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「心構え・生きる智慧」を含む問答(Q&A)一覧

お金にはこころがないように感じてしまう

農家の嫁です。手作りのものが好きで、パン・ジャムや梅干し、つくだ煮などを作って、友人にあげることがあります。 それは、「おすそ分け」の気持ちです。我が家では食べきれないこともあるし、今の時代では手作りは珍しいこともあり、食べて、味わってほしいなぁと思うこともあります。 先日も、自家製の天然酵母のパンを焼き、いっぱいあったので、友人数名にあげました。 ある方は、お菓子を持ってきてくれる人もいれば、お花をくれた方も。 しかし、別の友人から「お金、払うよ?いくら?」と聞かれて、困ってしまいました。 あくまでも、手作りが好きでやっている。手作りでしか出ない味を楽しんでほしいだけで、お金という価値で置き換えられません。 友人には「今度、何かをおごってね」と言って、お金は受け取りませんでした。 こういうことは、今までも何でもあります。 そのたびに、何か「お金で・・・」と言われることに、抵抗というか、虚しさを感じます。心がないのではないけれど、何か気持ちがすっきりしません。 お金がほしくて、作っているわけではないので、お金を受け取ることにも、お金での価値(値段をつける)ことにも、できません。 この気持ち、どうしたら、すっきりするでしょうか?

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適切なアドバイスの仕方について

適切なアドバイスは何か?と考えてみますと、相手にとって過不足なくアドバイスすることが重要なことではないかという結論に至りました。  まず、不足しているアドバイス。これは、不足していて誤解を与えるアドバイスです。相談される側が相談する人の話を聞いていない場合です。また、聞いても助言が思いつかない場合もです。これらの場合はアドバイスが検討違いになったり、受け流すだけになってしまいます。これらを考慮するのは助言を与える側の前提条件だと思います。    次が、過剰なアドバイスです。いきすぎると、おせっかいになります。これは2つのケースが考えられました。  1つ目は、相手から相談された場合。これは、相手がある悩みをもっていて、自分にその悩みを聞いてほしいか、解決する手段を求めていると解釈できます。その悩みに対して、相談される側が"正しい"アドバイスを思いついた時に、それを相手に最後まで伝えるかどうかです。つまり、相手の理解できる範囲を超えたその時点では理解できない"正しい"アドバイスをすることは本当のアドバイスと言えるのか?ということです。  2つ目は、相手が相談していないけれど、相手の問題点を発見し、"正しい"アドバイスを行う場合です。これについても相手にとって現状が最善であるけれども、周りからは自明でより良い選択肢を提供できる時に、その選択肢の存在を知らせることは良いのかにとても悩みました。これは1つ目のケースよりも相手の理解できる範囲を超えうるアドバイスになります。 以上より、適切なアドバイスとは、 (1)カウンセラーのように相手の意見を熱心に聞き、自分の意見を全く言わないようにする (2)それとも、相手の理解できる範囲のアドバイスにとどめておく (3) 相手が今理解できなくても、後に理解できるだろうから最後まで言う のどれが適切と思いますか?(全く別の意見でも構いません)。実例としてこのhasunohaで質問者の悩みに対する答える時に気を付けていることなどでも良いので、お坊さんはどのような心持で答えているのか知りたいです。  私は相談者は(1)→(2)→(3)の順に負担が重く、助言する側はこの順で言いやすくなると思います。私はついつい最後まで言ってしまう(3)(これが煩悩なのですか?)が多いので、(2)にしたいと思っているのですが。。。 お願いします。

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性欲とどのように向き合えば

このような質問をしてよいものか迷いましたが 悩みが深まるばかりでしたので、質問することにいたしました。 本当に汚い文章で申し訳ございませんが、よろしくお願い申し上げます。 お坊さんは、煩悩である性欲とどのように向き合っていらっしゃいますか? 私は大変悩んでいます。 大学生になってから1人暮らしを始めて性欲が強くなってしまい 2、3日に1度は自慰行為をしてしまいますし、 アダルトビデオ(AV)もみてしまいます。 しかし、人格形成のうえで良いこととは思えません。 できることなら自慰もAVもやりたくも、みたくもありません。 にもかかわらず、自然と性欲が湧き上がってきてやってしまいます。 このままじゃ駄目だと、ひたすら自慰やAV鑑賞を我慢したこともあります。しかし、寝れなくなったり、学業に集中することができなくなりますし、我慢することも違うように感じています。 それでいま、 「人として道を踏み外さないようにするために、性欲とどのように向き合えば良いのか」 ということで悩みが深まっていました。 そこでお坊さんにご意見をいただこうと思って質問いたしました。 人として道を誤らないために ・自慰行為はやめるべきなのか ・アダルトビデオをみることはやめるべきなのか あとは自由に性欲についてお答えいただければ幸いでございます。 ご指導のほどよろしくお願いします。

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大人ってなんなのでしょうか?

