてものはなくてコンピュータシミュレーションのようなこの世界で苦しみいつか死ぬ それが早いか遅いか。 何をしても苦しみはなくならない。 だから私は自殺は最高の救いではないか?と思う。そう思わないでしょうか?

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祖母の寿命について

数日前に祖母が搬送されました。 おととい、もう点滴のみの対応になるので、1週間~10日の余命と言われたそうです。 母からの話で、私はまだ会っておらず、明日、様子を見に行きますが、本当に死んでしまうのだろうかと思う位、頭はしっかりしていて、元気なようです。 心不全と肺が機能しておらず、食べられないから、点滴のみとなり、今は元気なのに、だんだんと衰弱して、精神も朦朧となり、終わりを迎えるしかないなんて。 あと、数年で100歳になる年齢なので、寝たきりにもならず、ボケもせず、私の息子、曾孫とも仲良く過ごし、客観的には、長生きで、楽しい人生で、迷惑もかけず、良かったじゃないとなるかもしれません。 離れて暮らしているので、結婚してからは年に多くて4度くらい、ここ数年は、年に2度帰省するくらいでした。 なので、亡くなり会えなくなっても毎日会っていたわけではないし。 でも、やはり考えたら涙が止まりません。まだ、元気なのに、生きているのに。 来月には居なくなってしまうかもしれない。もう会って話すことができない。 私は、おばあちゃん子でしたし、高校生の息子が小さいときに、おばあちゃんと過ごした日々を思い出しても、また涙が。 仕事でも、いろいろあり、体調もいまいちな時でしたが、更なるショックで、どう考えて、向き合って過ごしていったらいいか。 奇跡がおこらないか、祈ってしまいますが、この状態に対してアドバイスをお願いします。

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ひき殺しても尚

私の父親は、今71歳。最近、運転免許証の更新に行きました。 ゴールド免許です。 でも、父は64歳の時、仕事中に50代の女性をひき殺した過去があります。 法律上、父のせいではない、その女性が飛び出したのが事故死の原因である、ということに。 しかし、私にはどうしても父の心が分かりません。 父は悪くなかったのかも知れません、でも、1人の尊い命が失われたのは事実なのです。 それでも、今回は70歳を越えていましたので、高齢者の講習を受け、見事合格し、新しい免許証も手に出来ました。 それからです。父がやたらと赤信号で突っ走るようになりました。 私が「赤!赤!危ないでしょ!」と言っても、「ワシは国が認めた優良ドライバーなんや!ゴールドなんや!」と危ない運転を繰り返します。 父は、自分が人間を跳ね、ひき殺したときの「感覚」「感触」を忘れてしまったのでしょうか。恐怖に苛まれることはないのでしょうか。 ゴールド免許証になってから、スゴい自信過剰になっているように感じます。 はねて、ボンネットに乗り上げ、窓ガラスがバリバリに壊れる程のひき方をした、その時の「ドンときた生々しい音」「目の前で人が潰れた光景」…私なら怖くて、二度と運転出来なくなりそうですが…どうも父は違うようです。 いつかまた、人をひき殺すのではないか、という不安が頭をよぎります。 最近の荒々しい運転は、酷い。横暴過ぎます。 確かにゴールドです、運転するな!とは言いません。 でも、人の尊い命が1つ失われた(奪った)事実を認め、決して忘れないでいて欲しい。 お坊さま、どういう言葉をかけたら、父が「安全運転」をするようになると思われますか? 時には過去と向き合う必要があると、私は思うのですが… 何を言っても「ゴールド」を主張する父に、私から、あと何を言ってあげることが出来るのでしょうか?

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納得のいく死

先日、最愛の母を癌で亡くしました。 癌だと判明してからたった二ヵ月足らずで逝ってしまいました。 本人には事実を告げられないまま… 本人も治ると…必ず治す!というつもりで頑張っていました。 人は誰しも自分の『死期』は分かりません。 自死の方は別かも知れませんが、皆さん『納得のいく死』 が出来るわけも無いし、そもそも死にゆく事に本人も家族も 『納得』や『覚悟』なんてそう簡単には出来ません。 殆どの人が『無念』な思いで逝くのではないでしょうか? やり残した事、言いそびれた事、気になっている事… 色んな思いを抱え、それらが『後悔』や『恐怖』となって 本当に『辛く』『悲しく』時には『怒り』となって たった一人で心細く無念に旅立っていくのではないでしょうか? そんな『無念』な思いで旅立った魂は、本当に 心安らかに『成仏』が出来るのでしょうか? 残された家族が一番心を痛める事… それは どんなに辛かっただろう どんなに無念だっただろう どんなに怖かっただろう… 話が出来たら、どれだけ辛かったか聞きたい… 今、どう思っているのか聞きたい… でもそれが出来ないから苦しいのです…。 教えてください。 自分が『死んでしまう』とは思ってもいないのに 治そうと、治ると思って頑張っていたのに 何の心構えも準備も出来ていないまま 人生を終わりにしなくてはいけなくなった時 人はどんな事を思うのでしょうか? 四十九日までは、魂はこの世に居ると聞きますが どんな気持ちで、どこでどのように 過ごしているのでしょうか? そんな事ばかり考えて、辛くてたまりません…。