私はもうすぐ20歳になります。 しかし、それを受け入れることができません。20歳になるのがこわいのです。 実感は0歳が1歳になるのとなんら変わらないのかもしれません。毎年のように、家族や友人から「おめでとう」と言われ、ケーキを食べて、また1日が過ぎるのかもしれません。 しかし、私にとって20歳の区切りはとても意味のあるように思えてならないのです。 このことが頭を巡り始めた頃は、おそらく「責任や就職などの大人になったら乗り越えなければならない壁から“逃げたい”」という気持ちがあったのだと思います。 しかし、今はその気持ちよりも「大人になったら見えなくなるものに対する“恐怖”」が強いです。 私にとって大人は汚いもののシンボルであり、自分はこうなりたくないもののシンボルです。大人になったら見えなくなる何か大切なものがあるはずなのです。 なので私は「大人とは何か」という疑問に答えを出そうと考え始めました。 その答えが分かれば、大人を受け入れられる何かが手に入るかもしれない。そう思います。 しかし、一口に大人といっても様々です。未成年の子供を指して「あいつももう大人だなぁ」という親もあれば、いい年した部下に「子供じゃないんだから!」と怒鳴りつける上司もいます。 多分「大人」と「子供」の境界はとても曖昧なのかもしれません。 なので大人のお坊さんたちに何か「大人とは何か、どう定義するか」のヒントをいただきたいのです。 よろしくお願いします。

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最悪に備えるって?

私は、仕事に限らず、プライベートなことでも、想定出来る範囲のことはすべて考えて対策・準備するようにしています。 想定外の出来事に対面すると動揺して冷静な判断は難しくなるでしょうから、少しでも多くのことを想定しておけば、準備万端であり、心に余裕を持って物事に対処出来ます。 それでも、想定外の出来事は起きるでしょうが、そのことだけに集中して対応することが出来ます。 しかし、スピリチュアル系の知人に言わせると、「最悪の場合を考えるとそれが実現してしまうから、絶対にマイナス系は考えない」と言います。 最終的なことは、人智が及ばない神仏のみが知る部分があるとは思いますが、小さな日常的なことまで、すべて、「その場その場の状況次第」というのはどうなのでしょうか? 最悪を想像して落ち込むのではなく、対策を練るために想像することは良くないのでしょうか? 1つの出来事で、本番1回だけの経験から学ぶよりも、事前練習で10パターンの対応を考えることの方が、より多くの学びが出来ると思うのは違うのでしょうか? 限られた命の中で、より多くのことを学び・経験したいと思うからこそ、自分の出来事だけでなく、世間を騒がせる事件などでも、「もし私が当事者だったら、どうするのか?」などを考えるのは、仏教的に良くないことなのでしょうか?

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執着を手放すには

以前、流産と不妊について相談させていただいた者です。その節は心のこもった回答をありがとうございました。 ご回答やそれ以前の問答を拝見したりして、少しずつ落ち着きを取り戻していますが、なかなかすぐに元気にというわけにはいかず、まだやっぱりもがいています。 ところで、以前TVでストーカーのニュースを見ていたとき、「ストーカーの人が幸せになれるとしたら、それは執着を手放して、他の道を進んだときだよね」と、家族に話しかけて自分でもはっとしたことがありました。私もそうだ、と思ったからです。 たぶん私は子供がほしいと思うあまりそのことに執着しているのではないだろうかと気がつきました。繰り返し流産して、いったん手にしたと思ったものを何度も失ったことで、余計にそれが強くなってしまったのかもしれません。 なんとかこの執着を手放したいと思ってきましたが、なかなか難しいようです。もともとこんな気持ちが背景にあったので、こちらの仏教に関連したサイトにご相談させていただいたのかもしれません。 説明が長くなってしまいましたが、このような執着を手放すための心の持ちようはあるのでしょうか?ご助言をいただければ幸いです。

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