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母の死を受け入れられません

私の生き甲斐であった母が、先月急に亡くなりました。 今までひと月に一度のペースで大きな病院にもう十数年もかかっておりましたし、普段の通院でも特に問題ないとの事でしたので、いつも自分の事(痛い苦しい辛い)を殆ど口にしない母が珍しく異変をうったえる事もあったのですが、年齢的なものもあるのだろうと思っておりました。後で考えてみると昨年秋頃から『しんどい』という言葉も増えてきていたように思います。でもその時も、主治医に『この数値でしんどいはずはない。大丈夫!気のせいや。』と言われ、その言葉を信じ特に検査をする事もなく日常過ごせておりましたし、4月のお誕生日には家族で旅行も行きました。 GWが明けて念の為にと受診したところ、末期の癌でもう手の施しようがなく余命二ヵ月と告げられました。 その二ヵ月を満たずして母は亡くなりました。あっという間でした。 母の病院関係や健康管理、身体の事に関しては本当に今まで心配で心配で異常なほど気を配ってきたのに…こんなに大切にしていた人の、これほどまでに最愛の人の、見る見る弱っていく姿を、病に侵されて苦しみ息絶えていく姿を、手を打つ術もなくただただ見ている事しか出来なかった日々は、この脳裏から消える事はなく日に日に罪悪感と喪失感に押しつぶされそうになり、このまま後を追えたらと思っています。 普段偉そうに『母さんの健康は私が守る!』と母の思いは二の次で自分の思うように引っ張て来た…結果がこれかと…。どうして母の信号に気付く事が出来なかったのか…。私を信じ、私に遠慮をしてなかなか自分の意見を言う事もなく身を任せてくれていた母に、最期まで事実を伝える事も出来ず頑張らせてしまった…。最低な親不孝者だと思います。昔からあまり贅沢をしてこなかった母を喜ばせたい一心で生てきました。これから親孝行が出来ると思っていました。 家族での旅行や外出をする度に『いつか罰があたる。』と言っていた母の心意も気になります。母の意思と反して私が勝手に母に色々してきた事が、その私の『欲』が『罰』となって、何かを悟っていた母が連れて行かれたのでしょうか…。そのように思えて仕方ありません。 母は今どう思っているのでしょうか…。 これほどまでの地獄はありません。母と同じくして、私自身も死んだも同然です。 『死』とは何でしょうか…。どうかご教示ください。

有り難し有り難し 22
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PURIFICATION

15年程前に遡ります。私は、ある医療ミスを発見しましたが、圧力に負け、揉み消されるがままに、私も口を閉ざしてしまいました。ご遺族に真実を伝えたい、そう思い、上層部がゴチャゴチャしている間に、集められる限り全ての被害者の医療情報をかき集め、内部告発を覚悟に、準備を着々と進めていきましたが、外部の、信頼できる医療関係者に、事実を公表すべきかどうか相談したところ、「あなたがこの世界に二度と戻れなくなる」→「事実を伏せるべき」との結論を、結果的に飲み込む形になりました。もし、その後ご遺族の方が、「何かおかしい」と真実を求めてきたならば、私は事実を公表しよう…。そう思っていましたが、案の定、告発されるようなことはなく、ごく限られた職員のみが、その医療ミス=死亡事故を「知っている」「黙認している」状態で「なかったこと」になってしまいました。私は、口を閉ざしたと共に、心も閉ざしてしまいました。その事件が、今の私の病気の始まりになります。「浄化されたい」その思いから、毎日、下剤を110~160錠…。当時は、cleanse the intestines → cleanse my soul(腸内を浄化する→私の心・精神を浄化する)しか考えられないような日々。摂食障害、うつ、脅迫性障害など、次々と病気が私を襲いました。今は、完全に下剤も絶ち、精神面も随分落ち着いてきましたが、悶々とした気持ちは消えることはありません。亡くなられた方やそのご遺族に対して、無言を貫いたことを謝りたい…しかし、今更…というのもあります。生と死の狭間に立ち続け、生と死の重さを感じ続けながら、生きていくしかありません。学生の頃から、「死」と直接向き合うような様々な活動を、1人で積極的に行ってきましたが、社会人になり、たった1か月程で、私は地に落ちました。落下してしまいました。今でも学生の頃の「信念」は変わらないのに、死を見逃す…まさに衝突、逆行しています。真の『浄化』とは?今の私に何が出来るでしょうか?ご意見賜りたく存じます。

有り難し有り難し 37
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検体になる

私は、私自身が脳死状態になった時、臓器移植希望で、使える臓器は必要な方にお譲りしたいと考えております。しかし、両親が(私の)臓器移植に反対なので、今はまだ免許証の裏などの記入欄は空白にしている状況です。仮に年の順に行けば、ですが、両親が亡くなった後は、私の意思のみで臓器移植可能だと思うので、年齢的な部分をクリアするなら、是非とも私の臓器を使っていただければと思っております。他にも、いろいろ考えております。身内が肝臓を悪くすれば、生体肝移植をしたい。腎臓は2つあるので、差し上げても構わない。骨髄移植のドナーになるのも良い。最近では、今で1年と9か月、髪を切らずにいるので、このまま伸ばし続けてヘアドネーションするのも良いアイデアではないかと思っています。私自身、病気を患っていて、毎日、大量の薬を飲んでいるので、どこまで世の皆様の助けになれるか分かりませんが、病気なら最後の手段は、医学生の解剖学の検体になることぐらいしか思い付かないなぁ…と考えております。一番身近な献血は、今の状態では無理なので、回復次第、貢献出来ればと思っております。病院の輸血部という部署にい、たくさんの血液製剤を扱うクセに、自らが献血が出来ない、というのは非常に情けなさを感じてしまうところです。「生」に執着がなく、「死」をとても身近に感じている、私。将来、「最終的には検体に」という考えは、仏教ではどのように捉えられるのでしょうか?お教えいただきたく存じます。

有り難し有り難し 18
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死について漠然とした不安があります

 またまた質問よろしくお願いします。 死について漠然とした不安があります。 最初は小学生のころでした。特に何かあったわけではありません。 ただふっとした時に「死にたくない~」と思い泣いていたのを記憶しています。 ヲタクなので、漫画やらアニメやらドラマやらメディアでは死について想像したり見たりします。 ですが、身近な親戚や、友人知人の死に直面したことはありません。 同級生がひとり自殺されたという話は聞いたのですが、同級生との関わりが縁遠くなってしまっているので、実感がありません。 両親の祖父母は健在ですし、自分の家で生活できています。 東北在住なのですが、近くにいる親しい人が震災で被害にあったということもありませんでした。 自身もですが、親戚、家族、友人知人が大病を患い入院しているということもありませんでした。それ自体はとても幸運なことだとは理解しています。 外にいて空の高さや雲の重なりなんかを見て地球や宇宙を感じるとき。 妊婦さんを見かけたりした時。自分が生きてたり生命があるという事を感じます。 今でもふとした時にとてつもなく死に恐怖を感じます。 これからさきどうなるんだろう?まだ20代なのですが、30代に差し掛かるし、求職中で独身です。 死より将来に漠然とした不安を感じているのかもしれません。 これから先も地球や日本は続いていくけど、私は死んだらどうなるんだろう?死んだら終わりだし真っ暗で何も感じられないんだろうと考えると怖くて怖くて堪りません。自分の人生がいつか終わるのが不安で恐怖に感じています。 別の質問で書きましたが、危ない運転をしてしまったことがあります。 それでも生きているけど、いつ死ぬかわからないよね。 と感じたことがあります。そして身近な人の死に耐えられるかわかりません。 自分でも身近な人でも死が怖くて堪りません。 死の恐怖とはどのように向き合っていったらいいのでしょうか? 20代後半でこんなことを考えているのは可笑しいでしょうか?ご教授よろしくお願いします。

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浄土真宗の死後とは

私は浄土真宗です。 死んだら浄土に行くと聞いていましたが、南無阿弥陀と唱えるのは、死後のためではなく、今を生きるためだとも聞きました。 どうしたら念仏することで今を生きるという感覚になるのでしょうか。 死んだ後は浄土にいくのではないならどうなるのでしょうか。 病気でなかなかお寺で聞法できないのでよく分かりません。 浄土には病気が無いとイメージしていたのですが違うのですか? 生きている時「私は私で良かった、あなたはあなたで尊い」と思たらその心こそ浄土と教わったこともありますがうまくつながりません。 10年間以上、生まれつきの要因が大きい病気で体が思うように動かず、学ぶのも働くのも結婚するのも十分にできなくて、その間ずっと「どうしてうまくいかないの」「どうやったらうまくいくの」と考えてきました。 でも、すぐ死ぬ病ではないため、残りの人生おそらく何十年も あると思いますが、ずっと「どうして」と過ごすのかと思うと馬鹿らしくなってきて、段々、「考えて解決しないことなら考えるのをやめよう」「己の身体的限界を受け入れた方が肩の力が抜けてむしろ楽なのでは」という気になりました。 もうこれ以上は個人で考えて結論が出せるものではなく、宗教を学んで信じることで、余計なことに悩まず、残された力を使い、やれることをやるしかないように思い至りました。 それで急に浄土とはどんなものか、死後についてどう考えるべきか、知りたくなってきました。 健康のために具体的に食事睡眠運動に気をつけるのは最善を尽くせているので、その病気になった人にして体調はマシな方ではあります。 ただ、もう気持ちの面で嘆くのは嫌です。 教えて下さい。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 157
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